トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

クーンは裸の王様?(1)

2017年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム
 野家啓一著『パラダイムとは何か』(講談社学芸文庫、2008年)の副題は「クーンの科学史革命」となっていて、その最終章第六章は次の文章で締めくくられています:
「コイレの内的科学史の伝統に根差すことから出発したクーンは、まさにそのことによって科学史・科学哲学における既成の伝統を打破し、新たな伝統を打ち立てたと言うべきであろう。それは同時に、既成の枠組みに囚われない科学の新しい姿を甦らせることでもあった。まさにクーンは、「パラダイム転換」のありようを自らの学問を通じて身をもって示して見せたのである。」
 クーンの学問的業績についてのこの評価によれば、科学史と科学哲学の二つの分野で、クーンは革命、つまり、「パラダイム転換」を成就したことになっています。しかし、私の判断は違います。科学史の分野でも科学哲学の分野でも、クーンは大きな騒ぎを起こしたが、クーンの意味でのパラダイム転換、つまり、革命はもたらさなかった、というのが私の見解です。クーンが引き起こした思想的な大騒ぎに名前を献上して「クーン現象」と呼ぶことにすれば、「クーン現象」は20世紀後半の思想史上の重要な事件の一つとして本格的な考察に値するでしょうが、科学史プロパー、科学哲学プロパーにとって、クーンが彼の『科学革命の構造』(SSR)で定義した意味での革命的事件としては、クーンの業績は生き残らないだろうと私は考えます。
 クーンが科学史から読み取ったと主張する、自然科学のサイクル的な進展(development)のパターン;
(前パラダイム期)→(パラダイム1の出現)→(通常科学)→(異常科学)→(パラダイム2の出現)→(パラダイム1とパラダイム2との抗争)→(パラダイム2の勝利)→(通常科学)→(異常科学)→(パラダイム3の出現)→(パラダイム2とパラダイム3との抗争)→(パラダイム3の勝利)→・・・・・
を拙著『トーマス・クーン解体新書』では「クーンの科学進展パターン」と呼びましたが、もしクーンが科学史の方法論的革命を起こしたとすれば、その「パラダイム」は上掲の「クーンの科学進展パターン」を中核とする内容の筈であります。このパターンを構成する最も重要な概念は、勿論、クーンの「新造語(neology)」としての「パラダイム」であり、相争う新旧二つのパラダイムの間の関係としての通約不可能性(incommensurability)の概念です。通約不可能な二つのパラダイムの間の転換としてクーンの「科学革命」は定義されています。
 それでは、このパターンが主張されたクーンの『科学革命の構造』(SSR)以後、科学史と科学哲学の二つの分野で、新旧パラダイムの抗争が起こり、新しいパラダイムが勝利して、革命が成就し、その下で、つまり「クーンの科学進展パターン」を適用することで、通常研究が進行した、あるいは、しているでしょうか?
 端的に結論を言えば、SSR以後の科学史研究がクーンのパターンの適用を中核とするパラダイムの支配下の通常研究として進展した、あるいは、進展しているという状況は認められません。認められない理由は簡単明瞭です。科学の進展は「クーンの科学進展パターン」に従っていないからです。拙著『トーマス・クーン解体新書』の第3章のタイトルの通り「クーンの科学進展パターンは史実に合わない」のです。史実に合わないのであれば、それに従って通常研究が行われる筈はありません。それだけのことです。
 「クーンの科学進展パターン」が適用される科学革命の事例が多数SSRで論じられているではないか、という声が上がるでしょうが、それぞれの事例について、クーン一流のレトリカルなsleight of handに幻惑されないで、公正に検討すれば、このパターンが良い精度で適用できる例は一つも存在しないことが確かめられます。コペルニクス革命については後ほど取り上げます。ニュートン革命については、SSRの論議には各種の困難があり、拙著『トーマス・クーン解体新書』で論じてあり、その一部をここで繰り返します。クーンは、コイレの影響を受けて、ガリレオの無視に傾き、上掲のパターンで、アリストテレス力学をパラダイム1にニュートン力学をパラダイム2に同定しようとしましたが、これにはいくつかの深刻な困難があり、クーンのパターンは全く適用不可能であることが分かります。クーンが力を注いだニュートン力学とアインシュタインの相対性力学との関係にも、ニュートン力学と量子力学との関係にも、「クーンの科学進展パターン」は適用不可能です。(続く)

藤永茂(2017年4月29日)

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