トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

ハイルブロンのクーン

2011年01月26日 | インポート
 John Lewis Heilbron (1934年~)はクーンの下で博士号を取得した最初の学生で、有能で立派な科学史家として大成した人物です。何冊もの優れた著作があり、数々の賞を受賞しています。彼が科学史学術誌「ISIS.1998, 89:505-515」に発表した論考『Thomas Samuel Kuhn 』は、トーマス・クーンの評価として最も優れたものの一つだと私は思います。恩師を、的確ではあるが決して冷酷ではなく、真の人間的理解の暖かみを持って論評した見事な文章です。ですから、以下に引用する部分が、批判的に過ぎると感じる読者は是非原論文の全体を読んで下さい。
 まず前回でお話しした「他人の頭の中にもぐりこむ話」:
#The right way to do history of science, Kuhn’s way, was “to climb into other people’s heads.” He meant that the historian of science must learn the technical languages, approaches to problems, and theoretical and experimental resources of his actors so as to be able to make full and good, if not coherent, sense of their writings. No doubt he was a master of this art. In truth, however, he climbed about in only small and isolated spots in the heads he hunted. In his usage “Max Planck” stood not for a once-living person, but for a certain small set of papers and letters.#
<翻訳>科学史をやる正しいやり方、つまりクーンのやり方、というのは“他人の頭に登って中にもぐり込む”ことだった。彼が意味していたのは、科学史家は対象にしている人物が書いたものが、たとえ首尾一貫とまでは行かなくとも、充分に意味をなすように読みこなせるために、彼らの使った専門的言語、問題へのアプローチ、それから、が身に備えている理論的また実験的能力を知らなければならないという事だ。疑いもなくクーンはその技の達人だった。しかしながら、実を言えば、彼が登ってもぐり込んだ頭脳の内部の小さな離ればなれのスポットだけを彼は探索したのだった。彼が口にした“マックス・プランク”という名前は、且つて生きていた一人の人間を表しているのではなく、マックス・プランクが書いた論文や書簡の何がしかの集合を表していたのだった。(終り)
上の引用文の最後の部分は少し意味が取りにくいと思いますが、科学史家としてのクーンのマックス・プランク評価が物理学者から反発をうけたことがあって、この事はハイルブロンのこの論考の他の部分で取り上げられていて、また、以下の引用文にも顔を出しています。
 次に、ハイルブロンの恩師に対するドキリとするほどに的を射た評言:
#Although he had few doctoral students in history and none in philosophy, he had an immense readership; no true disciples, but worldwide congregation. He transformed his contemporaries’ understanding of the nature of science and changed the world for those who study the problems that concerned him. His achievement is not easy to explain. He drifted from one academic field to another; his formal equipment for historical research was rudimentary; Structure is full of holes; Black-Body Radiation is impenetrable; the big book on philosophy has not appeared. What then? #
<翻訳>彼は歴史でほんの僅かの博士課程学生しか、哲学では一人も持たなかったが、膨大な数の読者を持ち、本当の弟子は無かったが、世界中に信徒衆を持った。彼は科学の本質についての彼の同時代人の理解を変革し、彼の関心事であった諸問題を研究する人々にとっての世界を変えてしまったが、彼が成就した業績を説明するのは容易でない。彼は一つの学問分野から別の分野に流れ移った;彼の歴史研究に対する正規の素養は初歩的なものだった;著書『科学革命の構造』は穴だらけだ;著書『黒体輻射』は理解困難;哲学の大著は未だ出版されていない。となるとどう考えれば良いか?(終り)
私にはハイルブロンはクーンのお弟子さんのように見えますが、no true disciples とあるのを見ると、ハイルブロンは自分をクーンの本当の弟子と考えていないことになります。ハイルブロンは立派な学者ですから、恩師の衣鉢を忠実に継いでいないことをはっきり意識してこう書いたのでしょう。SSR が “full of holes” なことは事実なのですから、クーンが残した沢山の穴は、結局、後で埋められたと考える人々も、SSRを初めて手にする一般読者の便宜をはかって、「SSRは、実は、穴だらけ」と、ハイルブロンのように、はっきりと言ってほしいものです。

藤永 茂 (2011年1月26日)



Kuhn, the Physicist?

2011年01月19日 | インポート
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SSR: Thomas Kuhn “The Structure of Scientific Revolutions”
RSS: Thomas Kuhn “The Road Since Structure”
ET: Thomas Kuhn “The Essential Tension”
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 『クーン解体新書』と題するこのブログの初回には,私が数年前に書いた英文の著作草稿『Undoing Thomas Kuhn 』の目次を披露しました。その第4章のタイトルは「Kuhn, the Physicist?」で内容は
4.1 Quine and Kuhn
4.2 Physics was not for him after all
4.3 John Van Vleck and His Group
4.4 Kuhn’s Ph. D. Thesis Work
4.5 The Essential Tension
となっています。1947年の暑い夏の一日に「アリストテレス啓示」を体験したクーンは、物理学者になるのをやめ、科学史家を経由して科学哲学者となる決意を固めますが、それまで多大な時間を費やして勉強してきた物理学で博士号を取っておこうと考え、John Van Vleck をそのための指導教官として選び,その下で博士論文の書くための研究を始めますが、ヴァン・ヴレックからアイディアを貰って始めた仕事が思った通りに進まず懊悩します。幸いに日本の若い理論物理学者(流体力学専門)今井功が発表した短い論文によって救われ、1949年、目出たく学位を取得しました。学位論文の内容は2つの論文として出版され、第一論文はヴァン・ヴレックとの共著、第2論文はクーンの単名、どちらも立派な内容の論文です。
 ところで、まことに不思議なことですが、この二つの論文のことを、自分の事について決して寡黙とは言えなかったクーン自身も絶えて語らず、クーンの周りに蝟集した無数のクーニアンたち、反クーニアンたちも誰一人として、少なくとも私の知る限り、論じていません。(私の見落としにお気づきの方は是非ご教示をお願いします。)これは、クーン研究における大きな穴だと思います。この事を私は英文草稿『Undoing Thomas Kuhn 』の第1章の第3節「Lacunae in the Kuhn Study」で論じました。興味のある方に読んで頂ければ幸いです。:

1.3 Lacunae in the Kuhn Study
There are lacunae in the Kuhn study. People might have the impression that, since the publication of SSR in 1962, the book and the author have been the subject of intense scrutiny and exhaustive study. However, Kuhn’s two physics papers have been ignored completely. Both are related to his thesis work for a Ph.D. in physics at Harvard under the supervision of J. H. Van Vleck. There are good reasons to suspect that Kuhn’s Ph.D. experience was a traumatic one for him. He never mentioned the content of these papers to the end of his life and, as far as I am aware, nobody has ever picked them up for scrutiny or explored the implication of this total omission. Careful study of the history and the scientific content of these two papers, in my opinion, would give us valuable insight into several curious facets of SSR, and why Kuhn wrote the book as he did.
Due to his Ph.D. in solid-state physics, people have taken it for granted that Kuhn’s credentials as a physicist were impeccable, and Kuhn’s word has been taken on trust in the matter of physics and chemistry. They should, however, be aware that when he left from physics he was not even a fledgling research physicist. He severed himself from physics when he was still an embryo, so to speak, as we shall see later.
There are also other poorly covered subjects besides Kuhn’s Ph.D. experience. Never systematically discussed are the relations between Kuhn and M. Polanyi, G. Bachelard, and D. Shapere. These names are touched upon in two remarkable autobiographical interviews, one conducted in Italy in 1990 and another in Greece in 1995, about a year before his death. Kuhn mentions these names in a casual or dismissive tone but the tone in itself is revealing, a fit subject for hermeneutic inquiry.

これらの英文草稿の文章は和文に移す時に再検討するつもりですが、今はタイトルに使った“lacuna”という言葉のことを少し。lacunae は複数形です。ラテン語で、溝、くぼみ、穴などを意味し、フランス語の lac、英語のlake と同根です。こんな余り見かけない単語を使ったのは、私の下らない語学的虚栄心のせいです。本当にはよい英語が使えない引け目を感じることの裏返しかもしれません。英文を書く場合に、私が一番よく迷い、難しいと思うのは、冠詞の用い方、つまり、aとするか、the とするか、何も付けないか、複数形にするのかどうか、です。英語で育った人には何とはなしに分かるのですね。言葉の習得というのは不思議なものです。上に掲げた英文にも冠詞の使い方で間違いが幾らもあると思います。
 前回のブログで、クーンが「アリストテレス啓示」を経験したために、物理学が何であるかが本当には分からないままに止った、と大変失礼な断定をしました。なるだけ誤解を避けるために、説明を加えます。伝記的事実として、クーンの博士課程指導教官であったヴァン・ヴレックはクーンにとても親切な態度を持ち続けましたが、クーンの口からは恩師に対する暖かい感謝の言葉が洩れることはありませんでした。クーンのヴァン・ヴレック評価が高くなかったのは、RSS にあるインタヴュー記事を読めば明らかで、これに就いては別に論じる予定ですが、他のクーンの論考を注意深く読むと、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの頭の中には巧みにもぐり込むことに成功したクーンは、現代の優れた理論物理学者ヴァン・ヴレックの頭の中に入ることには、みじめに失敗していたことが分かります。マックス・プランクの頭の中も部分的にしか探れなかったと私は思っています。研究問題を意識して、それを解こうとする物理学者の頭と心の中でどのような事態が展開し進行するかが、クーンには最後までよく分からなかったのだと私は考えます。物理学者として身を立てることをしない決心をしてから、理論物理で博士号という肩書きだけは取っておこうと考えた大学院学生クーンが避けることの出来なかった運命であったとも言えましょう。私の言う物理学とはアリストテレス物理学を否定したガリレオ以来の物理学を意味します。現在、高校や大学で教えられている物理学のことです。

藤永 茂 (2011年1月19日)



DA CAPO AL FINE

2011年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム
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SSR: Thomas Kuhn “The Structure of Scientific Revolutions”
RSS: Thomas Kuhn “The Road Since Structure”
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 クーンのオフィシャルな最後の言葉が
# 始めから終りまで(もう一度やりましょう)#
であったことに、私は特別の興味を持ちます。クーンは、生涯の終り近くで、もう一度始めから考え直し、SSRを書き直したいと思い、その仕事を進めていたのでしょう。彼の遺稿の出版を、ただ手をこまねいて、待っている代わりに、我々もSSRに戻って始めから出直すことをしようではありませんか。ただ、この日暮れの時に私のやれることはSSRの解体作業であって、新しくオリジナルな科学哲学体系の提案ではありません。本格的な哲学の仕事に、つまり、本格的な思索の作業に必要な基礎的素養を私は身に備えていません。では、私には何をどのようにして行なうことが出来るか?
 幸いに、SSRの解体作業を実行するために適切な指針と具体的方法論はクーンその人が与えてくれています。まず第一は、科学史上の史実、事実というものに、その実在性と否定すべからざる権威を認め、その力で、本当の科学像を描くことが出来るという立場に立つことです。これこそがSSRでクーンが誇りかに唱道した立場に他なりません。歴史的科学哲学マニフェストです。かの有名なSSR第一章の切り出しの文章を思い出しましょう。
■ History, if viewed as a repository for more than anecdote or chronology, could produce a decisive transformation in the image of science by which we are now possessed.(歴史は、逸話や年表以上のものを収めてある宝庫として観てみると、今われわれに取り憑いている科学のイメージの決定的な変革を生み出しうるであろう。)■
ここでクーンが宣言していることは、科学史上の事実というものは決定的に正しい科学論を確立するために合理的に使うことが出来るということです。専門用語を用いると、理論依存性(theory-laden)のない歴史的事実が存在し、それらの事実に基づいて理論選択(theory-choice)が出来るという立場です。科学とはこういうものだと主張するのは一つの理論選択です。SSRでは「科学革命とはこういうものだ」という主張が「歴史的事実」に基づいてなされました。このクーンの立場には正当性があり、私もそれを採用しようと考えます。
 次は、歴史的なテキスト(文献)を読む際の心得です。1977年出版の『The Essential Tension』(これから先 ET と略記)の序言(p-xii)に出ています。:
■ First, there are many ways to read a text, and the ones most accessible to a modern are often inappropriate when applied to the past. Second, that plasticity of texts does not place all ways of reading on a par, for some of them (ultimately, one hopes, only one) possess a plausibility and coherence absent from others. Trying to transmit such lessons to students, I offer them a maxim: When reading the works of an important thinker, look first for the apparent absurdities in the text and ask yourself how a sensible person could have written them. When you find an answer, I continue, when those passages make sense, then you may find that more central passages, ones you previously thought you understood, have changed their meanings. (ET, xii) ■
<翻訳> 第一に、一つのテキストには多数の読み方があり、現代のテキストの最も格好な読み方は、過去のテキストには不適当なことがしばしばある。第二に、テキストの持つ可塑性は読み方のすべてを対等にするわけではない、なぜなら読み方の幾つか(最終的には一つに絞られるのが望ましいが)は、他にはない説得性と首尾一貫性を持っているからだ。こうした教訓を学生に伝える試みとして、私は一つの格率を彼らに提供する:重要な思想家の書いたものを読む場合、そのテキストの中の馬鹿馬鹿しく見える個所を探して、賢明な人がどうしてこんな事を書いたのだろうかと自問してみなさい。続けて私は言ってやるのだが、もし君がその答を見つけたら、つまり、馬鹿馬鹿しく思えた個所がちゃんと意味をなすことになったら、君は、まえに理解できたと思っていた、もっと中核的な個所の持つ意味も変化したことを悟るだろうと。<おわり>
この格率(Maxim)は、クーンの「アリストテレス啓示(the Aristotle epiphany)」とよく呼ばれる異常な回心経験から出てきたものです。epiphany を辞書で見ると、突然の啓示、(重大な事柄についての)直感的理解、悟り(の瞬間)、などと出ています。このAristotle epiphany がクーンを訪れたのは、1947年の夏のことで、この啓示のおかげで、クーンは一世を風靡する名声を獲得することになり、一方、私に言わせれば、この啓示を経験した故に、物理学が何であるかが本当には分からないままに止まりました。「アリストテレス啓示」はクーンの生涯を決定した最重要の悟りですから、このブログでも今後大いに問題にすることになります。
 このクーンの格率、あるいは箴言、指針に接して、はじめ、私は一種の違和感を持ちました。アリストテレスについて、「生物学や政治学といった分野ではあれほど深い洞察を行なったアリストテレスが、物理学に限って多くの馬鹿馬鹿しい間違いを犯すなどということがあり得ようか」といった具合に驚き、理解に苦しんだとクーンは告白していますが、それは大袈裟に過ぎるというものです。昔からアメリカ・インディアンに興味を持っていた私は、アリストテレスが彼の『政治学』第一巻で、人間には「自由人」と「奴隷」の区別があり、劣等な人間は「奴隷」となるべく生まれついている、といった意味のことを述べていて、それが14世紀にスペインのアメリカ大陸侵略と先住民奴隷の酷使を正当化する議論に用いられた史実を知っていましたから、今日の常識から考えて馬鹿馬鹿しいことをアリストテレスが書いていたとしても、奴隷制を基底とした古代ギリシャの都市国家社会で生きていたのですから、理解を全く絶するとは感じませんでした。アリストテレスの物理学についても同じです。天動説を始めとして、アリストテレスの物理学の方が、ガリレオ・ニュートンの物理学より遥かに我々の日常感覚には親しみやすい数々の断定を下しています。
 もちろん、「アリストテレス啓示」の話でクーンが、そしてクーン礼賛の哲学者たちが、強調するポイントは、上掲の格率にあるとおり、重要な思想家のテキストの読み方、解釈の心得にあります。哲学の言葉では解釈学的(hermeneutic)に読むということです。歴史的なテキストを解釈する方法としての解釈学(hermeneutics)の基礎を置いたディルタイは「テキストの著者が自らを理解している以上によく著者を理解するように努力すべし」と言いましたが、クーンはそれをやってのけることに大変な誇りを持っていました。:
■ I would read texts, get inside the heads of the people who wrote them, better than anybody else in the world. I loved doing that. I took real pride and satisfaction in doing it. ■ (RSS, 276)
<翻訳>テキストを読み、それらを書いた人々の頭の内部に入り込む事にかけては、私は世界の誰よりもうまかったものだ。それをやるのが大好きだった。それをやることに私は本当に誇りを持ち、満足を感じたのだった。<終り>
 ここまで自慢されると、こちらも一寸真似てみたくなるというものです。私が初めてSSRを読んだのは30年ほど前、SSRの名声が最も高かった頃でした。現役の理論物理/理論化学者として、SSRというテキストの中に明らかに馬鹿げたことが書いてあるのを幾つか見つけて、私は、物理学の博士号を持っている著者がどうしてこんなことを書いたのか不思議に思えて仕方がありませんでした。それで、ETの序文でクーンが学生に与える格率を知った私は、このテキストの読み方の心得をクーンその人の名著SSRに適用してみようと思い立ちました。クーンさんの頭の中にもぐり込んで、クーンさんご自身よりもよく、なぜ彼があんなふうにSSR(『科学革命の構造』)を書いたかを理解してやろうという不遜なことを思いついたのでした。

藤永 茂 (2011年1月16日)



前回の引用英文の訳出

2011年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム
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SSR: Thomas Kuhn “The Structure of Scientific Revolutions”
RSS: Thomas Kuhn “The Road Since Structure”
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 前回に掲げたRSSのp112からの長い引用文の全訳を試みます。:
■ 歴史家特有の関心事は経時的な発展であり、彼らの研究活動の典型的な成果はナラティブ(物語)の形をとります。その主題が何であれ、物語は常にまずそのステージを設定すること、つまり、物語の本体を構成する一連の事件の始まりの所での事物の情勢を記述することで開始されるのが当然です。もし、その物語が自然についての信念を扱うのであれば、それが始まった時に、人々が信じていたことの記述で始まらなければなりません。その記述は、それらの信念が人間である行為者によって保持されていたのであり、その目的のために、自然現象が記述され、その現象を記述するのに使われた概念的語彙の特定を含んでいなければならないことがもっともだと思わせるものでなければなりません。こうしてステージが整えられると、物語の本体が始まり、信念の経時的な変化の物語が語られ、中で変更が生じた変化中の文脈が語られることになります。物語の終りに達すると、それらの変化は結構大きなものになるでしょうが、変化は小さな増分が積み重なって生じたもので、それぞれのステージは,歴史的に、一つ前のステージと少しばかり違った雰囲気の中に位置することになります。そして、最初のステージを除き、あとの各ステージでの歴史家の問題は、何故人々は彼らの信念を持つことになったか、ではなく、なぜ彼らが持っていた信念を変えようと思い立ったか、なぜ増分的変化が生じたか、を理解することにあります。■
 次に、これも前回に掲げたSSRのp1~2からの引用文を訳出します。
■ もし、科学が、現行の教科書に集められている事実、理論、方法の集合体であるとすれば、科学者とは、成功するにしろ、しないにしろ、その特定の集合体に何がしかの要素を貢献しようと励んできた人々ということになる。科学の発展とは、たえず大きくなって行く、科学のテクニックや知識の累積に、そうした項目が、一つ又は組で追加される漸次的なプロセスである。そして、科学史とは、このような次々に加えられる増分とその累積を妨げてきた障害の両方を年代的に記録する学問分野ということになる。■
 さて、上掲のクーンの最終講演(RSSの中にある)からの引用文と、直ぐ上の、1962年の時点で書かれたSSR(p1~2)からの引用文とは、何の問題もなくつながるように見えますが、実は全くそうではなく、その正反対なのだとクーンは言っていたのです。SSR(p3)から、これも前回に引いた文章を訳出します。:
■ しかしながら、近年になって、一部の科学史家は、累積による発展という概念が彼らに振り当てる機能を果たすことが次第にますます困難に感じるようになってきている。増分的プロセスの年代記録者として研究を重ねれば重ねるほど、「いつ酸素は発見されたか?」とか、「誰が最初にエネルギー保存則を思いついたか?」といった疑問に答えるのが、より易しくなるどころか、より難しくなることに、彼らは気がつきつつある。■
ここで(つまり、SSRの時点で)クーンが口を極めて強調していたことは、「科学は増分的プロセスによる累積で発展するものではない」ということであり、これこそがSSR(『科学革命の構造』)の主題であったのです。それが、RSSのクーンの最終講演では、「それぞれは小さな増分的変更が累積して大きな変化が結果する」という主張がなされることになりました。全人的にトーマス・クーンとその業績を理解し、評価しようとするならば、SSRのクーンとRSSのクーンとの距離の目測を誤らないようにしなければなりません。

藤永 茂 (2011年1月5日)