トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

山椒魚さんにお答えします

2017年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 このブログの読者の方々に「山椒魚」という名のコメンテーターをご紹介することから始めます。と言っても個人的なこと具体的なことは何も知りません。私はこの『トーマス・クーン解体新書』と題するブログを2008年3月15日付けで始めましたが、開店後すぐに休業し、第2回目の出し物は2010年10月24日付けでした。山椒魚さんは、その頃から、このブログと私のもう一つのブログ『私の闇の奥』との両方に時折コメントを寄せていただいています。私は、その時折のコメントを綴り合わせて山椒魚さんというコメンテーターのプロフィールを、私の心の中に、勝手に作り上げているというわけです。山椒魚さんはもうかなり年配の年金生活者で、揺れ動く浮世をしっかりと見据えながら生きておられる御仁だと拝察しています。山椒魚さんに限りませんが、味わい深いコメントを寄せていただく度に、私は、米国の作家ヘンリー・ミラーの作品『冷房装置の悪夢』を思い出します。これは貴重なアメリカ論です。そこでヘンリー・ミラーは「世の中の本当の賢人は無名でただ黙々と生活している」という意味のことを述べています。
 さて、前回のブログ『エロル・モリスとクーン(灰皿事件)』に頂いた山椒魚さんからのコメントを再録します。
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私の感想です
1.教授職になると,学生が受ける講義の種類まで決定することできたのでしょうか.学生は時間的余裕が有り,受講する教授の許可が有れば自由に他学部の講義を受講することができるのではないでしょうか
2.学生に灰皿を投げつけて,もし当る場所が悪ければ,死ぬことはないにしても相当な傷害を負わせると思いますが,そのような教授に対して大学は何らかの処分を下すべきではないでしょうか.(これは未遂の傷害罪に該当しないのでしょうか)
3.吸殻が飛散って教室は相当汚れたとおもいますが,クーンは清掃の職員にもしかしたら余分な時間外の労働を強いたかも知れないと思いますが,大学はクーンに清掃職員のオーバータイムに対する支払の請求はしなかったのでしょうか

余談ですが,平素から素行不良だった私が,FORTRANの講義を受講していたら,教室主任から呼出しがあり「お前には受講してもFORTRANの単位はあげない」と暗に受講しないように言われました.その後も受講を続けましたが灰皿は投げつけられませんでした.単位は貰えませんでしたが.
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 これは明らかに一筋縄のご質問ではありませんが、当方としては、無駄な勘ぐりなどは一切廃して、正面から真摯にお答えすることを試みます。
 前回のブログでもお分かりのように、エロル・モリス(Errol Morris)は只者ではありません。彼の最近の活躍ぶりにニューヨークタイムズのサイトで触れることができます。The Demon in the Freezer と題する約18分の極めて興味深い短編映画(2016年5月)を見ることができます。このタイトルは2002(3?)年に出版されたRichard Preston 著のノンフィクション本と同じで、主題も同じく細菌兵器、映像作家として思想家としてエロル・モリスの重量級の貫禄十分なところを見て取れます。

https://www.nytimes.com/topic/person/errol-morris

2011年の3月5日から毎日5回連続でニューヨークタイムズに掲載された『Errol Morris – The Ashtray』と題する連続記事も、ここで、毎回ごとに寄せられた多数のコメントを含めて読むことができます。
 さて、トーマス・クーンは本当にエロル・モリスめがけて灰皿を投げつけたのでしょうか? 私は本当に起こったことだと思います。しかし、学生モリスは大学当局に訴えなかったし、清掃職員の証言も今更取れないでしょうから、真相は迷宮入りと断定しなくてはなりません。しかし、過去の一つの時点で、この事件があったか、なかったか、そのどちらかだ、と考えるのが自然科学の立場です。それが正しい立場だと私は考えます。エロル・モリスはそこまで考えて『灰皿』事件のことを書き、クーンの「真理論」の批判を試みたのだろうと私は推測します。これに対して、トーマス・クーンの息子さんのナット・クーンさんは、「父がそんな乱暴をしたとは考えられない」として、長いコメントを「灰皿」第4回目に投稿しています。

http://nats-general-blog.blogspot.jp/2011/03/my-comment-on-errol-morriss-4th.html

灰皿を投げつけたかどうかは兎も角として、自分のところの学生に他の特定の教授の講義を聞いてはならぬと言ったのは、確かに越権行為です。山椒魚さんのおっしゃる通り、もし、モリスが大学当局にこのパワハラを実際に訴えていたら、それは訴訟沙汰になり得たと思います。
 私が奉職していたカナダの大学では、教授室やセミナー室などの掃除は、合鍵を持った清掃職員が夜遅くやってきて、灰皿や屑かごの中身を含めて綺麗に清掃してくれました。その時間まで私が残っていることもあって、仲良しになったこともあります。びっくりするほど博学の人もいました。世の中、どんな所にどんな賢人がいるか分かったものではありません。モリスの「灰皿」第5回目(最終回)へのコメントの中に、

pablo belgium March 14, 2011 “Who cleaned up the cigarette butts?”

というのがありました。洋の東西、同じようなことを考える御仁がいるものですね。

 エロル・モリスの「灰皿」シリーズに寄せられた500ほどのコメント読むのは仲々楽しい暇つぶしですが、本文だけをしっかり読んでクーンのことを勉強したいと思う人には次のPDFをお勧めします。文字の中の写真や図もはっきりして読みやすいと思います。

http://mondrian.die.udec.cl/~mmedina/Desvarios/Files/Errol-Morris-The-Ashtray.pdf


藤永茂 (2017年3月20日)
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Unknown (山椒魚)
2017-03-25 01:43:09
私のくだらないコメントを論評して戴いて有難うございます。
藤永先生のこのブログは,本当は私みたいな全可者には少し難しすぎるのですが,何とか頑張って読んでいます。私の職業は会計の分野です。この分野では私が昔学習したときには,貸借対照表の資産の評価の原則は”取得原価主義”でしたが,今は”公正価値主義”になっています。これもクーンのいう”パラダイム”が転換した事例かとは思います。しかし,私の考えでは社会科学系の学問は(経済学も含めて)自然科学とは相当様相が違うように思います。莫耶の剣も何時の日かそれを跳ね返す盾が造られるように,社会科学の真理は矛と盾のような関係で絶対的な真理自体が存在しないのではないかと思います。経済学の分野も素晴らしい研究はたくさんあり,ノーベル賞を受賞した理論も色々ありますが,経済学的事象を全体的な有効性を持って解明する理論は生れていないのではないでしょうか。その点でクーンの相対主義的な考え方は社会科学の分野では一定の妥当性を持ちうるかも知れないように受止めています。
しかし,自然科学の分野では,SSRの内容は私には理解できないところがありました。ただ,ジャン・デユドネが「人間精神の名誉のために」の序文の中で,数学者の中で本当に価値ちのある仕事をしているのは千人に一人くらいだという様なことを言っていましたが,デユドネによればほとんどの数学者の仕事は,クーンのいうmop-up operation に相当するような気がします。ただ,氷山が水上に見える部分よりも水面下の見えない部分が大きいように,学問的価値のないと思われる仕事にも喜びを見いだす人々がいて,学問の進歩が成りたつ部分もあるのではないでしょうか。
落ちこぼれの私には,天才のひらめきのみが自然科学を進歩させたのではないと思いたいです。(誤りかも知れませんが。)
一つ一つはそれほど価値がないと思われる研究の蓄積が基礎となって,天才のひらめきが生れるのではないかと信じたい,というのが,ここまで,藤永先生のトーマス・クーンに関するブログを読んできた私の感想です。
最後に,クーンに関する先生の電子版の著作が出版されて,このブログを楽しみにしていた者として,もし終ってしまったら寂しいなと思っています。

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