トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

灰皿事件(Ashtray Incident)

2012年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム
 前回は孤立した研究者あるいは門外漢が「つんぼ桟敷」に置かれる悲哀についてお話ししました。しかし、その悲哀は、資料を求める努力に欠けるという身から出た錆に過ぎないことを思い知らされる経験を年末から年始にかけて味わいました。と同時に、不必要な気負いを捨てれば、悲哀は大きな愉悦に変わることも知りました。
 前にも少し書いたことがありますが、十数年前までは新聞ニューヨークタイムズを好んで読んだものでした。私が住んでいたのはカナダ西部のアルバータ州の首都エドモントンですが、ニューヨークタイムズの日曜版が毎月曜ごとに玄関口にどさりと配達されるのを心待ちにしたものでした。それは日本の新聞の新年元日版を凌ぐ重量感がありました。しかし私は次第にニューヨークタイムズへの信頼を失って行きました。イラクが大量破壊兵器を保有しているという虚偽の情報操作にニューヨークタイムズが積極的に参画したことはその大きな理由の一つです。米国政府政策の代弁者としてのニューヨークタイムズの路線はそのまま続いていて、昨年(2011年)はじめからのリビア侵略についても、現在進行中のシリアとイランに対する挑発についても全く一貫しています。これらの問題に関するニューヨークタイムズの報道をチェックすることは続けていますが、アメリカを代表するこの新聞に対する私の嫌悪感があまりにも強くなって、昔は熱心に注意を払っていた文化関係の記事からはすっかり遠ざかってしまっていました。
 ところが、偶然にも、ニューヨークタイムズのThe Opinion Pagesという欄にトーマス・クーンに関する大変興味深い連続記事が出ていることに気が付きました。もちろん、日本の科学哲学者や科学史家の方々は発表当時から御存じだったのでしょう。著者は Errol Morris、タイトルは『灰皿』、2011年3月6日が第1回で、連日5回のシリーズでした。エロル・モリスはドキュメンタリー映画の制作者としてよく知られた人物(巨匠!)で、2004年にはベトナム戦争(マクナマラ)を扱った“The Fog of War”でアカデミー賞(記録映画部門)を得ました。彼の最初の記録映画“Gates of Heaven”(1978年)も私の記憶に残っています。モリスはプリンストン大学の大学院で科学史で学位をとるつもりでクーンの学生になったのですが、クーンと衝突してプリンストンから追い出されバークレーに移って今度は哲学を選びましたが、ここでも教授たちの衒学性が我慢できず、またまた失敗に終りました。今回のニューヨークタイムズの連続記事はこれらの人生経験と深く関係しています。『灰皿』というタイトルの由来は第1回に詳しく説明されています。冒頭に、
It was April, 1972. The Institute for Advanced Study in Princeton, N. J. The home in the 1950s of Albert Einstein and Kurt Gödel. Thomas Kuhn, the author of “The Structure of Scientific Revolutions” and the father of the paradigm shift, threw an ashtray at my head.
「時は1972年4月、場所はプリンストン高級研究所、1950年代にはアルバート・アインシュタインとクルト・ゲーデルが居た所。『科学革命の構造』の著者でパラダイム・シフトの父であるトーマス・クーンは私の頭にむけて灰皿を投げつけた。」
とあります。
 学生モリスと指導教官クーンの間が決定的に悪くなるきっかけの事件が灰皿事件の6ヶ月前に起りました。当時、天才的な若い哲学者として名をあげていたSaul Kripkeの講義には絶対に出席してはならぬと、クーンはモリスにきつく申し渡していたのですが、学生モリスは教授クーンの禁令を無視してクリプキの講義に出ました。クリプキの講義内容はやがて『Naming and Necessity』(「名指しと必然性」八木沢、野家共訳)という本で広く知られることになりますが、クーンはクリプキの考え方がひどく気に入らなかったのでした。
 5回にわたる連載記事のタイトルは次の通りです。:
The Ashtray: The Ultimatum (Part 1)
The Ashtray: Shifting Paradigms (Part 2)
The Ashtray: Hippasus of Metapontum (Part 3)
The Ashtray: The Author of the ‘Quixote’ (Part 4)
The Ashtray: This Contest of Interpretation (Part 5)
この全体はなかなか手厳しいクーン批判論になっています。挿絵,写真、それに宙をよぎる灰皿と飛び散る吸い殻の動画も含めて各回かなりの長さですし、それに毎回100前後の数のコメントが投稿されていて、読み応えは十分です。私はまる一日をかけて全体を賞味しました。クーンの子供さんたちも熱いコメントを投じ、父親は確かに癇癪を爆発させることはあったが角ばった大きな灰皿を他人に投げつけることなど絶対にした筈がない、とモリスを難じています。私としては灰皿事件が本当か虚構かに大して興味はありません。この記事全体とそれに寄せられた総数541のコメントが形成する“クーン現象”のリアルタイム・ショーに出会えたことが何よりの御馳走でした。人さまに教えられたのではなく、孤独な散歩者が突然目の前に開かれた絶景に驚かされたときの喜びです。ひとりぽっちであちこち彷徨くのもまんざら悪くありません。
 モリスのこの長いクーン批判論は最終回(第5回)の最後の文章に見事に凝縮されていると私は考えます。それをお目にかける前に、準備のための注釈として、Errol Morrisのもう一つの傑作記録映画『The Thin Blue Line』の短い紹介をします。1976年11月28日、ダラスで一人の警官が射殺され、犯人としてRandall Dale Adamsという28歳の男性が捕まり、死刑が宣告されました。1985年、別の主題で映画を製作するつもりでダラスにやってきたモリスはアダムスの事件に興味を持ち、調査を始めます。その結果は友人フィリップ・グラスの音楽で記録映画『The Thin Blue Line』として結実し,1988年上映されて極めて高い評価を得て評判になりました。当のアダムスは、1980年、死刑執行の3日前に死刑から無期懲役に減刑されて命拾いをしていましたが、モリスの映画が大きく影響して、1989年、釈放されて自由の身になったのでした。万華鏡的なモリスのクーン論は次のように結ばれています。
“The Thin Blue Line” was one [原文のまま、of がぬけた?] the most important experiences of my life, something that I remain really, really proud of ? overturning the conviction of a man who had been sentenced to death for a crime he did not commit. There are endless obstacles and impediments to finding the truth ? You might never find it; it’s an elusive goal. But there’s something to remember, there’s a world out there that we can apprehend, and it’s our job to go out there and apprehend it. It’s one of the deepest lessons that I’ve taken away from my experiences here.        「映画“細い青線”は私の最も重要な人生経験の一つで、いまも心の奥底から誇りに思っていることです。それは犯していない罪で死刑を宣告された一人の男の判決を覆しました。真実を見出すには果てしない邪魔や障害が存在します。真実は遂に発見されないかも知れません;それは捕え難いゴールです。しかし、肝に銘じておかなければならないのは、我々が感知し理解できる外界というものは確かに存在し、それに到達してそれを理解することは我々の役目だという事です。その事がこの映画で得た経験から私が取り出して来た最も深い教訓の一つです。」 
この文章でクーンに宛てられているのは“there’s a world out there that we can apprehend”という部分です。クーンはこうした考え方を一生の間拒絶し続けました。モリスがアダムスの事件に興味を持った頃,私立探偵の仕事も生業としていました。アダムスが警官を殺したのか殺さなかったのか、どちらか一つ、過去の一つの時点で、事実は、真実(the truth)は確かに存在したとモリスは考えざるを得なかった - そうでなければ探偵の仕事はできません。

藤永 茂   (2012年1月16日)