クーンの『The Road sincs Structure (RSS, 構造以来の道、佐々木力訳)』の編者序論に、生前のクーンが二人の編者に与えた指針について、
「第四の指針は、クーンが数年間仕事をしてきた本の準備—事実上の初期原稿—と見なしていた題材に関している。適当な所で、この題材を利用し、その仕事を編集し、出版するのもまたわれわれの責務の一部とされているので、われわれはそれをここに収録しないように指示された。この制限事項のもとに置かれるのは、「概念変化の本性」(科学哲学における展望、ノートルダム大学、1980年)、「科学発展と辞書変化」(タールハイマー講演、ジョンズ・ホプキンス大学、1984年)、「過去の科学の現前」(シェーアマン講演、ユニヴァーシティ・カレッジ、ロンドン、1987年)という三つの重要な講演シリーズである。これらの講演のタイプスクリプトはあちらこちらで地下出版物の形で回覧されており、しばしば他人の出版物で引用され、議論されてきたのであるが(2)、クーンはそれらのどれもが現状の形で出版されるのを望んではいなかった。」(佐々木訳、p2)
とあります。脚注(2)は(原文で)、
Perhaps the most notable of these is Ian Hacking’s essay“Working in a New World: Taxonomic Solution”( in World Changes: Thomas Kuhn and the Nature of Science, ed. Paul Horwich [Cambridge, MA: Bradford/MIT, 1991]), in which he expounds and attempts to refine the central argument of the Shearman lecture.
という内容です。当代の科学哲学界切っての才人イアン・ハッキングの論文は、「通約不可能性」というクーンにとって最も大切な科学哲学的概念を、20世紀後半に流行した言語哲学の線に沿ってしっかりと措定しようと努力しているクーンの先回りをして、その問題の「分類学的解答」を提案したものです。それに対してクーンは[World Changes]の「あとがき」に、
**********
私の企画を支配している話題についてのいくつかの予示的註記から始めることにする。その企画とは、私がかつて「科学革命」と呼んだことによって取り出される発展諸段階の間の通約不可能性と概念的分岐の本性ということである。私自身が通約不可能性と遭遇したことが『構造』への道の最初の段階であったのだし、また、その考えはその書物が導入した中心的新機軸であった、と私は今でも思っている。しかしながら、『構造』出現前ですら、その中心概念を記述する私の試みがきわめて粗雑であることを私は分かっていた。それを理解し、精細にする努力は、私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた。最近の五年間、私は急速な一連の意義深い躍進を成し遂げたと思っている。・・・・・(佐々木訳、p259)
**********
この数行後に、「彼(ハッキング)が記述している解答は決して私自身のものではなく、また彼の引用している草稿が書かれて以来、私自身の解答は実質的に発展してきているのだけれど、私は彼の論文に限りない喜びを感ずるものである」とクーンは述べ、それに続いて、ハッキングの立場と自分の立場との同異についてかなり詳しく論じています。
クーンは、言語哲学的なアプローチで、通約不可能性について到達した「解答」に、大いに自信を持っていたことが窺えますが、私はその成果に大きな疑問を抱きます。理由の第一はクーンの「科学革命(scientific revolutions)」の概念そのものにあります。これについては拙著『トーマス・クーン解体新書』の多数の箇所で論じてありますが、その代表として、第1章の第十一節の前半を転載します:
**********
科学には大革命に加えて多数の小革命があるとクーンは言う。しかも、大革命も小革命も、古いパラダイムから新しいパラダイムへの断絶的で劇的なシフトという点で、構造的には同じであると言う。しかし我々にはどうもそのようには思えない。たしかに目覚ましい発見や発明は数多くあるが、それらがクーンのいう新旧パラダイムの格闘や科学者の世界の突然の変換を伴っているとは思えない。我々のこの素朴な疑問に対して、それはお前たちが科学エスタブリッシュメントから騙されているからだ、とクーンは説明する:
「科学革命がどのように終結するかという問題がまだ残っている。しかしその前に、革命の存在とその特性についての確信を補強することをもう一度だけやる必要があると思われる。私はこれまで実例を引いて革命を展示披露して来たが、科学革命の例はうんざりする程いくらでも増やすことが出来よう。しかし明らかに、良く知られているからという理由でわざわざ選んで来た革命の殆どは、これまで科学革命としてではなく、科学知識の増加分と看做されるのが普通だった。」(SSR4, 135) (1-11a)
科学革命はうんざりするほど(“ad nauseam”)沢山あるというのは、いくら数多の発見発明を小革命と看做すにしても、やはり言い過ぎという他はあるまいが、クーンは強弁を続ける:
「革命がこれまで殆どまったく見えていないのには実に卓抜な理由があるのだと私は言いたい。科学者と素人の双方とも、創造的科学研究について彼らが持つイメージの大部分をある権威筋から得るのだが、その権威は,重要な実際的理由から、革命の存在とその意義を隠し偽ってしまう。その権威の本性が認識され分析されてはじめて、歴史的事例が十分に姿を現わす。さらに又、これは本書の最終節でのみ充分な議論展開が可能だが、この権威の然るべき分析を始めれば、科学研究の諸相の一面が、おそらく神学は例外として、他のすべての創造的追求と全くはっきりと違うことが浮き彫りになってくるであろう。」 (SSR4, 135) (1-11b)
多くの科学革命は意図的に見えないようにされていて、その主犯は科学の教科書だとクーンは言うのである。なお、神学だけは自然科学と類似するとは何を意味するのか、この問題はやがてはっきりと浮上してくる:
「権威の根源として、私が主に考えているのは、科学教科書とそれを模範にして書かれた通俗科学書と哲学的著作である。これら三つのものは─研究の実践を通して以外には、最近まで科学についての情報の重要な源としてこれより他にはなかったのだが─共通点を一つ持っている。そのどれもが、すでに内容のはっきりした問題やデータや理論の一群、特によく執筆当時に科学者社会が遵守している特定のパラダイムのセットを取り扱っていることだ。教科書そのものが現代の科学言語の語彙や文体を伝達することを目的としている。通俗書はそれらの同じ応用を日常語に近い言語で記述しようとする。そして、科学哲学、特に英語圏の科学哲学は、科学知識の完結した総体の論理的構造を分析する。」 (SSR4, 136) (1-11c)
**********
クーンは、科学には大革命に加えて多数の小革命があり、しかも、大革命も小革命も、古いパラダイムから新しいパラダイムへの断絶的で劇的なシフトという点で、構造的には同じであると言います。相争う新旧二つのパラダイムの間は「通約不可能」であり、これがうんざりするほど(“ad nauseam”)沢山ある「科学革命」の特質であるというのがクーンの主張です。
さて、今回のブログの始めの部分に戻って、「あとがき」からの引用を再読してみましょう:
「私自身が通約不可能性と遭遇したことが『構造』への道の最初の段階であったのだし、また、その考えはその書物が導入した中心的新機軸であった、と私は今でも思っている。しかしながら、『構造』出現前ですら、その中心概念を記述する私の試みがきわめて粗雑であることを私は分かっていた。それを理解し、精細にする努力は、私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた。最近の五年間、私は急速な一連の意義深い躍進を成し遂げたと思っている。・・・・・」(佐々木訳、p259)
クーンがとった科学哲学の“Linguistic turn” の課題に入る前に、クーンの主著『科学革命の構造』(SSR)に対する私の苦情と不信について述べておきます。拙著『トーマス・クーン解体新書』で私はSSRが、その最終第4版(SSR4) を含めて、初読の読者に大変不親切な書物であることを強調しました。SSRは自然科学の真の姿を分かりやすく明快に示した本だという人は、SSRをいい加減に飛ばし読みした人です。上の引用に、SSRの中心概念である「通約不可能性」を理解し、精細にすることが「私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた」とありますが、よくそんな事が言えたものです。「科学革命の前と後のパラダイムは通約不可能だ」というのが、クーンの科学哲学の根幹ですから、SSRの出版後30年以上の間、その考えの提唱者自身がその中心概念の意味をnail down していなかったということになります。それに加えて、クーンの新造語「パラダイム」の概念についても、晩年(1990年)のクーンに次のような発言があります:
「SSRがごく荒い概論的スケッチ以上のものだとは、わたしは一度も考えたことはない。何ら直接的なレッスンを求めたものではなかった。“ここにある物の見方と仕事の仕方を消化吸収した後で、科学史を書こうかと思った時に、それが役に立つかどうかを当ってみなさい。だが、SSRの主張が正しいかどうかをチェックしようとか、そのアイディアをテストする下心で歴史を調べて見ようとするのはよしなさい”と私は何時も言ってきた。少なくとも構想展開の現段階で、この本のアイディアの唯一のテストは、それを身につけた結果、史料が有用な形で今までと違って見えてくるかどうか、ということだ。しかし、“パラダイムは常に措定できるか?”とか“科学革命と通常科学的発展との違いを常に区別できるか?”とかの答を求めることではないのだ。SSRはその様に応用されるつもりで書いたのではない。」
これは「ハーバード・サイエンス・レビュー」という雑誌に出たインタビューからの引用です。
言語論的問題についても次のような発言が「あとがき」の中にあります。
**********
・・・『構造』において私は意味変化を科学革命の特徴的相貌として語った。後年、私はますます通約不可能性を意味の差異と同一視したので、翻訳の困難性に繰り返し言及することになった。しかしその時、私は、普通まったく気づくことなく、旧理論と新理論の間の翻訳が可能であると私が考えることと、そうではないのではないかとする競合する考えとの間で引き裂かれた。・・・・しかし、翻訳を話題にしたことで私がまちがいに気づいたこともまた重要である。私が記述したことは、言語学習、全面的翻訳を可能とすることを必要とせず、また普通そうではない過程であったことに私は今や気づいているのである。
・・・ (佐々木訳、p306)
**********
誤解のないように、念のため、最後の部分の原文を掲げておきます:
[ What I described, I now realize, was language learning, a processs that need not, and ordinarily does not, make full translation possible. ]
つまり、翻訳というプロセスと自分の言語と異なる他の言語を学習するプロセスをクーンは混同して考えていたというのです。クーンがSSRの本文で断言的に主張したことが、実は、間違っていた、混乱していた、という告白で最も有名なのはゲシュタルト転換についての主張で、これも「あとがき」の中で言及されています。上掲のように、クーンは「「SSRがごく荒い概論的スケッチ以上のものだとは、わたしは一度も考えたことはない」と言いますが、SSRのその最終第4版にいたるまで、クーンが自分でも認める混乱や考え違いを訂正せずにそのままにした事について、私は大いなる苦情と不信を表明します。本文に手をつける暇がなかったのなら、長いポストスクリプトではなく、長い新しいイントロダクションを加えるべきであったと思います。それが学者の良心というものでしょう。
さて、クーンが1970年発行のSSR第二版(SSR2) につけたポストスクリプトで既に予告していたSSRの本格的書き直しには『科学的発展と辞書的変化』というタイトルがついて出版される予定のようですが、この表題は、上で論じた「あとがき」に書いてあることから推測して、 クワインやパトナムやデイヴィドソンの流儀の言語哲学の影響を受けた科学哲学書であると考えられます。しかし、その中には科学哲学への重要で永続的な貢献は含まれてはいないだろうと私は考えます。それには二重の理由があります。クーンの遺稿の中心概念は通約不可能性でしょうが、前回に論じたように、科学哲学的には不毛な概念であって、これからの長い時間を生き残ることはないと考えられます。次に、たとえ何らかの意味で、多数の本質的断絶を自然科学の発展に認める必要が残るにしても、その断絶の本質がクーンの採用している言語哲学的アプローチで有効にnail down 出来るとは考えられません。
拙著『トーマス・クーン解体新書』で明らかにしたように、私は、科学哲学者として、ガストン・バシュラールとダドリー・シャピアを重視します。ダドリー・シャピアの主著『REASON AND THE SEARCH FOR KNOWLEDGE』(1984)の第18章は“REASON, REFERENCE, AND THE QUEST FOR KNOWLEDGE”と題されていて、ここに言語哲学的分析を科学論に適用することの不毛性の議論が展開されています。私は、シャピアの見解に全面的に同意します。章の締めくくり部分を引用します:
**********
As I hope I have shown in this other papers, the technical concepts of meaning and reference stemming from the philosophy of language have failed clarify the scientific enterprise. On the contrary, they have only succeeded either in introducing hopeless confusion or in contradicting some of the most fundamental aspects and achievements of that enterprise. Their vagaries, confusions, and paradoxes, their arbitrary presuppositions and apriorisms, their epistemological relativisms and metaphysical absolutes, must all be avoided. The only way of doing this is to abandon those technical concepts themselves, as philosophers and others have understood them, and to exorcise completely the error of supposing that scientific reasoning is subservient to certain alleged necessities of language, and that the study of the latter is therefore deeper than the study of the former. The situation, I have argued, is rather the reverse. I have tried to show how this is so, and how its being so can be recognized in a more adequate understanding of the scientific enterprise.
**********
イアン・ハッキングの名著とされる『表現と介入』に次の文章があります:
**********
共約不可能性、超越論的唯名論、真理の代用となるもの、推論の諸形式、これらは哲学者の仲間言葉(ジャーゴン)である。それらは理論と世界の関係について黙想にふけることから生まれる。その全ては観念論の袋小路へと導いていく。(渡辺博訳、p260)
Incommensurability, transcendental nominalism, surrogates for truth, and styles of reasoning are the jargon of philosophers. They arises from contemplating the connection between theory and the world. All lead to an idealist cul-de-sac. (原書、1983年、p130)
**********
辞書的変化としてこじつけられたクーンのIncommensurabilityの概念とそれに支えられたクーンの科学論は袋小路で行き詰って出どころを失ってしまうでしょう。
自然科学の発展において、その用語(例えば、電気とか電子とか質量とか)の成長発展は極めて動的で開放的です。それは人間が自然についての知識を拡大増大していくプロセスに対応しています。言葉の意味(meaning)が変わるということは、人間が自然についての学習(learning)を続けていることを意味していて、自然科学の営み全体の合理性のひび割れを示しているのではありません。 自然が人間に与える「教育(education)」と人間が自然から学ぶ「学習(learning)」こそが、自然科学の営みのキーワードだと私は考えます。パースとバシュラールとシャピアの影響です。
藤永茂(2017年5月21日)
「第四の指針は、クーンが数年間仕事をしてきた本の準備—事実上の初期原稿—と見なしていた題材に関している。適当な所で、この題材を利用し、その仕事を編集し、出版するのもまたわれわれの責務の一部とされているので、われわれはそれをここに収録しないように指示された。この制限事項のもとに置かれるのは、「概念変化の本性」(科学哲学における展望、ノートルダム大学、1980年)、「科学発展と辞書変化」(タールハイマー講演、ジョンズ・ホプキンス大学、1984年)、「過去の科学の現前」(シェーアマン講演、ユニヴァーシティ・カレッジ、ロンドン、1987年)という三つの重要な講演シリーズである。これらの講演のタイプスクリプトはあちらこちらで地下出版物の形で回覧されており、しばしば他人の出版物で引用され、議論されてきたのであるが(2)、クーンはそれらのどれもが現状の形で出版されるのを望んではいなかった。」(佐々木訳、p2)
とあります。脚注(2)は(原文で)、
Perhaps the most notable of these is Ian Hacking’s essay“Working in a New World: Taxonomic Solution”( in World Changes: Thomas Kuhn and the Nature of Science, ed. Paul Horwich [Cambridge, MA: Bradford/MIT, 1991]), in which he expounds and attempts to refine the central argument of the Shearman lecture.
という内容です。当代の科学哲学界切っての才人イアン・ハッキングの論文は、「通約不可能性」というクーンにとって最も大切な科学哲学的概念を、20世紀後半に流行した言語哲学の線に沿ってしっかりと措定しようと努力しているクーンの先回りをして、その問題の「分類学的解答」を提案したものです。それに対してクーンは[World Changes]の「あとがき」に、
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私の企画を支配している話題についてのいくつかの予示的註記から始めることにする。その企画とは、私がかつて「科学革命」と呼んだことによって取り出される発展諸段階の間の通約不可能性と概念的分岐の本性ということである。私自身が通約不可能性と遭遇したことが『構造』への道の最初の段階であったのだし、また、その考えはその書物が導入した中心的新機軸であった、と私は今でも思っている。しかしながら、『構造』出現前ですら、その中心概念を記述する私の試みがきわめて粗雑であることを私は分かっていた。それを理解し、精細にする努力は、私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた。最近の五年間、私は急速な一連の意義深い躍進を成し遂げたと思っている。・・・・・(佐々木訳、p259)
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この数行後に、「彼(ハッキング)が記述している解答は決して私自身のものではなく、また彼の引用している草稿が書かれて以来、私自身の解答は実質的に発展してきているのだけれど、私は彼の論文に限りない喜びを感ずるものである」とクーンは述べ、それに続いて、ハッキングの立場と自分の立場との同異についてかなり詳しく論じています。
クーンは、言語哲学的なアプローチで、通約不可能性について到達した「解答」に、大いに自信を持っていたことが窺えますが、私はその成果に大きな疑問を抱きます。理由の第一はクーンの「科学革命(scientific revolutions)」の概念そのものにあります。これについては拙著『トーマス・クーン解体新書』の多数の箇所で論じてありますが、その代表として、第1章の第十一節の前半を転載します:
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科学には大革命に加えて多数の小革命があるとクーンは言う。しかも、大革命も小革命も、古いパラダイムから新しいパラダイムへの断絶的で劇的なシフトという点で、構造的には同じであると言う。しかし我々にはどうもそのようには思えない。たしかに目覚ましい発見や発明は数多くあるが、それらがクーンのいう新旧パラダイムの格闘や科学者の世界の突然の変換を伴っているとは思えない。我々のこの素朴な疑問に対して、それはお前たちが科学エスタブリッシュメントから騙されているからだ、とクーンは説明する:
「科学革命がどのように終結するかという問題がまだ残っている。しかしその前に、革命の存在とその特性についての確信を補強することをもう一度だけやる必要があると思われる。私はこれまで実例を引いて革命を展示披露して来たが、科学革命の例はうんざりする程いくらでも増やすことが出来よう。しかし明らかに、良く知られているからという理由でわざわざ選んで来た革命の殆どは、これまで科学革命としてではなく、科学知識の増加分と看做されるのが普通だった。」(SSR4, 135) (1-11a)
科学革命はうんざりするほど(“ad nauseam”)沢山あるというのは、いくら数多の発見発明を小革命と看做すにしても、やはり言い過ぎという他はあるまいが、クーンは強弁を続ける:
「革命がこれまで殆どまったく見えていないのには実に卓抜な理由があるのだと私は言いたい。科学者と素人の双方とも、創造的科学研究について彼らが持つイメージの大部分をある権威筋から得るのだが、その権威は,重要な実際的理由から、革命の存在とその意義を隠し偽ってしまう。その権威の本性が認識され分析されてはじめて、歴史的事例が十分に姿を現わす。さらに又、これは本書の最終節でのみ充分な議論展開が可能だが、この権威の然るべき分析を始めれば、科学研究の諸相の一面が、おそらく神学は例外として、他のすべての創造的追求と全くはっきりと違うことが浮き彫りになってくるであろう。」 (SSR4, 135) (1-11b)
多くの科学革命は意図的に見えないようにされていて、その主犯は科学の教科書だとクーンは言うのである。なお、神学だけは自然科学と類似するとは何を意味するのか、この問題はやがてはっきりと浮上してくる:
「権威の根源として、私が主に考えているのは、科学教科書とそれを模範にして書かれた通俗科学書と哲学的著作である。これら三つのものは─研究の実践を通して以外には、最近まで科学についての情報の重要な源としてこれより他にはなかったのだが─共通点を一つ持っている。そのどれもが、すでに内容のはっきりした問題やデータや理論の一群、特によく執筆当時に科学者社会が遵守している特定のパラダイムのセットを取り扱っていることだ。教科書そのものが現代の科学言語の語彙や文体を伝達することを目的としている。通俗書はそれらの同じ応用を日常語に近い言語で記述しようとする。そして、科学哲学、特に英語圏の科学哲学は、科学知識の完結した総体の論理的構造を分析する。」 (SSR4, 136) (1-11c)
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クーンは、科学には大革命に加えて多数の小革命があり、しかも、大革命も小革命も、古いパラダイムから新しいパラダイムへの断絶的で劇的なシフトという点で、構造的には同じであると言います。相争う新旧二つのパラダイムの間は「通約不可能」であり、これがうんざりするほど(“ad nauseam”)沢山ある「科学革命」の特質であるというのがクーンの主張です。
さて、今回のブログの始めの部分に戻って、「あとがき」からの引用を再読してみましょう:
「私自身が通約不可能性と遭遇したことが『構造』への道の最初の段階であったのだし、また、その考えはその書物が導入した中心的新機軸であった、と私は今でも思っている。しかしながら、『構造』出現前ですら、その中心概念を記述する私の試みがきわめて粗雑であることを私は分かっていた。それを理解し、精細にする努力は、私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた。最近の五年間、私は急速な一連の意義深い躍進を成し遂げたと思っている。・・・・・」(佐々木訳、p259)
クーンがとった科学哲学の“Linguistic turn” の課題に入る前に、クーンの主著『科学革命の構造』(SSR)に対する私の苦情と不信について述べておきます。拙著『トーマス・クーン解体新書』で私はSSRが、その最終第4版(SSR4) を含めて、初読の読者に大変不親切な書物であることを強調しました。SSRは自然科学の真の姿を分かりやすく明快に示した本だという人は、SSRをいい加減に飛ばし読みした人です。上の引用に、SSRの中心概念である「通約不可能性」を理解し、精細にすることが「私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた」とありますが、よくそんな事が言えたものです。「科学革命の前と後のパラダイムは通約不可能だ」というのが、クーンの科学哲学の根幹ですから、SSRの出版後30年以上の間、その考えの提唱者自身がその中心概念の意味をnail down していなかったということになります。それに加えて、クーンの新造語「パラダイム」の概念についても、晩年(1990年)のクーンに次のような発言があります:
「SSRがごく荒い概論的スケッチ以上のものだとは、わたしは一度も考えたことはない。何ら直接的なレッスンを求めたものではなかった。“ここにある物の見方と仕事の仕方を消化吸収した後で、科学史を書こうかと思った時に、それが役に立つかどうかを当ってみなさい。だが、SSRの主張が正しいかどうかをチェックしようとか、そのアイディアをテストする下心で歴史を調べて見ようとするのはよしなさい”と私は何時も言ってきた。少なくとも構想展開の現段階で、この本のアイディアの唯一のテストは、それを身につけた結果、史料が有用な形で今までと違って見えてくるかどうか、ということだ。しかし、“パラダイムは常に措定できるか?”とか“科学革命と通常科学的発展との違いを常に区別できるか?”とかの答を求めることではないのだ。SSRはその様に応用されるつもりで書いたのではない。」
これは「ハーバード・サイエンス・レビュー」という雑誌に出たインタビューからの引用です。
言語論的問題についても次のような発言が「あとがき」の中にあります。
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・・・『構造』において私は意味変化を科学革命の特徴的相貌として語った。後年、私はますます通約不可能性を意味の差異と同一視したので、翻訳の困難性に繰り返し言及することになった。しかしその時、私は、普通まったく気づくことなく、旧理論と新理論の間の翻訳が可能であると私が考えることと、そうではないのではないかとする競合する考えとの間で引き裂かれた。・・・・しかし、翻訳を話題にしたことで私がまちがいに気づいたこともまた重要である。私が記述したことは、言語学習、全面的翻訳を可能とすることを必要とせず、また普通そうではない過程であったことに私は今や気づいているのである。
・・・ (佐々木訳、p306)
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誤解のないように、念のため、最後の部分の原文を掲げておきます:
[ What I described, I now realize, was language learning, a processs that need not, and ordinarily does not, make full translation possible. ]
つまり、翻訳というプロセスと自分の言語と異なる他の言語を学習するプロセスをクーンは混同して考えていたというのです。クーンがSSRの本文で断言的に主張したことが、実は、間違っていた、混乱していた、という告白で最も有名なのはゲシュタルト転換についての主張で、これも「あとがき」の中で言及されています。上掲のように、クーンは「「SSRがごく荒い概論的スケッチ以上のものだとは、わたしは一度も考えたことはない」と言いますが、SSRのその最終第4版にいたるまで、クーンが自分でも認める混乱や考え違いを訂正せずにそのままにした事について、私は大いなる苦情と不信を表明します。本文に手をつける暇がなかったのなら、長いポストスクリプトではなく、長い新しいイントロダクションを加えるべきであったと思います。それが学者の良心というものでしょう。
さて、クーンが1970年発行のSSR第二版(SSR2) につけたポストスクリプトで既に予告していたSSRの本格的書き直しには『科学的発展と辞書的変化』というタイトルがついて出版される予定のようですが、この表題は、上で論じた「あとがき」に書いてあることから推測して、 クワインやパトナムやデイヴィドソンの流儀の言語哲学の影響を受けた科学哲学書であると考えられます。しかし、その中には科学哲学への重要で永続的な貢献は含まれてはいないだろうと私は考えます。それには二重の理由があります。クーンの遺稿の中心概念は通約不可能性でしょうが、前回に論じたように、科学哲学的には不毛な概念であって、これからの長い時間を生き残ることはないと考えられます。次に、たとえ何らかの意味で、多数の本質的断絶を自然科学の発展に認める必要が残るにしても、その断絶の本質がクーンの採用している言語哲学的アプローチで有効にnail down 出来るとは考えられません。
拙著『トーマス・クーン解体新書』で明らかにしたように、私は、科学哲学者として、ガストン・バシュラールとダドリー・シャピアを重視します。ダドリー・シャピアの主著『REASON AND THE SEARCH FOR KNOWLEDGE』(1984)の第18章は“REASON, REFERENCE, AND THE QUEST FOR KNOWLEDGE”と題されていて、ここに言語哲学的分析を科学論に適用することの不毛性の議論が展開されています。私は、シャピアの見解に全面的に同意します。章の締めくくり部分を引用します:
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As I hope I have shown in this other papers, the technical concepts of meaning and reference stemming from the philosophy of language have failed clarify the scientific enterprise. On the contrary, they have only succeeded either in introducing hopeless confusion or in contradicting some of the most fundamental aspects and achievements of that enterprise. Their vagaries, confusions, and paradoxes, their arbitrary presuppositions and apriorisms, their epistemological relativisms and metaphysical absolutes, must all be avoided. The only way of doing this is to abandon those technical concepts themselves, as philosophers and others have understood them, and to exorcise completely the error of supposing that scientific reasoning is subservient to certain alleged necessities of language, and that the study of the latter is therefore deeper than the study of the former. The situation, I have argued, is rather the reverse. I have tried to show how this is so, and how its being so can be recognized in a more adequate understanding of the scientific enterprise.
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イアン・ハッキングの名著とされる『表現と介入』に次の文章があります:
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共約不可能性、超越論的唯名論、真理の代用となるもの、推論の諸形式、これらは哲学者の仲間言葉(ジャーゴン)である。それらは理論と世界の関係について黙想にふけることから生まれる。その全ては観念論の袋小路へと導いていく。(渡辺博訳、p260)
Incommensurability, transcendental nominalism, surrogates for truth, and styles of reasoning are the jargon of philosophers. They arises from contemplating the connection between theory and the world. All lead to an idealist cul-de-sac. (原書、1983年、p130)
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辞書的変化としてこじつけられたクーンのIncommensurabilityの概念とそれに支えられたクーンの科学論は袋小路で行き詰って出どころを失ってしまうでしょう。
自然科学の発展において、その用語(例えば、電気とか電子とか質量とか)の成長発展は極めて動的で開放的です。それは人間が自然についての知識を拡大増大していくプロセスに対応しています。言葉の意味(meaning)が変わるということは、人間が自然についての学習(learning)を続けていることを意味していて、自然科学の営み全体の合理性のひび割れを示しているのではありません。 自然が人間に与える「教育(education)」と人間が自然から学ぶ「学習(learning)」こそが、自然科学の営みのキーワードだと私は考えます。パースとバシュラールとシャピアの影響です。
藤永茂(2017年5月21日)