トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

クーンは裸の王様?(4)

2017年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム
 クーンの『The Road sincs Structure (RSS, 構造以来の道、佐々木力訳)』の編者序論に、生前のクーンが二人の編者に与えた指針について、
「第四の指針は、クーンが数年間仕事をしてきた本の準備—事実上の初期原稿—と見なしていた題材に関している。適当な所で、この題材を利用し、その仕事を編集し、出版するのもまたわれわれの責務の一部とされているので、われわれはそれをここに収録しないように指示された。この制限事項のもとに置かれるのは、「概念変化の本性」(科学哲学における展望、ノートルダム大学、1980年)、「科学発展と辞書変化」(タールハイマー講演、ジョンズ・ホプキンス大学、1984年)、「過去の科学の現前」(シェーアマン講演、ユニヴァーシティ・カレッジ、ロンドン、1987年)という三つの重要な講演シリーズである。これらの講演のタイプスクリプトはあちらこちらで地下出版物の形で回覧されており、しばしば他人の出版物で引用され、議論されてきたのであるが(2)、クーンはそれらのどれもが現状の形で出版されるのを望んではいなかった。」(佐々木訳、p2)
とあります。脚注(2)は(原文で)、
Perhaps the most notable of these is Ian Hacking’s essay“Working in a New World: Taxonomic Solution”( in World Changes: Thomas Kuhn and the Nature of Science, ed. Paul Horwich [Cambridge, MA: Bradford/MIT, 1991]), in which he expounds and attempts to refine the central argument of the Shearman lecture.
という内容です。当代の科学哲学界切っての才人イアン・ハッキングの論文は、「通約不可能性」というクーンにとって最も大切な科学哲学的概念を、20世紀後半に流行した言語哲学の線に沿ってしっかりと措定しようと努力しているクーンの先回りをして、その問題の「分類学的解答」を提案したものです。それに対してクーンは[World Changes]の「あとがき」に、
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 私の企画を支配している話題についてのいくつかの予示的註記から始めることにする。その企画とは、私がかつて「科学革命」と呼んだことによって取り出される発展諸段階の間の通約不可能性と概念的分岐の本性ということである。私自身が通約不可能性と遭遇したことが『構造』への道の最初の段階であったのだし、また、その考えはその書物が導入した中心的新機軸であった、と私は今でも思っている。しかしながら、『構造』出現前ですら、その中心概念を記述する私の試みがきわめて粗雑であることを私は分かっていた。それを理解し、精細にする努力は、私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた。最近の五年間、私は急速な一連の意義深い躍進を成し遂げたと思っている。・・・・・(佐々木訳、p259)
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この数行後に、「彼(ハッキング)が記述している解答は決して私自身のものではなく、また彼の引用している草稿が書かれて以来、私自身の解答は実質的に発展してきているのだけれど、私は彼の論文に限りない喜びを感ずるものである」とクーンは述べ、それに続いて、ハッキングの立場と自分の立場との同異についてかなり詳しく論じています。
 クーンは、言語哲学的なアプローチで、通約不可能性について到達した「解答」に、大いに自信を持っていたことが窺えますが、私はその成果に大きな疑問を抱きます。理由の第一はクーンの「科学革命(scientific revolutions)」の概念そのものにあります。これについては拙著『トーマス・クーン解体新書』の多数の箇所で論じてありますが、その代表として、第1章の第十一節の前半を転載します:
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 科学には大革命に加えて多数の小革命があるとクーンは言う。しかも、大革命も小革命も、古いパラダイムから新しいパラダイムへの断絶的で劇的なシフトという点で、構造的には同じであると言う。しかし我々にはどうもそのようには思えない。たしかに目覚ましい発見や発明は数多くあるが、それらがクーンのいう新旧パラダイムの格闘や科学者の世界の突然の変換を伴っているとは思えない。我々のこの素朴な疑問に対して、それはお前たちが科学エスタブリッシュメントから騙されているからだ、とクーンは説明する:
「科学革命がどのように終結するかという問題がまだ残っている。しかしその前に、革命の存在とその特性についての確信を補強することをもう一度だけやる必要があると思われる。私はこれまで実例を引いて革命を展示披露して来たが、科学革命の例はうんざりする程いくらでも増やすことが出来よう。しかし明らかに、良く知られているからという理由でわざわざ選んで来た革命の殆どは、これまで科学革命としてではなく、科学知識の増加分と看做されるのが普通だった。」(SSR4, 135) (1-11a)
科学革命はうんざりするほど(“ad nauseam”)沢山あるというのは、いくら数多の発見発明を小革命と看做すにしても、やはり言い過ぎという他はあるまいが、クーンは強弁を続ける:
「革命がこれまで殆どまったく見えていないのには実に卓抜な理由があるのだと私は言いたい。科学者と素人の双方とも、創造的科学研究について彼らが持つイメージの大部分をある権威筋から得るのだが、その権威は,重要な実際的理由から、革命の存在とその意義を隠し偽ってしまう。その権威の本性が認識され分析されてはじめて、歴史的事例が十分に姿を現わす。さらに又、これは本書の最終節でのみ充分な議論展開が可能だが、この権威の然るべき分析を始めれば、科学研究の諸相の一面が、おそらく神学は例外として、他のすべての創造的追求と全くはっきりと違うことが浮き彫りになってくるであろう。」 (SSR4, 135) (1-11b)
多くの科学革命は意図的に見えないようにされていて、その主犯は科学の教科書だとクーンは言うのである。なお、神学だけは自然科学と類似するとは何を意味するのか、この問題はやがてはっきりと浮上してくる:
「権威の根源として、私が主に考えているのは、科学教科書とそれを模範にして書かれた通俗科学書と哲学的著作である。これら三つのものは─研究の実践を通して以外には、最近まで科学についての情報の重要な源としてこれより他にはなかったのだが─共通点を一つ持っている。そのどれもが、すでに内容のはっきりした問題やデータや理論の一群、特によく執筆当時に科学者社会が遵守している特定のパラダイムのセットを取り扱っていることだ。教科書そのものが現代の科学言語の語彙や文体を伝達することを目的としている。通俗書はそれらの同じ応用を日常語に近い言語で記述しようとする。そして、科学哲学、特に英語圏の科学哲学は、科学知識の完結した総体の論理的構造を分析する。」 (SSR4, 136) (1-11c)
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 クーンは、科学には大革命に加えて多数の小革命があり、しかも、大革命も小革命も、古いパラダイムから新しいパラダイムへの断絶的で劇的なシフトという点で、構造的には同じであると言います。相争う新旧二つのパラダイムの間は「通約不可能」であり、これがうんざりするほど(“ad nauseam”)沢山ある「科学革命」の特質であるというのがクーンの主張です。
 さて、今回のブログの始めの部分に戻って、「あとがき」からの引用を再読してみましょう:
「私自身が通約不可能性と遭遇したことが『構造』への道の最初の段階であったのだし、また、その考えはその書物が導入した中心的新機軸であった、と私は今でも思っている。しかしながら、『構造』出現前ですら、その中心概念を記述する私の試みがきわめて粗雑であることを私は分かっていた。それを理解し、精細にする努力は、私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた。最近の五年間、私は急速な一連の意義深い躍進を成し遂げたと思っている。・・・・・」(佐々木訳、p259)
 クーンがとった科学哲学の“Linguistic turn” の課題に入る前に、クーンの主著『科学革命の構造』(SSR)に対する私の苦情と不信について述べておきます。拙著『トーマス・クーン解体新書』で私はSSRが、その最終第4版(SSR4) を含めて、初読の読者に大変不親切な書物であることを強調しました。SSRは自然科学の真の姿を分かりやすく明快に示した本だという人は、SSRをいい加減に飛ばし読みした人です。上の引用に、SSRの中心概念である「通約不可能性」を理解し、精細にすることが「私の三十年間の何よりのますます大きくなる強迫的関心事となっていた」とありますが、よくそんな事が言えたものです。「科学革命の前と後のパラダイムは通約不可能だ」というのが、クーンの科学哲学の根幹ですから、SSRの出版後30年以上の間、その考えの提唱者自身がその中心概念の意味をnail down していなかったということになります。それに加えて、クーンの新造語「パラダイム」の概念についても、晩年(1990年)のクーンに次のような発言があります:
「SSRがごく荒い概論的スケッチ以上のものだとは、わたしは一度も考えたことはない。何ら直接的なレッスンを求めたものではなかった。“ここにある物の見方と仕事の仕方を消化吸収した後で、科学史を書こうかと思った時に、それが役に立つかどうかを当ってみなさい。だが、SSRの主張が正しいかどうかをチェックしようとか、そのアイディアをテストする下心で歴史を調べて見ようとするのはよしなさい”と私は何時も言ってきた。少なくとも構想展開の現段階で、この本のアイディアの唯一のテストは、それを身につけた結果、史料が有用な形で今までと違って見えてくるかどうか、ということだ。しかし、“パラダイムは常に措定できるか?”とか“科学革命と通常科学的発展との違いを常に区別できるか?”とかの答を求めることではないのだ。SSRはその様に応用されるつもりで書いたのではない。」
これは「ハーバード・サイエンス・レビュー」という雑誌に出たインタビューからの引用です。
 言語論的問題についても次のような発言が「あとがき」の中にあります。
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・・・『構造』において私は意味変化を科学革命の特徴的相貌として語った。後年、私はますます通約不可能性を意味の差異と同一視したので、翻訳の困難性に繰り返し言及することになった。しかしその時、私は、普通まったく気づくことなく、旧理論と新理論の間の翻訳が可能であると私が考えることと、そうではないのではないかとする競合する考えとの間で引き裂かれた。・・・・しかし、翻訳を話題にしたことで私がまちがいに気づいたこともまた重要である。私が記述したことは、言語学習、全面的翻訳を可能とすることを必要とせず、また普通そうではない過程であったことに私は今や気づいているのである。
・・・   (佐々木訳、p306)
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誤解のないように、念のため、最後の部分の原文を掲げておきます:
[ What I described, I now realize, was language learning, a processs that need not, and ordinarily does not, make full translation possible. ]
つまり、翻訳というプロセスと自分の言語と異なる他の言語を学習するプロセスをクーンは混同して考えていたというのです。クーンがSSRの本文で断言的に主張したことが、実は、間違っていた、混乱していた、という告白で最も有名なのはゲシュタルト転換についての主張で、これも「あとがき」の中で言及されています。上掲のように、クーンは「「SSRがごく荒い概論的スケッチ以上のものだとは、わたしは一度も考えたことはない」と言いますが、SSRのその最終第4版にいたるまで、クーンが自分でも認める混乱や考え違いを訂正せずにそのままにした事について、私は大いなる苦情と不信を表明します。本文に手をつける暇がなかったのなら、長いポストスクリプトではなく、長い新しいイントロダクションを加えるべきであったと思います。それが学者の良心というものでしょう。
 さて、クーンが1970年発行のSSR第二版(SSR2) につけたポストスクリプトで既に予告していたSSRの本格的書き直しには『科学的発展と辞書的変化』というタイトルがついて出版される予定のようですが、この表題は、上で論じた「あとがき」に書いてあることから推測して、 クワインやパトナムやデイヴィドソンの流儀の言語哲学の影響を受けた科学哲学書であると考えられます。しかし、その中には科学哲学への重要で永続的な貢献は含まれてはいないだろうと私は考えます。それには二重の理由があります。クーンの遺稿の中心概念は通約不可能性でしょうが、前回に論じたように、科学哲学的には不毛な概念であって、これからの長い時間を生き残ることはないと考えられます。次に、たとえ何らかの意味で、多数の本質的断絶を自然科学の発展に認める必要が残るにしても、その断絶の本質がクーンの採用している言語哲学的アプローチで有効にnail down 出来るとは考えられません。
 拙著『トーマス・クーン解体新書』で明らかにしたように、私は、科学哲学者として、ガストン・バシュラールとダドリー・シャピアを重視します。ダドリー・シャピアの主著『REASON AND THE SEARCH FOR KNOWLEDGE』(1984)の第18章は“REASON, REFERENCE, AND THE QUEST FOR KNOWLEDGE”と題されていて、ここに言語哲学的分析を科学論に適用することの不毛性の議論が展開されています。私は、シャピアの見解に全面的に同意します。章の締めくくり部分を引用します:
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  As I hope I have shown in this other papers, the technical concepts of meaning and reference stemming from the philosophy of language have failed clarify the scientific enterprise. On the contrary, they have only succeeded either in introducing hopeless confusion or in contradicting some of the most fundamental aspects and achievements of that enterprise. Their vagaries, confusions, and paradoxes, their arbitrary presuppositions and apriorisms, their epistemological relativisms and metaphysical absolutes, must all be avoided. The only way of doing this is to abandon those technical concepts themselves, as philosophers and others have understood them, and to exorcise completely the error of supposing that scientific reasoning is subservient to certain alleged necessities of language, and that the study of the latter is therefore deeper than the study of the former. The situation, I have argued, is rather the reverse. I have tried to show how this is so, and how its being so can be recognized in a more adequate understanding of the scientific enterprise.
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 イアン・ハッキングの名著とされる『表現と介入』に次の文章があります:
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共約不可能性、超越論的唯名論、真理の代用となるもの、推論の諸形式、これらは哲学者の仲間言葉(ジャーゴン)である。それらは理論と世界の関係について黙想にふけることから生まれる。その全ては観念論の袋小路へと導いていく。(渡辺博訳、p260)
Incommensurability, transcendental nominalism, surrogates for truth, and styles of reasoning are the jargon of philosophers. They arises from contemplating the connection between theory and the world. All lead to an idealist cul-de-sac. (原書、1983年、p130)
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辞書的変化としてこじつけられたクーンのIncommensurabilityの概念とそれに支えられたクーンの科学論は袋小路で行き詰って出どころを失ってしまうでしょう。
 自然科学の発展において、その用語(例えば、電気とか電子とか質量とか)の成長発展は極めて動的で開放的です。それは人間が自然についての知識を拡大増大していくプロセスに対応しています。言葉の意味(meaning)が変わるということは、人間が自然についての学習(learning)を続けていることを意味していて、自然科学の営み全体の合理性のひび割れを示しているのではありません。 自然が人間に与える「教育(education)」と人間が自然から学ぶ「学習(learning)」こそが、自然科学の営みのキーワードだと私は考えます。パースとバシュラールとシャピアの影響です。

藤永茂(2017年5月21日)

クーンは裸の王様?(3)

2017年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム
 世の中で現在一般に使用されているパラダイムという言葉はクーンのSSR以前の意味から少し膨らんで「物の考え方、考え方の枠組み」といった意味で使われる便利な言葉になっています。ある分野で「新しいパラダイム」が現れて、人々の考え方を支配する場合に、その具体的内容は、適当に言葉を使えば、その分野の誰にでも理解できるような形に表現することが出来るのが普通です。それまで支配的だった古いパラダイムと新しいパラダイムとの相互の位置関係も、なぜパラダイム・シフトが生じているか、あるいは、生じたかも、適当に言葉を使えば、説明することができます。
 しかし、クーンがSSRで使った「パラダイム」という言葉に持たせようとした意味、クーンの「パラダイム」概念は、極めて漠然としていて、言葉では陳述することが出来ないものを内容として含んでいるとされています。しかし、 SSRには、クーンのいう「パラダイム」の内容ををはっきり提示することが出来るかのように書いてある場所があります。 SSRの第5節(中山訳では第五章)の冒頭を引用します:
「ルール、パラダイム、通常科学の間の関係を見出すために、まず、これまで一定ルールの受け入れとして描いてきた特定の立場・位置を、歴史家がいかにして分離して取り出すかを考えてみよう。ある時期における分野の歴史を細かく調べると、いろんな理論が概念や観測や装置に応用される際に、標準らしき一連の説明の仕方が繰り返されていることに気付く。これらがその専門家集団のパラダイムであって、教科書や講義や実験指導の際に現れてくるものである。それらを学び実地に適用することによって、その集団のメンバーは仕事に習熟していく。もちろん、歴史家はさらに周辺領域にあってまだ地位がはっきりしない仕事にも注意を向けるが、すでに解かれた問題やテクニックの核心は、普通すでに明白になっているものである。時には曖昧なこともあるが、成熟した科学の科学者集団のパラダイムは、わりあい容易に決め得るものである。」(中山訳、p48)
ここの所を読む限り、パラダイムというものは比較的容易に確定できるとクーンは言っているように思われますが、実際には、全然そうではありません。そのことを天文学のプトレマイオス・パラダイムとコペルニクス・パラダイムの場合に考えてみましょう。
 再び「クーンの科学進展パターン」;
(前パラダイム期)→(パラダイム1の出現)→(通常科学)→(異常科学)→(パラダイム2の出現)→(パラダイム1とパラダイム2との競合)→(パラダイム2の勝利)→(通常科学)→(異常科学)→(パラダイム3の出現)→(パラダイム2とパラダイム3との競合)→(パラダイム3の勝利)→・・・・・
を使います。天文学の歴史に上掲の「パターン」を適用するとすれば、天動説(地球中心説)のプトレマイオス・パラダイムをパラダイム1、地動説(太陽中心説)のコペルニクス・パラダイムをパラダイム2と同定し、プトレマイオスとコペルニクスを隔てる約1400年の期間をプトレマイオス・パラダイムの下で通常科学的進歩が行われた期間とすることになるでしょう。しかし、(パラダイム2の勝利)、つまり、コペルニクス革命の成立とパラダイム2の下での通常科学の開始の時点をどこにとるか? コペルニクスとケプラーやガリレイの間には約一世紀の間隔があります。さらに、ガリレイ、ニュートン、アインシュタインという時の流れに沿って、プトレマイオス・パラダイムとコペルニクス・パラダイムという二つの“クーンの意味での”パラダイムの内容と相互間の関係を具体的に物理学的に考えると、それらは根本的な意味で時間の経過につれて大きな変化を示していることは明らかですが、過去の特定の時点でパラダイム1とパラダイム2の内容を具体的に書き下すのは、ポラニーのいう「暗黙の知識」が含まれているために、原理的に不可能です。また、“クーンの意味での”通約不可能性も、宇宙論の対決として、過去には、現実的にあったとしても、時間の経過とともに物理学的には意味を失って消滅してしまいました。現在の物理学では、地球を中心にするか、太陽を中心にするかは、我々が得たいと思う自然量についての知識を理論に従って求める(計算する)のに便利な方を取れば良いのであって、どちらが正しいかの問題ではなくなっています。
 こうして見てくると、プトレマイオス・パラダイムとコペルニクス・パラダイムの場合に、パラダイム、パラダイム・シフト(革命)、通約不可能性などのクーンの科学哲学的諸概念があまりにも曖昧で、明確に措定することができず、したがって、哲学的用語として物の用に立ちません。
 今回のブログの冒頭で指摘した通り、「パラダイム」という言葉は、大変便利な用語として世の中で広く使われていますが、それは、内容的に、クーンが哲学的用語として持ち出してきた「パラダイム」の分かりにくさがなく、通約不可能性の問題も付帯していません。米国の著名な理論物理学者キップ・ソーンが一般向けに書いた『Black Holes and Time Warp ─Einstein’s Outrageous Legacy』(ブラックホールと時空の歪─アインシュタインのとんでもない遺産)(林,塚原翻訳、白揚社、1997年)という評判の本には、極めて興味深い彼のパラダイム論が展開されています。拙著『トーマス・クーン解体新書』の「4-6 パラダイムと物理学者」でそのことを論じました:
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 現在ひろく使われているパラダイムという言葉の意味を理解したいと思う人にとって、クーンのSSRは有用でない。彼自身がこの言葉と格闘の末、遂にはその使用を断念してしまったのだから:
「さてパラダイムとは一体何であるのかという問題に立ち向かうことにしよう。本書の初版で、これ以上に意味が曖昧で、また、これ以上重要な問題は残されていない。「パラダイム」は、この本の中心的な哲学的要素を名指した言葉であるという私の確信を共有する一人の同情的読者は、ざっとした分析的索引を作り、パラダイムという言葉は少なくとも22の異なった具合に使われていると結論した。」(SSR4, 181) (4-6a)
この同情的読者とはマーガレット・マスターマンという女性科学哲学者、“The Nature of a Paradigm”(1970年)と題する論文の中で:「クーンは、もちろん、例の詩的とも言える筆運びで、パラダイムの説明を浅薄な読者にはまことに分かりにくいものにしている。私が数えたところでは、彼は1962年本で少なくとも21の異なった意味に使っている、多分もっと多いだろうし、それ以下ではない。」と書き、(1)、(2)、・・・・、(21)と項目に番号を打って、クーンのSSR初版(1962)で、パラダイムという言葉が21の違った意味で使われていることを指摘している。それを受けて、クーンはSSRの第2版 (1970年)で,その数を22とした。マスターマンの言うことが正しければ、SSRの和訳を読んでクーンの「パラダイム」の意味を理解するのは、一段と至難の業だということになる。第2版ではポストスクリプト(補章)が最後部分に付けられただけで、パラダイムの説明に関しては、本文は第1版とほぼ全く同じである。ポストスクリプトの中で、クーンは、「パラダイム」に代わる用語として「専門母型(disciplinary matrix)」を選び、その4つの構成要素の説明を順次行なっている。その第4番目の要素は「模範例(exemplars)」と呼ばれ、発生的にはこの概念に想い到ったことが彼の「パラダイム」概念の出発点であったとクーンは言っている(1-14i)。
 つまり、こういう事だ。昔から模範例的な意味でパラダイムという言葉はあったのだが、クーンは元々の模範例の意味も少し拡げ、さらに他の3つほどの意味を付加して「パラダイム」をという言葉を再発明したつもりであった。しかし世に出してみると、クーンが中核に置きたかった模範例的な意味がすっかり薄れて「物の見方、考え方の枠組み」といった意味でもっぱら流通するようになってしまって現在に到っている。その一方、「専門母型(disciplinary matrix)」という言葉は殆ど全く使われないままになってしまった。
 一方、「パラダイム」という言葉の方は、元々の語義に適当な曖昧さが加えられて更に広く使用されるようになっている。ブラックホールの本格的研究者として著名なキップ・ソーン(Kip S. Thorne)という物理学者の書いた『Black Holes and Time Warp ─Einstein’s Outrageous Legacy』(ブラックホールと時空の歪─アインシュタインのとんでもない遺産)(林,塚原翻訳、白揚社、1997年)という評判の本がある。原書は1994年の出版で、その中に「パラダイム」の有用な定義がある。ソーンはブラックホールについての理論的計算を実際に行う場合に、時空を平らなものと考えるか、曲がっていると考えるかは時々の都合によるとして、次のように書く:
「本当の、本物の真理とは何か?上の数パラグラフが示唆するように、時空は本当に平らなのか,それとも本当には曲がっているのか?これは私のような物理屋には興味のない設問だ、何故なら物理的にはどちらでもいい事だからだ。」(Thorne 1994, 400) (4-6b)
さらに著者ソーンは、日曜日には時空が曲がっていると考え、月曜には時空は平らだと考えて物理学者は仕事が出来ると言う:
「これら二つの見解はすべての実験結果について合致するから、物理学的には同等である。どちらのが“本当の真理”を告げているかは実験とは関係ない;それは哲学者が議論する事で、物理学者が議論する事ではない。その上、物理学者は、一般相対論の予言を引き出そうとする時に、この二つの見解を交替的に使うことが出来るし、事実そうしている。」(Thorne 1994, 400) (4-6c)
そして、こうした頭の切り替えを、クーンのパラダイム変換に結びつける:
「理論物理学者が仕事をする時のこの心理的プロセスは、パラダイムというクーンの概念によって見事に記述されている。1949年にハーバード大学で博士号を受領し、その後著名な科学史家、科学哲学者になったクーンは、彼の1962年の本『科学革命の構造』でパラダイムの概念を提出した─この本は私がこれまで読んだ最も洞察に富んだ書物の一つである。」(Thorne 1994, 401) (4-6d)
ソーンはクーンのSSRを高く評価する数少ない物理学者の一人であり、クーンが「パラダイム」または「専門母型」に込めようとした意味を、物理学の場合に、次のように歯切れよくまとめて説明した:
「パラダイムは一つの科学者集団がある主題についての研究で使う道具立ての一つの完全なセットである。一般相対論の曲がった時空見解は一つのパラダイムであり、平たい時空見解はもう一つのパラダイムだ。これらのパラダイムのそれぞれは三つの基本的要素を含んでいる:数学的に定式化した物理法則の集合;法則への洞察力を与え、お互いの意思疎通を助けてくれる画像(心理的画像、言葉で描く画像、紙上の描画)の集合;そして模範例の集合─模範例とは過去の計算や解決ずみの問題で、相対論の専門家集団が計算や解法が正しく行なわれ興味深いものであったという意見で一致し、我々が将来の計算の手本として使うものである。」(Thorne 1994, 401) (4-6e)
「パラダイム」概念を物理学に適用した場合の説明として、このソーンの定義は適切明快なものだが、ソーンの定義とクーン本来の定義とでは、二つのパラダイムの間の関係が決定的に異なる。クーンによれば、パラダイムの変革(あるいはシフト)が科学革命であり、古いパラダイムと新しいパラダイムはお互いに通約不可能(incommensurable)な関係にある。この通約不可能という言葉も、パラダイムという言葉と同じく、前からあった言葉の意味をSSRでクーンが変えてしまったのであった。クーンの言う「通約不可能」の概念も哲学的に曖昧不毛であり、哲学用語としては、やがて静かに消えて行くことであろう。
 ソーンは彼のパラダイムの定義を上の二つの見解を基礎とする立場に適用し、それぞれを(A)The curved spacetime paradigm (曲がった時空パラダイム)、(B) The flat spacetime paradigm (平らな時空パラダイム) と呼び、この二つのパラダイムを自在に切り替えて相対論的問題を扱うのである。
  パラダイム(A)とパラダイム(B)は物理的には全く同じ計算結果を与えるし、AとBの変換はクーンの言う科学革命に対応しないのは勿論である。ソーンは非相対性力学(古典力学)からアインシュタインの相対性力学へのシフトは科学革命だったとして、上のパラダイム(A)とパラダイム(B)との関係とはっきり区別しているが、相対論的効果が十分小さい場合には、非相対論的パラダイムを使って構わないことを、つまり非相対論の世界と相対論の世界を、扱う問題にあわせて、自由に行き来してよいとも言っている。ソーンのパラダイム意識にはクーンがあくまでこだわった通約不可能性の問題は存在しない。しかし、SSRのクーンのパラダイム論に従えば、歪曲した時空の世界と平坦な時空の世界は通約不可能性で隔てられた二つの別世界であり、それぞれの世界に住む物理学者は別の集団に属し、ニュートン的世界からアインシュタイン的世界に移り住むには改宗経験が必要である。
  ソーンが論じている二つのパラダイム(A) と(B) の具体的内容について彼は次のように説明している:
「平坦時空パラダイムの物理法則は、数学的に、歪曲時空パラダイムの法則から導くことが出来、逆にもそう出来る。これは、法則の二つのセットは同じ物理現象の異なった数学的表現であることを意味しており、言ってみれば、0.001 と1/1000 が同じ数の異なった数学的表現であるのと同じようなことだ。しかしながら、法則を表す数学式は二つの表現で大変異なって見えるし、法則の二つのセットに伴う画像も模範例も大変異なった外観を呈する。」(Thorne 1994, 402) (4-6f)
では同一の結果を与える二つのパラダイムを何故作るのか?:
「二つのパラダイムの基礎にある法則は数学的に同一だから、同じ物理的状況を両方のパラダイムを使って解析した場合、実験結果に対する予報は全く同一であることに確信を持つことができる。したがって、我々は状況に応じてもっとも都合のよいパラダイムを好きに使ってよいのだ。この自由は実効を伴う。だから、物理学者はアインシュタインの歪曲時空パラダイムに満足せず、それを補うものとして平坦時空パラダイムを開発したのだ。」(Thorne 1994, 403) (4-6g)
このソーンの説明は、クーンのSSRのパラダイム概念に馴染んだ読者には、分かりやすいものではあるまいが、実は、古典力学の数学表現にも同じような事情がある。R. P. ファインマン著江沢洋訳の『物理法則はいかに発見されたか』(岩波現代文庫)の第一部2「数学の物理学に対する関係」には極めて刺激的な筆致でその事情が書いてある。原著のタイトルは“THE CHARACTER OF PHYSICAL LAW”(1965年出版)。
 ファインマンはニュートンの重力の法則を三つの異なる仕方で表現する。第一は、ニュートンが用いた遠隔作用の力を含む式で、ある物体に働く力が、どこか遠くの物体の位置いかんに依存する非局所性の表現である。次に、ファインマンは「場」という概念を導入して空間的にも時間的にも近傍のことだけで話が決まってしまう局所的な表現を示す。これら二つの表現は大変違った見かけをしているが数学的には完全に等価である。さらにファインマンは自分がもっともお気に入りの「最小原理」にもとづく第三の表現を紹介する。この表現も前の二つと数学的には等価であり、同じ物理学的問題には完全に同一の計算結果を与える。ソーンの定義にしたがえば、これらの数学表現は三つの別々のパラダイムに属し、物理学者は好みや便利さの判断に基づいて実際に用いるパラダイムを決めることになる。
 物理的自然世界と数学のこのような関係は科学哲学者にとって頭の痛くなる問題を提供する。ファインマンを江沢氏の名訳で少し読んでみよう:
「この例は、自然を記述するのにいかにさまざまの美しい方法があるかを示しています。自然は因果性をもっているはずだという人にはニュートンの法則を提示することができます。最小原理でもって記述すべきだといわれたら、いまお話した第三の方法を使えばよろしい。いや、自然には局所的な場が存在するのだと言い張る人に対しては—もちろんお気に召す答が差し上げられます。こうしたさまざまの表現が、もしも数学的に正確に等価でないのだったら、すなわちどれかが他とちがった結論に導くのであったら、私たちはただちに実験をして、自然がどの法則を選ぶかを見きわめるまでのことであります。哲学的な議論によって、これこそがよい法則だなどと強弁する人もあるいはいるかもしれません。しかし、私どもは多くの経験から、自然の振舞いに関するどんな哲学的直観もはずれることを学んでおります。」(ファインマン/江沢、75-76)(4-6h)
最後の部分はなかなか手きびしい。遠隔作用を許すパラダイム世界と近接作用しか許容しないパラダイム世界はクーンの語り口では通約不可能の関係ということになるだろう。ましてや自然がある物理量を最小にするように振舞うと言われてもどう考えたらよいか分かりかねる。そもそも通約不可能性という言葉の意味がはっきりしていないのが困る。言語理論の助けをかりて翻訳の可能不可能の議論に乗り換えようとしても、自然を記述するのに使われている数学という“言葉”を翻訳論に取り込むことが出来るのかどうか。先ほども言及したように、ここには「物理学にとって数学とは何か」という、これこそ科学哲学にとって、途轍もない大問題が横たわっている。ファインマンは正直に告白する。:
「私はいつも不思議に思っているのです。物理学の正しい法則にかぎってなぜべらぼうに多様な表現ができるのでしょうか。わたしにはその理由がわかりません。」(ファインマン/江沢、78-79) (4-6i)
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 クーンにはまだ出版されていない著作の遺稿があることはよく知られています。野家啓一著『パラダイムとは何か』(講談社学芸文庫、2008年)の結語には「クーンの急逝によって、シカゴ大学出版局から刊行を予告されていた最後の著作『科学的発展と辞書的変化』は、残念ながら未完のままに終わった。われわれとしては、その遺稿の一日も早い出版を待ち望むばかりである。」とあります。
 トーマス・クーンが亡くなったのは1996年、すでに60年が流れました。遺稿の出版が未だに成されていない理由を私は知りませんが、遺稿の学問的内容が高ければ、何らかの形で出版されるのが当然であるように思われます。しかし、そのタイトル『Scientific Development and Lexical Change』から、私はクーンの遺稿が科学哲学の論考として価値の高いものではなさそうな気がします。もしそうであれば、科学哲学の分野でも、クーンがパラダイム転換をもたらしたとは言えないでしょう。少し荒っぽい議論になるかもしれませんが、次回には、そうしたことを考えてみます。

藤永茂(2017年5月9日)

クーンは裸の王様?(2)

2017年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム
 「クーンの科学進展パターン」は適用不可能であることは、彼の最後の科学史の著作でクーン自身が示しました。拙著『トーマス・クーン解体新書』で、そのことを論じた部分を抜粋して引用します:
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 黒い木炭は暗い所ではよく見えないが、温度を上げて行くと、はじめは赤く色づき、だんだんと輝きを増して白熱状態になり、高い熱エネルギーを放出する。このプロセス、温度によってどんな波長の光を放ち、どのような量のエネルギーを放出するか、という問題が、実は、古典物理学では解けなかった。つまり、窯業の竃から出てくる光の性質は、日常の現象に量子効果がはっきりと顔を出している例の一つである。この問題が古典物理学の枠内ではどうにも解けないことを痛感して、古典物理学には馴染まない自然界の非連続性を取り込んだ最初の物理学者はマックス・プランクだった、というのが物理学史の定番物語であった。
 ところが、クーンは、1978年に出版した彼の最後の科学史書『Black-Body Theory and the Quantum Discontinuity (黒体理論と量子的非連続性)』(以下では『黒体理論』と略記)で「量子的非連続性を、光量子という形ではっきり唱えたのはアインシュタインであって、プランクは古典物理学のパラダイムから抜け出せずにウロウロしていただけだ」と主張した。プランクについての定番のストーリーを覆すこの主張を科学史的資料で裏付けることが、このクーンの大著の目指したすべてと言っても過言ではあるまい。
 1962年のSSRの出版で時代の寵児となったクーンは、1972年プリンストン高等研究所に招かれ、殆どの時間をそこで過ごした。『黒体理論』の執筆はここで行なわれたが、このクーンの新著に対する期待は、特に科学哲学者の間で、大きく膨らんでいた:
 「この本が出る前に、ある小さなグループの人たちに本について話をすることを承諾していたので、一つのテーブルの周りを囲む位の人数と思って部屋に行ってみたところ、部屋はほとんど一杯になっていた。それで、私は俄仕立ての講義のような話をやることになってしまった。それが済んだ時、手を上げた人がいて、“大変興味深く伺いましたが、通約不可能性の問題があったのかどうか、お教えいただきませんか?”と言った。“おやまあ、どうかなあ、そんなこと考えもしなかった”というのが私の思いだった。」(RSS, 314) (4-8a)
 これは驚くほど率直な回想告白だが、このクーンの生前最後の大著で、パラダイム概念に基づいてSSR で誇らかに宣言した新しい科学史方法論も、その哲学的中心概念である通約不可能性(incommensurability) も適用されなかった。
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 2017年3月7日付けのブログ記事『エロル・モリスとクーン(灰皿事件)』でも触れたように、我々が住んでいる自然世界の物理学理論として、量子力学の基本原理の正しさは超絶的な精度で確かめられています。しかし、この量子理論で支配されている世界が、我々に親しい巨視的世界として我々の前に現前するプロセスについては、まだ物理学者の間で十分な意見の一致が得られていません。100年近くもこの状態が続いています。アンダーソンなどのように解決したと考える物理学者もありますが。この意味では、ニュートン力学の世界と量子力学の世界とは、未だ、しっくりつながらないのです。量子力学の出現は、ニュートン力学の出現に勝る、物理学の歴史の最大の革命的事件と言ってよいでしょうが、(あえて「パラダイム」という言葉を使うことにして、)ニュートン力学パラダイムと量子力学パラダイムの二つのパラダイムの関係を記述する目的には、「クーンの科学進展パターン」を支える中心概念である新旧パラダイム間の通約不可能性の概念の適用方法が漠然としていて殆ど全く役に立ちません。これが、生前最後の歴史の著作でクーンが通約不可能性の問題を論じなかった本当の理由でしょう。通約不可能性の概念については又あとで取り上げることにして、クーンと科学史研究の関係についてもう少し話を続けます。
 実は、晩年のクーンは科学史そのものに興味を失ってしまいました。拙著『トーマス・クーン解体新書』の「3-13 科学史と科学哲学」から引用します:
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 クーン自身が “科学史を基礎とした科学論”を後年どのように考えていたかを見てみよう:
「30年ほど前、今ではよく歴史的科学哲学と呼ばれる営みに私が初めて携わった頃には、私や私の仕事仲間の殆どが歴史は経験的な証拠の源として役立つものだと考えていた。歴史的事例の研究で我々が見出した証拠、それは科学というものの本当の姿に周到な注意を払うことを我々に強いたが、今では、我々の営みの経験的側面を強調し過ぎていたと私は考えている。(進化論的認識論は自然主義的なものである必要はない。)私として、基本的だと思えてきたのは、歴史的事例の詳細よりも、むしろ、歴史的事例に向けた関心がもたらした観点あるいはイデオロギーだということである。」(RSS, 95) (3-13g)
これは1990年(逝去の6年前)のクーンの講演『The Road since Structure(構造以来の道)』の中の言葉だが、SSRでとったスタンスから、歴史的事例の詳細から、一定の距離を取ろうとするクーンの意図が明らかに示されている。1年後のもう1つの講演『The Trouble with the Historical Philosophy of Science(歴史的科学哲学の難点)』には、上の言葉にそのまま連結できる重要な発言がある:
「そして、次のことを悟るには更に長い時間がかかった:その観点を身につけたとなると、我々が歴史的記録から引き出してきた最も中心的な結論の多くは、史実に依らずとも、第一原理から導き出すことが出来る。」(RSS, 112) (3-13h)
つまり、SSRで述べ立てた歴史的証拠は必要ではなかったというのだ。もともと物理学から離れることを決意したクーンが本当に目指していたのは哲学であって、科学史家としてまず身を立てたのは戦術的な動きであったことは、クーン自身が繰り返し証言した通りである。事実、逝去の前年のインタビューの時には彼の心は科学史から全く離れていた:
「私は科学史に余り親しんでいません。というのは、この10年か15年ずっと続けてのことですが、私はこの哲学的立場を展開するのに本当に努力していて、科学史を読むのはすっかり止めてしまっているのです。実際のところ科学史については何も読まなくなってしまっています。」(RSS, 322) (3-13i)
クーンのいう「第一原理(first principles)」とか「この哲学的立場」が何を意味するかは哲学者としてのクーンを論じるとすれば大きな問題である。
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 もしクーンが科学史研究の分野で彼が望んだ通りに革命を起こしていたならば、その当事者が科学史に興味を失ってしまう筈はありません。クーンはSSRの出版によって科学史研究の分野で「パラダイム転換」の起爆者となることを望みましたが、その望みは叶えられなかったと結論すべきでしょう。クーンの第一の弟子で科学史家として大成したハイルブロン(J. L. Heilbron)の著作にも「クーンの科学進展パターン」の適用は全く見当たりません。クーンの『黒体理論』についてハイルブロンは厳しい批判の言葉を述べています:
「科学史研究の正しいやり方、クーンのやり方、とは“他の人々の頭の中に登って入り込む”ことだった。彼が意味したのは、科学史家は専門技術語を身につけ、問題の取り組み方、研究対象の科学者たちの理論家として実験家としての力量や蓄積を知ることで、彼らの研究論文を、例え首尾一貫していなくとも、全体としては良く理解することが出来るようでなければならない、ということだった。疑いもなく彼はこうしたやり方の達人だった。だが、実際としては、彼が物色する頭脳の小さな特定のスポットだけに登り込んだのだった。彼が使った“マックス・プランク”という呼称は、かつて世にあった生身の人間ではなく、ある特定のプランクの論文や手紙の少しばかりの集まりを表していた。」
 では、もう一つの学問分野である科学哲学で、クーンは「パラダイム転換」を起こしたと結論してよいのでしょうか? 次回には、コペルニクス革命から出発して、二つの競合するパラダイムの間の通約不可能性の経時変化を検討することで、科学哲学の概念(数学の概念ではなく)としての「通約不可能性」の曖昧さを指摘したいと思います。

藤永茂(2017年5月3日)