写真 多才だったジョニー・エック
チャールズ・ジブルマンには片脚がありませんでしたが、連続168時間の長泳や、ハドソン川を240キロ泳いで下るなどの記録を樹立しました。
トム・デプシーは右脚が膝までしかありませんでしたが、義足でNFLのプレイヤーとして活躍しました。史上最長の、約58メートルのフィールド・ゴールを決めています。
ジョニー・エックは腰から下が成長せず、ほとんど上半身しかありませんでしたが、泳いだり、綱渡りしたりもできました。『フリークス』など、無数の映画に出演しています。数々の楽器を演奏し、オーケストラの指揮者としても有名でした。
ジム・ブルノットは、地雷のために両脚と左腕を失っていますが、後に馬術競技で200を超えるトロフィーを獲得しています。車も運転できるそうです。
マティアス・ブッヒンガーは、肘までしかない腕があるだけで、手も脚もありませんでした。
だが、彼は4カ国語を完全に書くことができ、楽器や銃を操り、マジシャンとしても有名でした。彼の製作した扇は、大英博物館に展示されています。
プレイボーイでもあり、4度結婚して11人の子どもをもうけています。
ニコライ・コベルコフには、生まれつき四肢がありませんでしたが、美しい字を書き、絵を描き、針の穴に糸を通し、飛行機を操縦しました。射撃の腕も、100発100中。大の男を持ち上げる怪力を持ち、脱出芸の名人でもありました。
結婚して11人の子どもをもうけ、映画会社を設立して莫大な富を得ています。
マックマーラー・カバナフも、生まれつき四肢がありませんでしたが、万能の天才でした。
馬術、狩猟、アーチェリー、ヨットに長けたスポーツマンで、書、鍼灸、製図、絵画でも成功しています。
世界的な冒険家で、ヨーロッパはもちろん、アフリカにも足を踏み入れ、インドでは虎狩りまで体験しています。
国会議員を14年務めたほか、7人の父親となっています。
『五体不満足』の著者である乙武広匡も、生まれつき四肢がほとんど欠落していますが、軽い体を利用して軽快に動き回ることができます。
中学ではバスケ部に所属し、ドリブルをマスターして試合にも出場しました。
字を書くこともできます。
「障害は、単なる個人の特徴でしかない」
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チャールズ・ジブルマンには片脚がありませんでしたが、連続168時間の長泳や、ハドソン川を240キロ泳いで下るなどの記録を樹立しました。
トム・デプシーは右脚が膝までしかありませんでしたが、義足でNFLのプレイヤーとして活躍しました。史上最長の、約58メートルのフィールド・ゴールを決めています。
ジョニー・エックは腰から下が成長せず、ほとんど上半身しかありませんでしたが、泳いだり、綱渡りしたりもできました。『フリークス』など、無数の映画に出演しています。数々の楽器を演奏し、オーケストラの指揮者としても有名でした。
ジム・ブルノットは、地雷のために両脚と左腕を失っていますが、後に馬術競技で200を超えるトロフィーを獲得しています。車も運転できるそうです。
マティアス・ブッヒンガーは、肘までしかない腕があるだけで、手も脚もありませんでした。
だが、彼は4カ国語を完全に書くことができ、楽器や銃を操り、マジシャンとしても有名でした。彼の製作した扇は、大英博物館に展示されています。
プレイボーイでもあり、4度結婚して11人の子どもをもうけています。
ニコライ・コベルコフには、生まれつき四肢がありませんでしたが、美しい字を書き、絵を描き、針の穴に糸を通し、飛行機を操縦しました。射撃の腕も、100発100中。大の男を持ち上げる怪力を持ち、脱出芸の名人でもありました。
結婚して11人の子どもをもうけ、映画会社を設立して莫大な富を得ています。
マックマーラー・カバナフも、生まれつき四肢がありませんでしたが、万能の天才でした。
馬術、狩猟、アーチェリー、ヨットに長けたスポーツマンで、書、鍼灸、製図、絵画でも成功しています。
世界的な冒険家で、ヨーロッパはもちろん、アフリカにも足を踏み入れ、インドでは虎狩りまで体験しています。
国会議員を14年務めたほか、7人の父親となっています。
『五体不満足』の著者である乙武広匡も、生まれつき四肢がほとんど欠落していますが、軽い体を利用して軽快に動き回ることができます。
中学ではバスケ部に所属し、ドリブルをマスターして試合にも出場しました。
字を書くこともできます。
「障害は、単なる個人の特徴でしかない」
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犯罪者でもない人物をバッシングするのは控えていただくよう、ゲストの皆さんにお願いいたします。
五体不満足というフレーズが、差別を意図したものではないことは、ご理解願いたいと思います。こういうことを言い出したら、「支那そば」が日本軍の侵略を想起させて苦痛だという話にさえもなりかねません。言葉狩りを始めたらキリがないです。
もちろん、文脈によっては許されませんが。
ひとつだけ言わせていただくと、ハンディを理由にした自殺、抗議のための自殺には、僕は決して賛同できません。自殺は、今まで殺し食らってきた全ての生き物を、あまりにも愚弄しています。
人が、今日まで生きてきた陰には、数限りない命を絶ち、食らってきた現実があるわけです。人の命は、それだけ重いものなのです。人生とは、勝手に放棄していいような、生やさしいものではないのです。
憩いの場の大人の自殺掲示板に、「心の樹海」というタイトルで、ゆうみさんが投稿されています。
五体不満足というタイトルは、経済的に恵まれた著者が使える言葉ではないです。
今でも九州の田舎では、「五体不満足じゃあるまいし、ぐずぐずするな。」というそうです。
方言関係で調べたら、結構ひどい内容として、使われているようです。
外見的な障害が障害だけではなく、誤解招く障害者だって多いです。
大学出ても、公務員の試験も受けず、公務員になりきり、テレビ局で使ってもらって、気に入ったのなら何故他のテレビ局受験しないのか不思議です。
彼より先にこの国には、サリドマイドの薬害で、両手足ともに、付け根からなく、その上両目見えない障害者が、多く生まれています。
四十代の世代の人達です。
重度障害者の多くは、五体不満足の著者のように、経済的に恵まれていないので、施設生活が大半です。
ゆうみさんの心の樹海是非ご一読されたらどうでしょうか。
日本で、大学に行けた重度障害者がどれ位いるのかわかりますか。
就学免除と言って、学校に通学することさえ許してもらえなかった障害者は多いのです。
出版社の前での抗議自殺はね、よほど追い詰められての結果だろうから、第三者が責める資格はないと思います。
私は、ゆうみさんの心の樹海読んでみました。
彼女の人柄に涙しました。世間知らずで、生きてきた人とは厳しさも違えば、愛の深さも違います。
マキトさんとの世代の違いでしょう。私は苦労した障害者をたくさん知っています。だからこそ、障害者達自らのアクションには、エールを送りたいのです。私はゆうみさんには、エールを送りますが、あのタイトルの著者には、冷たい視線です。
私は、横浜よろず研究所の掲示板も読みました。
身体の障害をヒーロー化し、教祖さまにする今の若者世代の満たされないものは、母親の愛情欠如も影響しているのでしょう。おそらくは。
しかし、今でも五体不満足とは、片足不自由でも差別的に言うときに使います。
あの本書いた著者は、経済的に裕福な家庭で育ち、他の障害者を排除して育ってきたではないですか。
マキトさんがいうところの五体不満足という意味と、実際は、どれ程違うのか、考えた事がありますか。
警察官だって、テレビにでない障害者を無能者呼ばわりして、わざと「五体不満足さん、おかわりないですか。」なんて、いう時代です。
言われた障害者の人達の屈辱考えるなら、削除すべきではなかったと思います。
マキトさんは今では使用しないシナそばを引き合いに出して、五体不満足という言葉について、言葉狩りといっても、じゃ、あなたのやった、投稿者の許可なく削除したという行為は、表現の自由を奪ったことになります。
マキトさんのようなことを、マスコミが、やってきたから、障害者達は、自殺して死んで逝ったのです。
あの本の著者と通行人からまで比較された障害者の人達の涙を私は見たのです。
誰だってなりたくてなった障害者ではないのに、他の障害者が哀れです。
ひとりの障害者を、一年に何百回も報じるようだったら、女性週刊誌のように、何百人の障害者の生き方紹介すれば、マキトさんのように、削除する人も出てこなかったと思います。
身体の障害を綺麗事言っている人こそ無責任です。
東京の杉並では、五十代の地域課の男性警察官が、自分の娘くらい年齢が離れている障害者にむかって
「おかあさーん」と言ったり、
生活安全課の男性警察官が、個人的に持っているケータイで、いきなり障害者の顔写真撮ったり、そりゃひどいですって。
何か文句の一つでも言おうものなら、
「てめい、乙武君みたいにテレビぐらい出てみろ。」とか、
「おい、乙武君みたいに大学ぐらい言ってみろ。」とか言われて、とうとう録音テープ残して、自殺図った障害者だっているんですから。一緒にかんがえてみませんか。
そのほかに、愛の手帳、精神障害者手帳とがあり、重複している障害者は、二冊の手帳を保持しているそうです。
したがって、五体不満足の著者は二体障害であり、五体ではないのではないですか。
マキトさんあなたは、物書き好きなら、五体不満足といわれた人達のことも考慮し、配慮して当然ではないですか。
手足なくてもノー天気に生きられるだけの経済的裕福な家庭の障害者が、この日本でどれくらいいるというのですか。
障害者は明るく生きろと、押しつけ、他者との比較をされれば、そりゃ死にたくもなりますよ。
「集団自殺したら、新聞で書いてやる。」といった全国紙の記者まで出てきた以上、安易に身体的表現使うのは、考えものではないでしょうか。
抗議の自殺がいけないなら、三島由紀夫はどうですか。
西郷隆盛の自殺をどう理解しているのですか。
忠臣蔵のことをあなたは、すべて否定するんですか。
相手の立場も理解出来ないあなただったら、今すぐ、このページ閉鎖して、世の中違う視点から考え直す必要があると思います。
ゆうみさんの優しさは、生きる原動力になりました。
外見の障害よりも、置かれた境遇と、経済的なものが、いかに大きいのか改めて知りました。
私は、自殺志願者 憩いの場 大人の自殺掲示板で、検索しました。
また、コメントには極力リンクをはって下さい。2ちゃんみたいにはしたくないので。
乙武氏の体幹部が非常に開発されていることと、ここに寄せられているコメントとは、全然関係ないような気がするんですが。
コベルコフやカバナフについてのコメントもお待ちしています。
杉並区の警察官の事例のように、差別の現状を訴えるコメントは歓迎しますが、自殺を肯定する意見には、当然断固反対です。自殺したら、それこそ差別主義者の思うつぼではないですか?
障害者だって、人間です。ご飯食べたら、出すモン出しています。
ただ、ひとりでお尻拭けるか拭けないかの違いがあったり、お尻を手で拭いて、その臭い団子を手で掴み、口に押し込む事をするかしないかの違いがあるだけです。でも、大きいのですよ。その違いって。
綺麗事ではない世界。それが、障害者達の世界です。
「7月4日に生まれて」という映画で、障害者になったことで、女性を抱けなくなった悲しみを、泣きながら訴えるシーンがありました。見られましたか。
あなたが、今障害者になったら、健常者の時には感じなかった異常なまでの性欲に、自分自身持て余すかもしれません。
ですが、乙武氏のように、生まれつきだったら、男だったら、父親が、皮むきして手伝わない限り、包茎のままなのです。
今から四十五年程前に、薬害から、両肩からない子どもが多く生まれました。その中の一家族の手記の中に、父親が皮剥きしたことが書かれています。
薬害によって、奇形児として生まれて来たばかりに、思春期に入って、自分で皮をむくという作業さえ、親の手で行わざる得ない苦悩が書かれています。
健常者の男だったら、ムズムズは、自分で、しごいてすっきりするでしょうが、手が肩からなかったら、したくてもできないのです。
乙武氏は、腕も肘が曲がり、尺骨は半分あるので、自分で処理ができるかもしれないけれど、できないまま歳とっていく障害者だっているのです。
だから、マキトさんのいうところの障害者の位置づけは、もし、そうならなかったら、落ちこぼれのレッテルを、貼られるしかないという事にもなりかねます。
限られた人間関係しかない障害者達にとっては、他者と比較され、囲の人間が、望んでいる事が出来なかったら、自殺しかないように、追い込まれていく環境があるのです。
どうか、障害者に生きろというなら、他者を引き合いに出すのをやめてください。
外見では同じようでも、全く違う障害者も多いのです。
五体不満足と言っただけで、レイプ体験のある女性障害者達は、フラッシュバック起こすのです。
身体的表現は、歴史的にも、悲しくって苦しい歩みしかないのです。一度、ゆうみさんの心の樹海をお薦め致します。
本文を読めば分かるように、五体不満足という単語を、僕は、本の題名として使用しているわけです。これは、題名が変更されない限り、どうにもならないじゃないですか。『五体×満足』にすればいいというのでしょうか。この本の存在にすら触れるなというのなら、それこそ言論弾圧です。
固有名詞でも使うなというのなら、天才バカボンも、チビ太も、燃えよデブゴンも、ニューヨークヤンキーズも、全部アウトです。「ニューヨーク××××ズ」と書かなければ、いけませんね。
逆に言ったら、過激な用語を用いなくても、そこに他人を傷つける意図があれば、当然アウトです。身障という単語が、蔑称として用いられる場合もあります。外人やという単語が不快だという人もいます。
イチロー選手や松井選手の活躍の陰には、そこまでいけなかった選手が、いくらでもいるわけです。だからといって、彼らの活躍を取り上げることが、その他の選手を責めていることになるでしょうか。
何で、自分と他人を無理矢理比較する必要があるのでしょうか。素質や環境には個人差がありますから、努力が同等でも結果に差が出るのは当然です。杉並区の警官なんかはただのキチガイですから、相手にする価値はないのです。
身障者はもちろんのこと、未成年や高齢者、入院患者らの性やプライバシーは、現代社会が無視し続けている問題です。こういう告発は歓迎します。
老人ホームの中には、異性の入居者がいる隣でオムツを替えられるところもあるといいます。身動きできない入院患者は、大部屋で排泄しなければならないこともザラです。