月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

アレグラと太宰治

2006-02-17 | Weblog
「あのう、去年アレグラをいただいてとても調子がよかったので、またいただきたいと思いまして」
「先週末からスギ花粉が飛散しはじめたんでね、花粉症の方はもう飲み始めたほうがいいですね」
ということで、本年もめでたく花粉症の薬の服用をスタート。
実は二三日前からなんとなーく発症の気配を目鼻咽喉の粘膜が察知しているのである。
吉例というか季節の風物詩というか、そろそろ内田百間先生のおっしゃる「周期的に持病がおこるのはなんとなくおめでたい感じがする」という感覚に近付いてきた。
そんな余裕がかませるのも、アレグラと使い捨てマスクのおかげである。
ありがたいありがたい。

春の薀気のせいか、寝る前に太宰治『晩年』なぞを引っ張り出して読んでしまい、さすが面白いなーうまいなーと感心。
恥ずかしくて身悶えするような部分も含めて、こんなに華やかな言葉のエンターテインメントはちょっとあるものではない。
そういえば太宰治と内田百間、夢の対面まであと一歩だったのをご存知か。
銀座のバー「ルパン」で撮った、太宰の有名な写真があるでしょう。
カウンターの椅子にアグラをかいて、軍隊靴を隣の椅子に乗っけてるやつ。
あれを雑誌で見た百間先生が「これぞ酒の徳を実体化したような姿である」と絶賛していたところ、今度は別の雑誌で「百間先生撫筝の図」グラビアを見た太宰治がこれを絶賛しているとの話が耳に入る。
編集者が間に入って「では近々に一献」と言っているうちに、太宰は玉川上水に飛び込んでしまった。
一報を聞いて「もし一献が実現していたら私の悲痛はより耐えがたいものになったであろう」と百間先生は悲しむのであるが、さて対談が実現していたらどういうことになっただろう。
古狸と若狐がちょろちょろと尻尾をのぞかせあい、ただならぬ気配漂う座談になったであろうにと残念である。