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「日本凡人伝 (死を見つめる仕事)」猪瀬直樹

2007年01月03日 | 読書
実家に、「旅の途中(巡り合った人々)」=筑紫哲也という本があったので、最初の「人と会うのが苦手だった」という章から読みはじめたところ、いきなり、「あっ!」と思い出しました。何を思い出したかというと、ほんと、どうでもいいことですが、去年の出来事トップ5の中に、読書のことを書き忘れていた、ということです。

「日本凡人伝(死を見つめる仕事)」著者=猪瀬直樹は、随分古い本ですが、なかなか面白かったです。中でも私が興味を持ったのは、何人かの死刑囚を見送ったという、元看守さんの話でした。今、私は実家にいて、この本が手元になく、得意の無断引用が出来ないのですが、要するに、この元看守さんは、死刑制度に反対なのです。私には、その反対の理由が興味深かった。

この本からちょっと逸脱しますが、私も死刑制度には反対です。フセイン元大統領であろうと、誰であろうとです。でも、仇討ちは認めたいので、死刑の執行を被害者が行う、という条件なら認めるべきかも、なんて、そんな暴論を空想したりしました。結局私は、自分本位でしか物事を考えることが出来ません。<自分は人殺しをしたくない、だから、死刑制度も認めない>、倫理ではなく、論理にもならない、そんなつまらん個人的願望が主な理由なのです。もしかしたら、私の思考回路はちょっと太田総理に似ているかな、な~んて、そんなこと言ったら太田総理に失礼だね。私には、何がよくて、何がわるいのか、個人的なすき、きらいの感情以上の理屈が、いまだによくわからない。

死刑囚と教誨師の関わり、そして、宗教界と死刑廃止問題の関わりに興味がわきます。宗教にはいろいろな功罪がありますが、これぞ<功>の部分ではないでしょうか。宗教における、個と神仏との関わり、そして例えば、法然と親鸞、親鸞と唯円など、仏を介した個と個のソウルフルな出会い、そこから生まれる<何か>。要するに私は、神仏に興味があるわけではなく、人間の方に興味があるのですな。

「旅の途中」と「日本凡人伝」は、ある意味両極端な本です。片や誰もが知っている人物を論じ、片やあまり知名度のない人物と語り合っている。しかし、たとえそれが凡人のつぶやきであろうと、その言葉が神々しく崇高であったりすることもありますし、むしろ平凡な魂だからこそ、心を打つことがある、ということも、忘れたくないものです。

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