goJapan

ようこそここへ”JapanJapan"ここから新たな歴史が始まる。

2024.03.07(木)足取りは

2024-03-08 03:21:40 | 365日
太平洋戦争で亡くなった忠男伯父の足取りとビアク島での戦いについて、現時点での情報を何とかやっとまとめてみました。伯父が所属した”歩兵第222連隊”は通称で雪第3523部隊と言われ、本県人を主体とし、青森・秋田・山形出身の東北健児並びに全国各地より選ばれた20代を主力とする精鋭部隊だったようです。上級部隊は第36師団で、日中戦争が泥沼化するなかで占領地の警備や治安維持を目的に編成され、中国の河北省や山西省で4年半以上任務にあたっています。その後、南方移動を命じられて絶対国防圏内のビアク島で飛行場の建設と防衛にあたりました。
圧倒的なアメリカ軍の兵力によって、上陸された以後2か月で全滅(玉砕)となり、昭和19年8月にアメリカ軍はビアク島での戦闘終了を宣言。伯父の戦没年月日が終戦間際の昭和20年6月2日になっており、自活によりジャングルを1年近くさまよっていたんでせうかねえ。郷土誌を見ると、同地区から少なくても10人が同日付けの戦没年月日になっている。最初はビアク島の戦い時では生き延びて、その後の自活生活で息絶えたものかと思ったがどうやら違うかもしれない。戦後の捜索等で戦没者はハッキリとした日が分からないので皆、同一の日にされたかもしれませんね。歩兵第222連隊を中心としたビアク支隊の1万3千余人(海軍の飛行場設営隊含む)は、戦後、生存者の捜索を始めて救助できた生存者は86名、敵の捕虜となった者を含めて520名のみだったと。

《今日の血圧》左から高、低、脈拍、計測時刻となります。かっこ書きは先週の高の数値です。
朝:147(149)94 57 4:40 昼:141(138)82 82 13:10 夜:113(139)61 92 19:25

【今日の一枚】歩兵第222連隊の写真です。この中に叔父はいるんでせうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする