最近考えるようになった。それは先が見えてきたから・・・
死に方っていうのは、生き方だといっていた。たしか永なんとかっていう人の「大往生」(岩波新書)の一節だった。過去の人の辞世の句をみると、その時の死に方には、生き方が現れるものだとあった。
今、人生百年時代と言われている。長すぎる余生にどのように向き合い、どう暮らしていけばいいのかという大きな問題に直面している。健康で円満に長生きできればよいのだけれど、誰もがみんな、そのように生きることができるわけではない。人生の最後まで元気に自分らしく好きなことに打ち込むことができる人は限られてくるのではないか。
かっては辞世の句を詠む習慣があり、俳人芭蕉、蕪村はそれぞれ辞世の句を詠んでいる。その中で小林一茶は死ぬべき時は死ぬのがよろしかろうと言い、辞世の句は残していなかったそうだ。辞世の句ではないが唯一残されているのが病気から奇跡的に回復した時に詠んだ句、
・・・「ことしから丸儲けぞよ娑婆遊び」・・・・・
生前、人に言えないようなこと悪いこと、人としてやってはいけないことをいろいろしてきたと言われる一茶であるが、行き難い世の中、不自由なことはあるけれど、命があるだけで十分。「生きているだけで丸儲け」の気持ちで楽しく生きていこうという、以前何とかという芸人が口にしていたと同じような言葉には前向きな気持ちが込められていると感じられる。どんな不幸に見舞われようともめげなかった生き様が、多くの人に生きる力を与えてくれるものなのかなと思わせ、また、一茶が詠んだ句にはありのままの姿で生きることの大切さを表しているのかと考えさせる。
自分はどう死にたいか。このことについて普段考えることはあまりない。でも、残りの生きられる時間は有限だということを普段からもっと意識していたなら、最後に生まれてきてよかった。生きてきてよかったと思いながら死ぬことができるなら、それが幸せなのかな。
頭の体操
一筆書きの4本の直線で9つの点を結ぶ
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
解答は次回
死に方っていうのは、生き方だといっていた。たしか永なんとかっていう人の「大往生」(岩波新書)の一節だった。過去の人の辞世の句をみると、その時の死に方には、生き方が現れるものだとあった。
今、人生百年時代と言われている。長すぎる余生にどのように向き合い、どう暮らしていけばいいのかという大きな問題に直面している。健康で円満に長生きできればよいのだけれど、誰もがみんな、そのように生きることができるわけではない。人生の最後まで元気に自分らしく好きなことに打ち込むことができる人は限られてくるのではないか。
かっては辞世の句を詠む習慣があり、俳人芭蕉、蕪村はそれぞれ辞世の句を詠んでいる。その中で小林一茶は死ぬべき時は死ぬのがよろしかろうと言い、辞世の句は残していなかったそうだ。辞世の句ではないが唯一残されているのが病気から奇跡的に回復した時に詠んだ句、
・・・「ことしから丸儲けぞよ娑婆遊び」・・・・・
生前、人に言えないようなこと悪いこと、人としてやってはいけないことをいろいろしてきたと言われる一茶であるが、行き難い世の中、不自由なことはあるけれど、命があるだけで十分。「生きているだけで丸儲け」の気持ちで楽しく生きていこうという、以前何とかという芸人が口にしていたと同じような言葉には前向きな気持ちが込められていると感じられる。どんな不幸に見舞われようともめげなかった生き様が、多くの人に生きる力を与えてくれるものなのかなと思わせ、また、一茶が詠んだ句にはありのままの姿で生きることの大切さを表しているのかと考えさせる。
自分はどう死にたいか。このことについて普段考えることはあまりない。でも、残りの生きられる時間は有限だということを普段からもっと意識していたなら、最後に生まれてきてよかった。生きてきてよかったと思いながら死ぬことができるなら、それが幸せなのかな。
頭の体操
一筆書きの4本の直線で9つの点を結ぶ
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解答は次回