****************************
中に入ると底冷えがするコンクリートの床。5つに区切られた部屋に、それぞれ10数匹の犬が居た。飼い主に捨てられたり、迷子になったりした犬が収容され、殺処分される施設。自治体によって「動物愛護センター」、「動物指導センター」等と呼ばれている。
部屋の壁は可動式になっている。一番手前の部屋は前日に収容された犬。その一つ奥が前々日に収容された犬。一営業日毎に壁が動き、犬達は徐々に奥へと追い遣られて行く。
どの犬も愛想が良い。人影が見えると、尻尾を振って寄って来る。御座りをしてジッと見詰めて来る柴犬や、後ろ脚ですくっと立ち上がり、ちんちんのポーズをする垂れ耳の雑種も居た。殆どが首輪をしている。職員はこう説明する。「飼い主が迎えに来てくれたと思うんでしょう。喜んで寄って来るんです。」
一番奥、5番目の部屋にはこの日、13匹の犬が居た。午前8時半頃、この部屋の壁も動き始める。犬達はガタガタ震え、キャンキャンと悲鳴の様な鳴き声が上がる。
追い込まれた先に、もう部屋は無い。鈍く銀色に光る箱。蓋が閉まり、数分間、二酸化炭素が注入される。約30分後、蓋が開き、箱が傾くと、窒息死した13匹の犬が滑り落ちて来た。そして、ゴトリと音を立て、焼却炉に放り込まれていった。
****************************
AERA(12月8日号)に「犬ビジネスの『闇』」という記事が載っており、上の文章はその冒頭に記された、或る殺処分施設の様子だ。この様な光景は毎日、全国で繰り返されている。環境省の調べによると2006年度、全国の地方自治体に収容された犬は14万2,110匹で、その内11万2,690匹が新しい飼い主が見付からず、殺処分されたと言う。即ち、単純計算で1日に308匹以上の犬が殺処分された事になる。
先ず断っておきたいのだが、自分は殺処分に関わっている施設及びその職員達を非難する気は全く無い。彼等が好んで犬を殺処分している訳では無く、生かして上げたいのに、それが叶わない現実に苦悩しているで在ろうからだ。勿論、殺処分される犬達が悪い訳でも無い。止むに止まれぬ理由が在るならば未だしも、理不尽な理由で飼い犬をこの施設に送り込んだ飼い主が悪いのは言う迄も無い。
以前、「殺処分施設に飼い犬(子犬)を持ち込んだ母親と職員の遣り取り」がTV番組で放送されていた。自分は見ていなかったのだが、実際に見ていた家人の話では怒りを通り越し、唖然とするしかない母親の言い分。「言う事を聞かないで、吠える犬が悪い。飼っていた犬が殺される事で子供達は命の大切さを知るだろうし、情操教育だと思っている。」と。又、元記事の中で、殺処分施設にコーギーを持ち込んだ60歳代の男性の話が紹介されている。元々この犬は彼の息子が飼っていたのだが、海外転勤に伴い彼が面倒を見る事に。しかし「噛み癖が在って飼えない。」という事で、殺処分を決めたと言う。「犬が悪い事をしたんだから、罰を受けて当然だろう。」と主張する彼に、職員は「噛んで良いと教えてしまったのは、貴方の息子ではないか。息子の失敗を、何故この犬が命を懸けて償わなければいけないのですか?」と問い返している。この母親や父親は自分が犬の立場で在ったとしても、同じ様に「仕方無い事。」と受け止められるのだろうか?
悪いのは、身勝手な飼い主だけでは無い。元記事では「犬の流通システム」にも問題が在るとしている。「一つは流通過程での遺棄や病気を放置する等の虐待。もう一つは、早くに親元から離される事で起きる問題行動と、その為に飼い主に捨てられる問題です。」と。生後8週齢頃迄は犬としての生活を身に付ける社会化期だが、それ以前に親兄弟から引き離されて売られてしまう子犬が少なくなく、それが故に吠えたり噛み付いたりという問題行動を起し易くなってしまう。「小さい方が可愛いという事で、売れ易くなる。」という売り手側の思いが、「飼い難いから捨てる。」という飼い主を多く生み出しているとも言える。大量に繁殖させて、病気や怪我、障害の在る子犬を「“商品”にならない。」という理由から殺処分施設に持ち込む売り主も居ると聞く。犬達は玩具で無い。1匹1匹が命を持つ生き物だという事を頭から抜け落ちてしまった人々が、売り主にも飼い主にも増えてしまったのか。
2007年度、熊本市が飼い主等から引き取った犬は僅か52匹で、10年前の10分の1迄減った。迷子犬等の保護を合わせても総収容頭数は610匹で、殺処分された犬は78匹。収容中に病死した犬も含めた殺処分率は16.9%迄低下したとか。これ程迄に殺処分される犬が減ったのは、「窓口で声を荒げてでも説得し、捨てようとする飼い主に翻意して貰う。」という行政側の強い姿勢が在った。「本来、市の窓口は市民に嫌な思いをさせてはいけないのですが、犬を捨てに来た人には、嫌な思いをして貰おうと決めました。」という熊本市動物愛護センター所長の言葉が印象的だ。上記した60歳代の男性との遣り取りは、この施設で行われた。
身勝手な飼い主により不幸な目に遭う犬を、何とか救えないものか?犬を飼っている自分も、これ迄その対策を色々思い浮べて来た。「売り主が犬を販売する際、1匹に付き幾らかを買い主から別途徴収し、それを地方自治体に払い込む。プールされた金銭は、捨てられた犬の救済に使用する。」という仕組みの法制化もその一つだが、これだと生類憐れみの令施行時の“御犬様騒動”の様な事になってしまいそうな気もする。もっと言えば、「そういう制度が在るなら、安心して捨てられる。」という不心得者が増える可能性も。
行政も売り主も、その意識が良い方向に少しずつ変わって来ている様だ。そうなると、飼い主の側も変わって行かなければいけない。犬を飼う事で考えられるマイナス要素を、しっかり頭で理解する。そして「今」だけでは無く、犬の寿命を考えて「十数年後」にも、金銭面や体力面でも飼い続けていられるかどうかも想像しないといけない。飼い主のモラル向上も、必要不可欠なのは言う迄も無い。
中に入ると底冷えがするコンクリートの床。5つに区切られた部屋に、それぞれ10数匹の犬が居た。飼い主に捨てられたり、迷子になったりした犬が収容され、殺処分される施設。自治体によって「動物愛護センター」、「動物指導センター」等と呼ばれている。
部屋の壁は可動式になっている。一番手前の部屋は前日に収容された犬。その一つ奥が前々日に収容された犬。一営業日毎に壁が動き、犬達は徐々に奥へと追い遣られて行く。
どの犬も愛想が良い。人影が見えると、尻尾を振って寄って来る。御座りをしてジッと見詰めて来る柴犬や、後ろ脚ですくっと立ち上がり、ちんちんのポーズをする垂れ耳の雑種も居た。殆どが首輪をしている。職員はこう説明する。「飼い主が迎えに来てくれたと思うんでしょう。喜んで寄って来るんです。」
一番奥、5番目の部屋にはこの日、13匹の犬が居た。午前8時半頃、この部屋の壁も動き始める。犬達はガタガタ震え、キャンキャンと悲鳴の様な鳴き声が上がる。
追い込まれた先に、もう部屋は無い。鈍く銀色に光る箱。蓋が閉まり、数分間、二酸化炭素が注入される。約30分後、蓋が開き、箱が傾くと、窒息死した13匹の犬が滑り落ちて来た。そして、ゴトリと音を立て、焼却炉に放り込まれていった。
****************************
AERA(12月8日号)に「犬ビジネスの『闇』」という記事が載っており、上の文章はその冒頭に記された、或る殺処分施設の様子だ。この様な光景は毎日、全国で繰り返されている。環境省の調べによると2006年度、全国の地方自治体に収容された犬は14万2,110匹で、その内11万2,690匹が新しい飼い主が見付からず、殺処分されたと言う。即ち、単純計算で1日に308匹以上の犬が殺処分された事になる。
先ず断っておきたいのだが、自分は殺処分に関わっている施設及びその職員達を非難する気は全く無い。彼等が好んで犬を殺処分している訳では無く、生かして上げたいのに、それが叶わない現実に苦悩しているで在ろうからだ。勿論、殺処分される犬達が悪い訳でも無い。止むに止まれぬ理由が在るならば未だしも、理不尽な理由で飼い犬をこの施設に送り込んだ飼い主が悪いのは言う迄も無い。
以前、「殺処分施設に飼い犬(子犬)を持ち込んだ母親と職員の遣り取り」がTV番組で放送されていた。自分は見ていなかったのだが、実際に見ていた家人の話では怒りを通り越し、唖然とするしかない母親の言い分。「言う事を聞かないで、吠える犬が悪い。飼っていた犬が殺される事で子供達は命の大切さを知るだろうし、情操教育だと思っている。」と。又、元記事の中で、殺処分施設にコーギーを持ち込んだ60歳代の男性の話が紹介されている。元々この犬は彼の息子が飼っていたのだが、海外転勤に伴い彼が面倒を見る事に。しかし「噛み癖が在って飼えない。」という事で、殺処分を決めたと言う。「犬が悪い事をしたんだから、罰を受けて当然だろう。」と主張する彼に、職員は「噛んで良いと教えてしまったのは、貴方の息子ではないか。息子の失敗を、何故この犬が命を懸けて償わなければいけないのですか?」と問い返している。この母親や父親は自分が犬の立場で在ったとしても、同じ様に「仕方無い事。」と受け止められるのだろうか?
悪いのは、身勝手な飼い主だけでは無い。元記事では「犬の流通システム」にも問題が在るとしている。「一つは流通過程での遺棄や病気を放置する等の虐待。もう一つは、早くに親元から離される事で起きる問題行動と、その為に飼い主に捨てられる問題です。」と。生後8週齢頃迄は犬としての生活を身に付ける社会化期だが、それ以前に親兄弟から引き離されて売られてしまう子犬が少なくなく、それが故に吠えたり噛み付いたりという問題行動を起し易くなってしまう。「小さい方が可愛いという事で、売れ易くなる。」という売り手側の思いが、「飼い難いから捨てる。」という飼い主を多く生み出しているとも言える。大量に繁殖させて、病気や怪我、障害の在る子犬を「“商品”にならない。」という理由から殺処分施設に持ち込む売り主も居ると聞く。犬達は玩具で無い。1匹1匹が命を持つ生き物だという事を頭から抜け落ちてしまった人々が、売り主にも飼い主にも増えてしまったのか。
2007年度、熊本市が飼い主等から引き取った犬は僅か52匹で、10年前の10分の1迄減った。迷子犬等の保護を合わせても総収容頭数は610匹で、殺処分された犬は78匹。収容中に病死した犬も含めた殺処分率は16.9%迄低下したとか。これ程迄に殺処分される犬が減ったのは、「窓口で声を荒げてでも説得し、捨てようとする飼い主に翻意して貰う。」という行政側の強い姿勢が在った。「本来、市の窓口は市民に嫌な思いをさせてはいけないのですが、犬を捨てに来た人には、嫌な思いをして貰おうと決めました。」という熊本市動物愛護センター所長の言葉が印象的だ。上記した60歳代の男性との遣り取りは、この施設で行われた。
身勝手な飼い主により不幸な目に遭う犬を、何とか救えないものか?犬を飼っている自分も、これ迄その対策を色々思い浮べて来た。「売り主が犬を販売する際、1匹に付き幾らかを買い主から別途徴収し、それを地方自治体に払い込む。プールされた金銭は、捨てられた犬の救済に使用する。」という仕組みの法制化もその一つだが、これだと生類憐れみの令施行時の“御犬様騒動”の様な事になってしまいそうな気もする。もっと言えば、「そういう制度が在るなら、安心して捨てられる。」という不心得者が増える可能性も。
行政も売り主も、その意識が良い方向に少しずつ変わって来ている様だ。そうなると、飼い主の側も変わって行かなければいけない。犬を飼う事で考えられるマイナス要素を、しっかり頭で理解する。そして「今」だけでは無く、犬の寿命を考えて「十数年後」にも、金銭面や体力面でも飼い続けていられるかどうかも想像しないといけない。飼い主のモラル向上も、必要不可欠なのは言う迄も無い。
家族と思わないでペットと思って飼っている飼い主がいるからこのような悲劇が繰り返されている。流行なくなったらポイって輩もいますしね。
最後の最後まできちんと見守ってやれって思うんですよね。
あとガス室は苦しまずに安楽死と勘違いしている人もいます。苦しんで苦しんで死んでいくんです。
しかしこの現状をどうしたら・・・法で縛るのか・・・何もできない。本当に無念でなりません。
元厚生事務次官を殺害した小泉毅。弁護する気は毛頭なく、絶対に許されざる男だが、こういう記事を読むと、愛犬を殺された悲しみを持つ彼のいうことも分からないでもない。
はたして、これに出てくる、母親や60男と、小泉とどう違うのでしょう。「命」というものに対する、愛おしいという気持ちだけを考えれば、小泉とどう違うのでしょう。
もしも自分がそうなったらどんなに辛く悲しいか。
今年は動物にまつわる身近なできごとがありましたので(迷い犬の飼主探しと、うさぎフォーラム)特に思いを強くしました。とにかく、「虹の橋」を渡れるお子達の命が一つでも多いことを祈るです。
ペットも高齢化してるので、その辺よく考えてかぞくにむかえいれることが大事です。
動物をペットとして飼っていない方からすると、「ペットとして飼っている時点で、虐待と同じ。」と言われてしまうのかもしれませんが、飼う以上は出来る限り動物に負担が掛らない形にすべきだと思っています。売る側も買う側も、きちんとしている人は少なからず居る筈。でも同様に、それこそ動物達を“使い捨ての物”として捉えている様な不心得者が、やはり少なからず居るのも事実。
又、最初はきちんと飼う意思が在ったとしても、時の経過と共に思いが変わってしまう事も在るのでしょうね。記事でも書いた様に、「今」だけでは無く「将来」をも見据えて、「果たして自分は飼い続けられるのだろうか?」という事をしっかり自問自答した上で、飼う決断をして欲しいです。
対象が動物だけに、法でどれだけ厳しく取り締まった所で、結局は「闇で葬る」形が増えてしまうだけの様にも思います。やはり「飼い主のマナー&モラル向上を如何に図るか」が大事なんでしょうね。
ネコも飼えるようですが、ネコは家具を引っかくなどから嫌われる。
若い人たちが皆そうとは思わないが
数日前のニュースでネコにえさをやる人を近所の人が訴えたというニュースありましたが、昔はもっと寛容でしたよ、春になってネコがやかましくても、「ああしょうがない」と思っていた。でも今の人は(結構な高齢の方でも)敵視し、「殺してしまえ」とのたまう。なんて余裕のない世の中。全てはこれに集約されませんか、「余裕がない」「不寛容」
>言う事を聞かないで、吠える犬が悪い。飼っていた犬が殺される事で子供達は命の大切さを知るだろうし、情操教育だと思っている。」
>犬が悪い事をしたんだから、罰を受けて当然だろう
この男女、殺すことはないにせよ、家族や周囲の人にもこういう接し方をしている人なのではなかろうか。さぞ子育て終了後、退職後は孤独になりましょうネ、と思う次第。
そういえば小泉某は犬を殺させた父親とは何十年も連絡を絶っていた由。父親は随分な対価を払わされたわけです。殺さずに知っている人で帰る人に預ければ、あんなことは起こらなかったかもしれないんですから(ただ本当に小泉某の単独犯?ということは未だに疑問なんですが)。
子供は見てますからネ、「あ、お母さんは自分の考えを押し付けたいだけでガミガミ言ってる」「あ、世間体のためなら子供の気持ちなんてどうでもいい人なんだ、あ、そうですかそうですか」と。
実際に処分されてしまう犬を少なくするには職員さんによる水際の説得が効果があるんですね。飼い主のモラルも大切ですがやはり即効で効果があるのなら職員さんたちには頑張って欲しいです。
聞いたことがあります。
飼い主になるためには審査があります。
その上飼い犬税的なお金を払わねばなりません。
そして日本と一番違うのは
「犬を売買する」ビジネスが無いことです。
このことによって
「きちんと犬を飼える人間」しか
犬を飼えません。
日本が一気にここに行くことは無理でしょうが
せめて「携帯電話を取り替えるが如く」
犬を捨てる輩が出ないような仕組みを
考えて欲しいものです・・・
野良猫や鳩に餌を遣る行為に関して、地域住民が対立する話は良く見聞しますが、正直に言えばどっちの立場も理解出来るんです。御腹を空かせている動物が目の前に居たら、「何か食べさせて上げたい。」と自分も思うだろうなと。と同時に、庭にされた野良猫の糞に嘗て悩まされた事が在りますし、呼吸器系に問題を抱えた人にとっては鳩の糞は恐怖の対象だろうし。結局は、生態系を崩してしまった人間に起因してしまうんでしょうね。
自分も「件の父親や母親が、家族に対してどういう接し方をしているのだろうか?」というのが気になります。特に「殺処分=情操教育」と言い放った母親は、子供が言う事を聞かなかったり、成績が上がらなかったりしたら、平然と子育てを放棄しそうな怖さを感じます。もしかしたら彼女自身も、そういった愛の無い家庭に育ったのかなあと思ったりも。
殺処分を免れ、tak様の御宅で天寿を全う出来た猫は、本当に幸せだと思います。我が家では老犬と呼ばれる範疇の犬を飼っているのですが、もし次に飼うとしたら、殺処分施設から犬を貰おうかと。我が家で1匹引き取った所で、大勢に全く影響が無いのは判っていますが、何の罪も無いのに命を奪われて行こうとしている犬が居ると思うと、せめて1匹だけでも・・・と思ってしまう。
毎日の様に、犬を殺処分しなければならない職員。その精神的な苦痛は想像に難く在りません。飼い主の気持ちを翻意させるのにも、かなりのプレッシャーが要される事でしょうが、本当に頑張って欲しいです。
欧州に於けるペットの立場が日本と比べて格段に高いという話は聞いておりましたが、改めて調べてみました所、思っていた以上でした。こちら(http://www.asahi-kasei.co.jp/hebel/pet/kenkyu/report/report5.html)に詳細が記されていますが、ドイツの民法では「動物は物では無い。」と宣言する規定が盛り込まれているそうで、動物を殺害しても「器“物”損壊」で済まされてしまう国とはえらい違いですね。(ドイツでもペット・ショップは存在している様ですが、その営業にはかなり細かな“縛り”が在る様です。)
過度に法で縛ってしまうのもどうかと思うのですが、少なくとも「動物が使い捨てされている一面の在る我が国」は問題かと。