ザ・ドリフターズ笑いを見て育った自分故、ハナ肇とクレージーキャッツの全盛期を知らない。再放送等でグループとしての活動を見聞してはいるが、リアル・タイムで言えば「新春かくし芸大会」等でメンバー個々が出演しているのを見たのが殆ど。唯、所謂“喜劇映画”が好きなので、森繁久彌氏の「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」と並んで、「無責任シリーズ」や「日本一の男シリーズ」等のクレージーキャッツ作品も見捲っている。クレージーキャッツが居なかったならば、その影響を受けたザ・ドリフターズが居なかったかもしれないし、延いては今の御笑いの世界も全く違っていた様に思う。それだけ凄いグループだったのは確かだ。
個性的なメンバーの中でも、自分は植木等氏が好きだった。「銭の無い奴ぁ俺んとこへ来い 俺も無いけど心配するな♪」(「だまって俺について来い」)に代表される様なC調ソングをあっからかんと歌ったり、飄々とした演技を見せたかと思えば、一転してシリアスな役を演じるという芸の幅広さ。そして何よりも、対談番組等から垣間見られる彼の人間性に惚れたと言っても良い。
そんな彼の評伝が「植木等伝 『わかっちゃいるけど、やめられない!』」。著者の戸井十月氏が植木氏にインタビューし、昨年の「週刊ポスト」(1月26日号~11月23日号)で連載されていた内容を上梓した物。植木氏は昨年3月に亡くなられたので、このラスト・インタビューにて彼の生誕からその死迄が纏め上げられた作品と言える。この連載が楽しみでちょくちょく読んではいたのだが、数回読み逃してしまっていたので、今回単行本化されたのを機会に手に取ってみた。
植木氏がこの世に生を受けたのは1926年12月25日の事。イエス・キリストと同じ誕生日というのも然る事乍ら、“この年のこの日”は大正天皇が崩御した日というのが驚き。つまり「大正時代の最後の日」で在り、同時に「昭和時代の最初の日」に“稀代の芸人”・植木等は生まれたのだ。そしてもっと凄いのが、「彼の実際の生年と戸籍上のそれとの間に2年のズレが在る。」という事。
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「親父がね、僕の出生届けを弟に頼んだの。なのに、その保之助って叔父さんが、暮れの忙しさに感けて届けをうっかり忘れちゃった。正月になって親父が、“おい、今度生まれたの、あれ届けといてくれたか?”って聞くと、“あ、いけねえ、忘れてた。”って。それで直ぐに届けるなら未だしも、それから二ヶ月位放ったらかし。で、やっと届けを出したのが2月25日。好い加減なんだね、二人とも。」
植木が生まれた日に大正天皇が死んだから、翌日から昭和元年になった。しかし、昭和元年は31日迄の6日間しかなく、年が明けたら昭和2年。斯くして、植木の実際の生年と戸籍上のそれとの間に2年のズレが生じてしまった。
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後の“C調男”を暗示する様な話で在る。だが実際の植木氏は、C調とは正反対の極めて生真面目な人間というのが面白い。酒を嗜む事も無ければ、奥さんと結婚する迄童貞だったそうだ。彼の生真面目さは父・徹之助(後に徹誠と改名。)の影響が大きい。若い頃にキリスト教の洗礼を受けて神の下僕になったのにも拘わらず、やがて僧籍に入り住職となった徹之助。遊び人にして妻にしばしば手を上げる様な一面を持ちつつ、労働運動や解放運動等、弱者の為に走り回って幾度となく検束され拷問を受けても、決して筋を曲げなかった男でも在る。そんな父を「支離滅裂な男。」として反面教師にしつつも、その実は深く愛していたりする植木氏。この父子の微妙な関係は、非常に興味深い物が在る。
個性的なメンバーの中でも、自分は植木等氏が好きだった。「銭の無い奴ぁ俺んとこへ来い 俺も無いけど心配するな♪」(「だまって俺について来い」)に代表される様なC調ソングをあっからかんと歌ったり、飄々とした演技を見せたかと思えば、一転してシリアスな役を演じるという芸の幅広さ。そして何よりも、対談番組等から垣間見られる彼の人間性に惚れたと言っても良い。
そんな彼の評伝が「植木等伝 『わかっちゃいるけど、やめられない!』」。著者の戸井十月氏が植木氏にインタビューし、昨年の「週刊ポスト」(1月26日号~11月23日号)で連載されていた内容を上梓した物。植木氏は昨年3月に亡くなられたので、このラスト・インタビューにて彼の生誕からその死迄が纏め上げられた作品と言える。この連載が楽しみでちょくちょく読んではいたのだが、数回読み逃してしまっていたので、今回単行本化されたのを機会に手に取ってみた。
植木氏がこの世に生を受けたのは1926年12月25日の事。イエス・キリストと同じ誕生日というのも然る事乍ら、“この年のこの日”は大正天皇が崩御した日というのが驚き。つまり「大正時代の最後の日」で在り、同時に「昭和時代の最初の日」に“稀代の芸人”・植木等は生まれたのだ。そしてもっと凄いのが、「彼の実際の生年と戸籍上のそれとの間に2年のズレが在る。」という事。
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「親父がね、僕の出生届けを弟に頼んだの。なのに、その保之助って叔父さんが、暮れの忙しさに感けて届けをうっかり忘れちゃった。正月になって親父が、“おい、今度生まれたの、あれ届けといてくれたか?”って聞くと、“あ、いけねえ、忘れてた。”って。それで直ぐに届けるなら未だしも、それから二ヶ月位放ったらかし。で、やっと届けを出したのが2月25日。好い加減なんだね、二人とも。」
植木が生まれた日に大正天皇が死んだから、翌日から昭和元年になった。しかし、昭和元年は31日迄の6日間しかなく、年が明けたら昭和2年。斯くして、植木の実際の生年と戸籍上のそれとの間に2年のズレが生じてしまった。
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後の“C調男”を暗示する様な話で在る。だが実際の植木氏は、C調とは正反対の極めて生真面目な人間というのが面白い。酒を嗜む事も無ければ、奥さんと結婚する迄童貞だったそうだ。彼の生真面目さは父・徹之助(後に徹誠と改名。)の影響が大きい。若い頃にキリスト教の洗礼を受けて神の下僕になったのにも拘わらず、やがて僧籍に入り住職となった徹之助。遊び人にして妻にしばしば手を上げる様な一面を持ちつつ、労働運動や解放運動等、弱者の為に走り回って幾度となく検束され拷問を受けても、決して筋を曲げなかった男でも在る。そんな父を「支離滅裂な男。」として反面教師にしつつも、その実は深く愛していたりする植木氏。この父子の微妙な関係は、非常に興味深い物が在る。