先日の「ワールドビジネスサテライト」で、食品サンプルの歴史&現状を取り上げていた。ここ10数年程で韓国や中国にも広がった食品サンプルだが、基本的には日本独自の存在なのだとか。普段は空気の様に在って当たり前の物として捉えているのだが、実は非常に日本的な風景を構成し、且つ食文化に於いて重要な意味合いを持っている物だった訳だ。興味を惹かれたので、「眼で食べる日本人」なる本を読んでみた。
著者の野瀬泰申氏はこの本の前書きで面白い事を書いている。食品サンプルが定着している日本では、「食べる」という行為以前に、既に「見る」という行為が存在しており、つまり日本人は料理を眼で「食べた」後に、口と胃で「食べて」いると。観念的な食事行動が在って、肉体的な食事がそれを追い駆けていると言え、これは極めて特異な食べ方と言えるのではないかとしている。確かにそういった面は在る様に思う。
野瀬氏の調査では、食品サンプルの原点は次の様になるのではないかとしている。
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① 日本で最初に食品サンプルに相当する「料理模型」を製作したのは、京都の西尾惣次郎氏と思われ、その製作年代は大正6年に迄遡る。
② 系統的な「飲食物見本」を陳列し、今日のサンプルケースの源流になったのは、大正12年11月1日にオープンした白木屋日本橋本店仮店舗の食堂で、同時に生まれた食券制度と併用され、混雑解消(それ迄は、文字で書かれた料理の名前を頭で想像し、それから注文していた為時間を要した。)と売り上げ増に大きく貢献した。この時の飲食物見本の製作者は須藤勉氏。
③ 当初のサンプルは、植物や病理模型を作る蝋細工の技術を基礎としていた。
④ 「食品模型」の製作と同時に、組織的販売を最初から意図&実行したのは岩崎瀧三氏で在り、今日、食品サンプルが一定の産業規模を確立する基礎を築いた。
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先ず意外だったのは、これだけ世の中に普及している食品サンプルで在るのに、その供給元で在るサンプルメーカーの業界団体すら無く、従って全国のメーカー数や市場規模、従業員数等が皆目判らないという事。そんな状況なので、過去の文献も殆ど無いに等しく、著者も資料集めにかなり苦慮した様だ。
初期の食品サンプルは、実際に食材を寒天に入れて冷める迄待ち、固まった所を食材だけ抜き取って型枠とする。その中に湯煎して溶かしたパラフィン(蝋燭の原料。融点は45~65度。)を流し込んで固め、そのパラフィン部分を取り出した物が食品サンプルとして供されていたのだとか。(現在はプラスチックが、主材料として使われているそうだ。)
岩崎瀧三氏の場合、貧しかった幼少時に電気代滞納で電気を止められてしまい、蝋燭生活を余儀無くされたそうなのだが、伝い落ちる溶けた蝋を指で掬い、剥がしてみると自身の指紋がクッキリと写し取られていた経験が、蝋を活用した食品サンプル製作展開の根底に在ったという。閃きの材料は、日常生活の中にゴロゴロ落ちているという典型かもしれない。
当時も今も、食品サンプルは販売ではなく、貸し付けが主流という事なのだが、岩崎氏は1ヶ月の貸し付け料を本物(の食べ物)の10倍に設定して売り込んだという。例えば10銭のうどんなら1円で貸し付けるという事で、そのセールス・トークは「毎日、今迄の様に本物のうどんを店頭に飾るのでは、1ヶ月で30杯が無駄になる。10杯分の料金で模型を置けば、20杯分が浮きますよ。」というものだったとか。
又、関西から東京のデパートの食堂に食品サンプルを売り込みに行った際、「偽物を置くなんて、御客様への裏切りになる。」と断られた話等、これ迄知らなかった食品サンプルの裏側が伺えて面白い内容だった。
著者の野瀬泰申氏はこの本の前書きで面白い事を書いている。食品サンプルが定着している日本では、「食べる」という行為以前に、既に「見る」という行為が存在しており、つまり日本人は料理を眼で「食べた」後に、口と胃で「食べて」いると。観念的な食事行動が在って、肉体的な食事がそれを追い駆けていると言え、これは極めて特異な食べ方と言えるのではないかとしている。確かにそういった面は在る様に思う。
野瀬氏の調査では、食品サンプルの原点は次の様になるのではないかとしている。
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① 日本で最初に食品サンプルに相当する「料理模型」を製作したのは、京都の西尾惣次郎氏と思われ、その製作年代は大正6年に迄遡る。
② 系統的な「飲食物見本」を陳列し、今日のサンプルケースの源流になったのは、大正12年11月1日にオープンした白木屋日本橋本店仮店舗の食堂で、同時に生まれた食券制度と併用され、混雑解消(それ迄は、文字で書かれた料理の名前を頭で想像し、それから注文していた為時間を要した。)と売り上げ増に大きく貢献した。この時の飲食物見本の製作者は須藤勉氏。
③ 当初のサンプルは、植物や病理模型を作る蝋細工の技術を基礎としていた。
④ 「食品模型」の製作と同時に、組織的販売を最初から意図&実行したのは岩崎瀧三氏で在り、今日、食品サンプルが一定の産業規模を確立する基礎を築いた。
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先ず意外だったのは、これだけ世の中に普及している食品サンプルで在るのに、その供給元で在るサンプルメーカーの業界団体すら無く、従って全国のメーカー数や市場規模、従業員数等が皆目判らないという事。そんな状況なので、過去の文献も殆ど無いに等しく、著者も資料集めにかなり苦慮した様だ。
初期の食品サンプルは、実際に食材を寒天に入れて冷める迄待ち、固まった所を食材だけ抜き取って型枠とする。その中に湯煎して溶かしたパラフィン(蝋燭の原料。融点は45~65度。)を流し込んで固め、そのパラフィン部分を取り出した物が食品サンプルとして供されていたのだとか。(現在はプラスチックが、主材料として使われているそうだ。)
岩崎瀧三氏の場合、貧しかった幼少時に電気代滞納で電気を止められてしまい、蝋燭生活を余儀無くされたそうなのだが、伝い落ちる溶けた蝋を指で掬い、剥がしてみると自身の指紋がクッキリと写し取られていた経験が、蝋を活用した食品サンプル製作展開の根底に在ったという。閃きの材料は、日常生活の中にゴロゴロ落ちているという典型かもしれない。
当時も今も、食品サンプルは販売ではなく、貸し付けが主流という事なのだが、岩崎氏は1ヶ月の貸し付け料を本物(の食べ物)の10倍に設定して売り込んだという。例えば10銭のうどんなら1円で貸し付けるという事で、そのセールス・トークは「毎日、今迄の様に本物のうどんを店頭に飾るのでは、1ヶ月で30杯が無駄になる。10杯分の料金で模型を置けば、20杯分が浮きますよ。」というものだったとか。
又、関西から東京のデパートの食堂に食品サンプルを売り込みに行った際、「偽物を置くなんて、御客様への裏切りになる。」と断られた話等、これ迄知らなかった食品サンプルの裏側が伺えて面白い内容だった。
この記事、読んでいて、なんかワン子を思いだしました。
ワン子は鼻で味わうのでしゅ。
実はワン子はあんまり味がわからないらしいのでしゅ。
それでもエサを持っていくと、お鼻を「ペロっ」と舐めるのは「いっぱい匂いを感じるじょぉ~!」なんて思っている訳でしゅ。
ホント、美味しいモノは全身で味わいたいモノでしゅねん!(笑)
どんな料理にしろまずはじめににおいもそうだけど見た目のきれいさから入っていくんじゃないですかね?
写真のメニューも結構こだわって作っていますからね(^^)。
でも思ったけど、目で食べ過ぎると特に温かいものなんかさめちゃうので、俺は目で食べるったらものの数十秒ですね(^^;。
最近はグルメネタでデジカメで収めてから食べていますがね・・・。
ご存知かと思いますが、グルメ専用のブログもだしています。
なんだかラーメンが多いですが・・・(^^;。
よかったら見てやってくださいね(^^)。
http://hm-gourmet.seesaa.net/
ちなみに人間でも目隠しして鼻を摘んだらオレンジジュースとリンゴジュースの区別が出来なくなるんだとか?
あとネ、人間の表情もしっかり見てるから、飼い主サンの様子で「このエサ、古いかも?」なんて考えてる時がありましゅねん。
ワン子とオシャベリできたらペットショップも楽なお仕事なんだけどニャ(笑)
自ブログは放置のままで、
1年ぶりにGooのブログをひらき、GIANTS-55さんのに会いたく、書き込みにこさせていただきました。
いくつか並ぶ表\題の中でまず、目に入ったのがこの『食』についての情報でした。
食欲は三大欲求の一つであり、『美の欲求』と言うそうで、確かに、見栄えのいいもののほうがおいしそうにぁたしも感じます。
ひさびさに来訪させていただいたのでゆっくり、じっくりブログを閲覧させてもらいます。
今、麗菜は日記だけを書いています。
(http://ip.tosp.co.jp/NIki/Tospi400.asp?I=panorama1&P=0)←これがURLです。
麗菜のブログ続けていいものか、悩んでいます。
一番、可愛がってくださったgiants-55さんに助言をいただけたらなんて、勝手な事を書いてみたりしてみました。
(麗菜なんて、忘れてるかもですね)
麗菜様の事を忘れてなんかいないですよ^^。実を言えば、麗菜様のブログの更新がストップして以降も、何度か「更新されていないのかなあ?」と覗きに行かせて貰っています。(つい1ヶ月位前にも覗かせて貰ったんですよ。)
麗菜様のブログ、個人的には好きなんで是非続けて貰いたいです。正直、扱われているテーマが、人によっては受け容れられないとする場合も在るとは思います。でも、自分の知らなかった世界を、それも麗菜様が真摯な御気持ちで書き連ねているあのブログの更新がストップしてしまったのは、自分にとっては非常に残念だったものですから。
他者の目を意識する事無く、自己満足な記事に徹する位の気楽な気持ちで、思い付いた時に書くといったスタンスで続けられては如何でしょうか?
何はともあれ、久方振りに覗いて下さった事、深謝に堪えません。