気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く その19 「おでぃば山です!!」

2013年12月02日 | 大洗巡礼記

 大貫地区をほぼ一周する形で回った後は、永町商店街へ移動して、昨日見られなかったキャラクターパネルを順に見る事にしました。喉も渇いてきたので、16番の酒店兼喫茶店「ヴィンテージクラブ ムライ」へ寄って紅茶を頂くことにしました。


 玄関先には、聖グロリアーナ女学院チームのオレンジペコが居ました。ダージリンの搭乗する戦車の装填手を務める一年生で、口数は少ないがしっかり者で紅茶を入れるのが上手です。常にダージリンに付き添っており、共に大洗女子学園の試合を観戦しました。出身は神奈川県横浜市、好きな花はオレンジバラ、好きな戦車はクルセイダーです。


 店内のカウンターに案内され、紅茶を注文しました。室内を見回すと、玄関の横に妙なものが置いてあるのに気付きました。「これは旧日本軍の九六式軽機関銃じゃありませんか?」と尋ねると、店の主人が「よく御存知ですね。息子が趣味で作ったものなんですよ」と答えてきました。自作のモデルガン、というのにも驚きましたが、実物と見紛うほどの精巧さにも驚かされました。
 実は私は、20代から30代の頃に数度、太平洋戦争の戦跡巡拝および遺骨収集事業に参加して太平洋各地の戦跡を回ったことがあるんですよ。その際に、赤錆びたり、朽ち果てたりした九六式軽機関銃の実物を幾つも見ているのです。そのことを話すと、店の主人や奥さんは「いい活動をされて来られたのですね」と言いました。

 その後、大洗へ来た理由を尋ねられて、「ガルパンの聖地巡礼もあるんですが、第一の目的は有賀神社の御磯下りの巡行を拝むことでした」と答えたところ、主人が俄かに多弁になって、有賀祭のことを色々教えてくれました。やはり大洗磯前神社の重要な祭事だけあって、大洗の人々はみんな有賀祭に関しても篤い信仰心を抱いておられます。
 そして有賀祭の由来を「有賀の神様が、一年に一度、大洗磯前の神様と逢引をなさる、ってわけですよ」と説明して下さったのですが、他のお店の方と話した際には「大洗磯前神社の神と有賀神社の神は兄弟だから、一年に一度は必ず会う」という内容だったのです。
 ところが、大洗磯前神社の由緒書では、御磯下りの行事に関して「有賀さん(有賀神社)は大洗さま(大洗磯前神社)の側室の娘さんで、気立てがよく一年に一度、親孝行のためにおみやげをたんと持って大洗に里帰りしてくる」とあります。
 水戸の友人は、有賀神社の氏子だけあって、「有賀神は、大洗磯前神の娘さんだよ」と正確に理解していましたが、大洗町の人々においては、人ごとに有賀祭への理解がまちまちのようでした。日本人って、あまり宗教関係に深い知識をもとうとしないまま、とにかく有り難がってお参りを熱心にやる傾向がありますね・・・。


 会話がはずんで、長居をしてしまいました。慌てて支払いを済ませると、レシートと共に名刺も頂きました。
 次はどちらへ行かれるのですか、と尋ねられたので、「おでぃば山に行こうと思っています」と答えました。「ああ、うちの裏の山ですよ」と言い、わざわざ外に出て道を細かく教えて下さいました。御礼を言って自転車に戻ると、「途中に階段があるし、細い山道だから自転車ではちょっと無理ですよ。ここに置いといて結構ですので」と言われました。有難い御配慮に感激し、お言葉に甘えさせていただきました。


 教えられた通りに宅地の中の路地を北へ進み、左折して石段を登り、細い山道を50メートルほど歩くと、左手に古墳の姿が見えました。「常陸鏡塚」の別名を持つ、日下ヶ塚古墳です。4世紀代に造られた前方後円墳で、全長は約96メートル、高さは約11メートル、前方後円墳としては茨城県内有数の規模とされます。墳丘の周りに周溝がめぐりますが、現状では判りづらいです。昭和24年8月に埋葬施設の発掘調査が行われ、粘土郭や木棺が検出され、壮年の人骨や青銅鏡、石製模造品など、総数4000点以上にのぼる副葬品が発見されています。茨城県の史跡に指定されています。
 この日下ヶ塚古墳の北に車塚古墳があり、また日下ヶ塚古墳の前方部を水戸藩が海防施設に転用した磯浜海防陣屋の遺構もあり、これらがある高台一帯を、地元では「おでぃば山」と呼んでいます。江戸時代には「御台場山」と表記していましたから、もとは「おだいばやま」と呼んだのが訛った結果が「おでぃば山」の呼称だと分かります。
 上画像は、日下ヶ塚古墳の後円部頂上にある石碑です。


 日下ヶ塚古墳の後方部は、幕末に水戸藩が平らに均して海防施設に転用しています。磯浜海防陣屋といい、三段の平坦面が周囲に高い切岸を回している形で遺構が今も残っています。一般的に「おでぃば山」といえば、この磯浜海防陣屋の跡地一帯を指しているそうです。
 劇中の第4話では、ウサギさんチームの六人が高台の木に登って、西住みほたちの奮戦ぶりを遠望するシーンがあるのですが、その高台というのが「おでぃば山」に当たるとされています。公式設定資料などでは明確にされていないのですが、劇中のシーンや景色を見る限り、「おでぃば山」以外に候補地が見当たらないのです。ガルパンファンの間では、すでに「おでぃば山」は劇中の舞台の一つだ、という認識が定着しているようですので、私も興味を持って登ってみたわけです。


 現地に行ってみてびっくりしたのは、劇中にてウサギさんチームの六人が登っていた高台の木と、非常によく似た姿の木があることです。劇中のシーンの画像を持参していたので、他の木も全て見比べてチェックしたのてすが、やはり上画像の木が最も似ていました。木まで実在のものをそのまま写し取ったアニメなのか、と驚かされました。
 ですが、この木には、私はとても登れません。かなり高さがあるので、梯子が無いと高校生でも無理じゃないかと思います。劇中では、一番最初に登って、左に張り出した枝に腰かけているのが丸山紗希なんですね。無口だけど、行動は素早いみたいで、笑ってしまいますね・・・。
 そんなこんなで、「おでぃば山」もなかなか楽しい所でした。大洗町の街区や鹿島灘を見渡せる眺望の良い場所でもありますので、巡礼中の休憩スポットとしても最適だと思います。


 「おでぃば山」から下山して「ヴィンテージクラブ ムライ」に戻り、自転車を置かせて貰った御礼を言って、次の29番の茶店「国井屋」に移動しました。ここでもメニューに紅茶セットがありますが、次の楽しみにとっておきました。
 このお店の販売グッズの一つ、「茶ーちる歩兵煎茶」がガルパンファンに人気だと聞きました。「チャーチル歩兵戦車」に因んだネーミングが楽しいです。こういうノリノリ感が、ここ大洗では幾らでも発揮されていますね・・・。


 店先には、聖グロリアーナ女学院チームのアッサムが居ました。縦ロールの髪とリボンが特徴で、ダージリン同様ジョークを好むそうですが、劇中では全く台詞がありませんでした。 ダージリンの搭乗する戦車の砲手を務める三年生で、出身は神奈川県横浜市、好きな花はミニバラ、好きな戦車はチャレンジャーです。


 「国井屋」の隣に、28番の八百屋「石福」があります。ここの御主人とは、昨日の御神体巡行見学の直前に23番の「加藤豆腐店」でお会いしています。今日は、店先で忙しく立ち回っておられましたが、私を見て「ああ、昨日の」と話しかけてきたので、一度しか会っていない観光客の顔をよく覚えておられるなあ、と感心しました。お客の顔を絶対に忘れない、生粋の商売人とはこうでなくてはいけませんね・・・。
 店内には、カメさんチームの河嶋桃が居ました。生徒会の広報を務める三年生で、練習の指揮や作戦の立案などを行い、全国大会の試合では副隊長として西住みほを補佐しました。チームでは砲手および装填手を担当し、通信手も兼ねていましたが、角谷杏が砲手に就いてからは装填手に徹しました。出身は茨城県水戸市、好きな花はガーベラ、好きな戦車はティーガーⅡです。


 御主人が「関西のお人かね」と聞いてきたので、そうですと答えたら、「話し方ですぐ分かるもんな」と笑っていました。「ガルパンコーナーもあるよ、ゆっくり見て行ってくれ」と言いながら、上画像の名刺も下さいました。「周りがいろいろ名刺作って配ってるからな、ウチでも始めたよ」と話されたところをみると、これはガルパンキャラ名刺のなかで最も新しいもののようです。私が事前に調べておいた14種のキャラ名刺リストにもありませんでしたから、15番目の「磯辺典子」に続く16番目の名刺ということになります。
 この調子で、さらに増えていくのでしょうかね・・・。 (続く)

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