大洗磯前神社の建築は、細部に江戸期らしい意匠が施されて見ごたえがあります。多くの参拝客はもとより、ガルパン巡礼の方々もそれらの意匠の面白さには気付かぬまま、境内を回ってゆきます。
例えば、木鼻に彫り物を表した、いわゆる木鼻彫刻が、徳川氏関連社寺建築の特徴的な意匠の一つです。特に水戸藩は儒教的思想をベースにして有職故実を重んじた気風を作り上げていましたので、社寺建築に神道や仏教のいろいろなモチーフを散りばめることによって古代以来の日本の精神世界を表現してこれを尊ぶ傾向があったとされています。
なので、拝殿や幣門の木鼻彫刻は、大変に見事な作域に達しており、日光東照宮の彩色彫刻群に決してひけをとらないものです。上画像は波濤と海岸の松を彫り表したものですが、意外なほどに精緻で巧妙です。
幣門の木鼻彫刻の一つです。大きくうねる波の間に躍動する、魚の動きの一瞬が、狙い定めたように捉えられた彫り物です。尾鰭を曲げて今まさに跳ね上がらんとする瞬間が分かりやすく表現されています。
同じ幣門の別の木鼻彫刻においては、魚が大きく伸びて水流のなかを駈けてゆく姿が生き生きと捉えられています。
こちらは幣門の蛙股部分ですが、建築構造材としての姿は完全に装飾化された状態に転じており、松の木の下にたたずむ兎の親子が彫り表されています。親兎に正面を向かせ、子兎に横を向かせることで、兎の姿を二つの角度から分かりやすく示すという「遊び心」さえ織り込まれています。こういう彫り物を作るあたりに、作者の並々ならぬ技量と余裕がうかがえます。
これも幣門の木鼻彫刻の一つです。木鼻彫刻は多くが動物系ですが、植物形も幾つかあります。上画像は竹を表現しており、幹の節も明快に彫り表されています。植物形の木鼻彫刻は花や松を表すものが多いので、竹というのは珍しいかもしれません。
幣門前の広場では、禰宜さんたちが朝の清掃のお勤めに励んでおられました。
境内一帯は松林に囲まれています。沿岸地域では防風林もしくは防波林としての役目も果たした松ですので、その松に囲まれた大洗磯前神社が海神としてのルーツを留めつつも、地域の守り神になったのは当然の成り行きだったでしょう。
境内からは、鹿島灘の輝く海原が望まれました。私は海の無い奈良県に長く住んでいましたので、神社から海が見えるという状態がたまらなく新鮮で素晴らしいものに思えて仕方がありません。だから、ずっと眺めていても飽きませんでした。西日本では、神社から海が見えると言うケースは、大三島の大山祇神社、宮島の厳島神社、丹後の宇良神社、出雲の日御碕神社、美保関の美保神社、加太の淡嶋神社などが印象に残っています。
境内の東側には桃の木が並んでいました。赤い、桜に似た花が満開の時を見せて鮮やかな彩りを放っていました。
桃の花は、青空によく似合うので、桜よりも桃の方を好んで花景色を撮影される方も少なくないそうです。三人ほどの写真趣味の方らしき方が三脚を構えてカメラを操っているのを見かけました。
で、私も一枚撮りました。奈良大和路の季節の花を、25年以上にわたって撮影していたのですが、花をうまく写すのは本当に難しくてなかなか上手に出来ません。自然を心から愛でる気持ちが無いと、花が美しい素顔をなかなか見せてくれないのです。
神社駐車場の中央に島のように残された神域に行きました。神社の案内図では「烏帽子岩」とある場所です。
これが「烏帽子岩」と呼ばれる岩です。自然崇拝の名残りを伝える磐座(いわくら)の一種ですが、一夜のうちに海岸から移動してここに落ち着いたという伝承があります。海の磐座をここに勧請したものかもしれません。
「烏帽子岩」の近くの覆屋の中には、神社に奉納された沢山の錨が並べられていました。海上安全の神様でもある大洗磯前神社なので、地元の漁師たちの信仰もあつく、御用を終えた船の錨が沢山奉納されてきたのでしょう。
珍しかったのは上画像の捕鯨銃でした。日本の捕鯨が盛んだった時代に、捕鯨船の舳先に据えられた捕鯨用の銛発射器の一種です。今では捕鯨も禁止同然になってしまいましたが、私が子供の頃は、鯨の肉はごく普通に食卓に出ていましたね・・・。 (続く)