気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く9 その1 「鹿島臨海鉄道です!!」

2014年09月22日 | 大洗巡礼記
 2014年8月19日、水戸の友人U氏に誘われて東京に行き、東京国立博物館、根津美術館などを回り、ついでに中野のナムコビルのキャラポップストアへ寄ったり、五反田の人気食事処で食べたりしました。
 最初は、この東京見物だけで終わりにするつもりだったのですが、事前の調整連絡にて、私の有給休暇が22日までの4日間であることを知ったU氏が、「このままウチに遊びに来なよ、美和も喜ぶし」ともちかけてきたのでした。美和、というのはU氏の奥さんの名前で、U氏と同じく、京都造形芸術大学にて共に学んだ同期生の一人です。大洗の南隣の鉾田のご出身で、以前に大洗の蕎麦屋として人気ナンバーワンの「武山」を紹介してもらったことがあります。

「うーん、どうしようかな。その休暇中に呉とか広とかへ行こうかな、と思ってるんやけどな・・・」
「なに呉?広? ・・・ほほう、どっちも帝国海軍ゆかりの地じゃないか。星野もそろそろ本来の帝国海軍マニアに戻りつつあるのか」
「戻りつつあるんじゃない、ずっと心にはいつも旭日旗がたなびいておるよ・・・」
「これは失礼、そうだったな、昔から「駆逐艦の男」と呼ばれてるんだったな。艦隊これくしょんにも興味はあるのか?」
「いや・・・、そっちはちょっと・・・」
「だろうな、軍艦を擬人化して美少女にしてしまう飛躍ぶりには、俺だって違和感を覚えるぞ・・・。まあそんなことはどうでもいい、東京まで来るんなら、休暇を生かしてウチまで来たらいい。大洗へは毎月行ってるんだろ?だから、君はそうするべきだ。な?」
「・・・勝手に決めないでくれんか・・・」
「いや、俺の勝手で言ってるんじゃない。君がいつも行く、行きたい、とか言いながら全然行ってない所があるじゃないか。そこへ行くためにも大洗行きは必須だな」
「全然行ってない所、ってどこやねん。大洗はだいたい回ってるよ」
「なんだ、もう忘れたのかね。鹿島神宮への参拝は絶対やると言ってたのに」
「えっ、鹿島神宮・・・」

 思わず額を右手でたたいてしまいました。そうだった、鹿島神宮への参詣をまだやってなかったんだ、とようやく気付きました。呉や広の地名がいっぺんに霞んでゆきました。


 かくして8月も大洗行きを、鹿島神宮参拝をメインとして楽しむことになりました。19日は水戸市内原のU氏の自宅に泊めていただき、翌朝は出勤するU氏の車でJR水戸駅まで送って貰いました。そのまま鹿島臨海鉄道のホームへと移動し、8時21分発の鹿島神宮行きの列車に乗りました。


 今回も切符を撮影しました。切符ははじめて見る縦長のタイプでした。一方の終点である鹿島神宮までの全線を乗るのは今回が初めてだったので、いつもとは違う新鮮なワクワク感がありました。大洗へ行く形だけでは、鹿島臨海鉄道の全線を体験出来ないのですね・・・。
 しかし、1570円って高いなあ、と思いました。所要時間が約一時間なので、それぐらいの運賃になるのかな、と考え直しました。


 車内にある広告の一つは、常澄駅付近の田んぼアートの案内でした。前月に見かけた「みとちゃん」のやつだな、と気付きました。これは6月の田植え直後からの姿を見ているので、今回はどこまで成長しているかな、と窓の外を眺めました。


 なかなか立派に形が決まっています。まさしく「田んぼアート」ですね。これをやろうという発想と行動力、そして稲苗をここまで育ててきた努力に敬意を表します。見る者を楽しませようという、おもてなしの気持ちが溢れていますね。
 こういう取り組みが、見物客を呼んで一つの人気スポットを生み出してゆくわけですが、これの積み重ねが地域起こし、町起こしの原動力にも繋がるのではないかと思います。


 窓に広がる農地の青い稲穂の海を眺めました。今年の夏は蒸し暑いとか酷暑だとかいう感じがあんまりしなくて、涼しい日が続きました。冷夏ということになるのでしょうが、稲の育ち具合にも何らかの影響があるのかもしれません。


 大洗町域に近づいたので、反対側の窓を見ると、ちょうど堀川の船溜りの向こうにマリンタワーが見えました。堀川の船溜りの形状は、一見すると運河の痕跡のようにも見えてしまいますが、こちらは当初から涸沼川域の船溜りとして掘削され整備されていたことが、明治期の古地図や資料からもうかがえます。
 昔はもっと奥まで堀が入り込んでいたのですが、徐々に埋め立てられて、現在は約三分の一ぐらいの長さになっているそうです。


 大洗駅を発車して間もなく、右手の窓に、以前に訪ねた「ウツギ崎砦跡」の丘が見えました。神社周辺の荒廃ぶりは相変わらずのようですが、その上の丘も木がさらに伐採されていて、丘上の平坦地の形が分かるようになっていました。その平坦地が「ウツギ崎砦跡」の曲輪跡の一つであろうと思われます。
 いずれは境内地を中心にして丘全体を綺麗に整備するのでしょうか。そうなれば、戦国期の城砦遺跡にも今よりは楽に行けるようになるのかもしれません。大洗町の中心街に接する中世戦国期の城砦遺跡としては唯一の貴重な存在であるだけに、その周知や保存がもっと図られるべきだろうと思います。


 大洗の次の停車駅は涸沼駅でした。何気なくホームの景色を見ていて、屋根の下にウサギさんチームの六人のパネルが並んでいるのを見つけました。びっくりすると同時に、そうだ「ガルパン駅なかかくれんば」は大洗駅だけじゃなくて鹿島臨海鉄道の五ヵ所の駅で実施しているんだった、と思い出しました。
 ですが、停車時間が30秒にも満たないので、ホームに降りて写真を、というわけにはいきませんでした。全ての駅のキャラクターパネルを見つけるだけでも大変そうなので、撮影するのは無理かもしれないな、と感じました。

 その予想通り、次の鹿島旭駅ではカメさんチームの小山柚子しか視認出来ず、その次の徳宿駅では、発車後になってから反対側のホームの屋根下にカバさんチームの四人のパネルが並んでいるのをやっと見つけたにとどまりました。


 新鉾田駅では、アヒルさんチームの近藤妙子のパネルだけをなんとか撮影出来ました。あとの三人のパネルが見当たらないので、ホームの反対側についているのではないか、と考えました。降りて確認する暇も無かったのは、言うまでもありませんでした。帰りの列車で大洗へ戻る時にもう一度探すことにしよう、と決めました。


 「ガルパン駅なかかくれんば」は、大洗から新鉾田までの五ヵ所の駅に、大洗女子学園チーム初期の五チームつまりあんこう、ウサギ、カメ、カバ、アヒルの各チームのキャラクターパネルを配置するという企画です。なので、新鉾田を過ぎれば、あとはのんびりと車窓の景色を眺めるだけです。
 そのうちに北浦の細長い水面が伸びてきて、幅広の川のように望まれました。


 北浦湖畔、大洋と過ぎて、次に鹿島灘駅に停まりました。鹿島灘というと海のそれを連想しますが、同名の駅も存在するのですね。


 終点の鹿島神宮駅に着きました。これはJR東日本の駅なので、設備の規模や雰囲気が全然違います。鹿島臨海鉄道は、鹿島サッカースタジアム駅から鹿島神宮駅までの区間においてJR鹿島線に乗り入れる形で運行しています。


 水戸から乗ってきた列車は、大洗駅で後ろの一両を切り離し、あとは一両のみで走ってきました。水戸で乗ったのとは反対側の昇降口から下車しましたが、その後で初めて、車体に常総大学の案内ロゴがラッピングされているのを知りました。ラッピング車に乗るんなら、ガルパンラッピング車輌のほうに乗ってみたいですね・・・。


 鹿島神宮駅です。施設の規模は大きいですが、構内に売店や店舗などが見当たらず、ガランとした雰囲気がただよっていました。


 駅の周囲にはロータリーもあって広々とした空間が確保されています。東京駅八重洲口から20分ぐらいおきに運行される高速バス「かしま号」もここの停留所が終点となっています。東京から大洗へ行くコースの一つとして、「かしま号」と鹿島臨海鉄道を乗り継ぐコースがありますが、所要時間が約三時間ぐらいなので、上野経由で常磐線の特急を利用した方が早く大洗に行けます。


 駅から鹿島神宮参道へ通じる坂道の途中には、「剣聖塚原卜伝生誕之地」なる区画があり、大きな立て看板が目立っています。戦国期の剣術家または兵法家として著名な塚原卜伝は、ここの出身です。鹿島神宮の神官で、常陸大掾氏の一族に連なる鹿島氏の四家老の一人である卜部氏の子として常陸国鹿島に生まれました。父の卜部覚賢は、同時期史料では吉川覚賢とも書かれており、在地領主としての色彩も帯びていたようです。その屋敷跡がこのあたりにあったということです。


 立て看板の立つ一角は公園となっていて、中央には塚原卜伝の銅像が立っています。この歴史人物のことは、ずっと昔に戸部新十郎さんの「日本剣豪譚 戦国編」(光文社文庫)で読んで大体のイメージを掴んでいましたが、どことなく茫洋とした雰囲気があり、強烈かつリアルなイメージのある上泉信綱や柳生宗厳に比べると、あんまり人物像がはっきりしない、というのが私の正直な感想でした。
 ですが、こうして生誕の地に立ってみますと、不思議なもので、この歴史人物が身近に生きて剣の技を模索した経緯までもが生々しく感じられてきました。歴史を学ぶ上で、もっとも大切なのは現場へ行くことですが、その通りだな、と改めて思いました。 (続く)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大洗の水浜電車の廃線跡 | トップ | ガルパンの聖地 ・ 大洗を行... »
最新の画像もっと見る

大洗巡礼記」カテゴリの最新記事