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髭釜道祖神社に行きました。祭礼の準備中なので、拝殿の扉は全て開け放たれてありました。
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正面から見ました。拝殿の奥に本殿の祠が見えました。本殿は覆屋におおわれているので、普段の状態で横や斜め前から観ても様子がよく分からなかったのですが、拝殿越しに拝むとその建物の外観の一部が看取出来ました。
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拝殿の内部です。お供え物はすでに並べて置かれ、幕も最近の真新しいものになっていますが、上の左右に懸けてある額の社名が左読みで書かれてあり、古くからの歴史を感じさせました。
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道祖神社の辻から北に進み、県道へ出てエコスに行きました。かつての水浜鉄道の磯浜停留所のあった場所です。「江口又進堂」で書いていただいた略図を見ると、建物の東側の駐車場の回りにレールが柵みたいな感じで残されている、ということでした。
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そこで、建物の東側の駐車場へ回ってみました。柵みたいな感じ、というので、レールが柵のように何本も並んで居る姿を想像していたのですが、それらしきものは見当たりませんでした。駐車場を仕切るトラロープの支柱が数メートルおきに立っているだけでした。
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近寄って見ると、その支柱の断面がレールの形をしていました。これか、と思って観察しましたが、レールにしては風化磨滅がほとんどみられず、真新しい鋼材を使っているような感じがありました。江口さんに聞いたところでは、水浜鉄道は戦前から走っていて、列車はいまでいう市電タイプであったそうです。
似たような電車が奈良県内でも幾つか走っていて、それらもいまは廃線となって各所に痕跡を残すのみですが、レールなどは少し小さく、風化磨滅や錆も多くていかにも歴史を経てきた遺物という感がありました。そういう感覚が、こちらの支柱の材には微塵も感じられませんでした。妙だな、と思いました。
考えてみれば、鉄道が廃線となった場合、レールなどの鋼材は他に転用すべく撤去し、再利用にたえない不良品のみが僅かに残されるというのが普通です。エコスの駐車場の境界線に並ぶレール状の鋼材は、どれもしっかりした立派な形をしているうえに、使用痕のようなものが見当たらないのでした。それで、本物のレールの残欠が他の所にあるのではないか、と考えて付近を少し探索してみました。
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駐車場から西には、かつての線路跡が車道に転じて残されています。奥にそびえる大木の手前で右にカーブし、さきほど見てきた大貫の停留所跡、つまり「お好み焼き 道」や「金子屋薬局」の横に続いているわけです。
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エコスの駐車場は、西側が買い物客用であるようで広くとってあります。その西にも線路跡が道路に転じて痕跡をとどめていました。両脇の側溝も残っているので、こちらの方が廃線跡の雰囲気が濃厚でした。その上を歩いて探しても、本物のレールの残欠らしきものは見当たりませんでした。江口さんの略図では、付近の民家の敷地内に遺構がある、ということになっていますが、その辺りには夏草が茂っていて、状況がよく分かりませんでした。
それで向かいの「榎澤輪業商会」に立ち寄って顔なじみの店主さんに挨拶し、廃線跡のことを聞いてみました。さすがに当時の様子は鮮明に覚えておられて、線路の位置や磯浜停留所の様子などを語って下さいました。その痕跡というか、レールなどの遺物はどこかに残っていますか、と訊ねたところ、「そういうものが残ってるっていうのは聞いたこと無いねえ、エコスが出来る前は停留所の石敷きみたいなのが少し残ってたんだが、工事でいっぺん地面を掘り返して均してるからね。レールだって全部外して持っていってるんじゃないかねえ」と首をかしげつつ答えてきました。
そんなわけで、廃線跡のミニ探索は、確たる遺物を見い出し得ないままに終了となりました。
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若見屋交差点を経て永町商店街に戻り、「タグチ」の前を通りました。すると付近に停まっていた車から「あっ、ちょっと、星野さん」といきなり声を掛けられました。びっくりして振り返ると、外回り中の江口さんでした。
「行ってきた?廃線跡」
「ええ、先ほどまでエコスに居ました。いただきました略図のおかげで位置がよく分かりました」
「駐車場の柵みたいなの、見た?」
「ええ、見ましたけど、あれはどうも・・・」
「それなのよ、あれ違うんだって。ちょっと本田さんに聞いてみたら、あれは最近のH型鋼材で、レールみたいな形だけど、水浜鉄道とは何の関係も無いんだって」
「・・・やっぱりそうでしたか・・・」
「あっ、違うっていうのは分かったの?」
「古い鉄道のレールにありがちな磨滅というか、使用痕が見当たらなかったので・・・」
「あー、そういうふうに見たわけかあ、やっぱり分かる方には分かるもんだねえ」
江口さんとは、初めてガルパン巡礼に行った昨年秋の機会からずっと歴史談義を展開し、私が文化財学や美術史や戦国史などを勉強した経緯を話してありますので、向こうも私がただの歴史ファンでないことは知っています。大洗町の歴史資料や教育委員会の資料類を色々と分けて下さいますし、遺跡や文化財の位置や見方などを丁寧に教えて下さいます。水浜鉄道の廃線跡に関しても色々と教示をいただきましたが、廃線跡の遺構遺物調査はまだ継続中のところがあるということで、完全な解明にはまだ至っていないところがあるということでした。
「こっちもまだ色々調べないといけないところが多いんだ、廃線跡に関しては」
「走っていた頃をご存知なのであれば、探索も難しくないのではありませんか?」
「それがそうでもないんだよねえ、もうずいぶん昔のことになってるから、記憶がはっきりしなくなっちゃってるし、大洗の街もけっこう変化してるしね」
確かに、どこの街にも変化というものは必ずあります。地元の方からみれば、大洗も急速な変化を経ているのでしょう。
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江口さんと別れて、そのまま歩いて「ヴィンテージクラブムライ」の前を通り過ぎました。ガルパンタクシーの一台が停まっていました。ボコ熊デザインの車でした。
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「たかはし」に再び立ち寄ると、店のお姉さんが私を認めて笑顔で会釈し、あちらに、と奥のボードを指し示してきました。見上げると、下段に私の寄贈した7個の缶バッジセットが並べてありました。隣には「いそや」の宿泊特典缶バッジ2種類が並んでいました。
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「鳥孝」の前を通りました。店主さんが私を認めて手招きしてきたので、つられるようにして店先のテーブルに落ち着き、その際に先々月から頼まれていたガルパン一番くじのA賞のフラッグを寄贈させていただきました。「おおー、これだよこれ、もうどこにも無いから諦めかけてたんだ」と大喜びの店主さんでした。奥さんも「やっと持ってきてくれたねえ」と拍手してくれました。
「で、これは店内に飾るおつもりなんですか?」
「そうよ、天井から吊るすとかさ、ここの壁とかに貼るとかさ。うーんそうだ、こっちの窓に貼ってもいいね」
「窓に貼ると、缶バッジのときみたいに日が当たって褪色しますよ」
「おお、そうだそうだった、窓は駄目だねえ、そしたらどこがいいかな?星野さんはどこがいいと思う?」
「外からも見えるような、店内の高い位置がいいんじゃないですかね。土日に店先で焼き鳥とかされると聞きましたけど、そのときの煙とかがなるべく当たらない位置で、お店の作業スペースからも離れた位置・・・、ですかね」
「そうだな、じゃああそこの天井から吊るすかな」
「吊るしてもいいですが、風があるとあおられますから、なるべく四方を画鋲とかで固定して大きく見せた方がいいかもしれません」
「そうだな、そうしようか、早速夕方に貼るから、その時にまた見に来てくれよ」
「えっ、私も見に行くんですか?」
「そりゃ見るべきだろ?だってこれ、星野さんがくれたフラッグなんだよ、貼った状態をまず星野さんに見てもらわなきゃ話にならんだろうよ」
「分かりました、じゃあ夕方にまた寄らせていただきますんで」
「おう」
というわけで、「鳥孝」には夕方に再び行くことになりました。夕食を食べに出かける際に立ち寄ることにしました。
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「江口又進堂」の店先に飾られていたボコ熊です。江口さんはまだ戻っていませんでした。
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「ブロンズ」さんに立ち寄ってジュースをいただきました。女将さんが、さきに寄贈した自作缶バッジを取り出してきて、貼る順番とかあるの、と聞いてきました。セットごとに並べていただければ結構ですよ、と応えておきました。いちおう写真に撮っておきましたが、対戦校校章のセット、カメさんチームのセット、アンツィオ校戦車チームのセット、の三つでした。「今晩のうちにどこかへ貼りますんで、明日見にきて下さいね」と言われました。
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ジュースを飲みながら寄せ書きノートをめくって見ていたら、以前に描いた私のイラストが出てきました。5月に訪れた際のもので、ああこれも描いたなあ、と思い出しました。描いた際の記録写真を撮っていなかったので、今回改めて撮っておきました。 (続く)