五日目の朝は8時過ぎに起床、9時過ぎに宿を出発し、近くの「丸五水産」に寄って土産の干し芋を購入しました。模型サークル仲間や職場の同僚に配る分が22個、アンドー氏のリクエストが5個でしたので、計27個でした。
朝食として、「ブリアン」でガルパン1個を買い、榎澤輪業商会さんに自転車を返却し、大洗駅へ移動しました。
インフォメーションコーナーで見かけた、中上育実さん直筆の秋山優花里イラストです。声優さんならばでの感性でキャラクターの特徴をよく捉えています。
戦車プラモデルの寄贈品展示も色々と入れ替わっているようです。数も減っているので、あちこちへ移されていったのでしょうか。
さて、最終日のこの日は、水戸に移動して上図のポスターの特別展示を観る予定でした。茨城県内の国宝や重文が一堂に会するという、20年に一度の大型特別展示です。歴史が好きな身として、これを見逃すわけには参りません。今回の大洗行きのタイミングは、これに合わせたものでもありました。
ホームに上がると、見慣れないピカピカの車輌が停まっていました。試運転の表示が出ているので、これが噂の新型車輌か、と気付きました。
ボディカラーのデザインも、従来の車輌とは違って一新されています。江口又進堂のマダムが話していた、鹿島臨海鉄道の新型車輌です。
駅名表示板と合わせて撮ってみました。
そこうしているうちに、向かいのホームには鹿島神宮行きのガルパンラッピング車輌がやってきました。やたらに活字が目立つので、遠くからでも3号車と分かります。
10時17分発の水戸行き列車に乗り込み、大洗を後にしました。久々に四泊という長期滞在を楽しみましたので、満足感のみがありました。
水戸駅からすぐバスに乗って茨城歴史館へ急ぎました。この日は14時頃の特急で帰途につく予定でしたので、時間が貴重でした。
なので、敷地内の上図の建物も、内部を見学するのは止めておきました。
歴史館の入口前のベンチで待っていたU氏夫妻と合流しました。
「水戸の。美和さん、お待たせしましたか」
「いや、こっちも来たばかりだ」
U氏と握手を交わすと、横から奥さんが言いました。
「一昨日はどうも有難うございました。あの後も色々と考えてみたんですけど、やっぱり星野さんの言ってることが客観的でまっすぐだというのは、改めてよく分かりました。私のは、考え方がやっぱり偏っているんですよね」
「そんなことはない。偏っていても良いんです。御先祖を敬い偲び、その哀しい歴史に感情を合わせることは決して間違いでは無いのです。歴史的な隔たりというものを、明確に解釈した上で、あれが悪いこれが悪い、佐竹氏が悪い、というような安直な善悪論に落ち込まなければ、それでいいと思います」
「そう、ですか・・・」
「烟田氏の哀しい末路は、史実でありますから、御子孫の美和さんがそれを追いかけて学んで論文にまとめるプロセスは必要なことであった筈です。普通ならば顧みられずに消え去る歴史が多いですから、その一コマを明確に記録して残すだけでも、先祖への立派な供養になりましょう。美和さんがいつも流している心の涙は、決して無駄では無いと思っております」
「有り難うございます」
横でU氏が目礼してきました。
それから三人で、重厚かつ多彩な文化財の数々を揃えた特別展示に臨み、優雅な歴史的空間に一時間余り浸りました。展示品の大部分で色々と質疑応答もやりましたから、普通の見学所要時間とされている30分ではとても足りませんでした。
三人それぞれに歴史を満喫して、色々話しながら12時過ぎに水戸駅に戻りました。14時27分発の列車に乗る予定でしたので、それまでどこかで昼食のランチを楽しもうか、と相談していると、奥さんが「駅構内の放送がなんか言ってるよ、常磐線が運行中止だとか言ってるよ」と注意を促してきました。
そこで、切符売場へ行ってみると、既に切符払い戻しの長蛇の列が出来ていて、列車運行案内表示でも、常磐線が品川までの全線で運行中止になっている旨がアナウンスされていました。まだ切符も買っていなかったのですが、これでは予定通りに帰れません。さてどうするか、と考え込みました。
するとU氏が「それなら東京駅行きの高速バスがあるぞ」と教えてくれました。ああ、その手があったな、と思い出して、すぐに南口のバス乗り場へ行くと、既に行列が出来始めていました。
「伯耆守、こうなったら早めに帰った方が良い。次の高速バスは13時発だから、あと20分足らずだ。昼食は取りやめにしよう、おい美和、弁当とか買ってあげようぜ」
「いや、そこまでしなくても・・」
止める暇も無く、奥さんが近くのサークルケイサンクスへ走って行って、お握りセットやサンドイッチやコーヒーを買ってきてくれました。バスの中でも楽に食べられるようなものを選んでくださったのが有難かったです。
「この高速バスは、僕も時々仕事で利用してるんだよ。東京駅には15時30分ぐらいに着く。列車よりは一時間余計にかかるが、それでも時間的には余裕があるだろ」
「ああ、充分だ。東京を16時に出ても京都には18時半ぐらいに着く」
「バッチリだな」
「まあな」
やがてバスがやってきました。夫妻と握手を交わして、感謝の気持ちをも伝えました。そうして13時に発車すると、二人がいつまでも手を振って見送ってくれました。大学時代以来の友人とは、本当に有難く得難い存在だなあ、と改めて思いました。
ところで、常磐線運休の理由は、東京駅に着いてからニュースで知りました。石岡駅付近で第二次大戦中の不発弾が発見されたため、その処理作業等に影響を受けたのだ、と分かりました。
以上にて「ガルパンの聖地・大洗を行く22」のレポートを終わります。
悲しい歴史でも、ご先祖(自分のルーツ)がわかっているのは羨ましいですね。
ですが、未熟さの故に、そこまで至っておりません。もっと努力したいと考えております。
地元の人にとても愛されてるんですね。
>その一コマを明確に記録して残すだけでも、
>先祖への立派な供養になりましょう
そのとおりだと思います。
私の本家筋の場合、何年かに一度は親族が集まって「一族の会」とか実施していたのですが、今は廃れてしまいました。
先祖のことも明確には伝わっていません。
系図を持っていても、本格的に調査出来ないので諦めてしまいました。
少なくとも顔や名前を憶えて貰っていることは確かです。商店街の方々は商売柄、客のことをきちんと忘れない心構えがあるでしょうし、当方もいろいろと会話や交流を心がけていますので・・・。
あと、ガルパン巡礼の大部分は、本名を明かさずにハンドルネームやソウルネームで接し、名刺もガルパン仕様の遊びで済ませていますが、当方はハンドルネームやソウルネームを一切使わずに、本名のままで接し、名刺も実際の名前入りのものを渡しています。
何人かの店主さんに「商売でも何でも、本名で正しく接してくる方は信用出来るし、安心出来る」と励ましていただいたこともあり、それは思っていたよりも重要なことなんた、と再認識した次第です。
今では私も古参のほうに属するみたいなので、最近激増している新規巡礼の中においては、「お馴染みの人」と認識されているようです。
>私の本家筋の場合、何年かに一度は親族が集まって「一族の会」とか実施していたのですが、今は廃れてしまいました。
当方でも似たような状況でしたが、本家筋は実質上絶えてしまったので、当方の筋で家譜や家系図を引き継いで菩提寺への参詣もやっていた時期がありました。しかし高齢化の波で、それも難しくなって止めてしまいました。なので、当方が個人的に細々と先祖調査や墓参をやってきた経緯があります。