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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く11 その3 「古いブロック塀と辻の古民家です!!」

2014年11月04日 | 大洗巡礼記

 軌道跡は、現在は私道のような感じで、エコス駐車場への連絡路ともなっているようです。駐車場の方へ近づくと、反対側の側溝が草に覆われた状態で横たわっており、そちらにも境界標杭がありそうに思われました。


 探してみると、駐車場との境目に一本の杭がありました。頭を赤く塗ってあるので、地割の標識としても機能しているのでしょうか。


 こちらは「茨城交通」と刻まれています。コンクリートの質も良いので、戦後の造作とみられます。先に見た「水」の標杭と比べると雰囲気も異なり、新しい感じなので近年のものに見えてしまいます。廃線が昭和41年のことなので、それに近い頃に立てられた標杭でしょうか。


 エコスの駐車場です。ここにかつては磯浜駅がありました。地元の方は「磯浜停車場」という呼び方をしていました。当時の写真を見ても駅の看板に「停車場」とあります。
 そういえば私が子供だった頃、京都では市電が走っていて、よく乗ったものですが、その駅のことを両親は「停留所」と呼んでいました。「駅」とは言わなかったように記憶しています。路面電車タイプの駅はどこも小さいし、単なる段差が小さく設けられただけの目立たない施設が多かったと思い出します。
 それに比べれば水浜線の停車場はどこも駅舎やホームが小さいながらもしっかり造ってあり、曲松などは立派な構えを示して停車場と言うより駅と呼ぶのが相応しいような雰囲気です。


 駐車場から軌道跡を見ました。


 駐車場の中には、何らかの施設の痕跡とみられる、白っぽいコンクリートの基台が残されています。江口さんに聞いた話では、磯浜駅に付属していたバス待合所の小屋の跡じゃないか、ということでした。
 似たようなことを、近くの榎澤輪業商会の店主さんも「磯浜の停車場からバスも出てたけど、そっちの方が速かったんだ。だから、水戸まで行くのにバスの方を使う人も多かったんだよ。それで電車の方は儲からんようになってしまって、廃止になったんだろうね」という風に話しておられました。


 コンクリートの基台の四隅には、柱の痕跡とみられる鉄芯二本が残っていました。少なくとも木造の建物では無かったことが分かります。


 エコスの反対側に回ると、再び軌道跡の車道が続いていました。奥にそびえる大木は、水浜線が走っていた時期を経てきているのでしょう。


 道は緩やかに右へ曲がっていきます。車道は近年に改修されたような感じで、両脇の側溝も無いので、標杭はいくら探しても見当たりませんでした。


 道なりに進んで行き、付近の数軒の民家の住人に挨拶して水浜線の事を聞きましたが、近年に移住して来られた方ばかりでしたので、線路があったことを聞かされた、という程度か、鉄道の事は全く知らないかのどちらかでした。昔を知る人がだんだんと減って行く状況は、大洗町においても例外ではないようです。


 廃線跡であることを知らなければ、ごくありふれた街中の景色でしかありません。


 各所で道幅が広くなったりしているので、宅地化や再開発にともなう道路や地割の改変があったものと思われます。


 少し進むと、やや道幅が狭くなってきて、そのままの状態で緩やかにカーブしたりしていました。このあたりは線路跡の雰囲気をとどめているなあ、と感じました。


 右手には、古めかしいコンクリートブロック塀が、端を切り取られたような状態で建っていました。この辺りの地割は軌道跡に対して斜めに接しているので、コンクリートブロック塀も斜めに構えていました。江口さんが話していた「水浜線当時の古いブロック塀」とはこれだろうか、と思いました。付近をいくら探しても、これより古そうなコンクリートブロック塀が見当たらなかったからです。


 軌道跡の道が、髭釜道祖神社への参道と交わる交差点に出ました。左手に髭釜道祖神社への参道が続き、奥に鳥居の一部が見えました。出会った老婆に挨拶して水浜線の事を訊ねると、懐かしげに色々教えてくれました。電車が通ることで時刻を知った、とか、のんびり走ってるので子供たちが飛び乗ったりして遊んでいた、とかの話でした。
 その老婆は、髭釜道祖神社へお詣りにゆくのだと言ってその方向へ歩いてゆかれましたが、見た感じでは70歳代ぐらいに見えました。水浜線は昭和41年に廃止されましたから、50歳代だとまだ子供から中学生ぐらい、60歳代だと高校生以上ぐらいです。60歳ぐらいから上でないと、記憶が確かなものにならないでしょうね。


 老婆が話の最中で「この家は電車が通ってた頃からある、そのまんまや」と指し示してくれた、辻の古い民家です。付近では最も古い民家ではないかと思われますが、かつては雑貨屋だったということです。線路脇の踏切横にて餅などを売っていた、ということでした。同じ参道筋にみつだんごの「白土屋」もあるので、似たようなお店が昔は幾つかあった、ということでしょうか。


 今回の探索範囲を地図上にまとめてみました。この範囲は割合に遺物がみられ、軌道跡の雰囲気が残されている箇所もあり、水浜線ルート散策においては見どころの多い箇所だと思います。 (続く)

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