近々「定番の飲み物」についての記事をアップする予定ですが、コーラ飲料の発売時期は特殊な事情がありますので、先にそちらの解説をいたします。
代表的なコーラ飲料の会社である「コカコーラ」と「ペプシコーラ」は、それぞれ「日本コカコーラ」と「日本ペプシコ」が原料の香料(「原液」という場合は原材料の総称)をアメリカの本社から輸入し、各地方のボトリング(瓶詰め)各社に供給するという方法を採っています。
かつてTV番組のスポンサーとしてよく耳にした「コカコーラ・ボトラーズ」という名称は、それらのボトリング社の総称なのです。
コーラ飲料は、太平洋戦争後の輸入制限下で特殊な生産・販売法の道を辿りました。
昭和20年、米軍司令部の要請によりコカコーラは横浜に日本支社を設立し、札幌・仙台・東京・横浜・神戸・小倉の各米軍基地内にコカコーラの瓶詰め工場を建設し始めます。しかし、これらは米軍とその家族向けに限定されて供給されていました。
それまでGHQより許可が下りなかったコーラ原液の輸入でしたが、昭和26年の対日講和条約の際に高梨仁三郎氏がコーラ輸入をザ・コカコーラ・エクスポーテッド・コーポレーション(コカコーラ原液輸出の元締め会社。以下CCEC)に申し出ます。しかしこの時は断られてしまいます。
昭和27年に、高梨氏はやっとコカコーラの東京地区のフランチャイズ権を手に入れます。しかし飲料業者の各団体の反対に遭い、コーラ輸入に許可が下りませんでした。
朝鮮戦争後、駐日米軍が帰国すると日本国内でのコカコーラの販売量が激減したため、CCECはアメリカ政府を通じて日本のコーラ輸入を働きかけました。そして昭和31年に、やっと日本政府は「原液輸入に関する外貨割当」を発表し、コーラ原液の輸入が開始されました。
しかしこの時は割当が決まっていたので、輸入量は制限されていました。そして「外国人向けに販売することで外貨の獲得になる」ことを政府説得の材料としていたため、販売はホテルや外国公館、羽田空港や横浜港・神戸港などの場所に制限されました。その後徐々にレジャー施設などでの販売も認められるようになっていきます。
昭和35年、やっと輸入が自由化になり、原液ではなく香料のみを輸入するようにして、日本各地にボトリング社が設立されていきました。
コカコーラ
昭和31年
高梨仁三郎氏 東京飲料(東京コカコーラ・ボトリング)設立。
昭和32年
初めは進駐軍向け、後に制限つきで民間向けに販売。
日本飲料工業(日本コカコーラ)設立。
昭和35年
麒麟麦酒・明治屋・三菱重工業が近畿飲料(近畿コカコーラ・ボトリング)設立。
理研光学工業と地元企業家が日米飲料(北九州コカコーラ・ボトリング)設立。福岡・佐賀・長崎に発売。
昭和36年
日魯漁業が中京飲料(中京コカコーラ・ボトリング)設立。愛知・三重・岐阜に発売。
三菱商事・明治屋が富士コカコーラ・ボトリング設立。神奈川・静岡・山梨に発売。
近畿飲料(近畿コカコーラ・ボトリング)が大阪・京都・兵庫に発売。
昭和37年
丸光百貨店とグラグナニーが長野コカコーラ・ボトリング設立。長野に発売。
野田醤油(キッコーマン)が利根飲料(利根コカコーラ・ボトリング)設立。千葉・栃木・茨城に発売。
「スカッとさわやかコカコーラ」のキャッチフレーズ採用。
若鶴酒造・若鶴商事が北陸飲料(北陸コカコーラ・ボトリング)設立。富山・石川・福井に発売。
本坊酒造・薩摩酒造・宮崎交通らが南九州コカコーラ・ボトリング設立。熊本・大分・鹿児島に発売。
亀井商店・佐浦酒造が仙台飲料(仙台コカコーラ・ボトリング)設立。宮城・福島・山形に発売。
新興製作所が北斗飲料(みちのくコカコーラ・ボトリング)設立。青森・秋田・岩手に発売。
西武化学工業が三笠飲料(三笠コカコーラ・ボトリング)設立。滋賀・奈良・和歌山に発売。
昭和38年
十条製紙が四国コカコーラ・ボトリング設立。香川・愛媛・高知・徳島に発売。
大日本印刷・栗林商会・伊藤土建らが北海道コカコーラ・ボトリング設立。北海道全域に発売。
日本冷蔵・昭和炭酸・昭和電工・日本硝子・東洋製缶が山陽飲料(山陽コカコーラ・ボトリング)設立。広島・岡山・鳥取・島根・山口に発売。
東洋高圧工業が三国飲料(三国コカコーラ・ボトリング)設立。埼玉・群馬・新潟に発売。
昭和39年
ホームサイズ発売。
昭和40年
250ml缶発売
昭和42年
「コーク」の愛称を制定。
昭和43年
東京コカコーラ・ボトリングが沖縄ソフトドリンクと共同で沖縄コカコーラ・ボトリング設立。
ペプシコーラ
昭和31年
大日本製糖・大映・朝日麦酒らが日本飲料(日本ペプシコーラ)設立。
昭和32年
関東全域に発売。
昭和36年
大日本製糖が日糖飲料設立。大阪・京都・兵庫・和歌山・滋賀・奈良に発売。
昭和37年
大阪曹達が中部飲料設立。愛知・岐阜・三重・静岡・山梨・長野に発売。
昭和38年
国華酒造が東邦飲料設立。山形・宮城・福島に発売。
宇部興産が西部飲料設立。広島・山口・岡山に発売。
日綿実業・大阪曹達・ペプシ本社で九州飲料(後に西日本飲料に改称)設立。福岡・長崎・佐賀に発売。
宝幸水産・美蜂酒類・日綿実業が北関東飲料設立。群馬・埼玉・栃木に発売。
昭和39年
ファミリーサイズ発売。
宇部興産が四国清涼飲料設立。香川・愛媛・高知・徳島に発売。
昭和40年
チッソ・旭化成工業・積水化学工業・肥後銀行・熊本放送が南日本飲料設立。熊本・宮崎・大分・鹿児島に発売。
信越放送・信越化学・新潟放送が信越清涼飲料設立。長野・新潟に発売。
昭和41年
北陸新聞・北国新聞が北陸飲料(?)設立。富山・石川・福井に発売。
昭和42年
250ml缶発売。
昭和43年
東海飲料設立。中部飲料から独立させ、静岡に発売。
茨城飲料設立。北関東飲料から独立させ、茨城に発売。
昭和45年
日糖飲料が伊藤忠飲料に改称。
昭和49年
日本ペプシコーラがペプシコフーズと合併し、日本ペプシコとして再発足。
昭和51年
伊藤忠飲料が解散。日本ペプシコは関西飲料設立。
日本飲料が解散。新日本飲料設立。
伊藤忠がペプシの製造会社ジャパン・フーズ設立。
日本ペプシコは関東ペプシコーラ販売設立。
代表的なコーラ飲料の会社である「コカコーラ」と「ペプシコーラ」は、それぞれ「日本コカコーラ」と「日本ペプシコ」が原料の香料(「原液」という場合は原材料の総称)をアメリカの本社から輸入し、各地方のボトリング(瓶詰め)各社に供給するという方法を採っています。
かつてTV番組のスポンサーとしてよく耳にした「コカコーラ・ボトラーズ」という名称は、それらのボトリング社の総称なのです。
コーラ飲料は、太平洋戦争後の輸入制限下で特殊な生産・販売法の道を辿りました。
昭和20年、米軍司令部の要請によりコカコーラは横浜に日本支社を設立し、札幌・仙台・東京・横浜・神戸・小倉の各米軍基地内にコカコーラの瓶詰め工場を建設し始めます。しかし、これらは米軍とその家族向けに限定されて供給されていました。
それまでGHQより許可が下りなかったコーラ原液の輸入でしたが、昭和26年の対日講和条約の際に高梨仁三郎氏がコーラ輸入をザ・コカコーラ・エクスポーテッド・コーポレーション(コカコーラ原液輸出の元締め会社。以下CCEC)に申し出ます。しかしこの時は断られてしまいます。
昭和27年に、高梨氏はやっとコカコーラの東京地区のフランチャイズ権を手に入れます。しかし飲料業者の各団体の反対に遭い、コーラ輸入に許可が下りませんでした。
朝鮮戦争後、駐日米軍が帰国すると日本国内でのコカコーラの販売量が激減したため、CCECはアメリカ政府を通じて日本のコーラ輸入を働きかけました。そして昭和31年に、やっと日本政府は「原液輸入に関する外貨割当」を発表し、コーラ原液の輸入が開始されました。
しかしこの時は割当が決まっていたので、輸入量は制限されていました。そして「外国人向けに販売することで外貨の獲得になる」ことを政府説得の材料としていたため、販売はホテルや外国公館、羽田空港や横浜港・神戸港などの場所に制限されました。その後徐々にレジャー施設などでの販売も認められるようになっていきます。
昭和35年、やっと輸入が自由化になり、原液ではなく香料のみを輸入するようにして、日本各地にボトリング社が設立されていきました。
コカコーラ
昭和31年
高梨仁三郎氏 東京飲料(東京コカコーラ・ボトリング)設立。
昭和32年
初めは進駐軍向け、後に制限つきで民間向けに販売。
日本飲料工業(日本コカコーラ)設立。
昭和35年
麒麟麦酒・明治屋・三菱重工業が近畿飲料(近畿コカコーラ・ボトリング)設立。
理研光学工業と地元企業家が日米飲料(北九州コカコーラ・ボトリング)設立。福岡・佐賀・長崎に発売。
昭和36年
日魯漁業が中京飲料(中京コカコーラ・ボトリング)設立。愛知・三重・岐阜に発売。
三菱商事・明治屋が富士コカコーラ・ボトリング設立。神奈川・静岡・山梨に発売。
近畿飲料(近畿コカコーラ・ボトリング)が大阪・京都・兵庫に発売。
昭和37年
丸光百貨店とグラグナニーが長野コカコーラ・ボトリング設立。長野に発売。
野田醤油(キッコーマン)が利根飲料(利根コカコーラ・ボトリング)設立。千葉・栃木・茨城に発売。
「スカッとさわやかコカコーラ」のキャッチフレーズ採用。
若鶴酒造・若鶴商事が北陸飲料(北陸コカコーラ・ボトリング)設立。富山・石川・福井に発売。
本坊酒造・薩摩酒造・宮崎交通らが南九州コカコーラ・ボトリング設立。熊本・大分・鹿児島に発売。
亀井商店・佐浦酒造が仙台飲料(仙台コカコーラ・ボトリング)設立。宮城・福島・山形に発売。
新興製作所が北斗飲料(みちのくコカコーラ・ボトリング)設立。青森・秋田・岩手に発売。
西武化学工業が三笠飲料(三笠コカコーラ・ボトリング)設立。滋賀・奈良・和歌山に発売。
昭和38年
十条製紙が四国コカコーラ・ボトリング設立。香川・愛媛・高知・徳島に発売。
大日本印刷・栗林商会・伊藤土建らが北海道コカコーラ・ボトリング設立。北海道全域に発売。
日本冷蔵・昭和炭酸・昭和電工・日本硝子・東洋製缶が山陽飲料(山陽コカコーラ・ボトリング)設立。広島・岡山・鳥取・島根・山口に発売。
東洋高圧工業が三国飲料(三国コカコーラ・ボトリング)設立。埼玉・群馬・新潟に発売。
昭和39年
ホームサイズ発売。
昭和40年
250ml缶発売
昭和42年
「コーク」の愛称を制定。
昭和43年
東京コカコーラ・ボトリングが沖縄ソフトドリンクと共同で沖縄コカコーラ・ボトリング設立。
ペプシコーラ
昭和31年
大日本製糖・大映・朝日麦酒らが日本飲料(日本ペプシコーラ)設立。
昭和32年
関東全域に発売。
昭和36年
大日本製糖が日糖飲料設立。大阪・京都・兵庫・和歌山・滋賀・奈良に発売。
昭和37年
大阪曹達が中部飲料設立。愛知・岐阜・三重・静岡・山梨・長野に発売。
昭和38年
国華酒造が東邦飲料設立。山形・宮城・福島に発売。
宇部興産が西部飲料設立。広島・山口・岡山に発売。
日綿実業・大阪曹達・ペプシ本社で九州飲料(後に西日本飲料に改称)設立。福岡・長崎・佐賀に発売。
宝幸水産・美蜂酒類・日綿実業が北関東飲料設立。群馬・埼玉・栃木に発売。
昭和39年
ファミリーサイズ発売。
宇部興産が四国清涼飲料設立。香川・愛媛・高知・徳島に発売。
昭和40年
チッソ・旭化成工業・積水化学工業・肥後銀行・熊本放送が南日本飲料設立。熊本・宮崎・大分・鹿児島に発売。
信越放送・信越化学・新潟放送が信越清涼飲料設立。長野・新潟に発売。
昭和41年
北陸新聞・北国新聞が北陸飲料(?)設立。富山・石川・福井に発売。
昭和42年
250ml缶発売。
昭和43年
東海飲料設立。中部飲料から独立させ、静岡に発売。
茨城飲料設立。北関東飲料から独立させ、茨城に発売。
昭和45年
日糖飲料が伊藤忠飲料に改称。
昭和49年
日本ペプシコーラがペプシコフーズと合併し、日本ペプシコとして再発足。
昭和51年
伊藤忠飲料が解散。日本ペプシコは関西飲料設立。
日本飲料が解散。新日本飲料設立。
伊藤忠がペプシの製造会社ジャパン・フーズ設立。
日本ペプシコは関東ペプシコーラ販売設立。