なるほどなぁ。What is the other side of love? 問われているのかな。
許しがたい憎悪のことでしょうな。彼方彼岸で、つまり耐え難い地獄。
まぁ、私たちの知ったことじゃないw
In my heart, I know I must be right とは、己を度外視したうぬぼれからか、あるいは、おそれからか。真実は内にあるものだ。
but, I can rise above? がんばってね。絶対無理だけど。
You had been already down long ago.w
いずれにせよ、この曲は、教授のキリスト教観からに違いない。商業音楽とはいえど。
ただし、YMOはけしからん、いただけない。親ユダヤのキリスト者として。
ところで、私は憎悪に生きていない。なんでかというと、ある程度自分も愛せるからだ。ナルシストには問題がある。(殊にすぐれた)ミシマがそうだったでしょう。ところが、自害が結末だった。理想に生きすぎてもダメ。常々、絶望も扉を開けて向こうから様子をうかがっているものだ。残念。
まぁ、どのように曲解試みようが、どうしても救いがたく罪深い曲かな(笑)
こう書けば、うたってる当人は必ず「おそれ」の解釈をとるでしょうが、シナリオがあっての商業音楽でしょう。
文章書きには対象の想定が必要だ。マルクスがヘーゲル(の理解w)を想定したように。私の場合は、先ず皇后女王陛下、RBG(判事)、その対極に牛豚(ぎゅうとん)。間、ややRBG寄りに坂本美雨を置いている、、、が、私の自由勝手だ(笑)
くだんの前項が、I have to be right に置き換えることができるかなぁ。できないものかねぇ。
Actually, he shall never close to you だったとしても、日没にはアナタ一人でむこうにいてうなされなさい、豚さんはw