風通庵-直言

ヨモヤマ話

誰が何と言おうとも「わが国固有の領土」に変りはない

2008-07-10 10:20:47 | Weblog
 学習指導要領の中学社会科の解説書に、島根県の竹島を「わが国固有の領土」と明記することに、韓国から既に見送りの要望が出ており、今回また札幌市内での外相同士の会談でも「深刻な憂慮」と言われたようだが、文科省の記述する方針に対し、外務省は見送りを、と。最終的に福田首相の政治判断というが、相手の嫌がることはしない、個人の付き合いも国と国との外交も同じとの福田首相の思想からすると、へなへなと「この際は見送りましょう」と、簡単に韓国の要望を受け入れそうな気配が濃厚で、首相のその腰のなさがよほど「深刻な憂慮」に値する。

 わが国が、わが国の学校指導の方針を決めるのに何故に韓国がとやかく言うのか、言わせるのか。当時の李承晩が国際法を無視して「李ライン」(誰が言ったか、当時のソ連の鉄のカ-テンに擬えて「竹のカ-テン」とかと揶揄)を設定した前後の経緯。わが国の漁船が始終拿捕された事実。
 竹島がわが国固有の領土なら、堂々と教科書に書いて、韓国に不法に占拠されている事実もしっかり教える必要がある。國際司法裁判所への提訴の問題も当然教えるべきだ。

 いかに領土の確保が重要で、困難なものか、経済的にも政治的にも国際間の重要問題として、そのための闘争本能、闘争本能、闘争本能を養う必要がある。戦争してでも取り返す強い心構えを教えておく。

 尖閣諸島についても同様である。要するに、中国、台湾の両方から領有権を主張されている実態を小中高の時代にしっかり認識させる。事実は事実としてはっきり教える必要がある。
 北方領土も同じ。
 わが国の領土の範囲くらいは常識として、しっかり教えておく必要がある。

 どこの誰さんの本かは忘れたが、領有権なんてもう百年もすれば人類の話題にもならないだろう、グロ―バル化してと、まるで世界は一国とでも言わんばかりに領土問題での紛争を嘲笑う楽観的な主張をしていたが、果たしてそんな時代が来るだろうか。資源の枯渇、食料不足等、傾向としてはむしろ逆ではないか。

 もう一つの問題は、戦中の沖縄戦での集団自決で、軍の強制があったかどうかの問題。これは国内問題であるが、やはり背景には特別な思想の支配を感ずるが、沖縄の地政上の問題も含めて両者の言い分、見解のすべて、訴訟の結果等はありのまま、あらゆる角度から教えるべきだ。
 戦中の敵を前にして生か死かの選択の余地があったかどうか。極限状況に置かれた人間の業か。軍の強制かどうかは「戦時史のナゾ」にしておいては。誰が言うのも「事実」で、何もかも「事実」、最も恐るべき死も「事実」。その事実の中の「真の事実」は神のみぞ知る、それでいいではないか。昭和史には「歴史上のナゾ」が多い。
 あまりにも後講釈がおおすぎる。
 文科省の強い指導方針を望みたい。

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