NHKのラジオ深夜便、2月28日(松本一路アナウンサ―)、にっぽんの歌・こころの歌は昭和30年のはやり歌。今なぜか昭和30年代に郷愁を感じる風潮があり、映画「三丁目に夕日」が話題になっている。
深夜のこの番組の放送で、宮城マリ子の歌った「ガ―ド下の靴磨き」が、特に同時代に青春時代の真ん中にあったブロガ―にとっては懐かしい一曲であった。と言っても、このブロガ―がガ―ド下で靴磨きをした訳でもないが、当時の時代をよく反映している、そんな曲だ。
昭和30年と云うと、このブロガ―は学生時代の真っ最中で、安アパ―トの一室で自炊生活を送っていた。その時、隣の部屋に住む会社員のお兄のラジオから聞えてきたその時の「ガ―ド下の靴磨き」の歌がとても印象に残っている。誰が言う、あの歌が戦災孤児の歌とは知らなんだとは-----。事もあろうに、そんなご仁が子供を靴磨きなんぞさせて児童福祉法に違反ではないかとか、後講釈ながらそんなことも言いかねない今の時代ではあるが。
赤い夕日がガ―ドを染めて、ビルの向こうに沈んだら-----と、当時やっと商店街にすずらん灯がつき、夕暮れとともにネオンが輝いたが、それが何とも夜の巷を象徴する風景であって、詩情とも倦怠感ともいえない感情か、あるいは一種の開放感もあったかも知れない。ドンドン戦後が遠坂って行く、そんな時代に取り残された戦災孤児の生きざま、といえば可哀想かも。同時に「花売り娘」も登場するが、誰も買ってはくれない。こんな風景は、あの時代に生きた人間でないと恐らくは理解できない。理解と言うよりか情念、宮城マリ子の倦怠感を振り絞るような歌いっぷりが、まさにあの時代である。
お父さんは死んじゃった。お母さんは病気でと、哀れのどん底である。しかし、少年に同情する者はいなかった。そんな時代だ。小さなお札しか稼げなかった。そんな少年に、同情する者はいなかった。今の言葉で言えば、まさに「ク―ル」であった。
小さなお札という歌詞は、当時は硬貨がなくて、1円、5円、10円と、すべて紙幣であった。そんな説明の要る今の時代だが、それだけでも時代背景が分かるであろう。
折りしもNHKの「知るを楽」で、宮城マリ子さんを複数回取り上げていたが、いまは「ねむの木学園」の園長として、福祉に携わっている。やはり、この「ガ―ド下の靴磨き」の延長線上にあるのかも。
ガ―ド下の靴磨き
宮川哲夫 作詞
利根一郎 作曲
宮城マリ子 唄
一、紅い夕日が ガ―ドを染めて
ビルの向うに 沈んだら
街にゃネオンの 花が咲く
俺ら貧しい 靴磨き
ああ 夜になっても 帰れない
(台詞)
ネ 小父さん みがかせておくれよ
ホラ まだ これっぽちさ
てんで しけてんだ
ェ お父さん? 死んじゃった------
お母さん 病気なんだ------
二、墨に汚れた ポケットのぞきゃ
今日も小さな お札だけ
風の寒さや ひもじさにゃ
馴れているから 泣かないが
ああ 夢のない身が つらいのさ
三、誰も買っては くれない花を
抱いてあの娘が 泣いてゆく
可哀想だよ お月さん
なんでこの世の 幸福は
ああ、みんなそっぽを向くんだろ
深夜のこの番組の放送で、宮城マリ子の歌った「ガ―ド下の靴磨き」が、特に同時代に青春時代の真ん中にあったブロガ―にとっては懐かしい一曲であった。と言っても、このブロガ―がガ―ド下で靴磨きをした訳でもないが、当時の時代をよく反映している、そんな曲だ。
昭和30年と云うと、このブロガ―は学生時代の真っ最中で、安アパ―トの一室で自炊生活を送っていた。その時、隣の部屋に住む会社員のお兄のラジオから聞えてきたその時の「ガ―ド下の靴磨き」の歌がとても印象に残っている。誰が言う、あの歌が戦災孤児の歌とは知らなんだとは-----。事もあろうに、そんなご仁が子供を靴磨きなんぞさせて児童福祉法に違反ではないかとか、後講釈ながらそんなことも言いかねない今の時代ではあるが。
赤い夕日がガ―ドを染めて、ビルの向こうに沈んだら-----と、当時やっと商店街にすずらん灯がつき、夕暮れとともにネオンが輝いたが、それが何とも夜の巷を象徴する風景であって、詩情とも倦怠感ともいえない感情か、あるいは一種の開放感もあったかも知れない。ドンドン戦後が遠坂って行く、そんな時代に取り残された戦災孤児の生きざま、といえば可哀想かも。同時に「花売り娘」も登場するが、誰も買ってはくれない。こんな風景は、あの時代に生きた人間でないと恐らくは理解できない。理解と言うよりか情念、宮城マリ子の倦怠感を振り絞るような歌いっぷりが、まさにあの時代である。
お父さんは死んじゃった。お母さんは病気でと、哀れのどん底である。しかし、少年に同情する者はいなかった。そんな時代だ。小さなお札しか稼げなかった。そんな少年に、同情する者はいなかった。今の言葉で言えば、まさに「ク―ル」であった。
小さなお札という歌詞は、当時は硬貨がなくて、1円、5円、10円と、すべて紙幣であった。そんな説明の要る今の時代だが、それだけでも時代背景が分かるであろう。
折りしもNHKの「知るを楽」で、宮城マリ子さんを複数回取り上げていたが、いまは「ねむの木学園」の園長として、福祉に携わっている。やはり、この「ガ―ド下の靴磨き」の延長線上にあるのかも。
ガ―ド下の靴磨き
宮川哲夫 作詞
利根一郎 作曲
宮城マリ子 唄
一、紅い夕日が ガ―ドを染めて
ビルの向うに 沈んだら
街にゃネオンの 花が咲く
俺ら貧しい 靴磨き
ああ 夜になっても 帰れない
(台詞)
ネ 小父さん みがかせておくれよ
ホラ まだ これっぽちさ
てんで しけてんだ
ェ お父さん? 死んじゃった------
お母さん 病気なんだ------
二、墨に汚れた ポケットのぞきゃ
今日も小さな お札だけ
風の寒さや ひもじさにゃ
馴れているから 泣かないが
ああ 夢のない身が つらいのさ
三、誰も買っては くれない花を
抱いてあの娘が 泣いてゆく
可哀想だよ お月さん
なんでこの世の 幸福は
ああ、みんなそっぽを向くんだろ