またもや「ほぼ日」でハゲシク納得した糸井さんのコラム。
以下引用す。
好きこそものの上手なれ」ということばと、
「へたの横好き」ということばが相撲を取れば、
どちらが勝つかは知らねども、
「好き」は、人にたくさんの得をくれると思いますね。
だいたい、ほれ、「へたの横好き」の人にしても、
それだけ楽しんでいるんだから、悪かぁないでしょう。
「好き」でやってて上手なのも、いいですよね。
その反対に、「嫌い」がもたらしてくれるのはなにか。
あえて探せば、安全ということではないでしょうか。
「嫌い」だから避けたということで、
いいにつけ悪いにつけ、なにかに巻き込まれないで済む。
あとは、なんだろう。
あれも嫌い、これも嫌いと言いつつ生きるのも道です。
そういう芸風の表現者も、いくらでもいますし、
嫌いと言いながら、奥のところでにやっと笑ってるような
愛嬌のある「嫌い」も、ないわけじゃない。
だけど、凡人はさ、「嫌い」で行くのはつまらないよな。
「嫌いじゃない」というだけで、
どれだけ理解が深まるか。
「好き」とまで言わなくてもいいんで、
「嫌いじゃない」というだけで、
ずいぶんいろんな味わいを楽しめるんだよなぁ。
食べもののことで考えたら、すぐわかるでしょう。
ネギが嫌い、という人は、
ネギのおいしさと縁を持てないわけですよね。
でも、「嫌いじゃない」というだけで、
とてもおいしいネギに出合えるかもしれないでしょう。
クラシック音楽は嫌い、という人よりも、
クラシック音楽も嫌いじゃないという人のほうが、
「ああ、いいもんだなぁ」と思うチャンスが多いです。
なんか、ぼくが「ほぼ日」で
ひっきりなしに提案してることって、
「嫌いじゃない」を広げたり増やしたりすること
なのかもしれないなぁ、とね、ふと思ったんです。