ほんとうにほんとうのことだけ

ああでもないこうでもないとアタマやムネの裡をぽろぽろとこぼしたりこぼれ落ちたり。

ちょっといい気分、かも

2007-02-28 15:52:34 | Weblog
気持ちがささくれていたり、超自己中になっているときの私はわかりやすい。
たとえば、電車で人がたくさん乗っていて他の人たちが降りるとき。
無言でぐいぐい押されると「むきーっ」となる。
私の仕事場は出入り口が3ヶ所ある。
1階と3階と4階。
私は、1階から仕事をする11階のフロアまでエレベータに乗る。
朝、エレベータに乗ったとき8割方の密度で、停まる階数のボタンがほぼ各駅停車並みに押されていて、その上で他の階からも新たに乗ってくる人たちがいると、自分だって乗っているくせに「混んでいるのがわかっていて乗ってくるんじゃねー(怒)」となる。
でも、この超自己中ビッチに変化が。
昨日の朝のことなのだけれど、なんと「でもお互い様よね。みんな好きでぎゅうぎゅうに乗っているわけじゃないし」と思って。
そんなことを思った自分にびっくり。
「ちょっと成長?」とか。
でもそんな風に思えるのって気分がよかった。
そしてもうひとつ。
これまた昨日チラ読みした雑誌に乗っていた占い。
これに「表面的なことで感情を波立たせないこと」とあって、これはこれで最近の私にはぴんとくるものがあり。
2月の終わりにこんな感じはいい感じかも・・・・。

正直、どうよ?

2007-02-27 14:09:13 | Weblog
正直なところ、努力をやめたーい。
面倒くさい。
つらい。
終わりはみえないし。
この場合の努力は、あらゆることについての努力なのね。
美容とか人間関係とか仕事とか自己成熟度とか。
・・・・・・・この際、お前はそういう風に言うが、その努力が目に見える形になっているのかとか、それは努力といえるのかという精査はなしにしていただいて。
もともとが怠け者のワタクシ。
それなのにスペシャル感は人一倍欲しいという欲張りなワタクシ。
人間は二律背反な生き物だというけれど、この私も見事に矛盾を抱えているのね(
相変わらず“シロ”口調で)。
なーんにも努力しなくってもナイス・バディでお金もあって充実した仕事を持ち、素敵なパートナーや友だちに恵まれ・・・・・・・・、であればいいなと思うわけね。
努力なんかしたくないのね、正直。
あの、他の人が私のように怠け者かどうかはわからないのだけどね。
光ばかりの人はいないらしいから、もちろん他の人も怠け心はあるのだろうけれども。
まぁ、それでも個人差や程度差はあるだろうからね。
この私の破れかぶれを、負け犬の遠吠えというのか向上心の裏返しというのか、それはどちらでもいいけれど、たまには「努力なんかやーめた」と言いたいし、ちょっと止めてしまうときもあるってことなのね。

居心地の悪い暇さ加減

2007-02-26 15:04:26 | Weblog
ちょっとましになったけれど、先週はずうっとダウナーだった。
殊に今の仕事について。
やはり、時間を持て余している、というのはなんとも居心地が悪く、いつの間にか、気がつくと卑屈さでいっぱいになっていたりする。
そうなると「忙しいところに行こうかしら。○E○は忙しい上に人手不足だっていってたから、いっそのこと○E○に行くかしら?」とうっすらと、だけど本気で考えたりする。
ダウナーがましになったから今は考えないかといえばそんなことはなくて、ダウナーでなくたって暇よりは忙しいほうがいいから、そりゃ、考える。
卑屈になってしまうのはよくないでしょう、やはり。

眠い。
昨日、『アビー・クーパーの事件簿』という本を22時(「華麗なる一族」が終わってからね)から読み始めたら、これがどんどんすいすい読めてしまって26時過ぎまで。
夜遊びもしなくなって長い私。
26時まで起きているのはいいのだけれど、次の日がつらい。
今もお昼ご飯のあとだからまぶたが重くって。
こういうときに暇だととてもつらいのね(『鉄コン筋クリート』の蒼井優ちゃんのシロ口調で)。

『さくらん』

2007-02-25 10:30:58 | 映画ほか
蜷川実花は、遊女は金魚だといっている。
吉原の大門に、花魁の部屋に、いたるところに金魚は美しく泳いでいる。
菅野美穂が言う「びいどろの中でしか生きられない。びいどろの中でしか美しくない」と。
型破りな、だからこそ魅力的な遊女のきよ葉。
作品は、彼女がものすごいスピードで成熟していくさまを描き出す。
きよ葉は、女から見て相当モテるキャラだと思う。
男性的にはどうかはわからないけれど。
原作は彼女が花魁になる、と決まるところで終わる。
その後は、原作の安野モヨコのプロットをもとにしているらしい。
花魁になったきよ葉はどうなったのか、気になっていだだけにオチがわかってうれしい。
店番が安藤政信なのもこのオチがあればこそ。
土屋アンナちゃんはきよ葉にぴったりだし、菅野美穂も木村佳乃もばっちりだった。
夏木マリさんはいわずもがな。

映像も、色も衣装も美術もすべてに凝っていて、男性に夢を売る吉原を美しくみせる。
そして椎名林檎の音楽がきよ葉の物語に切なさを加える。

少し惜しいと思うのは、オチが甘かったかも、と。
あれはあれでよかった、と思わせてくれるけれど、どうせなら吉原。
骨の髄まで吉原が染み込んだきよ葉と清次、お互いに思いを残しながらも別の道を行くほうがぴりりとしていて好みだったかも。


2007.02.24

『ドリームガールズ』

2007-02-24 17:35:17 | 映画ほか
ただのショウビズの裏側を描いたというものではなく。
どの登場人物にも物語がある。
栄枯盛衰、そして復活。
‘60年から’70年代のアメリカは、まだ人種差別が色濃く残っていた。
そこにプロシンガーを夢見る3人グループがいた。
彼女たちの才能に目をつけ、黒人社会だけではなく全米での成功を夢見た男、カーティス(ジェイミー・フォックス)。
売れ始めた頃は、彼女たちも喜んでいた。
だけれど、カーティスはもっと売れるために歌の上手いエフィよりルックスのいいディーナ(ビヨンセ)をリードシンガーにするといい・・・・。
ジェイミー・フォックス演じるカーティスは、最初から売れることだけを狙っていた。
そして彼には時代や人の望むものを読む目があった。
それが当たれば当たるほど、自分のやり方に固執しビヨンセたちや作曲家の気持ちをないがしろにするようになる。
登場人物たちはそれぞれ夢を持っている。
だけれどそれは必ず何らかの代償を伴う。
何かを差し出さなければ得るものはない。
この作品の中で、あからさまに落ちるのは、リード・シンガーの位置と恋人を取られてふてくされたエフィと、自分の思ったようになかなかいかなくて麻薬に逃げるエディ・マーフィ演じるカリスマ・シンガー、そしてジェイミー・フォックスのカーティス。
この作品に悪い人間は一人も出てこない。
自己中心的ですぐ文句を言うエフィも麻薬に逃げるエディ・マーフィも、カーティスも。
ただ彼らに対して寂しさを感じるだけだ。
一歩間違えば自分も彼らだからだ。
そんなビターな味を隠し味にして彼らの人生はそれぞれ進んでいく。
華やかにゴージャスに、そしてスパイシーに。

とても見応えのある大人な感じの作品だと思います。


2007.02.24

感情の振り幅にコンダクターを

2007-02-23 14:36:37 | Weblog
私は本当に自分に対して無責任だなぁと思って。
今までもずいぶんとそういうことは思っていたけれども、やーっと本当に長い間かかったけれど、やっと自分を自分のものとして、自分に引き寄せてみようという気になった。
ここまで来るのにどれだけかかっているんだ、と思うけれど。
まぁ、仕方ないね。
これがきっと私のスピードなんだろうから。
それで、一昨日のぷち逆ギレがきっかけで、「あれ、私なんでこんなに感情を野放しにしてるんだろ?」と思って。
「っていうか、ずっと野放し一直線じゃない?」と。
幼稚だなぁと思うけれども、感情をコントロールする、両極端に振れる針をモデラートに調節することを心のどこかで軽蔑していた。
「ばかじゃない?」って。
処世術も毛嫌いしていた。
「他人や社会に合わせちゃって」とか。
・・・・・・すごい勘違いをしてたんだな、私。
まぁ、それで私はずっと感情を野放しにしっぱなしでやってきて、あっちにぶつかりこっちで転びとやってきたのだけれど。
おばかなプライドのおかげで、無駄といえば無駄なことをしてたわけよね。
本当にやりたいこと言いたいことを通すためには、感情を生のまま出してもただ負けるだけ。
それがどんなに強い気持ちでも、大きな声で言おうとも、それが“通る”ように、そして“伝わる”ように言わなければ何にもならない。
それが私にはちっともわかっちゃいなかった。
わかりたくもなかったし、わかろうともしてこなかった。
生の気持ちを、周りは受け入れるべきだと思っていた。
他人が同じことをしたら受け止められるかどうかなど考えたこともなかった。
でも、気がついた。
野放しの感情は、私によってそのまま野放しにされたままになっていることを。
だから気持ちを昇華したりなだめたりということをしてきていなかった。
そして一昨日の夜、ぷち逆ギレをしながら「あれ、私、コントロールが必要じゃん」と思い、自分を自分に引き寄せる必要性にも気がつかされたという。
多分、こうやっていつまでたっても「わかった!」とかってやってるんだろうなぁ。

性格悪い、この一例

2007-02-22 14:28:36 | Weblog
昨日の夜、またもや自分の自己中ぶりに情けなーい気分になる。
というのも、月曜日に私は携帯を忘れて一日を過ごしたのだけれど、うちに帰ってみたら友だちからメールが。
「久しぶりにお茶でもしませんか?」と。
「おー、久しぶりだねぇ」と実現してもしなくてもいいようなフラットな感じで「お茶したいね」とお返事を。
そしたら「いつがご都合いいですか?相談したいこともあるので」って。
その時は、夜も遅くて眠かったから翌朝に空いている日をメールしたの。
でも。その火曜日まる一日何もリアクションがなくて、昨日の夜、さすがに気になって。
空いてるといってた日にちもどんどん色んな用で埋まってきたりしてたし、もしかしたら私のメールが届いてないのかも、とか思ったり。
いやらしいのだけれども、「私が会いましょう、と言っているわけじゃないから別にいいんだけど」とか思ったり。
同時に相談されるという気持ちよさに負けるというか、ほんと自己中、こんな私に相談なんかしないほうがいいよ的なものなのだけど。
だから気になったりして。
それで、一応、建前としては「空いてるといってた日がほとんど埋って難しくなりました。明日なら大丈夫」みたいなことでメールをしたの。
そしたら「明日の20時すぎなら大丈夫です。場所は渋谷がいいですか?」と。
一瞬、私がお誘いしているのかと思ったよ。
もちろん、友だちがそんな人ではないことは百も承知なのだけれど、ついそう思ってしまう低俗な私。
で、自分で「大丈夫」だなんて言っておきながら待ち合わせの時間も遅いしとかって、ちょっとぷりぷりしたりして。
お茶を飲んだりして気持ちが落ち着いたところで、「でも気持ちよくなろうとしたのは私だもんなぁ、私の責任だよな」と思い直し。
場所だけは、渋谷だとつらいので下北にしたもらったけれど。
どうなの、この自己中ぶりは。

ちまちまとこまごまと

2007-02-21 15:54:32 | Weblog
昨日の話なのだけれど。
今日、行われる企画会議の企画書をみんなから集めている時に、あるディレクターさんのところで『鉄コン筋クリート』のシロ、蒼井優ちゃんを真似して喋っていたら、お向かいのデスクのディレクターさんがすっくと立ち上がって「似てる」と一言。
そうかぁ、蒼井優ちゃんに似てるかぁ。
えへへ。って似てるのは映画のキャラの話し方だって。
まぁ、それでもなんか芸がひとつ増えたようでうれしい私。

仕事帰りにカシミアのコートと夏物をゲッツ。
これから春になろうというときにコートなんて、と思ったけれどとーってもお安かったんだもの。
いや、お財布的にはやさしくはないのだけれども、でも70パーオフよ、70パー。
軽いし暖かいし、次の冬が楽しみ。
だけど、それだけじゃさすがに寂しいので夏物も。
お買い物ってエンドルフィンが出るねー。
特にお洋服の時って。

合う人と合わない人

2007-02-20 16:04:59 | Weblog
たとえば、性格的に真反対。
いいなぁと思うところと嫌だなぁと思うところがはっきりある。
私から見て、彼女は、自分のことがよくわかっている。
好きなこと、たとえば食べもの、音楽、洋服、お酒、読書、裁縫・・・・、自分が心地よく、好きだと思うものをちゃんと把握している。
どこにも力が入っていない。
自分を肯定している。
合わないと思うところ。
たとえば時間に関して。
私はなんでも早め早めなのだけれど、彼女は自分がその時やっていることが最優先になって時間は後回しの傾向がある。
私はノンアルコール・ドリンカーなのだけれど、彼女はお酒が入ってしまうと普段にも増して、口調が「はい」ではなく「うん」とかのタメ口になる。
こんな風に時間とか口調のことを気にする自分が、なんだか重箱の隅をつつく小姑のような感じがしてとてもいやだ。
人間が小さく感じられて。
そしてそんなことを感じさせる彼女のことがますます苦手になる。
彼女に原因があるのではなく、そんな風に感じる私こそが原因なのだからお門違いもはなはだしいのだけれど。
彼女のいいところを見習いたいと思ってきたけれど、なんだかやっぱり無理があるような気がしてきている。
バイオリズムのように関係がうまくいっている時期とギクシャクする時期と。
たいていは、いくらかまとまった期間が過ぎればうまくいくものなのだけれど、こればかりはどうもそうはいかないみたい。
やっぱり、合わない人とは何をしてもどうやっても合わないものなのかなぁ・・・・。
だったら、さっさと距離をおけばいいのに、それはなんだか人間関係を怠けているような気がするし、もしくは私が利害を考えすぎているような気もするし・・・。
そこらへんの自分の小ささやいやらしさが、なんとも鼻につくというか。
どうしたらいいのかなぁ・・・・・。

ギャップはあって当たり前、なのね

2007-02-19 16:05:03 | Weblog
もう何度目になるかしら。
また携帯を忘れたわ。
たいてい駅についてから気がつくのよね。
最初のころは、あわてて取りに戻ったりしたけれど、最近だと「別にいいや」。
携帯がどうしても必要な日は取りに戻るけれども。
手持ち無沙汰な感じはあるけれど、なかったらなかったでオッケー。
開き直りかしら?

それはそうと。
土曜日に友だちのネイリスト、Fさんとまたもや美味しいイタリアンで語る。
Fさんとは同じフラのハラウ(スタジオ)に通っていることもあって、フラの話をしたりすることも多い。
Fさんは、ハラウのトップ、S先生のネイルをやっていることもあって内部事情というか裏事情にも詳しい。
それで私がカヒコ(古典)を習っていて、アウアナ(モダン)も同じK子先生のクラスに変わろうかと思っているのだけれど、そのK子先生の実態というか「実はこんな人なの」みたいな話を聞いて、ちょっと退き気味に。
K子先生は、神秘的で大人な雰囲気とそのスパルタな教え方でファンが多いし、その熱烈度もお高め、なの。
なのだけれど、なんというか、そのイメージと実像が真反対だとわかった時の衝撃といったら。
そんなことをいったら、イメージって何とか、実像って何っていう話になるのだけれども。
それはそれとして。
それで私の気持ちはぐらっぐら。
K子先生の教え方が好きなことに変わりはないのだけれど、ちょっとがっかりしたというか。
何を私が求めていたのかがわかったというか。
私は、K子先生に限らず、自分が何かを教えてもらう人には自分より優れた資質を求めているのだなぁと。
別のフラの先生で、ウエストはこれでもかとくびれ、胸はぼーんと出ているエロ明るいA先生という方がいて。
このA先生も大好きなのだけれど、男の趣味が「どうなの、それ」系で。
あんなにきれいでエロくて性格も明るいのにどうして「おらおら系の俺様」がタイプなのか・・・。
理解に苦しむーーー。
A先生なんかモテモテで素敵な人がわんさかいるだろうに・・・。
このツートップともいえるK子先生とA先生のイメージとのギャップに、私の小さな脳みそはちょっと混乱。
でまたもや気がつかされました。
パーフェクトはない、ということ。
いや、知ってはいました。
言葉としてはね。
でも「わかった!」ではなかったんだね。
そして人は自分が見たいようにしか見ないということもわかりました。
自分で勝手に色んな色や形のメガネをかけて相手を、自分が見たいところだけ見ているくせに、相手がそこからはみだすと「違―う」と文句をたれる。
それはお門違いもいいところなのだけれど。
一番いいのは相手をそのまま見て受け入れることだけれど、それはなかなか難しい気がする。それであれば、勝手な色や形のメガネをかけてもいいから、相手がどうであってもそれを受け入れるだけの覚悟をもちたいなぁと思う。