ほんとうにほんとうのことだけ

ああでもないこうでもないとアタマやムネの裡をぽろぽろとこぼしたりこぼれ落ちたり。

『幸せのレシピ』

2007-09-30 14:18:21 | 映画ほか
NYのレストランで料理長を務める、“エントラップメント”ゼタ・ジョーンズ。
これが大人気シェフで自分にも人にも厳しい完ぺき主義ときている。
ゼタ・ジョーンズが料理をすること自体が、眉唾ものだけれども、まぁそれは置いておくとして。
そのゼタ姐に姉の不幸が襲う。事故で姉が亡くなりその娘のゾーイ(“リトル・ミス・サンシャイン”のブス可愛いあの子)を引き取ることに。
彼女が休みの間、助っ人として雇われたシェフ(アーロン・エッカート)は陽気で、何かとゼタ姐は気に入らず…。

どこまでもゼタ姐に都合よくできているアイドル映画。
私だってこんなアーロン・エッカートみたいな、できた男の人がいてくれるといいなぁと思っちゃうわよ。
姪のゾーイにどう対応したらいいのかわからないところとかは不器用さがでていてよかったけれども、全編に渡って「ゼタ姐、あんた、本当にそんなに簡単に謝ったりするの?」と何度も思ったわ~。

お気楽に楽しく見られるので、のんびりしたいときにおすすめ。

『Candy キャンディ』

2007-09-29 20:38:32 | 映画ほか
愚かしさは、二人の愛を純愛にまで昇華する。

詩人志望のダンと画家の卵のキャンディ。
誰も二人の間に隙間すら見つけられないほどの相思相愛ぶりだ。
そんな二人はジャンキーでもある。
恋とヤクに夢中の二人だ。

ジャンキーである彼らは働く、という概念が抜け落ちている。
けれどもヤクを買うには金が必要だ。
そうすると、親や知り合いに無心をし近所の家財道具を勝手に売り払い金を作る。
挙げ句のはてにキャンディは身体を売って稼ぐようになる。
最愛の恋人が身体を売るということをダンは容認している。

恋愛とクスリは依存しやすいというところに共通点があるように思う。
そしてそのふたつは容易く結びつく。
ただこの二人のように純度が高いかといえば疑問だけれど。
これはひとえに、ヒース・レジャー演じるダンのおかげだろう。
100パーだめだめなだめんずだけれど、彼の繊細ややさしさのおかげで彼らの純度は抜群だ。
どうしようもなく愚かしい彼らだからこそ、その愛がピュアで儚く美しいものに転化するのだ。

ダンとキャンディの間には映画の最初から自然に濃密な愛情がある。
こんなにふつうにスクリーンに愛情が漂っているのは、ヒース・レジャーとアビー・コーニッシュの素晴らしさの賜物だと思う。

二人を見守るジェフリー・ラッシュは、これはちょっと訳ありのスパイスとして効いている。

自主練で思うあれこれ

2007-09-28 13:45:32 | Weblog
昨日はフラの発表会にそなえての自主練@吉祥寺。
発表会に出る22人のうちの13人が集合。
先生がいないという練習はちょっと不思議ね。
それでもっていつものレッスンでも先生からあれやこれや言われたり注意を受けるワタクシ。
昨日も、駄目だしくらいまくり。
いや、いいんですけど、私っていじられキャラなの?
もちろん、私の踊りがだめだめちゃんなのだろうけれども、ふとね、思ったわけです。
「ひょっとしていじられキャラ?」と。
まあ、でも、何も言われないよりはね、とてもいいと思うわけです。
にしても、私って、本当に協調性とかっていうことから離れて生きてきたんだなぁと思いました。
とことん個人主義というか。
いや、違うな、自己中な個人主義っていうべきかしら。
だから、発表会に参加することを決めてから、徐々に「あれ、これって?」と普段、なじみのない感覚がいくつもあって。
踊りを最大限にきれいに見せるために周りの人を気にして踊る、とか呼吸を合わせるといった分かりやすい協調性とか、一緒に舞台に立つんだというグループのまとまりとしての協調性とか、なんだか妙に新鮮で。
「ほお、なんでもやってみるもんだな」と。
そもそもフラのレッスン自体が女だらけの集団じゃないか、という話もあるけれど、普段は、そんなにべったりにしたりはしない。
私はね。
別に友だちを作りに行っているわけではないし。
もちろん、友だちができるのはうれしいことだけれども、それが主眼ではないということで。
だけど、複数の人間がいればそこには何らかの色や性格が出てくるわけで。
フラに関してはそれを浅くしていた私は、他の人たちの絶妙な女同士の距離感の取り方に一人、びっくりしていたりするんだな。
なんとなくそういうことに対してどこにも所属していないような、心細さがあったりする。
でもさすがにもういい年になっているので、それはそれ、と置いておけるようになった。
年は取るもんだね。
もう少し若いときの私だったら、心細さに負けて、擦り寄ったり媚を売ったりしていただろうなぁと思うもん。
うん、年を取ることは悪くないね。
それでも正直、「わずらわしい」とは思う。
まぁ、それは多分、他の人たちも思ってはいるのだろうけれども。
ただここに一つの疑問がある。
私が感じるわずらわしさは、それは女同士の面倒くささなのか、はたまた人付き合いそのものを面倒くさがっているのかどうかということ。
「女同士で面倒くさい」と思っているけれど実は人付き合いをわずらわしがっているとすると、これはちょっと問題でしょう?
寂しがりのくせに一人が好きなのは認める。
でも人付き合いをうっとうしがるのは人として困ったものだ、と私は思うので。
そういう意味でも、集団行動は新鮮だし、いい訓練になるなぁと思っているわけです。

またも敗北・・・

2007-09-27 17:46:28 | Weblog
昨日の句会。
もう何度目?
4度目?くらいのナシナシ、ゼロ点句会になっちゃった。
最近は、ちょっと慣れたからあからさまにどよんと落ち込んだりはしなーい。
むしろその場を楽しむ方向で。
もちろん、昨日もその方向で。
帰り道に、「私も打たれ強くなったもんだわー」と自画自賛をしていたんだけど。
でも。
時間が経てば経つほど、悔しさは増していくというか。
それも句を作るときに粘れない自分に対して腹が立ってきたりして。
打たれ強くなったのはいいけれど、悔しさもまた倍増という。
ほっほっほっほ。
がんばるわー。
なんでこんなに燃えてるんだろ。
ただの負けず嫌いなだけじゃん。

ポルトガル料理

2007-09-26 15:37:22 | Weblog
今月いっぱいで別のフロアに異動になるMちゃんを囲む会、ということでいつもご飯やカラオケにいく仲間のTさん、Hさんとでお夕飯。
東急本店近くのポルトガル料理のお店。
ここは2年くらい前にTさんと行ってとっても美味しくて覚えていたお店。
お料理全般にパクチーが使われていて、それがとても美味しい。
素材も魚介類もお肉も美味しいし、ひよこ豆を使った煮込みなども美味。
話題はこれまでどんなものを食べたかという話。Tさんが食べることが好きで、ことにエスニック系が好きなので、今まで私たちが行ったお店の話をして盛り上がった。
ペルー料理やトルコ料理、メキシコにブータンにウクライナに燻製のお店。
これ全部、Tさんのおかげで行ったお店。
でもとにかくそのポルトガル料理が美味しくて、お料理が出てくるとあっという間に平らげてしまう。
ポーションがそんなにないこともあるけれど、それぞれ取り分けたら、美味しい美味しいとあっという間にお皿が空っぽになる。
たらふく食べてお腹がぱんぱんになったので、電車に乗るよりも少し歩こうとMちゃんと30,40分くらい歩く。
久しぶりに食べることと話すことを単純に楽しめた夜だったような。

フラのお衣装はアイドルチック

2007-09-25 15:08:03 | Weblog
発表会前の最後のレッスン。
昨日届いた衣装を着けてみたりして。
この衣装がこれがまたすっごーいんですけれど。
白のチューブトップに白のスカート、そのスカートの上にオーロラ色のチュチュ。
これがふわんふわんでちょっと前のアイドルみたいなの。
こんな格好、生まれて初めてだし、多分この先もすることはないと思われる。
その白い格好に頭に白い花の冠を載せ、白い花をかたどったネックレスもしてどこまでも白。
ピュアっていうんですか。
もうびっくりです。
自分は置いておいて、他の子たちが白一色のこの衣装を着ているのはとても可愛い。
このかっこうで20人くらいでまとまっていると合同結婚式みたいだけれど。
まぁ、この際だからこんなやったことのないかっこうもまたいいか、と。
あとは自主練2回を残すのみ~。

昨日、久しぶりに渋谷から原宿へ向かって明治通り沿いを歩いた。
もう何年もこの通りを歩いていない。
知っているのになじみがない場所を歩くのはちょっと新鮮。
原宿が近づいてきて見慣れたGAPやラフォーレが見えてきたらほっとしたりして。

ウルトラ軽いシミュレーション

2007-09-24 14:51:24 | Weblog
朝起きてから、もし、自宅で仕事をしているとして…と動いてみた。
難しいは難しい。
気が散りやすい私は、“その気”になる、スイッチを入れるのが難しい。
でもその一方で、始めてしまえばちょっとずつでもそれはできる。
「お、やれるじゃん」と思ったりもする。
だから、できなくはないんだな、と思う。
ただ、やっぱり、30分とか1時間とか外を歩く時間は必要かも。
考え事をするには歩くのが一番だし。


写真はまったく無関係に六本木トンネル。
ミッドタウンやヒルズに超近いのにこんな感じ。

ちょっとしたお楽しみ

2007-09-23 14:18:32 | Weblog
昨日の夜見た、『スーパー・ストーム』というドラマ。
面白かった。
ハリケーンなどの気象状況を人為的に解決しようとする話なのだけれど、何が面白いって科学者の研究への追求心と、それを政治的に使おうとする国家の思惑というのががっちり組み合わされていて、「そ、それで?」とどきどきするから。
それに気象を人為的に操作することが、かつての原子爆弾クラスの武器を再び手にすることになるのだという示唆も怖面白い。
こういうことをドラマにして、それもエンタテインメントとして面白く関心を引くことがアメリカって上手いなぁ、と思う。
次回も楽しみだなぁ。

日曜日の午前のお楽しみ。
浅草キッドの『大人電話相談室』と『安住紳一郎の日曜天国』。
ばかみたいにお気に入り。

『さらば、ベルリン』

2007-09-22 16:01:44 | 映画ほか
1945年のベルリン。
米英ソがポツダム会議を行おうというその時期。
その模様を取材するという目的でジェイク・ガイスナー(ジョージ・クルーニー)はベルリンへやって来た。
彼の運転手をつとめるタリー伍長(トビー・マグワイア)は、実は闇市場であれこれとうろつき回る自分の利益だけを考える男だった。


正直、少し難しい感じだった。
それでも戦争が暴く人間の本性というものはあちこちで色んな顔を覗かせていて、それが一番怖かったけれど。

戦争終結のおきれいな平和の裏で、戦勝国がそれぞれが自国の利益をより多く得ようと画策している。
それは兵士や一般の人間にも当然のごとく及んでおり、どさくさや混乱というものがいかに人間の本性を引っ張り出しやすいかを見せる。
とことん卑怯で、頭の悪いチンピラを善良なスパイダーマンのトビー・マグワイアが演っていて、ことさらに憎々しい。
そこがいいのだけれど。
そのマグワイアの恋人がケイト・ブランシェット演じる売春婦のレーナ。
彼女はジョジクルと以前、恋人同士だったことがある。
そしてマグワイアの、銃で撃たれた死体がポツダムの湖で発見される。
この殺人を米ソどちらもが無視をすることに納得がいかないジョジクルが動き出す。
このジョジクルのジャーナリストには、正義感とどんくささが感じられる。
利害が相対するものたちが無視をする、という処世術を取っているということは何かが裏にあるということだ。
両大国が無視をするというくらいなのだから、たかだかジャーナリスト風情が手を出していいというようなものではないくらい容易に想像がつくだろう。
だが、このジョジクル、倫理観と正義感とそれとかつての恋人への想いからただ一人野暮なまでに動き回る。
それがことごとくレーナに結びついていく。
果たして、なぜマグワイアは殺されたのか、なぜ米ソは殺人を黙殺するのか、レーナは何故、住む場所をどんどん変えなくてはならないのか、それらの答えの手がかりを手に入れながらもおセンチといっていいような気持ちから、真相をあえて避けるジョジクル。
なんだかとってもアメリカっぽい。

このジャーナリスト、まったくまったくジョジクルにはぴったりだと思う。
そしてケイト・ブランシェットもモノクロの質感にぴったりの怪しい美女ぶり。

憧れの人

2007-09-21 12:23:42 | Weblog
十代の後半から二十代前半にかけて、私は片岡義男さんに猛烈に憧れていた。
片岡さんの端正な文章とその世界に憧れていた。
片岡さんの描く登場人物はとても成熟していて、こんな大人になりたいと思っていた。
そしてあとになって知ったことだけれど、英語がほぼ母国語である片岡さんの文章は、自分がふだん使っている日本語と同じとは思えないほどクリアで美しい。
かつて自分が憧れていた成熟した大人にはほど遠い現在、それはそれで拒絶することでもなく受け入れたりしている。
これは推測になるのだけれど、完璧なファンタジーであることを承知で片岡さんは数々の物語を描かれたのではないかと思う。
今にして思えば、“こういう大人になりたい”と思った初めての人は、生身の人間ではなくて片岡義男さんの小説の登場人物だったのだな。