民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

父の葬儀のことども

2007-08-12 19:47:23 | 民俗学
様々な出来事が次々と起こり、書かねばならないという思いはいつも持ちながら、気持ちと時間が文字を並べる行為に自分を向かわせないでいた。
 7月6日夕刻、父が亡くなった。長い闘病というほどではなく、確かに体力はなくなっていたが、まさかこんなに早く「さようなら」をしようとは思いもよらなかった。あれから1ヶ月が経過しただけだが、もう随分以前のことのように思われるのである。
 1月には妻の父を送り、次いで自分の父である。2人とも平均寿命は超えているのだから、長寿であったと喜ばなければならないのだが、亡くなってみると、もう少し生きていてほしかったという思いがこみあげてくる。
 父は自宅で看取ったこともあり、看病から葬式に至る過程のなかで、親族や近隣といった人間関係についていろいろと考えさせられた。それを簡単にいってしまえば、田舎暮らしの煩わしさ ということになるが、聞き書きの中の葬儀と渦中の葬儀では、客観的に語れない部分も多い。これはもう少し自分の気持ちが落ち着いたところで、当事者としての葬儀とでも題してレポートしたいと思う。それでも今回は1点だけ触れておきたい。
 私は、以前の歴博のシンポジウムやその後の発表において、石塔の建立について、死後の供養の永続性が保証されない現代社会にはそぐわないとの理由で疑問を呈した。客観的に考えればこの考えは間違っていないと思うが、今回は当事者として現実的な問題に立ち会って、気持ちが揺れているのも事実である。それは遺骨の処理の問題である。火葬にしたお骨を、いつまでも家の中に置いてよいのだろうが、何だか宙ぶらりんで気持ちの整理がつかない。墓地という地面があれば、骨壷ごとあるいは骨だけにして埋めて土に返すという手がある。土葬にしていたころは、そうしていたのだから同じである。しかし、火葬場で丁寧に集めたお骨は遺骸からの変化が急激であることから、故人の存在証明となっている。その骨を土に返すのは、故人の存在した証明をこの世から完全に無くしてしまうようで気がひける。父は生前に墓地を購入し、下部に納骨施設をもった石塔を建立していた。この事業について、当然ながら自分は冷ややかな態度をとってきた。しかし、今回49日で遺骨の処理をしたいと思ってみると、この石塔墓を作ってあったお陰で大いに助かったのである。費用の出費はともかく、墓地の選定、石塔を建てるとしたら墓石業者との折衝、建てないとしたらそれに替わる遺骨の処理方法の検討など、多くの時間を必要としたことだろう。(そのために、墓所を設けた寺との望まない関係が生じてしまったこともあるが)自分としては批判的ながらも、石塔墓の建立について父には感謝した次第である。ひるがえって自分自身の骨の処理についても、子どもたちに供養を押し付ける形でなく言い残しておかなければならないと思うのである。


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