民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

廃れ行く「小正月」

2017-01-16 17:09:46 | 民俗学

 1月14日から15日にかけてを小正月とかワカドシとかといいます。小正月は12月31日から1月1日にかけての大正月に対する呼称です。一説によれば、古くは小正月が年取りであったものが、大正月に移行したのだといいます。それは、文字にした暦がないころ人々は月の満ち欠けで日を定めていた。月の満ち欠けで分かりやすいのは満月だから、1月の満月(15日)を1月1日としていたと考えられます。すると、1月14日が年取りとなるのです。文字暦が普及して15夜から1日にに新年が移行すると、年神を迎える儀礼は大正月に移行しましたが、作神を祀ってその年の豊作を祈る儀礼はそのまま変更しないで残りました。それが小正月におこなわれる諸行事だと考えられます。ところが、その小正月の行事が行われなくなりました。具体的には、大正月に松に付けて迎えた歳神様には小正月におかえりいただき、かわりに作物の豊作を祈るために作ったモノヅクリを飾るのです。モノヅクリとは、稲や粟がたわわに稔った様を作った、イネバナやアワバナ・マユダマ、米俵のように作ったホンダルなどがありました。

 ところが、粟は作らなくなり、コメは余るから作るなといわれ、繭は化学繊維に太刀打ちできずに飼育しなくなりました。そうすると、豊作を祈る意味がなくなり、小正月の儀礼は次第にやらなくなりました。松本近辺で遅くまでやられていたのは、マユダマを作ることでした。これは松本近辺で子どもたちが行う三九郎と呼ぶ小正月の火祭りに、マユダマと呼ぶ米の粉で作った団子を柳の枝に刺したものを持ち寄り、火をたいたあとのオキで焼いて食べるという習俗があるため、子どもに持たせるマユダマはどうしても作らなければいけなかったのです。ところが、ハッピーマンデイが導入され、連休に引きずられて三九郎の日も流動的になりました。結果、小正月に作られたマユダマは三九郎の日に作られるようになり、小正月の行事からは離れてしまいました。それでも、マユダマを作るという習俗は今も継続しているのです。ちなみに松本辺では今年の三九郎は8日に行う所が多く、小正月を待たずに年神様にはお帰りいただくことになりました。

 写真は東御市滋野で1月14日にできたものです。ここでは、小正月の火祭りを「どんど焼き」といい、1月15日の朝、各家庭で注連飾りを村はずれに持ち寄って焼き、その火でマユダマを焼いて食べていました。子ども組の行事ではなかったわけです。そんなドンドヤキですが、今年は14日、15日が休日だったせいか、14日に公民館の庭に松飾を持ち寄るようにとの回覧がまわって、できていたのがこれです。いかにも、報道で見る三九郎ぽいものができています。竹を周囲にめぐらして注連縄で結び、中に松をいれてあります。三九郎に似せたと思いますが、心棒となる木はありません。来年からどうなるかわかりませんが、新しい行事が創造されたのです。それもきちんと小正月を意識した日に行われているのです。大きく報道され、子どもの大きな行事である三九郎が、土日が小正月に重なったにもかかわらず、小正月ではない成人の日を意識した8日に行われ、各家庭から松を持ち寄って焼くだけの東信の「どんどやき」は、昔どおりの日に行われたというのは、本当に興味深いことでした。

 


青木理著『日本会議の正体』読了

2017-01-16 17:08:28 | 読書

 かねてから気になっていた「日本会議」です。この本でもいうように、これだけその主張が現政権にコミットしているにもかかわらず、マスコミはほとんど報じないどころか、国民の大部分はその実態どころか存在すら知らないという不気味な団体に、よくぞメスをいれてくれました。

 本の内容を詳しく解説するなら、読んでもらったほうが良いですから、私の感想を書いてみます。まず、明治憲法を復活させて、天皇主権・祭政一致を真剣に実現させようとする人々がいることに驚きました。本書では、日本会議の主張を以下のようにまとめています。

 日本会議の中枢にいる人びとを知る関係者は、その執念や粘り強さの背後には「宗教心」があると指摘した。新興宗教団体・生長の家に出自を持つがゆえの「宗教心」。また、日本会議そのものが神社本庁を筆頭とする神社界などの手厚いバックアップを受けているため、その「宗教心」に裏打ちされた運動や主張は、時に近代民主主義の大原則を容易に逸脱し、踏み越え、踏みにじる。
 天皇中心主義の賛美と国民主権の否定。祭政一致への限りない憧憬と政教分離の否定。日本は世界にも稀な伝統を持つ国家であり、国民主権や政教分離などという思想は国柄に合わない―そんな主張を、たとえば日本会議の実務を取り仕切る椛島は、平気の平左で口にしてきた。それは同時に、日本会議の運動と同質性、連関性を有する安倍政権の危うさも浮き彫りにする

 生長の家の関係者が日本会議の中核を占め、それらの人々が安倍政権の理念を構築してしているのだといいます。生長の家の宗教心とは何なのかよくわからないのですが、天皇教の信者といってもよいでしょうか。天皇教の信者を否定するものではありませんが、それを国教として国民に強要するとしたら、北朝鮮やイスラム国、サウジアラビアと何ら変わりません。この信者は先の大戦での敗戦という歴史的事実は、全くなかったものとして忘却し、侵略戦争をこの国が戦ったことも、相手が悪かったからやむを得ない戦争であったと、心底信じているようです。都合のよいことしか見ようとしないのは世界的傾向であるとはいえ、何が真実かを教えない教育はオレ様を育てるだけです。


在宅介護ということ

2017-01-16 17:04:31 | その他

 妻の母は認知症で94歳になります。一人暮らしですが、デイサービスとショートステイを利用し、夜は妻と妻の妹が交代で泊まり込んで介護しています。その義母が1週間ほど前にインフルエンザとなり、まずいことに介護していた義妹も罹患してしまいました。妻は腰を痛めてずっと治療していますので、義妹は何とか頑張っていたのですが、あまりにも無理なので休養してもらうため私がヘルパーとなって妻の実家に一緒に来ています。60代半ばの老人が90代半ばの老人を介護しているのです。介護者も病を抱えたり抵抗力も弱いので、いつ共倒れになるかわかりません。今回は夜中におきてトイレの世話のヘルプをしたりしていますが、食事の世話はともかく、夜中のトイレの世話は、しかも毎晩というのは大変なことです。夜間の世話は今回が初めてでしたが、その負担がよくわかりました。服の脱ぎ着や移動に力が必要です。介護者も腰痛になります。こんな在宅介護が日本中で行われているのでしょう。しかも、介護者が一人の場合自分が休むわけにいきませんし、自分が動けなくなった先を考えたら何の見通しもたちません。

 妹のインフルエンザと自分の腰痛という状況の中で、限界を感じた妻は特養の申し込みの準備を始めました。できる限り自分たちでみたいと思っていたのでしょう、施設入所は検討してこなかった妻たち姉妹ですが、さすがに今回は無理だと考えたようです。しかし、ぎりぎりまで在宅で頑張った場合に施設入所がすぐあるかといえば、申し込みして待っている人が既にたくさんいます。本当にギリギリになった場合、共に死ぬしかないという選択を考えたとしても不思議ではありません。息を引き取るまで自分の意思決定で生存したいとは思うのですが、現実にはそうはいきません。そうすると、長生きして何がめでたいのだ、ということになります。在宅介護がいい、家で死にたいといいますが、そんな選択ができるのは。これからは極限られた幸運な人だけの話だと思います。今月中には施設入所の手続きをいくつか提出するのですが、いつそれが実現するか、今年は高齢者の仲間になる自分たちの体がいつまで介護をできる状態でいられるか、綱渡りのようなものです。