☆・☆・☆富貴屋倶楽部☆

高齢者の目から見た、身の回りの出来事を、
そこはかとなく書き連ねました。

高田和明 『三陸旅情』よ 再び

2021年10月29日 | ▼平成二十三年東北地方太平洋沖地震
※高田 和明『三陸旅情』


※高田和明 『三陸旅情』
1980年代の三陸鉄道開業を記念して
歌詞に沿線の名勝地を取り入れて再レコーディング。


●三陸海岸は、東北地方の太平洋側、青森県南東端から岩手県沿岸部を経て宮城県の牡鹿半島までの海岸の総称。
総延長600km余り。
日本有数のリアス式海岸で、観光および世界三大漁場「三陸沖」などでの漁業が主要産業となっている。
●震災前の三陸沿岸(読み込みにチョット時間がかかります)


DiamondsM37's channelを使用させていただいています。
(2011/04/14 にアップロード
今から1年7ヶ月ほど前、友人と三陸海岸を旅しその美しい景観を映像に収めました。2­011年3月11日の午後、この全てが一瞬にして消えてしまいました。)
とコメントが付記してあります。

●震災後も祭りを大切な事として再開し、復興への気力・団結を盛り上げています。



●本州で最も東に位置している重茂(オモエ)半島にある 魹ヶ埼(とどがさき)灯台
映画「喜びも悲しみも幾年月」のゆかりの灯台としても有名
 
●高田松原(たかたまつばら)
日本の岩手県陸前高田市高田町の海岸に設けられた江戸時代以来の防潮林であり、
白砂青松の景勝地であった。
2kmにわたって続く弓なりの砂浜に松林が形成されていた。
 その砂浜は、西進して広田湾(ひろたわん)で太平洋に注ぐ気仙川(けせんがわ)が形作ったものである。
背後には氷上山(ひかみさん、標高874m)が聳える。

 2枚の写真の上の写真は震災前。松原が景観をなし、海には多くの 養殖イカダ が浮かぶ。
       下の写真は震災後。7万本も植えられていた松原は消えた・・・。
 ●震災前に7万本あった松並木も  1本だけ奇跡的に残った松(震災直後で茂っていますが、枯れたので、復元)    
(復元された一本松・リアルに枯れた様子で復元)だけになりました。                                               
●東日本大震災被災地復興への願いを込めて、国内自動車メーカー14社が製作した10分の1サイズの「希望の一本松」
         

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