本田哲郎神父の講演会の音声データをPC上でも聞けるようにしたのでご紹介します。
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講演は85分と長かったので二つに分割して音質を下げています。そのため多少聞きにくいかと思いますが、暇な時にお聞きください。
part1は「00-60...」というファイルで時間は60分です。こちらからどうぞ。
part2は「60-85...」というファイルで時間は25分です。こちらからどうぞ。
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信仰箇条を公に否定しているわけですし、ミサのパンと葡萄酒の規定にも反していますから、無効でしょう?
・・そのようなことが、噂だけであって欲しいですが。
私は一度講演を聴きに行きましたが、そのようなことはおっしゃってなかったですよ。とはいってもすべての講演を聴いているわけではないので真偽のほどはわかりませんが。
未洗礼者に聖体拝領を行ったとしたら由々しき問題ですね。噂であって欲しいものです。司祭に幻滅する経験はもうたくさんですし。
また、食パンでミサを行い、未信者にもホスチアは与えられます。この時点で、律法的なカトリック信者はつまずくでしょう。
本田神父の主張したいことは、キリスト教が初期の志を忘れ、権威主義に陥り、貧しい人をないがしろにしてきた反省から、貧しい人、弱い立場の人から学ぶというのが彼の主張しているところです。
はたして、日本で何人のキリスト者がイエスの教えに従って生きているでしょうか?釜が崎という貧困地域を見捨てて教会内で自己満足に、ひたっていることは簡単だし楽です。本田神父はイエスの福音の実践者であり、釜が崎のホームレスや労働者は、小さくされたキリストそのものです。彼を批判するなら、彼よりもよい行いをもって批判しましょう。
22:すると、その辺境の地から、一人のカナン人の婦人がやって来て、「主よ、ダビデの申し子よ、わたしの苦しみを分かってください。むすめが悪霊につかれて、具合を悪くしています」と叫んだ。
23:しかし、イエスはひとこともこたえなかった。それで、弟子たちがそばに来て、イエスにたのんだ。「あの女を帰らせてください。後ろで叫び続けています」
24:イエスは、「わたしは、イスラエルの家の打ちのめされた羊たちのところに、つかわされているのだ」と言った。
25:するとその婦人は、イエスの前に来て、ひれ伏し、「主よ、助けてください」と言った。
26:イエスが「子どもたちのパンを取って、子犬たちにやるのはいいことではないだろう」と言うと、
27:その婦人は言った。「はい、主よ。けれども、子犬たちも主人の食卓からおちるパンくずを食べます」。
28:イエスはその婦人に言った。「おお、婦人よ。あなたの信頼に満ちたふるまいは大したものだ。あなたの願いどおりなるように」。ちょうどその時に、その婦人の娘は癒された。(本田訳)
Amen
私は、洗礼を受けてません。しかし、クリスチャンです。キリストに祈ってきました。
私は、別にホスチアを食べることに問題はないと思いますが、食べたことはありません。食べる資格がどうとかうるさいので。
私の極論ですが、だいたい、教会には、洗礼を受けて高みにあると思っているクリスチャン(もちろん、そうでない人もいると思いますが、少ないと思います)と洗礼を受けていない低みにあると思っている人たちがいるんじゃないかと思います。
元来、洗礼とは、高みに立つためのものではないはず。洗礼者ヨハネは、そんな勘違いをした人たちを蝮の子、毒蛇の子など言って非難しました。
一体、誰がアブラハムの子や神の子となれると教えているのでしょうか?罪が赦されると教えたのでしょうか。
教会そのものですかね。
洗礼とは、低みに立つ決意のためのものです。
本田神父の意見に賛成です。
洗礼を受けることで、高みにいると勘違いするぐらいなら、洗礼は空しいものです。洗礼者ヨハネの言っていた言葉のようになるでしょう。
実を実らせましょう。
また、洗礼は恵みであり、受けたから上だの受けないから下だの、あなたが勝手に上下構造を作ってるだけですよ。洗礼は、あなたしだいなのです。
また、「悔い改め」の言葉の中には多くの意味が含まれます。本田神父の説く洗礼も、そのひとつです。
何度も言いますが、あなたが貴方自身の言葉で上下構造を作ってるだけです。
兄弟の目の中の・・・を読んでください