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カトリック藤が丘教会青年会有志ブログ
カトリック藤が丘教会は横浜教区にあります。開かれた教会を目指してブログを公開中。信徒活動停止処分の解除を待ち望んでます。
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カトリック藤が丘教会はカトリック横浜教区に属し、1971年に現在の青葉台東急百貨店内で最初のミサが行われました。1972年には現在の柿の木台に聖堂を完成させ、1997年に現在の新聖堂が完成しました。
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さようならマウ神父、はじめまして小笠原神父。
教会について
/
2008-03-04 00:17:17
四月からマウ神父は東京教区の府中教会に異動することになりました。そして新司祭としてカトリック藤が丘教会に小笠原神父(逗子教会)が赴任することになりました。マウ神父におかれましては、カトリック藤が丘教会での出来事を教訓に、新天地の府中教会にて東京教区司教の元でがんばっていただきたいと思います。
小笠原神父の歓迎会等の日程は追ってお知らせします。
(写真はマウ神父)
コメント (
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今年はよき一...
(訂正)三月...
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コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
Unknown
(
max
)
2008-11-09 19:11:20
信徒使徒職停止処分。。。なんとも理解しがたいです。司教団は、所詮、身内を庇うことしかしない様子。某女性信徒との交際も『教会法』には、司祭が女性となんらかの特別な関係を持っていることを知った者は、司教に報告する義務があります。にも関わらず、梅宮さんは、信徒に圧力を掛けてきた様子・・・。
マウ氏だけではなく、某修道会のH管区長も主任司祭時代の女性と朝帰りをしたり、外国へ旅行に行ってしまったりしていますが、大司教や枢機卿に勇気ある信徒が物申しに向かいましたが、何のお咎めもありませんでした。
司教団は、列福や憲法九条、在日外国人信徒問題にしか関心がなく、実際の小教区内で起こっている問題には、触れようともしない気がします。
頑張って下さい。
こんばんは。
(
administrator
)
2008-11-09 22:14:40
主の福音
マウ神父の女性問題、会計不正処理などに我慢しかねて梅村司教に状況改善を訴えに行きましたが、逆に「信仰心が足りないのでしばらく黙想しなさい」と信徒活動停止を指示されてしまいました。信仰が厚ければ神父の女性問題には目をつぶることが出来るのでしょうか。未だに梅村司教の処置には納得がいっておりません。
マウ神父はカトリック府中教会に赴任しましたが、そこでも似たようなことをしていると聞いてます。
信徒を泣き寝入りさせるのが使命か?
(
max
)
2008-11-11 17:53:00
こんばんは。
教会内で、返事できない、返答しにくい、ことがあれば、「祈りが足りない」「祈りなさい」というのは、思考能力がないか、頭の良い人の言う常套句です。
パワハラという言葉は好きではありませんが、梅村さんの言葉は、あからさまな気がします。
司教達の言っていることは、夢の中で屁を踏んだよりも頼りないものだと思います。
司教の権威をもって信徒を威圧する。信徒は何処へも小教区内の課題を相談できないことになります。
教会離れがあっても仕方がないかも知れません。東京管区裁判所に訴え出るしか手はありません。でもなぁ・・・お仲間うちなので。
マウのような神父は、何処に行っても同じです。梅村やその他の司教も同様な問題が教区司祭で生じると、教区外に病気療養などという姑息な名目で逃がしますが、マウのように宣教会の神父は、宣教会の意向もあるでしょうし、司教と宣教会の思惑も絡んでいると思いますよ。
藤が丘教会・・・本当に気の毒です。
Unknown
(
Administrator
)
2008-11-11 19:25:05
主の福音
身内に甘いのはすねに傷があるからではないか、と司教が邪推されるのも仕方がないと思います。
カトリック府中教会でも「事務所内は関係者以外立ち入り禁止」ということにしたと聞きました。これを第一歩として、また献金ネコババするつもりでしょう。減った分は教会維持費を厳しく集めることで穴埋めするみたいです。事あるごとに維持費の重要性に触れるようになったことから分かります。
府中教会の信徒が同じ目に遭わないように祈るばかりです。教会の世界は狭いので、もう既に情報は行ってますが心配です。
やっぱり・・・府中でも
(
マックス
)
2008-11-13 06:56:23
マウさんの最高責任者である管区長に言うべきだと思います(何もしない公算が強いですが)。
被害が広がるだけですよ。このままにしておくと。米国の青年への性的虐待の司祭を問題発覚後、他の教区へ移しただけで、何もしなかったら、やはり被害が拡大してしまった件があります。なぜ、教皇様が、オーストラリアで、青年達に謝らないといけないのかと思いました。謝る立場にあるのは、教皇様ではないでしょう。
府中教会は、東京教区ですか?岡田司教も何もしないでしょうねぇ・・・。お仲間だから。
某会でも会のお金を着服し、次ぎに派遣された小教区でも小教区会計のお金を持ち逃げし、逃亡しているのもいます。
以前、埼玉教区内で働いていて修道会の司祭が、子供へのお話しの中で「神父さん(自分を指して)は、・・女の人の裸を想像します」とか言いだして、それを聞いていた外国人修道女が、彼の管区長に連絡をしたらしい。そうしたところ、その返事は、「彼は病気です。今の所が気に入っているようなので、そのままおいて欲しい」としか言わなかったとそのシスターから直接聞きました。
この程度なのよ。どこも・・・。
でも、司教団も列福式でうつつをぬかす暇があったら、司祭の再育成を考えた方がいいと思います。そのような面倒くさい事はしたくないようですね・・・。
「日本のカトリック教会は、一端、解散した方がいいです」と外国人の宣教師が話していました。
溜息が出ます。今の司教団は、まともなのがいない。菊池司教様くらいか?真面目に事を考えて下さるのは・・・・。
ここの書き込みも
(
max
)
2008-11-13 06:59:36
頃合いを見て、削除した方がいいかもしれません。梅村さんがチェックを入れている可能性もありますから・・・。
余計に睨まれるかもです。
アホに負けないで頑張って下さいね。
小笠原神父について
(
管野 綾
)
2008-12-29 14:09:02
いつまでも、過去のマウ神父の話ばかり、もういい加減うんざりです。
それよりも今、重大なのは、段々やる気がなくなって、最近イライラが目立つ小笠原神父に、もう一度しっかりしてもらいたいと願うばかりですが・・半分投げ出した感の状態で、無理のようですね。
夏頃に一度、工事中の藤が丘教会のHPは、いつ出来るのですか?とお聞きした所『今の状態じゃ無理だ。それに自分は興味がない!!』とバッサリ吐き捨てるような言い方をされ、神父の言葉とは思えない、恐ろしさを感じ凍りつきました。
個人的に相談の時間を取っていただいても、右の耳から左の耳で、最後は祈りなさい!の一言で、はっきり言って時間の無駄と不快感だけが残る落胆するものでした・・。
あの今の、やる気のない冷酷な小笠原神父についてこそ、皆さんにも考えてもらいたい問題です。
最近は教会に足が向かなくなって来て、ミサの休みがちです。(他の皆さんも同意見の方も多いみたいです) そして悲しい事に、クリスマスは自宅で過ごしました。
小笠原神父が、あの状態だと、来年も藤が丘教会の未来は真っ暗ですね・・・。
質問ですが、ここのHPに小笠原神父の情報を一切、載せないのは、なぜですか? やはり自分のように、小笠原神父があまりにも期待はずれの人物だったからでしょうか?
藤が丘教会のHPもいまだ閉鎖状態、ここのHPにも小笠原神父の情報は一切なし。
残念ながら、藤が丘教会は、脳死状態としか言えません。
だだの箱と化している、愛のない教会・神父・隣人を思いやり許す心を忘れた信者達には、虚しさをかんじます。
教会の有志で、教会を本当によくしたいのであれば、過去にばかりしがみ付くのではなく、現在に目を向け、小笠原神父のあり方を真剣に考えてください。
こんばんは。
(
管理人
)
2008-12-29 19:10:30
主の福音
小笠原神父についての紹介記事を書かないのは私が一度も小笠原神父にお会いしたことがないからです。色々な情報は耳にしてますが、会ったことのない人については書くことができないのです。意図的に書かないのではないので悪しからずご了承下さい。
私はマウ神父と梅村司教の件で、すっかり教会から遠のいてしまいました。小笠原神父には期待をしてたのですが、教会を立て直すにはもっと時間が必要なのかもしれません。またはもう二度と元に戻らないかもしれませんね。
愛のない教会には行かない方がいいと私も思います。無理して行くよりかはひっそりと祈っていた方が主の御心に叶うのではないでしょうか。
官野さま
(
もうもう
)
2009-01-03 22:05:41
官野さまの書かれたことに同感しています。小笠原神父はPCを悪いものと決めつけています。しかもこのブログを閉められないか信徒に打診までしています。
小笠原神父の承認した今度の教会委員長にも大変危惧しています。(実際にはそういう信徒が多くいます。)
小笠原神父は教会には民主主義はなく、ヒエアルキーだと言っていますが、何よりも上にあるのが愛だという事をお忘れになっておられると思います。
教会委員会も教会組織も密室で決めてしまいました。
会話すること、対話すること、人と人が同じ立場で関わっていくこと・・・そんな事さえもう藤が丘教会にはありません。脳死状態というか「NO 愛」状態にあると思います。何を畏れているのか。私たちが一番恐れなくてはならないのは神=愛に反しているかいないかだけかと思います。
こんばんは。
(
管理人
)
2009-01-03 23:10:08
主の福音
このブログを閉鎖できる人は誰もいません。幸いにも日本では「表現の自由」が認められているからです。梅村司教とマウ神父、そして小笠原神父が信徒にやってきたことを包み隠さず伝えていくためにこのブログは存在しています。
教会には民主主義などないのはマウ神父の件でよくわかりました。トップに立つ神父に霊性がなければ、その教会は北朝鮮のごとくひどいものになってしまいます。
教会委員のメンバーが代わるとのことで期待はしていたのですが、どうやらまた期待はずれに終わったようですね。
ご自身の信仰を守るためにも近隣の町田教会に通うことも考えてみてください。遙かにすばらしいと聞いております。
Unknown
(
元藤が丘信者
)
2009-02-01 11:21:38
「あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。・・・あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」
ヨハネ13
ボワソノ神父は静かなカリスマを持った素晴らしい方だった。
その後起こったことで、信者はそのことがトラウマとなって、どの神父も受け入れられない状態になっているのでは。
完璧な人はいない。時間をかけ歩み寄って行かなければいけない。
私たちも罪に陥らないように祈らなければいけない。
神父不信。
(
管理人
)
2009-02-01 19:10:25
神父を信じられなくなることは神様をも信じられなくなることに繋がります。神父には負の伝道をしないように気をつけてもらいたかったものです。
この神父不信を払拭するにはまた素晴らしい神父に出会うことでしかなされないのではないかと思います。藤が丘教会を去ってしまった方々が、転籍先で傷ついた心を癒せていることを願います。
管理人さんへ
(
ヨゼフ・ジェンマ
)
2009-02-20 21:00:04
無事に投稿できたのかどうか確信が持てません。
もう一度投稿しますが、重複していましたら、
一方を削除して下さい。すみません。
====================================
アヴェ・マリア!
初めて来させて頂きました。
管理人様、心中深くお察し申し上げます。
管理人様が横浜にお住まいであることを知り、
コメントさせて頂きたくなりました。
> またはもう二度と元に戻らないかもしれませんね。
今はどうなのでしょうか。(いや、お答えになる必要はありませんが。)
もし、このご心境にあまり変化がないのであれば、
是非一度、東京の成相明人神父様を訪ねてみて下さい、
とお勧めしたいと思います。
もし管理人様が、今も、
「愛のない教会には行かない方がいいと私も思います。
無理して行くよりかはひっそりと祈っていた方が
主の御心に叶うのではないでしょうか」という、
教会に対してそこまで失望なさっているご心境のまま
であるならば、です。
今もそのご心境以外の何物でもないならば、
一度騙されたと思って(いえ、騙しはしませんから)、
訪ねてみて下さい。
わが失望の同胞へ、でした。
ヨゼフ・ジェンマ
(宇宙一名前負けしたサイト『護教の盾』の管理人)
Unknown
(
管理人
)
2009-02-20 21:41:48
主の福音
ヨゼフ様
ご紹介ありがとうございます。まだ教会に失望しているので助かります。シスターやら信者さんやらには教会に来るように勧められているのですがなかなか...
教えてくださってありがとうございます。
これは (あるいは、これ「も」) 表示しないで下さい
(
ヨゼフ・ジェンマ
)
2009-02-21 22:13:54
ひょっとしたら、何度も投稿しちゃったのかも知れません。
そうなら、お詫びします。
「しつこい」と思わないで下さいね(笑)
ただ、このブログは本当に・・・これはあなたへの不満ではありません、あくまで goo への.. ・・・無事に投稿できたのかどうか確信が持てません。
小笠原神父について
(
Unknown
)
2009-02-23 12:58:18
小笠原神父の人間性についていけません。限界です!! 信仰に迷って相談した時の態度、用事があるとかで2、3分の時間が惜しいようで、優しい言葉の一つもなし。こんな神父のミサに通う事い何のいみがあるのか・・・。
ご経歴だけは、立派だそうですが、人間的にも神父としても失格です!!
誰に聞かれても、私は、胸を張って【最低の人物】といえます。
今の教会の最低です!!
Unknown
(
管理人
)
2009-02-23 14:38:52
主の福音
信仰上の悩みを親身になって聞いてくださらないのにはがっかりしますね。神父の仕事としては説教台から降りた後の方も重要だというのに。新しい神父の元で教会の再生が進んでると思いきやそうではないようで残念です。
通常は近所の藤が丘教会にして、月一度くらいは告解という形でよい神父に信仰上の悩みを聞いてもらうのも有効かもしれません。麹町教会のメンテサバル神父の告解はとても素晴らしかったですよ。一度訪れてみて下さい。
事後報告
(
ヨゼフ・ジェンマ
)
2009-02-23 22:21:46
世の礼儀にならい、事後ですが、「あなたの記事を私のサイトに大幅に転載させて頂きました」と報告させて頂きます。
「修正して下さい」と言われれば、応じます。
また、「削除して下さい」と言われても、もちろん断わりません。
けれど、どうかそのようなことは言わないで頂きたいとお願いします。
教会が自身の内側に持つ混乱をきちんと整理し、問題を解決しない限り、このようなことはある程度必要だからです。
Unknown
(
管理人
)
2009-02-24 00:34:56
主の福音
ヨゼフ様
私たちの教会に起こったことについて知ろうとしてくださってありがとうございます。藤が丘教会にいた信者はまず神父により苦しみを受け、次に他教会の信者の無関心に打ちのめされてきました。事件より数年たち、ようやく理解されるようになり嬉しい限りです。
関心を持ってくださったことに深く感謝いたします。転記に関してはもちろん異存はありません。ありがとうございます。
ありがとうございます
(
ヨゼフ・ジェンマ
)
2009-02-25 22:31:58
お許し下さり、ありがとうございます。
> 次に他教会の信者の無関心に打ちのめされて
これも本当にわかります。
消極的な善人というべき人が多いですよね。
でも、願わくは、私達も全ての人のために
働けますように。
Unknown
(
管理人
)
2009-02-25 22:57:35
主の福音
ヨゼフ様
そうですね。私たちも主の忠実な道具として働けますように。
小笠原神父について
(
fujigaoka
)
2009-03-04 15:19:39
以前、小笠原神父に付いていけない!と意見がありましたが、私も全く同じ意見です。
管理人様には、不快で受け入れがたい意見だと、十分承知で言わせていただくと、人間性の面などでは、マウ神父の方が、温かい人格の持ち主だと、私は思っています。
藤が丘教会は、ますます小笠原神父の独裁教会となりつつ、日に日に雰囲気も悪くなり、もう教会と呼べる状態ではありません。聞こえて来るのは、小笠原神父と信徒の悪口ばかり。
私も小笠原神父にだけは、付いていけません。
さようなら小笠原神父と言いたい気持ちでいっぱいです!!
小笠原神父
(
Unknown
)
2009-03-16 16:33:45
初めて書き込ませていただきます。
やはり小笠原神父は、かわってないのですね。
私の知っている彼は某S会の司祭としてその経営する学校の教諭をし、また志願院の院長をされてましたが、とても子供を相手にする教育者ではありませんでしたし、ましてや招命をうけた未来の聖職者を志す若者を導く司祭とはとうてい・・・?彼の時代に院を去った志願者は多数いました。
なぜ彼がS会を離れて教区司祭になったかというのも、皆さんのお話を拝聴し理解に易いところです。
言い換えれば、なぜ彼は司祭を続けているのか?続けられるのか?一度なってしまえば・・・というところに尽きますね。
神父様も人です
(
クララ
)
2009-05-04 04:21:46
始めまして、藤が丘の教会に滝さん、と言われます信者のお方で70歳代です、在籍して居られますか。少したずね人して居います。付きまして神父様の事話題に成って居られます様ですね。私ももう少し若い時は、思い考えた事もありますが、人生此処迄来ました。神父様の行いを、納得できない事もあると思いますが、私達も司祭、修道者、の方たちの生活も考えて上げます事も大切です。司祭のお給料幾らか、ご存知ですか。中学卒業の人達と変わらない額だそうです、日本ですよ。15万位と聞きました。人としても生きていかなくては成りません。経済的に支えて挙げられない日本の教会の位置部分も有るのでは、無いでしょうか。司祭を責めるのではなく、欠点も愛してあげて下さい。許してあげてください。しかし教区の教道師である教区司教様目を向けて下さい。暖かく見守って指導してください。カトリック教会は特別な社会ではありません。司祭も聖職に居られます、お方達も地球に生まれた、御人達です。社会から離別の様な活動は避けるべきです。信者ばかりでなく個人的に、地域の行事や活動に、積極的に参加されては、如何ですか。司祭の方達の活動が地域の人達と共に、ありますともっと教会が一般の人達に認識されるのでは、無いでしょうか。色々と考えは有りますが。修道女の方が秋の運動会などで、走っている姿等イエス様も喜んで見ていて下さるのではないでしょうか。若い司祭の方が小さな子供とお話したり、ニコニコしながら走ったりする姿は、明るくて、楽しいものです。もっと司祭の人間性を愛して、挙げてください。小笠原神父様って厳しいですか。フルネームは、もしかして小笠原流の流れを持っていられるのかしら、そうだとしましたら、違う側面から理解出来ませんか。フルネームが解りますと大体気質だけでも理解できます。小笠原家の特徴の文字を伝統的に使いますので、内面は解りにくいです。人は判断を見た目や感じで判断します。神父様も理解されなくて、内心苦しんでるのかも知れませんですね。見えない所で、奉納されているかも知れません。中々見えないですね、私達も家族には理解されませんが、子供達や孫の喜ぶ顔が見たくて、頑張ります。
Unknown
(
管理人
)
2009-05-04 14:40:50
主の福音
滝さんというかたは残念ならが存じません。
神父の給料が低いからといって献金を着服するのは許されません。神に仕えているからといって愛人を持つことは許されません。同じ人間だからこそ、人として当たり前のことは守るのが筋です。藤が丘の信者は当たり前のことを守って欲しかっただけです。それなのに信徒活動停止するのは単なる暴力です。
小○○神父様
(
アグネス
)
2010-05-24 15:18:46
昨年、夫の転勤に伴い藤が丘の住民になりました。
家から徒歩で通える場所に教会がある事を知り、
地方から出てくる身にとって、知らない土地での
初めての生活にも、それ程、不安を感じることも
なく、新生活を楽しみにしておりました。
でも、もう藤が丘教会には参りません。
確かに注意をしない親にも問題がありますが、
幼稚園にも入っていないような小さな子供が、
ミサの最中に、ちょっと声を出しただけでも
衆人環視の中で、その子供の母親に御聖堂から
即刻出て行くよう催促し、その母親が本当に
気の毒でなりませんでした。
もしかしたら、何か苦しいことがあって
初めて教会の門を叩いた人かも知れません。
愛情のかけらも感じられない言動です。
ある日、ご聖体拝領の時に、私の番になったら、
神父様は私に向って「本当に洗礼を受けていますか?」と険しい顔で言い放ったのです。
私は幼児洗礼でして、御ミサの最中は、ベール着用
は当然と教育されてきたのですが、ベール被って、
何か形だけの信者もどきに見えたのかも知れません。
(私には藤が丘の特に若い人の服装の乱れとベール無には、むしろ違和感があります。)
教会を訪れた人を針の筵に座らせるような
神父様の態度には、もう敬意のかけらも持てません。
このような事情で、藤が丘教会を通過し、
日曜日は他の教会に行っております。
このサイトを拝見し、「私だけでなかった・・・」
との思いで、少し安心しました。
はじめまして
(
ヒヨコ
)
2010-06-11 17:48:56
藤が丘の住人です。
カトリック信者の知人に触発され、藤が丘教会に行こうと思っていた矢先、このブログを見つけ驚いています。大変残念です。教会に行くなというお告げでしょうか。
どなたか、安心して行ける教会をお教え下さい。
よろしくお願いいたします。
Unknown
(
通りすがり
)
2010-06-11 19:53:09
ヒヨコさんへ
横浜教区を避けて、東京教区の町田教会はいかがでしょうか。不祥事を起こした神父に対するトップの対応が「?」なもので、思い切って他教区に通った方がいいのではないかと思います。
はじめまして
(
たまご
)
2010-07-05 22:26:11
藤が丘住民です。まだ新参者です。
いろいろと大きな不安を抱えており、いつも前を通るこちらの教会を訪ねてみようか・・・と考えていました。
私も上の方と同じで、このブログを発見して驚いています。
以前、mixiの藤が丘コミュニティにも神父さまの女性問題?のこと書き込みされてた方がいたのですが、ただの噂・個人的な嫌がらせだと思っていました。
お勧めの教会
(
東急田園都市線
)
2010-09-23 17:52:04
藤が丘教会近くのよいカトリック教会といえば、鷺沼教会(サレジオ会)があります。お二人の司祭がおられます。
教会までは鷺沼駅から徒歩で12、3分ほどかかりますが、教会の送迎の車が9時5分か10分ころに鷺沼駅前に来ていて、教会まで送迎してくれます。
また、教会のすぐ脇にサレジオ幼稚園の駐車場があり、80台前後は停められますので、車でミサに行くこともできるようです。
主日ミサの時間は、朝7時と9時30分、そして夜の7時の三回です。
たまごさんへ
(
管理人
)
2010-09-24 03:30:28
主の福音
mixiにそんな書き込みがあったとは知りませんでした。さっそく探して読んでみましたが、事実に即している内容でした。
神父が変わって、その後教会の雰囲気がどうなったのかはわかりませんが、あまりいい話は聞きません。このブログのコメントを読めばおわかりかもしれませんが。
藤が丘教会に残った、信者さん数人からは「”ブログを削除するように説得してくれないか”と打診されたよ」と苦笑まじりで聞かされました。
「東急田園都市線」さんが教えてくださったように、鷺沼教会がいいかもしれません。藤が丘からそちらの方に移った方も大勢いるので、何が起こったのかがわかると思います。
たまごさんがよき教会に出会うことを願ってます。
東急田園都市線さんへ
(
管理人
)
2010-09-24 03:34:47
主の福音
鷺沼教会には数回行ったことがあるのですが、いい教会でした。送迎の車があるとは知りませんでした。よい情報をありがとうございます。
感謝
(
府中市民
)
2010-10-08 12:54:11
管理人様
このブログに感謝します。
私たちのところの行く先がよく分かったからです。
幹部は無能なイエスマンで固められました。
昔から働いてきた人は皆粛清されました。
恫喝、無視。睨みつける。
スパイが信者の動きを監視しています。
司祭館にはParish priest is always right.と書かれた額が掲げられました。
「脱北」できてよかった。
教会は恐ろしいところです。
Unknown
(
悲しみ
)
2011-01-25 13:05:37
ここのサイトのコメントを読んで感じるのは、虚しさだけです。
皆さんは、毎週何の為に教会に通っているのですか?
そして一体、教会で何を得て帰っているのでしょうか?
また、どんな気持ちで、毎週「主の祈り」を唱えているのでしょうか?
本当の信者だったら、ここに書かれている様な事は絶対に言えないはずです。
こんな世の中だからこそ信者の皆さんには、もう少しきれいな心を持ってもらいたいです。
教会の悪口、神父様達への悪口を言うのであれば、もうその時点で信仰を捨てているとしか思えません。
一番大切な「人をゆるす」事が出来ないならば、教会に通う事も、はっきり言って信者である事ものやめた方がいいと思います。
自分たちの考えと違うからといって、個人攻撃をしたり、悪口を言い合うのは間違った考えだと思います。
世間に目を向けても、自分達の思い通りになる事は決してありません。
会社に行けば嫌な上司もいます。近所にだって嫌な人は必ずいます。
もう一度、教会に通う意味、聖書に書かれている教えについて、じっくり考え直していただきたいです。
これでは、あまりにも悲しい限りです。
Unknown
(
府中市民さんへ
)
2011-01-27 12:14:51
司祭が変わったら、幹部が変わるのは当然の事と考えていました。
なぜなら、会社だってトップが変われば役員の交代がありますし、政治の世界だって首相が変わればその度ごとに内閣の組織の全交代が行われます。
当然、そこにはトップの考えが入るのが普通です。
役員が変わったからといって「脱北出来た!」と騒ぐのは、筋違いだと思います。
また役員は何年かすると変わるのものですが、一体、その前役員の方々は何年間、役職をされたのですか?
自分の通う教会では、司祭が変わると役員の交代が普通の事のようにスムーズに行われていますが、役員が変わるのが、どうしてそんなにいけない事なのでしょうか?
司祭の交代があるのがカトリック教会の図式ですし、その間には、自分に合う神父、合わない神父がいて当然だと思います。
その度に騒いでいたらカトリック信者は続けられませんし、自分達が信じているのは、神父ではなく「神様」だと思います。
そしてどんな事が起こっても、神様に全てをゆだねてマリア様のように受け入れる心が大切だと考えます。
教会は恐ろしく、また「脱北」なんて汚い言葉が出るならば、やはりカトリックを捨てて、他の宗教に行かれた方がいいと思います。
追伸。
(
Unknown
)
2011-01-28 13:20:45
昨日、コメントを入れたものです。あれから自分なりに一日考えました。
「幹部はイエスマンでかためられました!!」とありましたが、失礼ながら、逆に《イエスマンの神父》を求められているのではないのか?が、結論です。
自分は子供の頃から親に連れられて教会に通っているせいか?自然と教会に通うのが生活の一部になっています。
その間も何度も神父さまが変わられて色々なタイプの神父さまに出会いました。
正直、今でも神父さまの交代の時はドキドキしまが、子供の頃の学校の担任の教師が変わる様な気分で楽しむようにしています。
子供頃は「あぁーあ。隣のクラスの先生がよかったのに...」って思う事のありましたが、決められた事なので、文句を言っても担任の先生が変わる訳でものなく、それと同じで神父さまの交代も受け入ています。
だって今では「こんな先生もいたよな~!」と結構いい思い出の一つになっているからです。不謹慎ながら自分にとっては神父さまの交代も同じ感覚です。
ちょっと大人になった今では、「全て神様が意味あってされた事!!」と考えられるようになりました。
そう考えると神父さまの交代も子供の頃に戻ったような気分で、その中に自分なりの楽しみを見つけるようにすれば、気分がすごく軽くなります。
一生、神父さまの交代が行われない訳でもなく、プロテスタントと違ってカトリックは頻繁に神父の交代が行われるのだから、そんな事にとらわれず、逆に自分のように、またまた不謹慎な言葉になりますが、楽しんじゃう事って出来ませんかー?
せっかく洗礼も授かり教会に通っているのに、なんだか今までの時間を無駄にしているようで、もったいない気がします。
神父さまも人間なんだから、全てが完璧なんて有り得ないだから、もっと広い心を持って、こちがドーンと受け入れればいいのに。
教会は神様を信じる心を持ち続けるところなに...神父さまにだけ目が行っているように思えて残念で、やぱり本当にもったいないです!!
今の神父さまは、あなたにとって受け入れられないのかもしれませんが...また、きっと合う神父さまに出会うはずです。
だから、「脱北」だの、「スパイ」など、汚い言葉を使うのはやめましょうよ!!
これは「あなたに神様から与えられた一つの試練だと考えましょうよ!!」
府中市民さんへレスした方へ
(
Unknown
)
2011-07-10 12:45:36
現実に、この状況を知らないから言える事ですね。
身をもって体感した人間なら、
「あなたに神様から与えられた一つの試練だと考えましょうよ!!」
何て言葉は絶対出てこないでしょう。
事実、自分も幼児洗礼で多くの神父様が代わるのを見てきましたし、転居などで教会を変えることもありましたが今回の事は【有り得ない】事が多すぎて、確かに汚い言葉ではありますが「脱北」や「スパイ」という言葉を使いたくもなりますね。
実際に「スパイ」の如く動いてる人間がいるのですから(笑)
トップが変われば役員も変わる。もっともだと思います。
しかし、その変え方が「粛清」という言葉があまりにも的確すぎて、思わず笑ってしまいました。会社でも何でも「辞める」前には必ず「告知」するものでしょうが、それが何も無く突然「あなた辞めて下さい」と言った風に突きつけられる事は普通ではないですよね?
祈る事なら何処でも出来ます。
しかし、信徒同士の交流などは教会でしか出来ないものだと思ってます。
その教会に行きたくないと思うのは初めての事で戸惑うと同時に、寂しく思います。
Unknown
(
通りすがり
)
2011-10-24 04:30:07
そんな事ないですよ。
自分は、外資系の会社に勤めていますから、上司が定期的に部下を評価をし、会社がいらない!と判断したら即、首です。
もちろん、次の仕事は自分で見つける訳で、家族を抱え、毎日厳しいです。
自分は、毎週のミサは無理ですが、やっぱ1か月に一度でも、神様に近づけて忘れていた心を取り戻せて、またリフレッシュ出来るから、毎回やっぱ教会はいいものだと感じながら帰ります。
中々難しいですが、少しだけ自分の考え方や、物の見方を変えてみると気持ちが軽くなりますよ。
人間って、十人十色だから、その嫌いな相手を受け入れられたら、人生が面白い物に変わると思いますがね。
色々な国の人や色々な多くの考え方に接して、戸惑ったり、共感したり、なるほどと思ってみたり忙しい人間関係を体験中ですから。
しかし人間は相手を知れば知る程面白い所もありますよ。
そんな所が、聖書の教えであり、人間が中々出来ない永遠の課題だと思っています。
震災が起こり、こんな大変な時代になったからこそ、もっと気楽に教会で神様の言葉に耳を傾けませんか?
Unknown
(
Unknown
)
2011-10-25 02:20:52
脱北だのスパイだの…、神父の配慮が足りないから教会に行きたくない。
洗礼を授かって何年になるのかしれないが、今まで何の為に教会に通っていたもやら?
ここ藤が丘も、問題はあるが、自分はご聖体をいただき神様に近づく為に教会に通っていると考えている。
大変失礼な言い方になりますが、役職についてないと教会に行けないなら、新興宗教に行けばずっと必要とされ続けることでしょう。
こちらの方が、哀しい気持ちになりました。
人間って、自分の思い通りにはならないと思いますが。
だったら、イエス様の一生は、どうでしたか?
それを考えると、もっと前向きな答えが出るのではないですか?
Unknown
(
小さき花
)
2012-03-03 06:56:41
他教区にも女性問題にまみれた司祭がいます。
騒いだ人は、悪魔扱いされます。
賢明な信者は見て見ぬ振りです。
世界規模ではよくあるケース
(
u
)
2012-04-04 16:18:37
たぶん、ほぼ1年ぶりの書き込みです。
海外、特に欧州の教会に関する情報を知れば知るほど、色んな規則が破られています。神父の子供と愛人がいるのなんてザラのようです。性的虐待をした修道者(だったかな…)は逃げ回っているわ…最近読んだのはなにやら同性愛者が信者の中にいるとか…。
日本の中でも色々違うみたいですね。大阪だと(当方には差別意識はありませんが)何故か教会が在日問題(擁護派として)を扱っているし、東京で受洗した私が使っていた本は長崎教区では発行禁止(一時期だったかな)でしたし…他にもいろいろ。
とにかく地域・国特性がありすぎて、だんだん同じカトリックとは思えなくなってきました。欧州では昔から「あ、神父に女ができたの。へー」くらいなもので、特に騒ぐことはないようです。まあ、こんなめっちゃくちゃだからこそ、広範囲に広がったのでしょうね。
外国人神父はその辺がゆるゆるなのではないでしょうか。私はこれでいいとは思ってはいないけど、自分が育った、学んだ環境ではこんなに噛みつかれる環境ではなかったので、マウ神父も「(諸先輩の時はなんてことなかったのに)なぜ俺の時だけ?」と思っているのかもしれませんね。
今、藤が丘教会でどうしていくべきとか、そういう提言は私にはできないけれども、今後やはり愛人問題とか、金銭に手をつけることとかを防ぐためには、同じような道徳観で育ったであろう「日本人の神父」を増やしていかないことには、どうしようもないのかな…などと感じています。
国・地域に合わせてしまう拡がり方をしてしまうわけだから、我々日本人から神父を育てていくしかないのかなと感じます。それにしても外国依存度が色んな面で日本は大きいですね。
※最近、日本人の神学生がやめたと聞いてがっかりしました(泣)。私はやっぱりキリスト教、大好きなんだけどね。まー、教会の人間関係においてはいっろいろ嫌な思いもこの1年間したけどさ。
☆☆☆
「このブログ自体、やめろよ」とは思いません。こういう情報を共有することによって、「わたし達が作り上げる」という意識が育つきっかけにもなるし、たとえば私などが「日本人を司祭やシスターに増やすべきかな」とか…色々な模索ができるわけです。決してマイナス面だけじゃない。もちろん、恥さらしともとれるし、不信仰ともとれる。そういう解釈もできる。
でも、私は決して一教会の複数の人々の叫び・嘆きが無駄になるとは思いません。無駄にしなければいいじゃないですか。恥をかかないと人間(教会)は変わらないのかもしれない。こういう誰もが閲覧できるところに事実をさらしたっていいじゃないですか。私はそう思う。私が初めて行った教会は恥を自らさらしていました。だからこそ、ここは行っても安心だと思ったのです。変わり者だと思われても仕方ないけれど、私はそういう思考の持ち主です。
Unknown
(
Unknown
)
2012-04-15 17:58:43
何で探偵事務所とか興信所とかに依頼しないのさ。
早くやって真実を究明するのがこのサイトの義務だろが。
早くやれよ。責任持ってくれ。
連投
(
Unknown
)
2012-05-01 20:10:22
青年会の人が教会の財務や会計の人に質問すれば、怒鳴られるか戒められる。
よって献金問題について詳しくは知っていない。青年会での独自調査は不可能だ。
唯一の手掛かりである佐藤一明のサイトは神父の追放に成功して消滅。
つまり信徒まで隠蔽した。
あれ程日本国中の信徒に訴えてたくせに。
今更、彼がここに来て俺と話したところで、本人だって記憶は曖昧だろう。年月が経ち過ぎた。
結局、真相は掴めなかった。
俺はもうこの問題を終わらせたい。
信徒自ら隠蔽工作するなら頭に来るのは当然だろ?
Unknown
(
Unknown
)
2012-05-18 05:41:06
問題は財務委員は事務所を締め出され会計すら出来ない状態の中で、どうやって献金の横領が発覚したのかだ。
内部告発を起こした人達は一切実名を明かさず、何時、何処で、誰が、何を、どうやって、と事の詳細を明白にしなかったのは何故なんだ?
大人達はみな逃げた。
人事は神父が選ぶという遣り方に大人達が反発して謀反を企て、ネットを使って数々の誹謗中傷を展開したって事でおk?
当時の元財務委員長が解雇された事に不満を示し世界中の人々を騙したって結論でいいのか ?
昨日、法務局2箇所にこのブログの相談したんだけど、第一人者の神父からの訴えにしか乗らないって。
結局、警視庁ハイテク課を勧められるだけだった…。
俺はお前らを逮捕する気は無いが刑法第233条と判例をよく勉強しとけ。
あと学校裏サイトの問題についてもな。
新しく生まれられない方々
(
Unknown
)
2012-07-09 00:07:40
このブログ いつになったら消えるのかと思いながら今日まで。
これはまるで、新しい教会へ移られた神父様と新しく移っていらした神父様の「新しく白紙から始める生活」の機会を奪ってしまう、非常に思いやりのないブログです。
多分、怒りからこのブログを立ち上げたのでしょうが、残念ながら、立ち上げた方々の「心の醜さ」のほうが神父様云々よりも強くかんじられます。
きっとこの方々は刑期を終えて出所した方々などに対しても、指をさしていつまでも相手を「罪人!」といって騒ぎ立て、村八分にするのでしょう。
キリストが一番大切にしている「人生における復活」をあなた方は殺しているのです。
このブログは消すべきです。
もしも、キリストを愛しているといいたいのなら。
神父によるハラスメントはどこにも相談できないのでしょうか
(
バビロン虜囚
)
2018-02-26 18:05:37
信徒としてはなかなか言いづらい、神父の不正について
ご自身も不利益な立場に立たされながらも、発信を続けておられる管理人様の勇気に敬意を表します。
私は関西の一信徒で、数年前は評議員・役員も務めていたものですが、
勇気を出して投稿させていただきます。
私は、あれから体を壊し、家族も心労で体を壊してしまったので、
教会には数年間行けていませんでした。
半年前の夏、やっと教会に行けるという心境になり、本当に久しぶりに聖体顕示式に行きました。
その日はA神父の誕生日なので
ミサ後にささやかに茶話会をしようということになって、A神父を囲んで懇談しました。
その中でA神父は、あろうことか、
神父であることの愚痴や、他の神父のに対する愚痴を並べられたのです。
「神父には裏表がある」と。
この話は家族には聞かせたくなかったので、私は話をはぐらかしました。
「そらあ、裏表はあるでしょう。私も、銭湯で神父様と出会ったこともありますからねえ」というと
「いや、そういうプライバシーのことではなくて、
内面的なことだ」と、私たちが聞きたくないような話を聞かされました。
叙階式のときに疑問を感じたことや、修練時代の指導司祭の悪口や、
挙句の果てには
「結婚式が忙しい時期に入ってきたので面倒くさい」
だの。
私も、家族もA神父の発言にずたずたに傷ついてしまい、
家族は食事も1週間以上できなくなりました。
ふつうなら、「とんでもない神父だな」で終わってしまえばいいだろうとお思いでしょう。
でも
私たちは、信仰に希望を持ち、温かい教会づくりのためにいつも祈ってきたので、
これは
思いのほか重い心の傷になりました。
教会の恥は外部にさらしたくないという思いから、
心療内科の受診は控えていましたが、
日常生活が送れなくなってしまい、
心療内科を受診し、心に受傷して症状化しているということで
薬を処方されています。
A神父にも直接言いに行きました。
「神父も人間だから不完全ですよ。
でも、この前のことで、自殺願望まで持たれたことは
困ったことですね・・・」とA神父は頭を抱えていました。
しかし、問題は治らなかったのです。
ある日、プロテスタントの聖歌隊と合同で歌を歌えないかと相談に行ったら、
プロテスタントの教会での極端な例を出されてさんざん批判されました。
わたしは、同じキリスト者として歩み寄りたいし、親睦を深めたいと思って行ったのに
普通なら私の発意に少しは褒めていただいてもいいのに
プロテスタントの悪口ですよ。
それだけならまだしも、悪魔や666やオカルトの話題まで出されてショックを受けました。
また、ある日の説教では、
その日の福音の文脈とは関係がないのに
ミサに遅れてくる人を責めていました。
そのことで、信者さんがショックを起こして意識を失い倒れたのです。
幸い、近くでミサにあずかっていた看護師が手当てをしてくれて
大事には至りませんでしたが、
あとでそのことをA神父に伝えに行くと、
倒れたことに気づかなかったこと、
また、遅刻のことについては、神父の務めなので言い続けるといわれました。
しかも倒れた人への心配の言葉なし。
遅刻にも内容があるでしょう。
いろいろな障害があって、一生懸命準備して、精一杯に来てもまに合わない例
または、心にわだかまりがあって教会には行きたくなかったけど、やっと行く気持ちになって、遅れてでも行く例、
そんな人に対し、
イエス様は「遅い!」と言いますか?
私が神父なら、イエス様のみ心を想像して
「よくきてくれたね」というでしょう。
A神父の話や態度の中に、信徒に対する愛が少しもない。
仲間の神父や、指導してくれた神父に対する経緯も感謝もない。
ほかにも、落胆させられることが多すぎます。
「神父も人間だから、間違いはある」
たしかにそうでしょう。
しかし、A神父の場合、許容範囲を超えている。
司教にも話しました。
同じ修道会の他の司祭にも相談しました。
しかし、
一言でいうと、「あなたの感じ方の問題」という結論になりました。
私が完璧を求めすぎるのですか?
私の家族は食事もまともにできていません。
これは
ハラスメントによる被害じゃないでしょうか。
医師からの処方もあるんです。
ハラスメントは、そこに性的ものがあるとかいうことだけじゃないですよ。
A神父の内容にセクハラは見当たりませんが、それ以上の深刻なハラスメントがあります。
不幸なことに、私の教区には、人権相談やハラスメント相談の仕組みはありません。
私は、今後、どんなに睨まれようとも、
教会や神父のためではなく、神と私たち人間のために、
ハラスメント相談の仕組みを提言し、
教会内部で相手にされないのなら、外部の専門機関にも提言して
その仕組みを作るつもりでいます。
教会の中で「うっとうしい」と思われようとも、
社会的使命と価値をもって行動すべきだと思っています。
このブログを見て、私の悩みに通じると思い、
投稿させていただきました。
私のぶつけたことに対し、
どう思われるか、投げ返していただければ幸いに存じます。
このプログを拝見させて頂き
(
表現と言論の自由
)
2019-10-29 11:36:49
主の平和
このプログを拝見し考えさせられるものがあります。
私も信者ですが、そもそも信者と司祭に上下関係など存在するのでしょうか?ヒエラルキーともいえますが。
どちらも共存して成り立つものではないのでしょうか?上下関係が見えてくる時点で、教会としては形式的な宗教団体に過ぎず、神様が望んでいる方向と乖離があると思います。
まず人の話に耳を傾けず、持論だけを述べる司祭は司祭としてではなく、人間としての問題だと思います。
さまざまな人がいろいろな考えや意見を持っている。それをまとめ、よりよい方向に進めていくのも司祭の行うべきことであり、そのような活動が信徒との信頼を深めていきます。
尊敬できる、信頼できる司祭に出会えず、ここまでに至った藤が丘教会の方は前向きに考えても試練だったと捉えることしかできないのではないでしょうか。
小〇原神父も移動されたので次の司祭が信徒と寄り添える司祭であることを祈ります。
先日横浜教区のある教会のミサにあずかる機会がありましたが、とても話もわかりやすく落ち着く外国人の神父さまでした。
ある聖人は「子供達を大切にしていても、子供達が大切にされていないと感じるのであれば、それは大切にしていないのと同じである」と言われています。
この言葉はそのまま子供達を信徒に変換しても同じであると思います。
小〇原神父はもともと上から目線で、出世や頭のいい人を好みますからヒエラルキーを好むでしょう。
しかしこのようなプログが存在する、存在させなければならない事自体が残念でなりません。
過去は変わりませんので、信徒一同新しい司祭の元、新しい一歩を踏み出して司祭と一緒に神様の為になる活動ができている事を祈ります。
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マウ氏だけではなく、某修道会のH管区長も主任司祭時代の女性と朝帰りをしたり、外国へ旅行に行ってしまったりしていますが、大司教や枢機卿に勇気ある信徒が物申しに向かいましたが、何のお咎めもありませんでした。
司教団は、列福や憲法九条、在日外国人信徒問題にしか関心がなく、実際の小教区内で起こっている問題には、触れようともしない気がします。
頑張って下さい。
マウ神父の女性問題、会計不正処理などに我慢しかねて梅村司教に状況改善を訴えに行きましたが、逆に「信仰心が足りないのでしばらく黙想しなさい」と信徒活動停止を指示されてしまいました。信仰が厚ければ神父の女性問題には目をつぶることが出来るのでしょうか。未だに梅村司教の処置には納得がいっておりません。
マウ神父はカトリック府中教会に赴任しましたが、そこでも似たようなことをしていると聞いてます。
教会内で、返事できない、返答しにくい、ことがあれば、「祈りが足りない」「祈りなさい」というのは、思考能力がないか、頭の良い人の言う常套句です。
パワハラという言葉は好きではありませんが、梅村さんの言葉は、あからさまな気がします。
司教達の言っていることは、夢の中で屁を踏んだよりも頼りないものだと思います。
司教の権威をもって信徒を威圧する。信徒は何処へも小教区内の課題を相談できないことになります。
教会離れがあっても仕方がないかも知れません。東京管区裁判所に訴え出るしか手はありません。でもなぁ・・・お仲間うちなので。
マウのような神父は、何処に行っても同じです。梅村やその他の司教も同様な問題が教区司祭で生じると、教区外に病気療養などという姑息な名目で逃がしますが、マウのように宣教会の神父は、宣教会の意向もあるでしょうし、司教と宣教会の思惑も絡んでいると思いますよ。
藤が丘教会・・・本当に気の毒です。
身内に甘いのはすねに傷があるからではないか、と司教が邪推されるのも仕方がないと思います。
カトリック府中教会でも「事務所内は関係者以外立ち入り禁止」ということにしたと聞きました。これを第一歩として、また献金ネコババするつもりでしょう。減った分は教会維持費を厳しく集めることで穴埋めするみたいです。事あるごとに維持費の重要性に触れるようになったことから分かります。
府中教会の信徒が同じ目に遭わないように祈るばかりです。教会の世界は狭いので、もう既に情報は行ってますが心配です。
被害が広がるだけですよ。このままにしておくと。米国の青年への性的虐待の司祭を問題発覚後、他の教区へ移しただけで、何もしなかったら、やはり被害が拡大してしまった件があります。なぜ、教皇様が、オーストラリアで、青年達に謝らないといけないのかと思いました。謝る立場にあるのは、教皇様ではないでしょう。
府中教会は、東京教区ですか?岡田司教も何もしないでしょうねぇ・・・。お仲間だから。
某会でも会のお金を着服し、次ぎに派遣された小教区でも小教区会計のお金を持ち逃げし、逃亡しているのもいます。
以前、埼玉教区内で働いていて修道会の司祭が、子供へのお話しの中で「神父さん(自分を指して)は、・・女の人の裸を想像します」とか言いだして、それを聞いていた外国人修道女が、彼の管区長に連絡をしたらしい。そうしたところ、その返事は、「彼は病気です。今の所が気に入っているようなので、そのままおいて欲しい」としか言わなかったとそのシスターから直接聞きました。
この程度なのよ。どこも・・・。
でも、司教団も列福式でうつつをぬかす暇があったら、司祭の再育成を考えた方がいいと思います。そのような面倒くさい事はしたくないようですね・・・。
「日本のカトリック教会は、一端、解散した方がいいです」と外国人の宣教師が話していました。
溜息が出ます。今の司教団は、まともなのがいない。菊池司教様くらいか?真面目に事を考えて下さるのは・・・・。
余計に睨まれるかもです。
アホに負けないで頑張って下さいね。
それよりも今、重大なのは、段々やる気がなくなって、最近イライラが目立つ小笠原神父に、もう一度しっかりしてもらいたいと願うばかりですが・・半分投げ出した感の状態で、無理のようですね。
夏頃に一度、工事中の藤が丘教会のHPは、いつ出来るのですか?とお聞きした所『今の状態じゃ無理だ。それに自分は興味がない!!』とバッサリ吐き捨てるような言い方をされ、神父の言葉とは思えない、恐ろしさを感じ凍りつきました。
個人的に相談の時間を取っていただいても、右の耳から左の耳で、最後は祈りなさい!の一言で、はっきり言って時間の無駄と不快感だけが残る落胆するものでした・・。
あの今の、やる気のない冷酷な小笠原神父についてこそ、皆さんにも考えてもらいたい問題です。
最近は教会に足が向かなくなって来て、ミサの休みがちです。(他の皆さんも同意見の方も多いみたいです) そして悲しい事に、クリスマスは自宅で過ごしました。
小笠原神父が、あの状態だと、来年も藤が丘教会の未来は真っ暗ですね・・・。
質問ですが、ここのHPに小笠原神父の情報を一切、載せないのは、なぜですか? やはり自分のように、小笠原神父があまりにも期待はずれの人物だったからでしょうか?
藤が丘教会のHPもいまだ閉鎖状態、ここのHPにも小笠原神父の情報は一切なし。
残念ながら、藤が丘教会は、脳死状態としか言えません。
だだの箱と化している、愛のない教会・神父・隣人を思いやり許す心を忘れた信者達には、虚しさをかんじます。
教会の有志で、教会を本当によくしたいのであれば、過去にばかりしがみ付くのではなく、現在に目を向け、小笠原神父のあり方を真剣に考えてください。
小笠原神父についての紹介記事を書かないのは私が一度も小笠原神父にお会いしたことがないからです。色々な情報は耳にしてますが、会ったことのない人については書くことができないのです。意図的に書かないのではないので悪しからずご了承下さい。
私はマウ神父と梅村司教の件で、すっかり教会から遠のいてしまいました。小笠原神父には期待をしてたのですが、教会を立て直すにはもっと時間が必要なのかもしれません。またはもう二度と元に戻らないかもしれませんね。
愛のない教会には行かない方がいいと私も思います。無理して行くよりかはひっそりと祈っていた方が主の御心に叶うのではないでしょうか。
小笠原神父の承認した今度の教会委員長にも大変危惧しています。(実際にはそういう信徒が多くいます。)
小笠原神父は教会には民主主義はなく、ヒエアルキーだと言っていますが、何よりも上にあるのが愛だという事をお忘れになっておられると思います。
教会委員会も教会組織も密室で決めてしまいました。
会話すること、対話すること、人と人が同じ立場で関わっていくこと・・・そんな事さえもう藤が丘教会にはありません。脳死状態というか「NO 愛」状態にあると思います。何を畏れているのか。私たちが一番恐れなくてはならないのは神=愛に反しているかいないかだけかと思います。
このブログを閉鎖できる人は誰もいません。幸いにも日本では「表現の自由」が認められているからです。梅村司教とマウ神父、そして小笠原神父が信徒にやってきたことを包み隠さず伝えていくためにこのブログは存在しています。
教会には民主主義などないのはマウ神父の件でよくわかりました。トップに立つ神父に霊性がなければ、その教会は北朝鮮のごとくひどいものになってしまいます。
教会委員のメンバーが代わるとのことで期待はしていたのですが、どうやらまた期待はずれに終わったようですね。
ご自身の信仰を守るためにも近隣の町田教会に通うことも考えてみてください。遙かにすばらしいと聞いております。
ヨハネ13
ボワソノ神父は静かなカリスマを持った素晴らしい方だった。
その後起こったことで、信者はそのことがトラウマとなって、どの神父も受け入れられない状態になっているのでは。
完璧な人はいない。時間をかけ歩み寄って行かなければいけない。
私たちも罪に陥らないように祈らなければいけない。
この神父不信を払拭するにはまた素晴らしい神父に出会うことでしかなされないのではないかと思います。藤が丘教会を去ってしまった方々が、転籍先で傷ついた心を癒せていることを願います。
もう一度投稿しますが、重複していましたら、
一方を削除して下さい。すみません。
====================================
アヴェ・マリア!
初めて来させて頂きました。
管理人様、心中深くお察し申し上げます。
管理人様が横浜にお住まいであることを知り、
コメントさせて頂きたくなりました。
> またはもう二度と元に戻らないかもしれませんね。
今はどうなのでしょうか。(いや、お答えになる必要はありませんが。)
もし、このご心境にあまり変化がないのであれば、
是非一度、東京の成相明人神父様を訪ねてみて下さい、
とお勧めしたいと思います。
もし管理人様が、今も、
「愛のない教会には行かない方がいいと私も思います。
無理して行くよりかはひっそりと祈っていた方が
主の御心に叶うのではないでしょうか」という、
教会に対してそこまで失望なさっているご心境のまま
であるならば、です。
今もそのご心境以外の何物でもないならば、
一度騙されたと思って(いえ、騙しはしませんから)、
訪ねてみて下さい。
わが失望の同胞へ、でした。
ヨゼフ・ジェンマ
(宇宙一名前負けしたサイト『護教の盾』の管理人)
ヨゼフ様
ご紹介ありがとうございます。まだ教会に失望しているので助かります。シスターやら信者さんやらには教会に来るように勧められているのですがなかなか...
教えてくださってありがとうございます。
そうなら、お詫びします。
「しつこい」と思わないで下さいね(笑)
ただ、このブログは本当に・・・これはあなたへの不満ではありません、あくまで goo への.. ・・・無事に投稿できたのかどうか確信が持てません。
ご経歴だけは、立派だそうですが、人間的にも神父としても失格です!!
誰に聞かれても、私は、胸を張って【最低の人物】といえます。
今の教会の最低です!!
信仰上の悩みを親身になって聞いてくださらないのにはがっかりしますね。神父の仕事としては説教台から降りた後の方も重要だというのに。新しい神父の元で教会の再生が進んでると思いきやそうではないようで残念です。
通常は近所の藤が丘教会にして、月一度くらいは告解という形でよい神父に信仰上の悩みを聞いてもらうのも有効かもしれません。麹町教会のメンテサバル神父の告解はとても素晴らしかったですよ。一度訪れてみて下さい。
「修正して下さい」と言われれば、応じます。
また、「削除して下さい」と言われても、もちろん断わりません。
けれど、どうかそのようなことは言わないで頂きたいとお願いします。
教会が自身の内側に持つ混乱をきちんと整理し、問題を解決しない限り、このようなことはある程度必要だからです。
ヨゼフ様
私たちの教会に起こったことについて知ろうとしてくださってありがとうございます。藤が丘教会にいた信者はまず神父により苦しみを受け、次に他教会の信者の無関心に打ちのめされてきました。事件より数年たち、ようやく理解されるようになり嬉しい限りです。
関心を持ってくださったことに深く感謝いたします。転記に関してはもちろん異存はありません。ありがとうございます。
> 次に他教会の信者の無関心に打ちのめされて
これも本当にわかります。
消極的な善人というべき人が多いですよね。
でも、願わくは、私達も全ての人のために
働けますように。
ヨゼフ様
そうですね。私たちも主の忠実な道具として働けますように。
管理人様には、不快で受け入れがたい意見だと、十分承知で言わせていただくと、人間性の面などでは、マウ神父の方が、温かい人格の持ち主だと、私は思っています。
藤が丘教会は、ますます小笠原神父の独裁教会となりつつ、日に日に雰囲気も悪くなり、もう教会と呼べる状態ではありません。聞こえて来るのは、小笠原神父と信徒の悪口ばかり。
私も小笠原神父にだけは、付いていけません。
さようなら小笠原神父と言いたい気持ちでいっぱいです!!
やはり小笠原神父は、かわってないのですね。
私の知っている彼は某S会の司祭としてその経営する学校の教諭をし、また志願院の院長をされてましたが、とても子供を相手にする教育者ではありませんでしたし、ましてや招命をうけた未来の聖職者を志す若者を導く司祭とはとうてい・・・?彼の時代に院を去った志願者は多数いました。
なぜ彼がS会を離れて教区司祭になったかというのも、皆さんのお話を拝聴し理解に易いところです。
言い換えれば、なぜ彼は司祭を続けているのか?続けられるのか?一度なってしまえば・・・というところに尽きますね。
滝さんというかたは残念ならが存じません。
神父の給料が低いからといって献金を着服するのは許されません。神に仕えているからといって愛人を持つことは許されません。同じ人間だからこそ、人として当たり前のことは守るのが筋です。藤が丘の信者は当たり前のことを守って欲しかっただけです。それなのに信徒活動停止するのは単なる暴力です。
家から徒歩で通える場所に教会がある事を知り、
地方から出てくる身にとって、知らない土地での
初めての生活にも、それ程、不安を感じることも
なく、新生活を楽しみにしておりました。
でも、もう藤が丘教会には参りません。
確かに注意をしない親にも問題がありますが、
幼稚園にも入っていないような小さな子供が、
ミサの最中に、ちょっと声を出しただけでも
衆人環視の中で、その子供の母親に御聖堂から
即刻出て行くよう催促し、その母親が本当に
気の毒でなりませんでした。
もしかしたら、何か苦しいことがあって
初めて教会の門を叩いた人かも知れません。
愛情のかけらも感じられない言動です。
ある日、ご聖体拝領の時に、私の番になったら、
神父様は私に向って「本当に洗礼を受けていますか?」と険しい顔で言い放ったのです。
私は幼児洗礼でして、御ミサの最中は、ベール着用
は当然と教育されてきたのですが、ベール被って、
何か形だけの信者もどきに見えたのかも知れません。
(私には藤が丘の特に若い人の服装の乱れとベール無には、むしろ違和感があります。)
教会を訪れた人を針の筵に座らせるような
神父様の態度には、もう敬意のかけらも持てません。
このような事情で、藤が丘教会を通過し、
日曜日は他の教会に行っております。
このサイトを拝見し、「私だけでなかった・・・」
との思いで、少し安心しました。
カトリック信者の知人に触発され、藤が丘教会に行こうと思っていた矢先、このブログを見つけ驚いています。大変残念です。教会に行くなというお告げでしょうか。
どなたか、安心して行ける教会をお教え下さい。
よろしくお願いいたします。
横浜教区を避けて、東京教区の町田教会はいかがでしょうか。不祥事を起こした神父に対するトップの対応が「?」なもので、思い切って他教区に通った方がいいのではないかと思います。
いろいろと大きな不安を抱えており、いつも前を通るこちらの教会を訪ねてみようか・・・と考えていました。
私も上の方と同じで、このブログを発見して驚いています。
以前、mixiの藤が丘コミュニティにも神父さまの女性問題?のこと書き込みされてた方がいたのですが、ただの噂・個人的な嫌がらせだと思っていました。
教会までは鷺沼駅から徒歩で12、3分ほどかかりますが、教会の送迎の車が9時5分か10分ころに鷺沼駅前に来ていて、教会まで送迎してくれます。
また、教会のすぐ脇にサレジオ幼稚園の駐車場があり、80台前後は停められますので、車でミサに行くこともできるようです。
主日ミサの時間は、朝7時と9時30分、そして夜の7時の三回です。
mixiにそんな書き込みがあったとは知りませんでした。さっそく探して読んでみましたが、事実に即している内容でした。
神父が変わって、その後教会の雰囲気がどうなったのかはわかりませんが、あまりいい話は聞きません。このブログのコメントを読めばおわかりかもしれませんが。
藤が丘教会に残った、信者さん数人からは「”ブログを削除するように説得してくれないか”と打診されたよ」と苦笑まじりで聞かされました。
「東急田園都市線」さんが教えてくださったように、鷺沼教会がいいかもしれません。藤が丘からそちらの方に移った方も大勢いるので、何が起こったのかがわかると思います。
たまごさんがよき教会に出会うことを願ってます。
鷺沼教会には数回行ったことがあるのですが、いい教会でした。送迎の車があるとは知りませんでした。よい情報をありがとうございます。
このブログに感謝します。
私たちのところの行く先がよく分かったからです。
幹部は無能なイエスマンで固められました。
昔から働いてきた人は皆粛清されました。
恫喝、無視。睨みつける。
スパイが信者の動きを監視しています。
司祭館にはParish priest is always right.と書かれた額が掲げられました。
「脱北」できてよかった。
教会は恐ろしいところです。
皆さんは、毎週何の為に教会に通っているのですか?
そして一体、教会で何を得て帰っているのでしょうか?
また、どんな気持ちで、毎週「主の祈り」を唱えているのでしょうか?
本当の信者だったら、ここに書かれている様な事は絶対に言えないはずです。
こんな世の中だからこそ信者の皆さんには、もう少しきれいな心を持ってもらいたいです。
教会の悪口、神父様達への悪口を言うのであれば、もうその時点で信仰を捨てているとしか思えません。
一番大切な「人をゆるす」事が出来ないならば、教会に通う事も、はっきり言って信者である事ものやめた方がいいと思います。
自分たちの考えと違うからといって、個人攻撃をしたり、悪口を言い合うのは間違った考えだと思います。
世間に目を向けても、自分達の思い通りになる事は決してありません。
会社に行けば嫌な上司もいます。近所にだって嫌な人は必ずいます。
もう一度、教会に通う意味、聖書に書かれている教えについて、じっくり考え直していただきたいです。
これでは、あまりにも悲しい限りです。
なぜなら、会社だってトップが変われば役員の交代がありますし、政治の世界だって首相が変わればその度ごとに内閣の組織の全交代が行われます。
当然、そこにはトップの考えが入るのが普通です。
役員が変わったからといって「脱北出来た!」と騒ぐのは、筋違いだと思います。
また役員は何年かすると変わるのものですが、一体、その前役員の方々は何年間、役職をされたのですか?
自分の通う教会では、司祭が変わると役員の交代が普通の事のようにスムーズに行われていますが、役員が変わるのが、どうしてそんなにいけない事なのでしょうか?
司祭の交代があるのがカトリック教会の図式ですし、その間には、自分に合う神父、合わない神父がいて当然だと思います。
その度に騒いでいたらカトリック信者は続けられませんし、自分達が信じているのは、神父ではなく「神様」だと思います。
そしてどんな事が起こっても、神様に全てをゆだねてマリア様のように受け入れる心が大切だと考えます。
教会は恐ろしく、また「脱北」なんて汚い言葉が出るならば、やはりカトリックを捨てて、他の宗教に行かれた方がいいと思います。
「幹部はイエスマンでかためられました!!」とありましたが、失礼ながら、逆に《イエスマンの神父》を求められているのではないのか?が、結論です。
自分は子供の頃から親に連れられて教会に通っているせいか?自然と教会に通うのが生活の一部になっています。
その間も何度も神父さまが変わられて色々なタイプの神父さまに出会いました。
正直、今でも神父さまの交代の時はドキドキしまが、子供の頃の学校の担任の教師が変わる様な気分で楽しむようにしています。
子供頃は「あぁーあ。隣のクラスの先生がよかったのに...」って思う事のありましたが、決められた事なので、文句を言っても担任の先生が変わる訳でものなく、それと同じで神父さまの交代も受け入ています。
だって今では「こんな先生もいたよな~!」と結構いい思い出の一つになっているからです。不謹慎ながら自分にとっては神父さまの交代も同じ感覚です。
ちょっと大人になった今では、「全て神様が意味あってされた事!!」と考えられるようになりました。
そう考えると神父さまの交代も子供の頃に戻ったような気分で、その中に自分なりの楽しみを見つけるようにすれば、気分がすごく軽くなります。
一生、神父さまの交代が行われない訳でもなく、プロテスタントと違ってカトリックは頻繁に神父の交代が行われるのだから、そんな事にとらわれず、逆に自分のように、またまた不謹慎な言葉になりますが、楽しんじゃう事って出来ませんかー?
せっかく洗礼も授かり教会に通っているのに、なんだか今までの時間を無駄にしているようで、もったいない気がします。
神父さまも人間なんだから、全てが完璧なんて有り得ないだから、もっと広い心を持って、こちがドーンと受け入れればいいのに。
教会は神様を信じる心を持ち続けるところなに...神父さまにだけ目が行っているように思えて残念で、やぱり本当にもったいないです!!
今の神父さまは、あなたにとって受け入れられないのかもしれませんが...また、きっと合う神父さまに出会うはずです。
だから、「脱北」だの、「スパイ」など、汚い言葉を使うのはやめましょうよ!!
これは「あなたに神様から与えられた一つの試練だと考えましょうよ!!」
身をもって体感した人間なら、
「あなたに神様から与えられた一つの試練だと考えましょうよ!!」
何て言葉は絶対出てこないでしょう。
事実、自分も幼児洗礼で多くの神父様が代わるのを見てきましたし、転居などで教会を変えることもありましたが今回の事は【有り得ない】事が多すぎて、確かに汚い言葉ではありますが「脱北」や「スパイ」という言葉を使いたくもなりますね。
実際に「スパイ」の如く動いてる人間がいるのですから(笑)
トップが変われば役員も変わる。もっともだと思います。
しかし、その変え方が「粛清」という言葉があまりにも的確すぎて、思わず笑ってしまいました。会社でも何でも「辞める」前には必ず「告知」するものでしょうが、それが何も無く突然「あなた辞めて下さい」と言った風に突きつけられる事は普通ではないですよね?
祈る事なら何処でも出来ます。
しかし、信徒同士の交流などは教会でしか出来ないものだと思ってます。
その教会に行きたくないと思うのは初めての事で戸惑うと同時に、寂しく思います。
自分は、外資系の会社に勤めていますから、上司が定期的に部下を評価をし、会社がいらない!と判断したら即、首です。
もちろん、次の仕事は自分で見つける訳で、家族を抱え、毎日厳しいです。
自分は、毎週のミサは無理ですが、やっぱ1か月に一度でも、神様に近づけて忘れていた心を取り戻せて、またリフレッシュ出来るから、毎回やっぱ教会はいいものだと感じながら帰ります。
中々難しいですが、少しだけ自分の考え方や、物の見方を変えてみると気持ちが軽くなりますよ。
人間って、十人十色だから、その嫌いな相手を受け入れられたら、人生が面白い物に変わると思いますがね。
色々な国の人や色々な多くの考え方に接して、戸惑ったり、共感したり、なるほどと思ってみたり忙しい人間関係を体験中ですから。
しかし人間は相手を知れば知る程面白い所もありますよ。
そんな所が、聖書の教えであり、人間が中々出来ない永遠の課題だと思っています。
震災が起こり、こんな大変な時代になったからこそ、もっと気楽に教会で神様の言葉に耳を傾けませんか?
洗礼を授かって何年になるのかしれないが、今まで何の為に教会に通っていたもやら?
ここ藤が丘も、問題はあるが、自分はご聖体をいただき神様に近づく為に教会に通っていると考えている。
大変失礼な言い方になりますが、役職についてないと教会に行けないなら、新興宗教に行けばずっと必要とされ続けることでしょう。
こちらの方が、哀しい気持ちになりました。
人間って、自分の思い通りにはならないと思いますが。
だったら、イエス様の一生は、どうでしたか?
それを考えると、もっと前向きな答えが出るのではないですか?
騒いだ人は、悪魔扱いされます。
賢明な信者は見て見ぬ振りです。
海外、特に欧州の教会に関する情報を知れば知るほど、色んな規則が破られています。神父の子供と愛人がいるのなんてザラのようです。性的虐待をした修道者(だったかな…)は逃げ回っているわ…最近読んだのはなにやら同性愛者が信者の中にいるとか…。
日本の中でも色々違うみたいですね。大阪だと(当方には差別意識はありませんが)何故か教会が在日問題(擁護派として)を扱っているし、東京で受洗した私が使っていた本は長崎教区では発行禁止(一時期だったかな)でしたし…他にもいろいろ。
とにかく地域・国特性がありすぎて、だんだん同じカトリックとは思えなくなってきました。欧州では昔から「あ、神父に女ができたの。へー」くらいなもので、特に騒ぐことはないようです。まあ、こんなめっちゃくちゃだからこそ、広範囲に広がったのでしょうね。
外国人神父はその辺がゆるゆるなのではないでしょうか。私はこれでいいとは思ってはいないけど、自分が育った、学んだ環境ではこんなに噛みつかれる環境ではなかったので、マウ神父も「(諸先輩の時はなんてことなかったのに)なぜ俺の時だけ?」と思っているのかもしれませんね。
今、藤が丘教会でどうしていくべきとか、そういう提言は私にはできないけれども、今後やはり愛人問題とか、金銭に手をつけることとかを防ぐためには、同じような道徳観で育ったであろう「日本人の神父」を増やしていかないことには、どうしようもないのかな…などと感じています。
国・地域に合わせてしまう拡がり方をしてしまうわけだから、我々日本人から神父を育てていくしかないのかなと感じます。それにしても外国依存度が色んな面で日本は大きいですね。
※最近、日本人の神学生がやめたと聞いてがっかりしました(泣)。私はやっぱりキリスト教、大好きなんだけどね。まー、教会の人間関係においてはいっろいろ嫌な思いもこの1年間したけどさ。
☆☆☆
「このブログ自体、やめろよ」とは思いません。こういう情報を共有することによって、「わたし達が作り上げる」という意識が育つきっかけにもなるし、たとえば私などが「日本人を司祭やシスターに増やすべきかな」とか…色々な模索ができるわけです。決してマイナス面だけじゃない。もちろん、恥さらしともとれるし、不信仰ともとれる。そういう解釈もできる。
でも、私は決して一教会の複数の人々の叫び・嘆きが無駄になるとは思いません。無駄にしなければいいじゃないですか。恥をかかないと人間(教会)は変わらないのかもしれない。こういう誰もが閲覧できるところに事実をさらしたっていいじゃないですか。私はそう思う。私が初めて行った教会は恥を自らさらしていました。だからこそ、ここは行っても安心だと思ったのです。変わり者だと思われても仕方ないけれど、私はそういう思考の持ち主です。
早くやって真実を究明するのがこのサイトの義務だろが。
早くやれよ。責任持ってくれ。
よって献金問題について詳しくは知っていない。青年会での独自調査は不可能だ。
唯一の手掛かりである佐藤一明のサイトは神父の追放に成功して消滅。
つまり信徒まで隠蔽した。
あれ程日本国中の信徒に訴えてたくせに。
今更、彼がここに来て俺と話したところで、本人だって記憶は曖昧だろう。年月が経ち過ぎた。
結局、真相は掴めなかった。
俺はもうこの問題を終わらせたい。
信徒自ら隠蔽工作するなら頭に来るのは当然だろ?
内部告発を起こした人達は一切実名を明かさず、何時、何処で、誰が、何を、どうやって、と事の詳細を明白にしなかったのは何故なんだ?
大人達はみな逃げた。
人事は神父が選ぶという遣り方に大人達が反発して謀反を企て、ネットを使って数々の誹謗中傷を展開したって事でおk?
当時の元財務委員長が解雇された事に不満を示し世界中の人々を騙したって結論でいいのか ?
昨日、法務局2箇所にこのブログの相談したんだけど、第一人者の神父からの訴えにしか乗らないって。
結局、警視庁ハイテク課を勧められるだけだった…。
俺はお前らを逮捕する気は無いが刑法第233条と判例をよく勉強しとけ。
あと学校裏サイトの問題についてもな。
これはまるで、新しい教会へ移られた神父様と新しく移っていらした神父様の「新しく白紙から始める生活」の機会を奪ってしまう、非常に思いやりのないブログです。
多分、怒りからこのブログを立ち上げたのでしょうが、残念ながら、立ち上げた方々の「心の醜さ」のほうが神父様云々よりも強くかんじられます。
きっとこの方々は刑期を終えて出所した方々などに対しても、指をさしていつまでも相手を「罪人!」といって騒ぎ立て、村八分にするのでしょう。
キリストが一番大切にしている「人生における復活」をあなた方は殺しているのです。
このブログは消すべきです。
もしも、キリストを愛しているといいたいのなら。
ご自身も不利益な立場に立たされながらも、発信を続けておられる管理人様の勇気に敬意を表します。
私は関西の一信徒で、数年前は評議員・役員も務めていたものですが、
勇気を出して投稿させていただきます。
私は、あれから体を壊し、家族も心労で体を壊してしまったので、
教会には数年間行けていませんでした。
半年前の夏、やっと教会に行けるという心境になり、本当に久しぶりに聖体顕示式に行きました。
その日はA神父の誕生日なので
ミサ後にささやかに茶話会をしようということになって、A神父を囲んで懇談しました。
その中でA神父は、あろうことか、
神父であることの愚痴や、他の神父のに対する愚痴を並べられたのです。
「神父には裏表がある」と。
この話は家族には聞かせたくなかったので、私は話をはぐらかしました。
「そらあ、裏表はあるでしょう。私も、銭湯で神父様と出会ったこともありますからねえ」というと
「いや、そういうプライバシーのことではなくて、
内面的なことだ」と、私たちが聞きたくないような話を聞かされました。
叙階式のときに疑問を感じたことや、修練時代の指導司祭の悪口や、
挙句の果てには
「結婚式が忙しい時期に入ってきたので面倒くさい」
だの。
私も、家族もA神父の発言にずたずたに傷ついてしまい、
家族は食事も1週間以上できなくなりました。
ふつうなら、「とんでもない神父だな」で終わってしまえばいいだろうとお思いでしょう。
でも
私たちは、信仰に希望を持ち、温かい教会づくりのためにいつも祈ってきたので、
これは
思いのほか重い心の傷になりました。
教会の恥は外部にさらしたくないという思いから、
心療内科の受診は控えていましたが、
日常生活が送れなくなってしまい、
心療内科を受診し、心に受傷して症状化しているということで
薬を処方されています。
A神父にも直接言いに行きました。
「神父も人間だから不完全ですよ。
でも、この前のことで、自殺願望まで持たれたことは
困ったことですね・・・」とA神父は頭を抱えていました。
しかし、問題は治らなかったのです。
ある日、プロテスタントの聖歌隊と合同で歌を歌えないかと相談に行ったら、
プロテスタントの教会での極端な例を出されてさんざん批判されました。
わたしは、同じキリスト者として歩み寄りたいし、親睦を深めたいと思って行ったのに
普通なら私の発意に少しは褒めていただいてもいいのに
プロテスタントの悪口ですよ。
それだけならまだしも、悪魔や666やオカルトの話題まで出されてショックを受けました。
また、ある日の説教では、
その日の福音の文脈とは関係がないのに
ミサに遅れてくる人を責めていました。
そのことで、信者さんがショックを起こして意識を失い倒れたのです。
幸い、近くでミサにあずかっていた看護師が手当てをしてくれて
大事には至りませんでしたが、
あとでそのことをA神父に伝えに行くと、
倒れたことに気づかなかったこと、
また、遅刻のことについては、神父の務めなので言い続けるといわれました。
しかも倒れた人への心配の言葉なし。
遅刻にも内容があるでしょう。
いろいろな障害があって、一生懸命準備して、精一杯に来てもまに合わない例
または、心にわだかまりがあって教会には行きたくなかったけど、やっと行く気持ちになって、遅れてでも行く例、
そんな人に対し、
イエス様は「遅い!」と言いますか?
私が神父なら、イエス様のみ心を想像して
「よくきてくれたね」というでしょう。
A神父の話や態度の中に、信徒に対する愛が少しもない。
仲間の神父や、指導してくれた神父に対する経緯も感謝もない。
ほかにも、落胆させられることが多すぎます。
「神父も人間だから、間違いはある」
たしかにそうでしょう。
しかし、A神父の場合、許容範囲を超えている。
司教にも話しました。
同じ修道会の他の司祭にも相談しました。
しかし、
一言でいうと、「あなたの感じ方の問題」という結論になりました。
私が完璧を求めすぎるのですか?
私の家族は食事もまともにできていません。
これは
ハラスメントによる被害じゃないでしょうか。
医師からの処方もあるんです。
ハラスメントは、そこに性的ものがあるとかいうことだけじゃないですよ。
A神父の内容にセクハラは見当たりませんが、それ以上の深刻なハラスメントがあります。
不幸なことに、私の教区には、人権相談やハラスメント相談の仕組みはありません。
私は、今後、どんなに睨まれようとも、
教会や神父のためではなく、神と私たち人間のために、
ハラスメント相談の仕組みを提言し、
教会内部で相手にされないのなら、外部の専門機関にも提言して
その仕組みを作るつもりでいます。
教会の中で「うっとうしい」と思われようとも、
社会的使命と価値をもって行動すべきだと思っています。
このブログを見て、私の悩みに通じると思い、
投稿させていただきました。
私のぶつけたことに対し、
どう思われるか、投げ返していただければ幸いに存じます。
このプログを拝見し考えさせられるものがあります。
私も信者ですが、そもそも信者と司祭に上下関係など存在するのでしょうか?ヒエラルキーともいえますが。
どちらも共存して成り立つものではないのでしょうか?上下関係が見えてくる時点で、教会としては形式的な宗教団体に過ぎず、神様が望んでいる方向と乖離があると思います。
まず人の話に耳を傾けず、持論だけを述べる司祭は司祭としてではなく、人間としての問題だと思います。
さまざまな人がいろいろな考えや意見を持っている。それをまとめ、よりよい方向に進めていくのも司祭の行うべきことであり、そのような活動が信徒との信頼を深めていきます。
尊敬できる、信頼できる司祭に出会えず、ここまでに至った藤が丘教会の方は前向きに考えても試練だったと捉えることしかできないのではないでしょうか。
小〇原神父も移動されたので次の司祭が信徒と寄り添える司祭であることを祈ります。
先日横浜教区のある教会のミサにあずかる機会がありましたが、とても話もわかりやすく落ち着く外国人の神父さまでした。
ある聖人は「子供達を大切にしていても、子供達が大切にされていないと感じるのであれば、それは大切にしていないのと同じである」と言われています。
この言葉はそのまま子供達を信徒に変換しても同じであると思います。
小〇原神父はもともと上から目線で、出世や頭のいい人を好みますからヒエラルキーを好むでしょう。
しかしこのようなプログが存在する、存在させなければならない事自体が残念でなりません。
過去は変わりませんので、信徒一同新しい司祭の元、新しい一歩を踏み出して司祭と一緒に神様の為になる活動ができている事を祈ります。