Entrance for Studies in Finance

Core Melting of Fukushima Dai-ichi nuclear power station, Mar.2011

福島第一原発炉心溶融core melting事故(2011年3月)
福島第一原子力発電所(Fukushima Dai-ichi nuclear power station)の設備と東芝との関係
 1号機は1971年設置の古いもの。GE製だが設置工事は東芝が行った(昭和46年3月1971年3月納入)。2号機も同じ(昭和49年7月1974年7月納入)3号機は東芝製(昭和56年3月1981年3月納入)。4号機は日立製作所製。

老朽化した福島第一原発の危険性と問題点
 1号機は東京電力が保有する原子炉の中で最も古いもので40年経過というしろもの。1-3号機はいずれも30年以上経過した老朽化したもの。注目されているのは2010年9月23日から3号炉でプルサーマル発電が開始されMOX燃料が使用されていたこと。プルトニウムを含むMOX燃料はウラン燃料に比べて、事故が起きた場合の管理がむつかしく、人体に与える影響も格段に大きい。今回この3号炉で事故が起きたことで、取り返しがつかない事態を東京電力は招いた。以下には事故前の指摘を並べる。
 福島原発に対する共産党県議員団などによる申し入れ(2007年7月24日) この申し入れは津波による引き潮時に海水取水が困難になることを指摘している。今回の発電機の問題とは異なるが津波によるリスクを指摘した貴重な指摘だった。対応して安全策を講じていれば今回の事態を招かなかった可能性がある。
 柏崎発電所の地震による津波に対する安全性評価 東京電力(2009年1月8日) この回答も津波によって取水に困難が生じるかが主たる論点。今回の事態とは異なるものの、地震による津波災害という論点が東京電力内でも検討されていたことを示す資料である。
桜井淳さんは、今回の事故は「津波に対する安全基準や対策をまったく講じてこなかったことも原因だ」「原子力エネルギーの世界では津波に対する議論はほとんどされてこなかった」(桜井淳「世界に衝撃与えた福島原発事故」『エコノミスト』2011年3月29日号, pp.20-21)と書いているけれど、柏崎(新潟)でも浜岡(静岡)でも津波の問題は議論されてきたし、福島についても議論はあった。ただその想定が後述するようにあまりにも甘すぎたため、具体的な津波対策を東京電力は取らなかった。
 福島第一原子力発電所の30年以上前の古い原子炉であるということは、設計にスリーマイルアイランド(Three Mile Island)やチェルノブイリ(Chernobyl)の経験が生かされていないという問題もあるとされる。大きな事故のあとの新しい原子炉は、事故の経験を踏まえて、より安全性が高められているとのこと(桜井さんは1960年代のマークⅠ型の安全性には問題がある、津波を考えると水密構造にするべきだがそれもできないとして、段階的な停止を主張している。桜井淳「福島原発事故の教訓」『エコノミスト』2011年4月19日号, pp.34-35)。

2011年3月11日14:46地震が発生 1-3号炉が自動停止 約7時間後 半径3kmの住民に避難指示 協力作業員2名が負傷病院に搬送 社員2名が行方不明 この行方不明者についての情報はその後は喪失
 2011年3月11日22:00ころ   政府が第一原発半径3kmの住民に避難指示
        20:50 福島県が半径2kmの住民に避難よびかける(→翌日早朝に10kmに拡大)   
       避難範囲について半径10kmを検討した官邸に対し東京電力が口出しする
       東電自社で解決可能と報告。 
        19:03 管首相 原子力緊急事態宣言
2011年3月11日14:46地震発生 1-3号機 自動停止

2011年3月12日早朝1・2・4号機圧力抑制機能喪失 5:44避難区域半径10kmに拡大 1号機で燃料棒露出進行 14:40に1号機蒸気放出 15:36に1号機水素爆発 18:25避難区域半径20kmに拡大 7名が病院に搬送 うち1名は意識不明 4名は負傷 社員1名は100mSv被ばく 意識不明になった作業員の情報はその後は喪失する
 3月12日夜の原子力安全・保安院(以下 原子力保安院と略称)の記者会見で中村幸一郎審議官は一号機炉心の燃料が溶けている可能性に言及した。首相官邸は国民に不安を与えるとして経済産業省に対して中村氏を記者会見から外すことを命じ発言を封じた。『週刊ポスト』2010年4月1日号ほか参照。
 2011年3月12日夜の官房長官記者発表(全文) 爆発は格納容器が爆発したものではないとした。
 2012年3月12日18:25 福島県が避難区域を10km以内から20km以内に拡大 
 2011年3月12日15:36 1号機 爆発音[水素爆発]と発煙
 2011年3月12日15:30頃 1号機 燃料の上部170cm露出
 2011年3月12日14:40 1号機 蒸気放出
 2011年3月12日10:30 1号機 燃料の上部150cm露出
 2011年3月12日9:00 1号機 燃料の上部50cm露出
 東電 2011年3月12日午前7時記者発表によるモニタリング数値 午前6以降数値が急激に増加 異常値を示した 
 2011年3月12日6:07 4号機 圧力抑制機能喪失
 2011年3月12日5:44 管首相が避難区域を10km以内に拡大を指示
 2011年3月12日5:32 2号機 圧力抑制機能喪失
 2011年3月12日5:22 1号機 圧力抑制機能喪失
 2011年3月12日0:15 オバマ米大統領と管首相が電話で会談  
 
2011年3月12日早朝以降の異変 単位 μSv/h 原子力保安院
2011年3月12日4:0012日20:3013日2:5013日5:5013日9:3013日19:0014日2:50
MP6(正門)0.073.23.13.2265.266.3


2011年3月12日午後の異変 単位μSv/h 官房長官
2011年3月12日15:2912日15:4012日18:5813日0:3013日6:0013日9:20
NP4(不明)1,01586070.544.636.776.9


2011年3月13日 5:10に3号機注水機能喪失 3号機の安全弁開放(圧力容器9:05 格納容器9:20)1号機・3号機に消火系ラインで海水注入開始(3号機11:55 1号機13:12)社員2名が体調不良訴え搬送 
 2011年3月13日午後 官直人首相は首相官邸で東芝の佐々木則夫社長と会談 福島原発の問題で協力を要請
2011年3月13日14:00 2号機 注水機能維持
 2011年3月13日13:52 福島第一原子力発電所正門で1557.5μSv/hを計測
2011年3月13日13:12 1号機 格納容器の消火系ラインで海水注入
 2011年3月13日11:55 3号機 格納容器の消火系ラインで海水注入
 2011年3月13日11:55 1号機 格納容器の消火系ラインで真水注入
 2011年3月13日9:20 3号機 格納容器の安全弁開く
 2011年3月13日9:08 3号機 真水注入
 2011年3月13日9:05 3号機 圧力容器の安全弁開く
2011年3月13日朝の官房長官記者発表(全文) 3号機に言及 避難住民が被ばくした可能性に言及
 2011年3月13日5:10  3号機 原子炉への注水機能を喪失 
 原保院発表(第17報)2011年3月13日0時0分 計測場所MP4 MP6 MP8での3月12日中の放射性物質量の数値の上昇を確認

 2011年3月13日朝の異変 経済産業省
2011年3月13日9:1013日9:2013日9:30
MP6(正門)175281.726


2011年3月13日午後の汚染(原因不明) 単位μSv/h 官房長官
2011年3月13日10:00以降13日13:4413日13:5213日14:42
(地点不明)50前後上昇開始1,557.5184.1


2011年3月14日 11:01に3号機が水素爆発 13:25に2号機が冷却機能喪失 2号機に海水注入続けるも夜に入り2回にわたり燃料棒が完全に露出 燃料棒が溶融 作業員11名が負傷し搬送 うち1名は病院に搬送 深夜に至り第一原発から東電以外は退避 3月12日の1号炉に続き2号炉も炉心溶融を起こし汚染が拡大
3月14日深夜 東電清水社長が東電の第一原発からの退避を海江田万里経済産業相に電話連絡 この報告を受けた管首相が激怒→15日の清水社長召喚 統合対策本部設置へ。
 3月14日深夜 原保院職員・自衛隊など第一原発から退避
 3月14日深夜 2号機燃料棒再び完全に露出
 3月14日21時37分 福島第一原発正門で3130μSv/hを計測
官房長官記者会見 3月14日21時02分 2号機の注水作業に言及
 3月14日18:22 2号機燃料棒完全に露出[炉心溶融] 海水注入作業続く
 3月14日14:00ころ 2号機 水面低下始まる 
 3月14日13:25 2号機 冷却機能喪失
 3月14日11:01 3号機 水素爆発

 3月14日夜の汚染 単位μSv/h 資料:東電
2011年3月14日21:3014日21:3514日21:3714日22:15
正門29.77603,130431.7

奇妙なことに連続したデータから21:37以降22:15までのデータが欠落(データを隠ぺいした可能性高い)。

2011年3月15日 4:17 東電清水社長を官邸に召喚 統合対策本部設置 6:14に2号機で爆発 注水要員以外は現場から退去 9:38に4号機で火災発生(11:00鎮火) 3号機から4号機周辺は人体に有害な汚染状況となり接近は困難に
 官房長官記者会見 3月15日11時07分 4号機の火災に言及 朝6時代に現地にいた800名のうち注水要員50名以外は退避。
 2011年3月15日11時 管首相が半径20kmから30kmの範囲の住民に屋内退避指示 1号機と3号機の水素爆発 4号機の火災に言及
 3月15日11時   4号機火災の鎮火を確認
 3月15日10時22分 3号機付近で400,000μSv/hを計測(10時頃 3号機原子炉建屋内陸側で400,000μSV/h 4号機原子炉建屋内陸側で100,000μSV/h)
3月15日9時38分 4号機で火災確認 鎮火作業開始
 3月15日8時30分 福島第一原発正門で8,217μSv/hを計測
官房長官記者会見 3月15日6時45分 2号機のサプレッションプール(圧力抑制室)の欠落を報告
3月15日6時14分 2号機で爆発音(格納容器下部の圧力抑制室付近 通常3気圧が1気圧に低下 配管などに隙間ができた可能性あり) なお同時刻に4号機でも圧力低下
3月15日6時   4号機 爆発音 屋根に損傷
 官房長官記者会見 3月15日5時35分 福島原発事故対策統合本部の設置について 2号機の状態が不安定であることに言及
 3月15日5時半 管首相 首相官邸で統合対策本部設置を発表 早朝官邸で東電清水社長と協議(その後 東電本社にて東電幹部を叱責)
 3月15日午前4時17分 東電 清水社長官邸に呼びだされる

3月15日朝の汚染 単位μSv/h
2011年3月15日7:5015日8:3015日9:0015日15:30
正門1,9418,21711,930596.4


 3月15日午前の汚染 単位μSv/h
2011年3月15日10:22
2号機と3号機の間30,000
3号機付近400,000
4号機付近100,000

なお1000μSV/h=1mSV/h

2011年3月16日5:45で4号機で再び火災発生(6:15鎮火) 8:30に3号機より白煙 10:45に3号機格納容器破損の恐れが生じ中央制御室からも退避(11時半復帰) 16日以降東電清水社長が体調を崩す
2011年3月16日 中国国務院常務会議 新規の原発建設計画承認の一時停止を決定
 3月16日午後 東芝は福島原発への危機対応のため技術陣を中心に約700人の協力体制を敷く。福島現地に約60人、東電本店に約20人を派遣すみとのこと。
 官房長官記者発表 3月16日17時56分 過剰反応で屋内退避地域の物流に支障 屋内退避地域で文部科学省がモニタリング開始しているが人体に「直ちに」影響を与える数値は出ていないとする
 3月16日11時半   中央制御室に作業員復帰 注水作業再開 
3月16日10時45分  3号機格納容器破損の恐れのため中央制御室から作業員退避 注水作業中断 
 3月16日8時半前後 3号機から白煙
 3月16日6:15  4号機で火は確認できない
 3月16日5:45  4号機で火災発生

2011年3月17日 3号機燃料プールに向けて空と地上からの放水が実施された 3号機への放水が優先された背景として、3号機ではプルトニウムを含むMOX燃料を使っている特殊性があることが報道される。プルトニウムは人体に極めて有害とされる。
 20時40分 西門 292 μSV (18日0時15分 東電発表)
19時ー20時9分 機動隊高圧放水車 自衛隊消防車により3号機燃料プールに向けた放水実施 (警視庁機動隊隊員の放射線量計が基準超えて退避) 東電がガレキが飛散した現場の状況を自衛隊に伝えなかったため進入に手間取った
 17時30分現在    1,2,3号機 海水注入中
 9時48分 自衛隊ヘリコプターによる3号機燃料プールに向けた放水実施 計4回実施(9:48 9:52 9:58 10:01)
 午前 第一原発上空300フィート(約90m)87,700μSv (自衛隊発表)
3時30分 西門  309 μSv (18日0時15分 東電発表)  

2011年3月18日 3号機燃料プールに向けた地上からの放水が再度実施された
 3月18日時間不明 東京都知事記者会見 政府の要請により東京消防庁職員の派遣を行ったこと。30隊139名。屈折放水車など車両30台。
3月18日15時現在 1,2,3号機 圧力容器に海水注入中
          2,3,4号機 白煙発生中
3月18日14時50分 事務本館北側 3,339 μSv(18日16時 東電福島事務所発表) 
 3月18日    米軍消防車による放水(14時45分まで) 
3月18日14時前 自衛隊消防車により3号機燃料プールに向けた放水開始(14時38分まで) 6t放水車6台
 3月18日13時50分 事務本館北側 3,484 μSv(18日16時 東電福島事務所発表)
 3月18日13時35分から44分 第一原発上空300フィート(約90m)53,000μSv (自衛隊発表)

2011年3月19日 3号機燃料プールに向けた連続放水実施
3月19日16時 官房長官記者会見 18日17時半には福島県原子力センター福島支所で福島県産の牛乳から また19日11時には茨城県環境放射線監視センターで茨城県産のホウレンソウから それぞれ基準値を大幅に上回る放射能が検出。
 3月19日16時現在 1,2,3号機 海水注入中
 3月19日14時10分から3月20日3時40分まで東京消防庁ハイパーレスキュー隊が3号機へ連続放水した(このとき屈折放水車1台が13時間超に及ぶ連続運転の結果、使用不能になった。この事故の原因として海江田万里による東京消防庁への強制があったとされている)。

2011年3月20日 3号機燃料プールに向けた連続放水再度実施
 3月20日21時39分から21日3時58分まで東京消防庁ハイパーレスキュー隊が1110トンあまりを連続放水。 
 水道水の放射能汚染が各地で確認され始めた。

2011年3月21日 水道水・農作物への汚染を確認 3号機から灰色の煙が上がる 南放水口の海水は汚染(発表は3月22日) 発電所の敷地は広範囲にプルトニウムにより汚染(発表は3月28日)
政府関係者(21日段階で人名は特定されず)が、4時間の放水を予定していた東京消防庁幹部に対し長時間の連続放水を強硬に主張して強制。そのため放水車1台のエンジンが焼き切れて使用不能に。やらなければ処分するとも発言。この問題について石原慎太郎東京都知事が2011年3月21日に首相官邸で管直人首相に正式に抗議し首相は陳謝を表明。その後、この関係者とは海江田万里のことと判明。3月22日の閣議後の記者会見で海江田は陳謝。
3月21日と3月22日の両日の記者会見で武藤栄東電副社長が謝罪。21日の会見では解決が遅れていることなどに対して、また22日の会見では水道水などから高い濃度の放射能が検出されたことなどに対して。被災者およびご心配をかけている多くの方々が謝罪の相手とのこと。
3月21日3号機で15時55分から17時55分まで 灰色がかった白煙を確認
 官房長官記者会見 2011年3月21日17時37分 原乳 ホウレンソウのほか 水道水の汚染にも言及
 15時過ぎ 消防学校で石原都知事 猪瀬副知事らが東京消防庁隊員を慰労
 3月21日午後2時半 東京電力は1-4号機の放水口(南放水口)付近で採取の海水から高濃度の放射性物質を検出 国の上限値に比べてヨウ素(I-131)が126.7倍。セシウムが16.5-24.8倍。
 厚生労働省が水道水の放射能汚染の事実の公表を開始した
 3月21日6時37分から8時41分 自衛隊(13台)が4号機に対し放水した。
 3月21日7時45分 安定ヨウ素剤服用についての指示が原子力災害対策現地本部から関係自治体に対し出された。 

2011年3月22日 作業員1名が共用プールで負傷し病院に搬送
3月22日夜    1号機圧力容器下部の温度400度前後に上昇
 3月22日22時43分 3号機中央制御室の照明が回復
 3月22日17時17分から20時半 4号機に対して生コン圧送機による放水
 3月22日15時30分 1号機原子炉格納容器の圧力1.8気圧
 3月22日15時10分ごろから16時頃 緊急消防援助隊による3号機への放水作業 約150tの海水
3月22日朝の記者会見で海江田万里が東京消防庁幹部に対して行った不適切発言の責任を認めて陳謝した。   
3月22日朝の記者会見で福島県知事は3月21日夜 東電社長が謝罪のための面会を申し入れてきたが、事態の収束が先として面会を断ったことを明らかにした。
3月22日、東電の鼓紀男副社長は福島県の田村市総合体育館を訪れ、避難している大熊町住民と同町長に対して謝罪。東電幹部が避難住民に直接謝罪を行ったのは初めて。

2011年3月23日 作業員1名が共用プールで負傷し病院に搬送
  3月23日16時 1号機原子炉格納容器圧力3.6気圧に上昇
  3月23日11時  2時過ぎからの海水注入増量により、1号機圧力容器下部の温度は11時には360度まで下がる
3月23日8時50分に南放水口で採取した海水から上限値の146.9倍の放射性物質(I-131)を検出 
  3月23日0時 1号機圧力容器下部の温度はセ氏399度にまで上昇

2011年3月24日 協力作業員3名が170msv以上被ばく うち2名については特に心配される状態
3月24日3号機タービン建屋1階および地下1階でケーブル敷設作業を行っていた東電の協力作業員が被ばく うち2名が2-6Sv(1Sv=1,000,000μSv)の被ばくを被った(局所被ばくで2000-6000mSv)。この事故は3月26日になって、他の号機の建屋地下で高濃度の汚染を3月18日の段階で確認しながら、その事実を伝えずに作業させていたことが判明し、東京電力が収集している情報を意図的に隠して、リスクを十分に説明せずに、また十分な防護策をとらずに協力会社作業員に危険な作業を求めた疑いが浮上している。東京電力の発表は常に事後時間が経過してからであり、原子力施設の安全性にかかわる基本的情報を収集しながら(事故の深刻さを隠ぺいするために)開示する範囲・開示時日を操作して、協力会社・政府・自衛隊・消防・自治体に協力を求めている可能性が浮上。3人は福島県立医科大学付属病院に一度搬送。その後、3月25日のうちに千葉県にある放射線医学総合研究所に移送。
3月24日11時半 1号機中央制御室の照明が回復
3月24日10時25分に南放水口で採取した海水から上限値の103.9倍の放射性物質(I-131)を検出
  3月24日7時  1号機原子炉格納容器圧力4気圧に上昇
  3月24日2時  4号機使用済み核燃料プールの水温セ氏100度に達した

2011年3月25日 発電所放水口近くの海水の放射能汚染はさらに深刻に(発表は3月26日) 政府は屋内避難地域の住民に対して自主避難を呼びかける 24日の被ばく事故明らかに(発表は25日)
  3月25日19時05分 4号機に対しコンクリートポンプ車による放水開始
  3月25日18時02分 3号機圧力容器に淡水注入開始
  3月25日15時37分 1号機圧力容器に淡水注入開始 
  3月25日昼前 福島原発に真水を注入するため、米軍が計2200tの水を積んだバージ船2隻を横須賀港から出港させた。
  3月25日11時46分 官房長官記者会見 20km-30km圏内の住民(屋内避難地域)の住民に対して自主避難を積極的に促進すると表明
3月25日10時30分-12時19分 2号機使用済み核燃料プールに海水注入
  3月25日8時50分に5-6放水口で採取した海水から上限値の283.4倍の放射性物質(I-131)を検出
   3月25日8時30分に南放水口で採取した海水から上限値の1250.8倍のI-131(ヨウ素131)、117.3倍のCs-134(セシウム134)、79.6倍のCs-137(セシウム137)などの放射性物質を検出
  3月25日6時05分-10時20分 4号機使用済み核燃料プールに海水注入
  3月25日未明 東電は記者会見で、3月24日に3号館タービン建屋で作業していた協力会社の作業員3人が3号機タービン建屋で173-180mSv/hの放射線受け被ばくしたことと、(3号機および1号機の)タービン建屋の水から原子炉炉心の水の約1万倍の放射性物質を検出したことを明らかにした。

2011年3月26日 発電所放水口近くの海水の放射能汚染は依然として極めて深刻 24日の被ばく事件で東電が建屋内の汚染を事前に知りながら協力会社作業員にリスクを周知説明せず、かつ十分な防護策をとらずに危険な作業させている疑い強まる
  東電福島事務所は3月26日午前に18日午前の段階で1号機建屋地下で200mSv(200,000μSv)を計測していたと一度発表。しかし26日午後になって計測場所および値を訂正(2号機建屋地下で500msv=500,000μSv)。建屋地下での汚染の情報は協力会社社員に共有されていなかった。リスクの十分な理解のもとに作業が進められているか、懸念が広がる。 情報開示に時間がかかり、後追いで重要な情報が出てくる状況が続く。
3月26日14時50分に5-6放水口で採取した海水の汚染状況 314.3倍(I-131) 36.3倍(Cs-134) 24.2倍(Cs-137)
3月26日14時半に南放水口で採取した海水の汚染状況 1850.5倍(I-131) 196.7倍(Cs-134) 133.4倍(Cs-137)
  3月26日10時半現在 東電福島第一原発プラント状況 経緯と発生した負傷者などはこれで分かる。
3月26日8時40分に5-6放水口で採取した海水の汚染状況 725.0倍(I-131) 83.3倍(Cs-134) 56.7倍(Cs-137)
3月26日8時20分に南放水口で採取した海水の汚染状況 750.0倍(I-131) 78.3倍(Cs-134) 53.3倍(Cs-137)

2011年3月27日(日) 2号機タービン建屋の放射線量が極端に高いことを確認 作業再開は事実上困難に
  東電は26日に測定した結果として、2号機タービン建屋の水の表面で1,000mSv/h(1,000,000μSv/h)以上(測定限界超えで測定できず)の放射線量を測定と発表。なおタービン建屋の水表面の放射線量は、1号機は60mSv/h、3号機は750mSv/h、4号機は0.5mSv/hだった。
  これについて放射能濃度を通常運転時の冷却水の約1000万倍(ヨウ素134)と発表(28日深夜 この数値を原子力委員会の指摘により10万倍に再測定して修正 セシウム134とヨウ素134を取り違えたためとするが東電には放射能計測の専門家がいないのだろうか)
  2号機については地震直後「からだき」になり燃料棒の溶融、容器・配管の損傷が疑われているが、3号機タービン立屋の放射線量が高いことから3号機についても燃料棒破損して格納容器内に漏れ出た可能性が指摘される。

2011年3月28日(月) 東電 敷地内土壌のプルトニウムによる汚染とタービン建屋外の坑道(トレンチ)の汚染を発表
東電は3月21日と22日に敷地内5ケ所で採取した土壌のすべてからプルトニウム(中性子線を出し発がん性高い)を検出したと発表。外部機関に分析を依頼していたとした。また東京電力は27日午後3時半から4時半にタービン建屋外のトレンチに水を確認。とくに2号機外では1000mSv/h(1,000,000μSv/h)以上の放射線量を計測したとした。建屋外のトレンチ立坑の水表面の放射線量は1号機0.4mSv/h, 2号機1000mSv/h以上、3号機計測できず(理由不明)であった。
 3月28日の午後 1号機圧力容器の温度が設計上限の302度を超えて上昇。2号機も200度近い(3日間で約90度上昇)
 3月28日午前3時時点 1号機圧力容器上部の温度274度にまで上昇。

2011年3月29日(火)
1号機圧力容器の温度が一時300度超える。2号機圧力容器は200度近い。注水作業継続。

2011年3月30日(水)
 原子力安全委員会は1-3号機すべてについて圧力容器の損傷を認めた(損傷していると水を入れても水位が上昇せず十分に冷やせない 仮に冷却装置が回復しても十分冷却水が循環しない)。
 午後2時(14時)時点 1号機圧力容器の温度は270度(29日との比較で52度下がる) 2号機圧力容器の温度は174度(同21度上昇)
 東電は清水正孝社長が体調を崩して29日に入院したことを明らかにした。勝俣恒久会長が実質的に社内指揮。
午前4時時点 1号機圧力容器温度281度。2号機圧力容器温度170度。温度と圧力みながら注水量調整中。

2011年4月2日(土)
午前9時半ころ 2号機取水口付近のピット(立て坑)に海に面した亀裂を発見 高濃度の汚染水が海に流出していることを確認 (高濃度汚染水の垂れ流し状態が判明 流出量不明)

2011年4月4日(月)
 4日夜 韓国政府は駐日韓国大使館を通じて憂慮を伝達 
集中廃棄物処理施設にあった1万トン 5-6号機の立て坑内5000トンの低濃度汚染水を海に放出
 →国内漁業関係者を無視 十分な国際的な事前調整ないまま実行 
 →韓国・ロシアで海洋汚染に懸念の声広がる
厚労省 茨城県平潟漁協のコウナゴから放射能検出

2011年4月5日(火)
 5日 東京電力は2日午前11時50分に採取した2号機取水口の海水 ヨウ素131は法令濃度の750万倍(1立方センチあたり30万ベクレル) セシウム134が200万倍(12万ベクレル)、セシウム137が130万倍(12万ベクレル)と発表
  5日 汚染水の放出についてこれを容認したことと事前協議がなかったことに対して茨城県知事と沿岸の9市町村長が管首相と東京電力に対し  て抗議文提出

2011年4月6日(水)
  6日夜 東電は1号機の原子炉格納容器内に窒素ガスの注入開始 
6日夜 原子力安全保安院は原発敷地内で微量のプルトニウムを新たに発見したと発表
  6日午前5時40分頃 高濃度汚染水の流出停止を確認(水ガラスと呼ばれる薬剤6000リットルの投入が奏功)
  4月1日から6日の間 推定で520トン 4700テラベクレル の放射性物質を海水に放出
  大気中に出た量は早計で37万-63万テラベクレル と推定(東電推定 4月21日)    

今後への影響
 原子力発電の安全性に関する神話は今回の事故で消滅した。他に有力なエネルギー源がないとして、原子力発電は必要という主張を行う人物は残るだろう(たとえば新生証券の松本康宏さんは、コスト面での優位が失われたことを認めたうえで、クリーンエネルギーとして、コストにかかわらず原発を推進せざるを得ないとなお述べている。参照 松本康宏「深刻化する福島原発事故」『エコノミスト』2011年4月12日, pp.11-12)が、原子力発電への嫌悪感は日本社会全体に広がっている。なお原子力=クリーンエネルギー論の背景にある温暖化ガスの規制問題自体が原子力発電を促すために仕組まれた議論だという穿った見方については最後で述べる)。
 原子力に依存したエネルギー政策の見直しを求める声は強まるだろう。海外の国の中には、原子力発電をなお拡大する国もあるだろうが、日本では、原子力発電について今後相当期間にわたって強化はありえないのではないか。
 現在稼働している原発についても、点検・見直し・防災の強化を進めることになるだろう。
 電力会社もまた原子力発電に依存した電力供給政策を真剣に見直さざるを得ない(大西良雄氏は、火力発電に代えて原子力発電を基幹電源とする原主火従政策は、水泡に帰する可能性が高いとしている。大西良雄「長期化する計画停電、狂う電源政策」『金融財政事情』2011年3月20日, p.42)。
 原子力発電のリスク管理については、リスク管理の発想そのものが問題になるだろう。
 事故はなぜおきたのだろうか。まずかねて問題になっていたのは原子炉については厳しい耐震構造を要求しながら、周辺の施設の基準はかなり緩やかである点。このためこれまでも地震のときに、炉の周辺が破損して、それが結果として重大な事態を招いてきた。今回も同様である。つまり異なる耐震基準のものを組み合わせて一つの施設をつくることに、そもそも問題があることはこれまでも指摘されている。
 また起こりうる災害の規模や頻度について行われる、統計確率論的な推計についても問題が指摘された。こうした統計的推計は過去情報に依存する弱点がある。今回の結果をみて、想定外の巨大地震が起きたのだから仕方ない、と言う人はなお残るだろう(津波の規模についての2011年3月21日の東京電力の発表によれば、地震前に想定されていた津波は最大で5.5m。しかし実際の今回の津波は14m以上だったとされる)が、災害のたびに想定外であったことが繰り返し指摘され、それが施設管理者の免罪の理由とされることに疑問を感じている人も多い。この種の過去の頻度や規模による管理手法では、実際のリスクを管理できないことは、これまでも繰り返し問題になったきた点である。
 このように発生確率が低いがそれが起こった場合の損害が甚大なものをテールリスクという。このテールリスクを無視してはいけないことが改めて認識されたのではないか。
 こうしたこれまでのリスク管理手法の考え方=バラバラの耐震基準の組み合わせに象徴される経済性重視、あるいは発生確率の低いものを棄却する点に象徴される合理性重視では、原発のリスク管理が行えないことが、今回の問題で明らかになったのではないか。原子力発電に伴うリスクはおそらく実際に事故が生じたときの被害があまりにも甚大にすぎるということだ。結論からいえば、本来、民間企業が取るべきリスクでも取れるリスクでもないということだ。

福島原発事故の国際的な影響
日本(電力発電における原発依存度30%近い 2009年度ほか直近の値)での事故を受けてドイツ(依存度32%)のメルケル首相(原子力推進派)は、3月14日に国内17の原子力発電施設の稼働延長計画を当面3ケ月凍結することと、1980年以前に建設された7つの施設を今後一時的に稼働停止するとした。右派のメルケルは2005年の連立政権下では脱原発政策であったが、09年に右派連立政権が成立すると本音を出して、脱原発の先延ばしをはかった。さらに2010年秋には原発の利用を最長で12年延長する法律を制定した。このメルケルの政策が日本の事故で行き詰まった。そこで打ち出したのが先延ばしを凍結するという今回の3月14日の<複雑な>決定だ。このメルケルの決定に対し、ドイツの世論はごまかしにすぎないとの厳しい見方とのこと。
 また中国(同2.2%)は新規の原子力施設の承認を中止したほかインドでも慎重論が台頭している。このような新興国については原発自身の安全基準の問題とともに、廃棄物についての基準に注意する必要があり、中国については原子炉本体の安全基準は厳しいが、廃棄物の基準が甘いという批判がある。これから原発を導入しようとしていたタイ、インドネシアでも導入に慎重論が高まった。
 他方、韓国(同35%程度)、ロシア(同16%)、フランス(同78%)は原発重視の姿勢を続け、米国(20%程度 エネルギー源としては9%程度)は原発建設再開の方針を崩していないとされる。フランスの原発重視は、1973年のオイルショックに学んだ政治的なもの(外交での独自性確保)で、実際にはフランス国民の間にも原発への不信感は高まっているとされる。
 フランスは同時に原子力技術、サービスの輸出を重要な産業としている。というような関係にあることを考慮すると、実は温暖化ガスの問題自体が、原子力推進派によって仕組まれたものという穿った見方も成り立つ。温暖化ガス規制に産業界自体が取り組むのは、それをビジネスチャンスにしたい産業が仕組んでいると見ることもできる。その解決を原子力発電という未完成で危険な技術に頼ることは正気のさたではない。
 米国では米原子力規制委員会が原発の安全性の再評価に着手。規制強化と可能性が高い。現在でも天然ガスの5倍以上とされる原子力発電所の建設は一段と困難になった。その中でも進んでいたのが東芝と米NRGの合弁会社が主体のサウステキサスプロジェクト(STP)の3・4号機増設である(年内に建設と運転の認可を取得 2012年着工、運転開始は2016-17年とされていた)。2011年4月19日 米NRGはこの投資打ち切りを表明(福島の事故で認可や債務保証以外の作業はすべて中断され、3-6ケ月の遅れが見込まれていた)。1基4000億円前後とされる受注額。37ケ月とされる工期など、資金繰りのリスクは大きい。
 この事業の事業主体がNRGエナジー(電力の購入は地元のCPSエナジーを予定)。事業主体として2008年に88%出資。東芝も3億ドル12%出資の合弁会社NINAを出資して3・4号機建設をすすめてきたもの。東京電力も出資を予定していたが、大震災の影響で見送る方向(米政府の債務保証を前提に最大2億5000万ドル出資を予定)。常識的に考えれば実現は困難になったといえる。 国内の原発案件はすべて中断。海外での提案活動を続けているが(中国、トルコ、ベトナム、サウジ、チェコなど)、東芝の原子力事業に傾斜した経営姿勢はアグレッシブ(グローバルに見た原子力発電プラント出力シェアで世界ランキングでアレバとならび世界首位)だが、同時にきわめてリスキーでもある。

 資料
「推進派と反対派がせめぎあい」『エコノミスト』2011年4月12日, p.64
「原発依存のリスク 対応に追われる各国」『エコノミスト』2011年4月5日, pp.30-31
 Brendan Greeley, "Facing up to nuclear risk" Bloomberg Businessweek, Mar.21, 2011, pp.13-14.
    よく出来た解説 テクノヘルより


Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author. Originally appeared in Mar.24, 2011. Corrected and reposted in April 13, 2011.
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