Entrance for Studies in Finance

足利銀行譲渡先に野村連合は正しかったのか

Hiroshi Fukumitsu

2008年3月野村グループが足利銀行譲渡先に選ばれた
 2008年3月14日に金融庁(佐藤隆文長官、当時)は、2003年11月に経営が破たんして一時国有化されていた足利銀行について、野村グループ(野村連合)を、2003年11月に破たんし一時国有化されている足利銀行の譲渡先に選んだ。
 2005年3月期の不良債権残高は3983億円(前期比46%減少)。不良債権比率は12.5%(前期04/03は20.6%)。債務超過額は前期04/03は6790億円。1000億円以上減って5622億円。最終損益で1219億円の黒字転換。
 2007年3月期には不良債権比率は5.60%(前期06/03は7.64%)。債務超過額は2988億円(06/03は3832億円)。連結純利益779億円(06/03は1602億円)。
 金融庁は「地方銀行連合」を選ばなかった。選択の理由は有識者WGで確認され2006年11月の公募開始時に示された3原則によるとされる。
 すなわち①経営の持続可能性②地域での金融仲介機能の発揮③公的負担の極小化。
 野村グループの最終提示額(08年3月10日)は1200億円で、地方銀行連合の提示額1100億円(07年11月22日)を100億円上回った。また野村グループでは2008年7月にさらに1600億円程度の追加出資を行うので総投資額は2800億円とされる。
 野村側は、2007年11月末には2500-3500億円の間だが、3000億は超えたくないとしていた。当時の提示額は11月22日提示の1000億円。地銀連合の提示額は1100億円。総額では3150億円規模の投資を計画。金額的には地銀連合が有利とも一時伝えられた。
 この買収投資額は、国内における銀行の買収としては、アドバンテッジパートナーズによる2007年末の東京スター銀行買収の2500億円を上回り、過去最大級と2008年3月当時、形容された。

東京スター銀行買収(2007年12月20日合意)
 東京スター銀行は1999年に経営破たんした東京相和銀行が前身。ローンスターの傘下で経営再建。2005年10月に東証一部上場を果たした。日興コーデイアルGに売却の予定が日興の不正会計問題で崩れ、そのほかの売却先を2006年末から模索。
 応募した英HSBC、米RHJ(旧リップルフッド)、米TPG、日本の買収ファンドのアドバンテッジ4社の中で、価格面でもっとも有利な条件を出したアドバンテッジ(07年6月に優先交渉権取得)に1株36万円(ローンスター保有株は発行済みの68%,買収額はTOBで全株取得を目指し最大2520億円)売却に合意した。
 東京スター銀行は、住宅ローンで普通預金の残高に応じて返済負担を軽くする商品を開発。あるいは積極的な越境出店という独自の経営モデルで注目されている。しかし大手銀行やゆうちょ銀行とも競合。得意の不動産業向け融資も伸びは減少。
今後の成長には疑問符もある。

 このような地銀にとって厳しい市場環境のもとで2500億円という国内買収案件としては最大規模の投資の早期回収が可能か疑問もだされていた。足利は東京スターに比べはるかに規模が大きく、地元でのスタンスも大きい。またリストラも進み、採算は改善されてはいる。しかし地銀の経営環境の厳しさに変わりはない。それだけに足利銀行の買収劇で買収側がどのような長期の収益見込みを描いたかは気になるところである。(伝えられるところではM&Aの助言や上場支援など<専門性の高い>モデルを展開、2013年3月期の経常利益は400億円強と2008年3月期の8%上を見込む。さらに足利HD上場により最終的に10%以上の投資利回りを確保。この2008年6月時点の当初計画では2010年度中の再上場を見込まれていた。しかしこのビジネスモデルは証券会社そのもので地元企業に不安がでるのは当然。これは何を意味するのだろうか。)
 
譲渡にあたり債務超過解消義務・投資側は出資が必要
 足利銀行の債務超過額は2007年9月末で約2900億円。2008年6月末で2500億円程度の見通し。譲渡にあたり国側は債務超過の解消が必要だが、野村から受け取る1300億円を引いて残りの1200億円は、預金保険機構の拠出金でまかなう予定。新たな税金投入を避けることはできそうだとされた。
 他方、投資する側は国に支払う譲渡金額に加え、この銀行を経営するには、少なくとも規定されている自己資本を確保するだけの追加出資が必要。総投資額で、野村側は3000億円。地銀連合が3100億円。金額的には大きな差がなかったといえる。

わずか半年前には候補者は7人
 わずか半年前の2007年9月に、候補者は野村連合、地銀連合(日興シティグループ証券)のほか、栃木銀行グループ(大和銀行)、みずほ証券グループのほかに外資系グループも手を挙げなお7グループいたとされる。
 その中から外資については栃木県内の反発がつよく除外。さらに栃木銀行については、競争原理が働かなくなると地元の財界・経済団体は反対が影響して除外されたようだ。
 
野村が選ばれ地銀連合案が負けた理由はどこにあるのか
 最終的に地銀連合と野村が残され、競り合うことになったが、野村が選ばれた理由は不透明さが残る(当時の金融担当相は過激な市場原理主義的発言が多い渡辺善美)。渡辺は2008年7月1日に足利銀行の民間銀行への復帰を受けて<これからは最先端のビジネスモデルを発揮することも可能になる>と期待を述べている。
 野村の企業再建ノウハウが信頼されたのか。野村が乗り出すことで証券・銀行の融合のサインとなるとみられたのか。地銀連合が寄せ集めで、外資が入っている点が嫌われたのか。いずれも憶測の域をでない。
 選ばれた野村は、地銀連合の側にいた企業・銀行に対しても、投資に加わることを呼びかけている。そうなると、この選考のプロセスは、一体何を意味するのだろうか。
最終的な出資(足利HD、普通株1350億円の構成)は、野村FPが45.51%、ネクストCPが19.62%、ジャフコ5.55%など野村側が70.68%。これに地銀含む多数の金融機関が加わる形となった(足利HDが預金保険機構の足利銀行株を1200億円で取得。また足利HDは足利銀行に自己資本増強に1600億円を注入)
 形式的に足利銀行の譲渡金額を算定する価値評価がおこなわれ、それぞれのグループが企業再生のビジネスプランを描く。それらが競いあうその過程が大事だったのだろう。かかった時間は、各方面との調整に要した時間のように見える。企業価値評価が社会に定着してゆく中での一こまとして記憶してよい事件であるが、野村証券が果たして地銀の再生に成功するのか。その成否は今後の課題である。私は証券会社のモデルを地銀にそのまま持ち込むような考え方には違和感がある。金融庁が野村を選んだプロセスと結末は歴史の中で正しさを検証される必要がある。

足利銀行の低下する業務純利益
2007年3月期、08年3月期、09年3月期を並べると、足利銀行(単体)の業務粗利益は866億円、856億円、862億円。しかし実質業務純利益は465億円、440億円、375億円と下降している。純利益の低下が気になるところだ(07年3月期から08年3月期にかけて65億円減少している)。ただこれだけでは数値の意味や再建計画とのズレがよくわからない。
 足利HDの09年3月期の当期純利益は予想が43億円の黒字。しかし実際は実質業務純利益の減少幅と同じ65億円の赤字が計上されている。つまり予想値が意味するのは43億円の利益の上昇が想定されていたということではないか。いずれにせよこの足利HDをめぐる予想と実績のかい離の大きさ(108億円)から判断すると2010年に上場にたどりつけるかは疑問が多い。

Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author. 
originally appeared in Mar.19, 2008.
corrected and reposted Nov.22, 2009.

経営戦略事例研究 開講にあたって 経営学
現代の金融システム 財務管理論 財務管理論リンク
現代の証券市場 証券市場論 証券市場論文献案内
サブプライム問題集中講義
東アジア論 PDF公開論文 研究文献目録
映画論 高等教育論 東京花暦 東京の名所と史跡

 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Economics」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2024年
2023年
人気記事