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韓国8日間~史跡めぐりの旅<ソウル・安東・慶州> (前編)

2011年12月07日 | 歴史・旅(海外)
コース順路:コース満足度★★★★★ 10月26日~11月2日
景福宮 → 昌徳宮 → 昌慶宮 → 大長今テーマパーク → 東九陵 → 鳳停寺 → 屛山書院 → 安東河回村 → 国立慶州博物館 → 聖徳大王神鐘 → 半月城・石氷庫 → 瞻星台 → 臨海殿跡(雁鴨池)→ 皇龍寺址 → 芬皇寺址 → 鶏林 → 大陵苑<天馬塚・皇南大塚・味鄒王陵など> → 五陵 → 武烈王陵 → 金庾信将軍墓 → 羅井 → 鮑石亭跡 → 南山<拝里三陵・三陵渓谷仏像群> → 水原華城<華城行宮・訪花隋随柳亭など> → 韓国民俗村 一 ソウル国立中央博物館 → 南山コル韓屋村 → コリアハウス

日本の歴史とも繋がりがある韓国の歴史の舞台や史跡を訪れようと、行き先だけは目一杯にという気持ちで計画を立てる。
言葉も十分に分かっていないのに、とにかく当たって砕けろ、行けば何とかなるという気持ちが優先、旅の心配よりもとにかく行ってみたい、そんな気持ちで慌ただしく羽田を旅立った。

ソウルに着いたら、第一に朝鮮王朝の王宮に行こうと思っていたので、まずは太祖・李成桂(イ・ソンゲ)が1395年に建立した宮殿・景福宮へと向かう。
ちょうど着くと一日に3回行われてるという王宮守門将の交代式が行われているのに遭遇、テレビでよく見る歴史ドラマの1シーンを思い出す。
景福宮の「景福」は、「詩経」に出てくる言葉で、王とその子孫、すべての民が太平の御代の幸せを得ることを願う、という意味らしい。
建物の中で最も大きな勤政殿は景福宮の正殿で、王が臣下の朝礼を受けたりまた外国の使臣との接見などが行われたところ。
景福宮が最も活気に溢れ、幸せだった時代は、ハングルを領布した第4代世宗の頃と言われている。
 

景福宮が建てられた場所は「風水説」に基づいて選ばれているということで、その意味を見てみると「山を背にし、川を前に抱いて、風を塞ぎ水を得るような地に王都を築けば国運が長く続くとされる」とある。
たしかに、北岳山を背にしており、建物の正面は南に向き、漢江の流れを臨む場所に建っている。


王から愛されたという昌徳宮は1405年に建てられ、景福宮が正宮とすれば東側に位置する離宮にあたる。
景福宮が焼失後、再建されるまで歴代の王は正殿の仁政殿で執務をとったという。
東側敷地には楽善斎という建物があるが、日本の梨本宮家から嫁いで最後の皇太子英親王の妃となった方子が、晩年暮らした所として知られている。
 

昌慶宮は第4代世宗が父親の太宗のために建てた寿慶宮が前身で、一時荒廃したが、第9代成宗が先王の大妃であった3人の王后のために宮殿を建て、それ以来この名称で呼ばれるようになったという。
生い茂った森を背景にした秋の春塘池の眺めは、風情があって素晴らしい。
 
 
「大長今テーマパーク」とは、京畿道揚州市にあるMBC文化庭園内に建てられた大長今<チャングムの誓い>オープンセットのこと。
出身の長今が御医まで上り詰めるという、実在人物の一代記の物語だが、ドラマの中に出てくる宮中の料理、衣装、医術、遊びなどが興味深く描かれている。
入口の脇には、徐長今(ソ・ジャングム)<イ・ヨンエ>と彼女を支える閔政治(ミン・ジョンホ)<チ・ジニ>の大きなパネルが置かれている。
彼女の親友で助けともなる李連生(イ・ヨンセン)<パク・ウネ>の可愛らしいパネルを見ると、ドラマでの健気なシーンを思い出す。
 

義禁府の獄舎の前には、罪人を取り調べるときに使う拷問器具などが無造作に置かれている。
宮廷で使われている全ての醤油や塩柄種を預ける所を醤庫(ジャンゴ)と言い、この周りで幼い女官たちが歌うシーンが撮影されたという。
残念なことに、ここのオープン・セットは今年一杯で閉鎖となり取り壊される予定とのこと。
 

朝鮮王朝時代の王陵の一つ、東九陵には太祖・李成桂をはじめとする9人の王と王妃が葬られている。
王陵の造りを紅門の正面から見てみると、陵の祭祀を行う丁字閣まで真っ直ぐに参道が続いており、陵の横には陵主の碑石や功績を記した神徒碑を収めている碑閣が建っている。
519年の歴史を持つ朝鮮王朝は儒教を統治理念としただけあって、先祖への尊敬と崇拝を示す600年前の王陵での祭礼が今日まで受け継がれているのだという。
 

ソウルから高速バスで3時間程かけて安東へ向かい、そこで最初に訪れた鳳停寺の由緒が面白い。
「新羅時代の文武王12年(672)に創建されたお寺で、義湘大師が浮石寺から紙で折った鳳凰を飛ばしたところ、その鳳凰がこの地に下りたことから、鳳停寺と名付けられた・・・」とある。
高麗時代に建てられた国宝の極楽殿は、色塗りはされているが韓国の木造建築物の中でも最も古いとされている。
極楽殿の前には同時代の三層石塔が置かれている。
 

鳳停寺は建物はもちろん石仏や石塔、そして美しい周りの風景も含め本当に来てよかったと感じさせてくれる寺であり、作家の立原正秋の父が鳳停寺の僧であったといういわれを知ると、日本人ならいっそう懐かしい気持ちを覚えると思う。
寺を出てすぐ横の美しい紅葉で彩られた階段を上ると、付属の寺の霊山庵が左手に見えてくる。
 

階段を上がり庵を見渡すと、庭の松を囲むように建物が配置されていて何か別世界に来たような雰囲気を覚える。
観てはいないが、「達磨はなぜ東へ行ったのか」、「童僧」という映画の撮影地でもあったという。
朝鮮時代の木造建築物の美しさを語るとき、必ず欠かせない建物であるという屛山書院を訪れる。
時間がなくゆっくり見れなかったのだが、説明書によると「書院は屏風を広げたように稜線の美しい屏山と手前に流れる洛東江の美しい景観に囲まれ、朝鮮5大書院の中でも最も美しい」とある。
ここもドラマ「推奴(チュノ)」や「千年の愛」の撮影地で有名になり、多くの観光客が訪れている。
 

朝鮮時代に作られた集落がそのままの姿で残り、今も子孫の方々が生活している安東河回村を訪れる。
ここで行われる世界的に有名な仮面劇を観たかったのだが、時間が合わず断念した代わりに長老の笑い顔の仮面を購入する。
河回村を代表する建物、大儒学者の柳雲竜<豊山柳氏の大宗家>の住まいだったという養真堂を見学する。
韓国には本貫というものがあり、河回村は柳氏が起こした村で現在も住民の70%が柳の姓を持っているという。
村祭りが行われる参神堂<樹齢600年以上の欅の霊木>は子供に関する願いの場所だが、仮面劇が初めて行われた場所でもあるという。
  

優雅に蛇行する洛東江と河回村の全景を見渡せる芙蓉台に登りたかったが、これも時間切れで断念する。
韓国ドラマでは絶壁から飛び降りるシーンがよく出てくるが、ここもドラマでよく使われる絶好の飛び降りのスポットらしく、ドラマ「黄真尹(ファン・ジニ)」でもこの場所が使われている。
 
「百済の史跡と古寺を巡る旅」<後編>
「百済の史跡と古寺を巡る旅」<前編>
「対馬の歴史と朝鮮通信使の足跡を巡る旅」
「全羅南道の歴史と自然、古寺古窯を巡る旅」

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