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武田 邦彦氏の「日本人の誠」

2007-11-17 20:37:29 | おかしな人たち
今回は、別サイトでのトラブルから生まれた副産物・・・。


武田 邦彦氏という人物がいる。
なんでも、2007年3月に発売した著書『環境問題では何故ウソがまかり通るのか』でその筋の人たち(?)で有名になったとか。

で、この武田氏、その勢いに乗ったのか何なのか、氏の専門外(専門は資源材料学、リサイクル?)にあたる経済(注)に関する本も2007年5月に出した。
タイトルは『国債は買ってはいけない』というものであった。
それに関連したのかどうかはわからないが、『国債は買ってはいけない』の出版元である東洋経済社の公式サイトで計6回の連載記事を載せていた。
ちなみに、連載のコンセプトは「『環境問題は何故ウソがまかり通るのか』の大反響から考える」というものだった。

だが、この連載記事、色々問題がある模様・・・。
特に、最終回の記事は嫌でも取り上げざるを得ないほどの出来だったり。
・(最終回) 「日本人の誠」と科学のデータ(2007年8月9日 東洋経済オンライン)

まず、第一段落の書き出しが凄まじい。
---- 以下引用 ----
私はどんな本を書くときでも「日本人の誠」を軸にして執筆します。
---- 引用以上 ----
なんぢゃ、そら~。

と、突っ込みを入れた後間髪を入れず第2段落に「日本人の麻琴誠」の説明をしてるのだが・・・。
以下、第2段落をまとめて引用。
---- 以下引用 ----
私の言う「誠」を短い話で表現すれば、まず次のようなことです。
 ……外国人が日本に来て渡し船に乗る。
船頭はその外国人に「10銭だよ」と料金を告げる。
この渡しの正規料金は10銭なのだから。
でも、およそ日本以外の国なら客が土地に慣れない人と見ると足元を見て30銭という……。
 かつての江戸時代には日本人の誠はそのまま生きていました。
このことを理科系の本で生かすには「別の言い回しをすれば自分に有利になる場合でも、そのまま書く」ということを意味します。
専門家にとっては複雑なデータを操作して、読み手を自分の思う方向に持って行くことはそれほど難しくありません。
---- 引用以上 ----

・・・過去の日本賛美かよ(汗)。
じゃなくて、日本以外の国をひとくくりにして話を進めるなっての。
だいたい、日本にだって旅人に吹っかけた人だっているかもしれないんだよ。
その可能性を無視ってのは、どこか強引過ぎやしないか?

この後、第4・5段落で武田氏はE.S モース氏の著書『日本人の住まい』を引用してる。
その上で、第4段落で武田氏は「日本人の誠」を以下のように展開する。

---- 以下引用 ----
ろくな食事もできず、ひもじくても「してはいけないことはしない」というのが日本人の不文律でした。
そして150年たった今でも10万人あたりの殺人事件の件数は世界で日本が断然少なく、日本の大学生もほとんどウソをつきません。
古くからの「日本人の誠」がまだ若い人の間にも、脈々と残っていると言えるでしょう。
---- 引用以上 ----
なんぢゃ、そら~(2回目)。

俺は大学生の時、割と嘘をついてたけどね。
趣味を適当にはぐらかしたり、行きたくない飲み会の誘いを断るために予定を入れてないのに別の予定があると言ったこともあるし・・・。
それはともかく。
「「してはいけないことはしない」というのが日本人の不文律でした」だって?
一体、誰がそんなことを言い出したのやら・・・。
俺が思いつく日本人の不文律は、「長いものには巻かれろ」だけど(違)。
っていうか、武田氏の問題は「こうであったはず」の日本人像を自分の論の補強に持ち出していること。
そんな日本人像を持ち合わせた日本人は、150年前にすら数えるほどかもしれないのに・・・。
この辺りの落とし穴に、武田氏は気づいていなかったのかどうか、俺は一切わからないが・・・。

さらに、武田氏は7段落目でも「日本人の誠」を、とある外国人の記述を引用して展開している。

---- 以下引用 ----
 もう一つ、大臣など社会の指導層が持っていた日本の誠を、これも外国人の描写の中に見ることにしたいと思います。
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心をもたないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
 すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」(カッテンディーケ)(注2)
 権力者はあらゆる手段でお金を集め、それで豪華絢爛の生活を営むことができる、それなのに、日本の指導層はそうではないという驚きをこの短い文章はよく表しています。
---- 以上引用 ----
なんぢゃ、そら~(3回目)。

カッテンディーケ氏の記述の正確性はともかく。
これが、武田氏が唱える「日本人の誠」の一例なのだろうか。
だとすると、「日本人の誠」とは、高々権力者の姿勢の違いのみで定義される代物だろう。

非常に寒々しい。

で、8段落目(最後から2つ目)でようやく『国債は買ってはいけない』を書いた理由を説明している。
そして、最終段落で、結論を簡単に触れているのだが・・・。
その結論が、俺の視点からはどうにも受け入れられないものであった。
問題の部分を引用する。

---- 以下引用 ----
この日本の文化の神髄「してはいけないことはしない」ということが、文化や倫理とは相容れないと考えられている「お金」にも成立するのか?
 そんな思いを抱きながら『国債は買ってはいけない』(東洋経済新報社)という本を執筆させてもらいました。
 その結果、驚くことには指導層が勧めている「国債、年金、ファンド」などは日本文化の原理原則に反し、人のお金を掠め取ることを目的としていることがわかりました。
そして、何が日本文化と調和しながら「日本人」が安心して暮らすことができる蓄財方法はなんだろうかと考えました。

 私の結論は、第一に「優しいお母さん」、第二に「株」でした。
お金の世界にも日本の誠が成立するのだということがわかってホッとしたものですが、貧乏だった私たちの世代が間違って築いた「物がすべての時代」「強い者がなにをしても良い社会」から、次世代の人たちが「心が満足する時代」「みんなが楽しく生きることができる社会」を作ってくれることを願ってこのシリーズを閉じたいと思います。
---- 以上引用 ----

・・・・・・・・・・・・勘弁してくれ。


もう、ここまで来ると、笑うべきなのか泣くべきなのかわからなくなる。
・・・「株」だってピンキリだろうから、(正論かどうかはともかく)「日本人の誠」が通じない「株」だってあるはずだがね。
それでも「株」を読者に勧めるというのは、どういう了見なのやら・・・。


・・・・・・疲れた(涙)。



注:武田氏は、ケンミレニアム株式会社の顧問も務めている(現時点)。
ちなみに、この会社は株式情報を提供するのが主な業務とか。
・ケンミレ株式情報(ケンミレニアム株式会社公式サイト)
そりゃ、結論部分で「株」という言葉も出るわな・・・。


注2:Willem Johan Cornelis ridder Huijssen van Kattendijke のことか。
武田氏が引用してるのは、『長崎海軍伝習所の日々 日本滞在記抄』という Kattendijke 氏の著作からの引用?

・ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ
(Wikipedia.jp)


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