ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

年越しそば

2018-12-31 18:14:45 | 日記
昼間、スーパーで「みどりのたぬき」を買いました。年越しそば用です。

しかし私は夕方、近くの蕎麦屋に生きました。
 
以前、十数年前までは大晦日はその蕎麦屋に家族4人揃って年越しそばを食べに行くのを恒例にしていました。

それを思い出したのです。

今日の大晦日は私一人だけです。
私は昔と同じように「天もりそば」を頼みました。

店のテーブルに座ると、家族4人揃ってこの店で年越しそばを食べたことが昨日のことのように思い出されました。

来年の大晦日もこの店に年越しそばを食べに来たいと思いました。 
私ひとりでも寂しくありません。
この店にはたくさんの楽しい家族の思い出が詰まっているのですから。

その思い出とともに、これからも年末は毎年ひとつずつ年を重ねていきましょう。

皆さん、よいお年を。

今日12/30の買い物

2018-12-30 16:21:35 | 日記
昨日動物病院へ行って我が家の老猫の検査をしてもらいました。
今日は昨日の診察代の支払と薬を貰ってきました。
24000円払いました。
先日の診察のときに16000円払ったので、合計40000万円!
この出費は痛かったです。
でも仕方ありません。家族同然ですから。彼(ネコ)のお陰で、亡くなった妻も、亡くなった娘も癒やされたのです。 
それを思うと18歳のこの老猫が余生を穏やかに過ごせるように、私は世話をする責務があると思うのです。
無二に死なせてしまっては妻や娘に申し訳ないのです。
正月明けたらまた診察に来るように言われました。
今度は診察代はいくらかかるのかな〜

近くの花屋に行きました。
正月用に仏壇に供える花を買いました。
スーパーで売っている安い仏花では妻と娘に申し訳ないと思い、3000円で作ってもらいました。

ガソリンスタンドに行って、ストーブの灯油を買いました。
これで正月は灯油切れの心配なし! 

ストーブに灯油を入れようとしたら電池式のポンプが作動しません。
今度は駅前のドンキホーテへ灯油ポンプを買いに行きました。


明日は大晦日。
部屋を簡単に掃除するだけです。 
家は広いのですが、私一人しか住んでいないのであまり掃除する場所がありません。

台所・・・・あまり汚れていません。
殆ど料理することがないからです。

明日夕方、地元の神社にお守りと御札を焚き上げてもらうために持っていきます。
但し神社の鳥居はくぐれません。裏門から入ります。
私は今年は不幸がありましたから。

年が明けても初詣は出来ません。
1/5が母の一周忌の命日なので墓参りしたいと思います。
次の日6日は妻の月命日なので、妻の墓参りにも行こうと思います。
妻と娘の墓は新宿駅南口から徒歩5分、白蓮華堂瑠璃光院にあります。

新年にお墓参りが続きます。

お寺にお参りするときは願い事を願ってお参りしてはいけないそうです。
生かされていることに感謝して
「ありがとうございます」
との思いで手を合わせるのだそうです。 

何故なら、お釈迦様は既に貴方を救っておられるからだそうですよ。

今を生きていられること自体がお釈迦様のお陰であり感謝しましょうと。

半年の間に、妻と母と娘の3人が亡くなり、人の一生、人生とは何なのか、生きていくとはどういうことなのか、人が死ぬとはどういうことなのか。 

たくさんの悲しみと悩みがいっぺんに私に襲ってきた一年でした。

でも私はそれらの苦難を乗り越えてきたとは言えません。

来年も苦難し挫折しながら生きていくと思います。
でもしかたありません。
人間はそれでも生きていかなければいけないのですから。

いつ来るかも知れないあの世からのお迎えが来るその日まで、
精々生きていきましょう。

また働き出しました

2018-12-25 14:50:43 | 日記
1年前に妻が亡くなり、今年1月には母が亡くなり、私は調布のアパート生活をやめて2月に自宅に戻りました。

調布でガードマンをしていましたが辞めました。
自宅に戻ってきて妻のことが落ち着いたら地元で仕事を探そうと思っていましたが、
そうこうするうちに5月に娘が亡くなりました(自死)。

立ち直れないほどのショックでした。
不幸はそれで終わらず7月に極く親しい親戚が大きな事件に巻き込まれました。 
完全に私は生きる気力を無くしました。

2月からずっと無職を続けていました。

先月11月に妻の一周忌の法要を済ませ、私はやっと「何か仕事をしなければ」と思うようになりました。
 
そして区のシルバー人材センターへ登録しました。
すると直ぐに最寄りの駅の駅前の自転車整理の仕事を紹介してくれました。
私は今月よりその仕事をしています。 
シルバー人材センターの仕事は月に最高80時間までしか出来ません。
だいたい一日おきで、一回あたり3〜4時間の勤務です。
収入は月に5万円位になります。
年金が月12万円ですので、合計17万円あれば生活はしていけるでしょう。
但し贅沢はできませんが。
旅行も無理でしょう。

でもとにかく生活していかなければ。

それと、仕事しているとやはりささやかな生き甲斐や、やり甲斐を感じます。
人間は動かなくてはならない生き物なのだなと改めて感じます。

私もいい加減、社会復帰しなければなりません。

これから立派な人間として生きていこうなどとは毛頭思っていませんが、
せめて子供や周りの人達に迷惑を掛けないように生きていきたいです。 


年末・・・ですか

2018-12-22 09:05:29 | 日記
世間では年末だそうです。
3連休でXmasだそうです。

私には年末も正月も実感がありません。
今年も不幸が続きましたが、だからと言って「悪い年が明けて新しい年を迎えたい」とも思いません。

昨日、ネコを動物病院へ連れていきました。
元気がないのです。 
なにせ18歳ですから。
体中ガタがきているのです。
でも大切に扱ってやりたいのです。
彼(ネコ)は我が家に来て18年間、私達家族の心を癒やしてくれたのですから。
亡くなった妻も、亡くなった娘もたいそう可愛がっていました。
彼がいなかったら我が家が明るく楽しい家庭になれなかったと思います。

今はこの家には私一人だけが暮らしています。
私には彼が余生を平穏に送ってもらえるように飼う責任があります。
それが私から彼へのお礼と敬意の気持ちです。

彼は私達家族の絆を繋いでくれた功労者なのですから。

来週また病院へ行きます。
血液検査とレントゲンを撮ります。

追伸、
彼は病院が大嫌いです。
暴れまわって先生や看護師さんを手こずらせています。
困ったものです。

妻の母と電話で話す

2018-12-07 05:05:01 | 日記
妻の福島の実家には久しく行っていません。

恐らく20〜30年は電話で妻の両親と話することもなかったと思います。
結婚当初はよく妻の実家に行きました。お正月、お盆は必ず妻と一緒に帰って挨拶をして1〜2日泊していました。
それも子供たちが大きくなるにつれ、そして私が仕事で忙しくなるにつれ、次第に妻の実家に行くことが無くなりました。

妻の両親は健在ですが、でも80を過ぎ軽い認知症もみられ週に何日か訪問介護の方に来てもらっているそうです。
シモのこともままならず、私の妻も妻の妹も交代で実家に帰って両親の世話をしていました。

その妻が一年前亡くなりました。
妻の乳癌が再発してから妻の妹弟達が必死に妻を応援してくれ支えてくれたそうです。

「そうです」と言うのは、私は妻の癌のことさえ知らなかったので、妻が亡くなってから子供達や妻の妹弟達に初めて聞いて知ったのです。

私は妻とは7年間別居をしていました。
そんな私に対して、妻は子供達に「絶対に病気のことはお父さんに言うな!」と言ってたそうです。

私も妻とは何かに付けメールでやりとりをしていましたが、一度も妻はメールで病気のことを伝えることはありませんでした。

毎年妻が実家にお中元、お歳暮を送っていたのを思い出しました。
これからは妻の代わりに私が妻の実家へ季節の贈り物をしようと思いました。

早速お歳暮を送りました。
妻の田舎のお母さんからの電話はそのお礼の電話でした。

久々に懐かしい声を聞き、私は妻が亡くなってしまったお詫びや、多額のお香典をいただいたお礼等話したいことはたくさんあったのですが、敢えて妻のことには触れませんでした。

高齢で認知症気味の両親に娘が亡くなった悲しい気持ちを思い出させるのは可哀想だと思ったからです。

私が「いつまでも健康でいてください。風邪をひかないように用心してください」と言うと、
義母はたどたどしく「膝が痛くて歩くのが辛いんです」と言っていました。

妻の両親には一日でも長く長生きしてほしいです。

機会があれば妻の実家の福島へまた行ってみたいと思います。
福島の実家には私たち家族の思い出がたくさん詰まっているのです。