ひっそりと生きる独女の生活

アラフォー独身の日常

カミングアウト

2015年10月31日 | 日常
10月も終わりですね~。あと2か月で年末かぁ。本当に月日が経つのは早い。
1日は長く感じるのにねぇ。


ところで・・・タイトルの「カミングアウト」なんですが・・・
当ブログを始めてもうすぐ7年になるわけですが、最初始めたきっかけというのが、
今の職場の同僚がムカついてムカついて愚痴をかきたかったから、だったんです。
でもその同僚はブログ始めて3か月くらい経ったころに辞めていったので、それからは
日常の事とか旅行記だとかいろいろ書いてきました。ただ、唯一7年間書かなかった事があります。
それは当ブログを始めるよりも前からあったことなんですが、内容が内容だけにどうかな?と思って、
それには触れずにおりました。遠回しだな、そのカミングアウトってなんだよ早く言えよ!って?


えっとですね・・・今までも登場はしたことはあるでしょうが母の事です。
うちの母は若年性認知症だと思われます。


”思われますと” 表現したのは、病院で診断をしていないからです。
母が認知症じゃないか・・・と気付いてから早8年弱経っているので、もう何から書いていいのやら・・・です。
とりあえず、初めて気づいたのは父でした。2008年の2月くらいだったと思います。
母は59歳でした。うちは父が会社経営していて、母が自宅で会社の経理を家事の合間にやったりしていました。
小さな会社なので、人を雇うほどでもなかったので。

ある日、夕食を食べ終わり、団らん中に父が母に仕事の事で話をしていました。
私と姉もその場にいたのですが、それはよく見る光景だったので私たちはテレビをみていました。
少し経ったころ「だから!何回説明させるんだ!」と父が声を荒げはじめました。
姉も私も当然そちらを見ました。母は困惑したように父の話に耳を傾けています。
父は昭和の超亭主関白の典型的な人だったので、女子供が口答えとか許さない人でしたから、母は黙って
堪えているように見えました。そのうち、姉まで父の加勢にまわり、2人で母に同じ事を言っています。
私はとりあえず黙って見ていました。

そのうち、母も理解したようで、そこで話は終わりました。その日、母がお風呂に入っている間に
父が「お母さんの様子なんか変じゃなかった?」と私たちにいいました。私は「そうか?」と思ったけど、
父の話によると、母は父が口調をきつくすればするほど父の目を一点みつめしていた、というのです。
私はそこまで見ていなかったのでわからなかったのですが、父はその時の母に何か感じ取ったのかもしれません。

その件があってから、母が何もないところでグスグス泣くようになりました。
「どうしたの?何かあった?」と優しく聞いても「なんでもない」と言ってハンカチで涙をぬぐうだけでした。
また、同時期に仕事でのミスも始まりました。二重振込が2回ほど続きました。
1回目は取引先への支払で。次は従業員の給与でした。

ある日、父と母が車を別々に乗って近くの大型電気店で待ち合わせをし、中で買い物していた時に
父の携帯に従業員から連絡があったそうです。「え?給料が2回振り込まれてる?」と父が電話口で言った瞬間に母が豹変。
父の制止も聞かず、泣きながら車でどこかへ行ってしまったそうです。
父からすぐに私の方にも電話があったのですが、姉も私も職場が名古屋なのでどうしようもありません。
私も母の携帯に電話をかけたと思うのですが、よく覚えていないので、出なかったんだと思います。

後から父から電話があり、1時間くらい経ったころに、母が帰ってきて「とり乱してゴメン」と言ったそうです。
でもそれが大きな決定打となり、母に病院行くようにすすめようか、という話し合いを父、姉、私の3人でしました。
ただ、どうやって母を説得させようか困りました。仕事のミスを聞いただけでとり乱すような状況で、
若年性認知症かもしれないから検査しようと言ってしまっていいものか・・・。

でも言わないとどんどん進行していってしまう病気だし・・・その頃私はひとり暮らしをしていたのですが、
母にその話をするときは私にも同席してほしいと言われました。
ある日父から連絡があり、お母さんに話すから帰ってきてくれるか?と言われました。
その日はお泊りセットをもって実家に戻りました。夕食を4人で食べて、いつものように団らんをしているときに、
父が「お母さん、ちょっと話があるんだけどいい?」と口火をきりました。

母は何かよからぬことを言われると察知して「なに?」と少々ぶっきらぼうに答えました。
「最近お母さん、物忘れも結構あるし心配だから、一回検査受けてみない?」父が優しく聞きました。
母は案の定というか・・・言われた途端、泣き始めました。手で顔をおおい、声をあげて泣いています。
姉も私も母がこんなに泣くところは初めてみました。私たちが子供の頃は母は子供に涙を見せない人だったのに、です。
そしてものすごく居心地が悪かったです、正直。大の大人が、しかも母が、声をあげて泣くなんて・・・
ものすごく悪い事をしているような気分になりました。父もすごく困惑しています。次に私が声をかけました。
「お母さん、私の行ってる会社でも50歳以上の人は2年に1回脳ドック受けるようになってるんだよ。
皆受けてて普通のことだよ?そんなに重く受け止めないで、軽い気持ちで受けてみたら?
何もなかったらそれで安心なんだしさ。もし検査が不安だったら、私が付いていくから、一緒に行こ?」と言ってみましたが、
ずっと泣いてるので聞いてるのか聞いてないのか判断できませんでした。

約1時間くらいかかって3人で母を説得し、泣きはらした母も少し落ち着いたのか、
しばらく無言のあと「わかった行きます」と投げやり気味に言いました。
本当は自分でこれはヤバいのかもと思って病院行ってくれるのが一番なんですが、
この時の母は言われたから仕方なく行く、というのが誰がみてもわかる態度でした。

そのまま実家で泊まって、次の日は実家から会社に行きました。仕事も終わり、
ひとり暮らしの家に戻ると、父から電話ありました。
出ると「お母さん今日一人で市民病院行って検査受けてきたらしい。結果は異常なしって言われたらしいわ!」と
父の声も弾んでいます。こんな朗報ありません!私は母の症状はうつ病じゃないかと思ってたんです。
グスグス泣いてる事が多かったし、うつ病でも物忘れがあるとネットに書いてあったから・・・。
うつ病であれば治るかもしれない、そんな希望がありました。
だから認知症じゃないならひとまず安心だ!と思って父と「よかった~」と電話口で喜び合いました。

しかし、です。認知症じゃないとわかったところで、母の様子は相変わらずなのです。
2008年2月に父が母の様子が?と気づいてから、母に検査をすすめたのは半年後の
2008年夏ごろだったと記憶しています。
その半年の間にも毎日毎日、同じ事を何度も言うなんて日常茶飯事で、グスグス泣くのも続いている。

そこで新たな疑問・・・母はちゃんと病院で検査したのだろうか?です。
父曰く、市民病院の駐車場の領収書が車にあったので、行ったのは間違いないと思う、との事ですが、
それ以上は母しかわかりません。私たちに病院で検査と言われてからさらに敏感になり、
「病院」とか「検査」って言葉に異常に拒否感を示すようになりました。
文章で表現するのが本当に難しいのですが、少しでもその話をだしたら聞こえませーん!みたいな
感じで言葉をかぶせてきたり、時には怒ってきたりします。現実逃避に近いものがあります。
とにかく聞かないに徹するというか・・・。それを無理やりこちらに向かせて「どこで何科を受けたの?」
なんて問いただしたら、また前のように泣きじゃくり「もういい!もういい!」って叫んで逃げるのが
目に見えてます。

私たちも段々慣れてくるというか、どういう話題を出すと嫌がるかとかがわかってきてるので、
「病院」というワードはもはや我が家では禁止ワードになりつつありました。
あれから8年経ちましたが、未だに病院でちゃんと検査をしていません。
だから、すごく長くなっちゃったけど冒頭で行ったように若年性アルツハイマー型認知症
「と思われる」という表現を使ったのです。

人に母が認知症かもしれないんだ・・・と話すと100%返ってくる言葉が
「早く病院連れて行った方がいいよ」 です。
私も逆の立場で、身内に認知症の人がいなかったら同じ事言うと思います。
病院に連れて行く、これができたらどんなにいいことか・・・。

でも本人が泣いて嫌がることを無理やりで連れていくなんてできません。
もし現在 認知症という症状が治る病気であるならば、嫌がろうが何だろうが
病院に連れていくけど、今だとせいぜい症状を遅らせることが精一杯という感じだろうか?
人によっては薬が合わなくてさらに進行してしまう例もあるらしいので、
一概に治療が絶対安心ともいえないだろうし。

とにもかくにも我が家の場合は本人が強い拒否反応で連れて行くことができません、状態です。
それにしても母は本当に受診したのでしょうか?その頃は今思い出しても
本当に初期症状だったと思うので、車の運転も普通にできたし、病院行って来たなら
行って来た事は覚えている状態でした。だから母の言った言葉は信ぴょう性はあるのはあるのですが・・・。
父が言うには「病院行ってきたよ。家族におかしいから病院行って来いっていわれたから来ましたって医者に言った。
結果は何も異常ないっていわれたけど?」とドヤ顔で言われたらしいのですが・・・本当に検査したのだとしたら、
脳の委縮が見つからなかったんでしょうか?
母が次の日に1人で行くとは思わなかったので不覚でした。

母も父の長年の圧力の元、自分をおさえて我慢してきた人だから、普段は大人しくて控えめな感じに見えるけど、
ちゃんとプライドもあります。世間体も気にする人だったし、ネットとかしない母にとって、
認知症=ボケというイメージを持っていたと思います。そういうイメージの人もいまだにいるかもしれません。
昔は痴呆症という表現が使われてましたね。

だから自分がボケ扱いされるなんてプライドが許さなかったんでしょう。
だから1人で受けに行ったんだと思います。8年経った今も、病院で受診したのかどうか、は謎のままです。
今の母に聞いても覚えているわけもないので、もうお蔵入り同然なのですが・・・。
病院も個人情報がうるさい時代に突入していたので、恐らく家族であっても本人の了承がないと結果は見せて
くれないだろうし。



はぁ・・・ これだけ書いといてなんですが、長い文章ですねw
なんせ8年分ですからね。まだまだこんなの序の口ですよw
そして、なぜ今カミングアウトしたか・・・特に理由というものは明確ではないですね。
ブログに書かなかった理由は明確だけど。

「ブログにこういう事書くと、暗くなっちゃうだろうが!」

というのが理由でしたw
いやね、人によってはこういう事かくと重たい文章だなと受け止めてしまう方もいるかなと思ってね。
それと、先にも書いたように、病院でちゃんと検査していないから確定じゃないことをしかも、
自分の事なら書いてもいいんだけど母の事だから、なんとなく書きたくないって思いもありました。
なんか本人の知らないところで確定じゃないこと書くのってどうなの?と思って。

今も検査は受けてないから確定じゃないっていえばそうなんだけど、8年経った今、
母の症状はほぼ認知症で確定だろうと判断したからです。
先週 金スマで大山のぶ代さんの認知症をやってたけど、どれもこれもやってることが同じでした。
この8年の間にあらゆる認知症のテレビ番組みたり、ネットでも調べたし、書籍なんかも見ましたが
母の症状は若年性認知症しかないと思います。
現在、母は1分~2分前の記憶も厳しい状態。ネットで調べた限り、介護度は2に入ってると思われます。
まぁこうやってブログに出してしまったので、時々こうやって介護記録でもつけていくか・・・と思っています。
今までは母が認知症だと信じたくないのも少しあって、ブログ以外にも日記もまったくつけてこなかったけど、
母が私たちを認識してくれるのも、あと数年なのかな・・・と思ったら介護記録をつけようかと思い至り、
ブログに書いてみました。

あの・・・ここまで読んで重く受け止めてしまった方も、もしかしたらいるかもしれないけど、
母は今現在も自我はちゃんとあるし、元気に生活しております。
家の中も別にどんよりしてるわけじゃないし、母も普段はちゃんと笑ったり冗談いったりしてるから、
傍からみたら何が問題あるの?ってくらいにしか見えないと思います。
認知症は脳の病気だから、重度の認知症じゃない限り、見た目わかりませんからね~。

めっちゃ長くなってしまったので、ひとまずここで。
8年間の事を思い出しながら続き書いていきたいと思います。それでは


ちょっと暗めの内容だったかもなので、お口直しに最近のお気に入り動画を

カワユイ






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