FACE project BLOG

~朝鮮学校と私~

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多文化共生をめざす集会

2010年03月24日 00時27分07秒 | お知らせ♪
いよいよ今週末、
3月28日は円山公園で集会です。

多文化共生をアピールしながら、
朝鮮学校の民族教育があたりまえにできるよう、
野外音楽堂で、街頭で、
それぞれの思いを表現しましょう
コメント (3)
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ある参加者の報告

2009年12月24日 22時42分58秒 | 後日談。
12月22日、京都会館で、
「朝鮮学校への攻撃を許さない!12・22緊急集会」が開催されました。
わたしたちFACEのメンバーも複数人参加しました。
会場の参加者から届けられた集会報告がとても上手にまとめられていたので、
転載させていただきます。参加できなかった方と共有したいです。

なお文中の団体名は正しくは、
・「心の教育」はいらない!市民会議
・反排外主義行動ネットワーク・関西
です。




 地下鉄を降りて会場に向かう途中、偶然、主催者の仲尾先生と出会い、いろ
いろお話もさせていただきました。会場につくと、正面に警備の警官が立ち並
び、私服もいるは、もちろん主催者の集会の防衛に当たる方もおられ、外見的
には物々しい状況でした。在特会は、こなかったようです。

 集会は、19時に始まり、まず、主催者(朝鮮学校を支える会・京滋)を代表
して、仲尾宏さんが、差別禁止がなされていない日本社会で、今日の事態が起
こっている、京都で起こった差別事件として、府も市も教委もこの問題に取り
組むべきだ。そして、私たちは日本人の問題として今回の事件を許さない、朝
鮮学校の苦難と栄光の歴史を踏まえ、在日は、地域、とりわけ日本の子どもと
の交流も深めてほしい、私たちはそれを支える。在日外国人や日本のマイノリ
ティの民族教育などの取り組みと連帯し、在特会を許さない闘いの中で、マイ
ノリティと手を取り合い考える機会にしてもらいたいと挨拶された。

集会が、日本人が主体となる団体によって主催されたことの意義は大きいと思
います。


 つぎに、民族教育を少しでも理解するために、「ウリ(私たち)の学校」が上
映され、朝鮮学校の日常が描かれ、生徒たちの明るい笑顔が、印象に残るもの
でした。そして、今回の12.4在特会の襲撃の場面のビデオが5分程度流さ
れましたが、口汚い彼らの怒号、差別発言の連発は、ネット上で何度か観まし
たが、改めてこの会場で観て、怒りがわき、これが子どもたちに浴びせられた
と思うと、悲しくなるものでした。

 そして、京都朝鮮第一初級学校の校長先生が、詳しい事実経過などを話され
た。
 在特会がやってくることは、11/21に朝鮮総連京都府本部に来た際、彼らが来
月行くぞと予告していたため、教員・保護者で体制を取り、警察にも要請し、
地元町内会にも説明していたが、4日に南区の区長に要請に行ったその日にく
るとは思わなかった。生徒がいる中で、あんなことを1時間にわたってされた
ことに怒りでいっぱいだ、自分も対応していて、怒りで手が震えた。しかし、
みんな冷静に対応し、挑発に乗らなかったこと、よく我慢してくれたことに感
謝する。
 これまで、チョゴリの切り裂き事件など相次いであったが、これらは犯人は
、隠れてやっているが、在特会については、白昼、集団で明確な意図を持って
やっていること、そして、大人に対してではなく、子どもに向かって学校へや
ってくきたことが許せない。公園の使用については、町内会と協議し町内会長
の提案もあり、以前から使用させてもらっている、市にも理解を得ている。今
回、高速道路建設工事に伴い、公園遊具の撤去などもあり、狭くなってきて、
地域の子どもの遊び場の確保のことで、町内会とも協議する予定になっていた
矢先に彼らが来た。決して不法占拠ではない。
 在特会は、市公園管理課の使用許可を得て集会をしたというがまったくのウ
ソ。ちょっと電話通告した程度で、マイク使用も許可されていない。
「学校教育法上の学校じゃない」と在特会は言うが、学校教育法上の各種学校
である。(文科省が法第1条の学校と認めないことは重大な問題であり、これが
在特会のような連中に口実を与えているが。)
 不安は、子どもたちの心の問題だ。少し時間も経過し落ち着いてきているが
。今回の事件後、無関係の人が学校をのぞきに来る、これも不安なことだ。
 来年また来ると在特会は予告している。これに対処することが課題だ。警察
への要請、子どもの安全対策、保護者による警備等々。今回の事件で刑事告訴
し、昨日受理された。弁護士会への人権救済の要請、国連への訴えなどやって
いきたい。激励の手紙が毎日何通も、世界から来ている。これを子どもに見せ
気持ちを伝えていきたい。
 民族教育は、在日の子どもが、朝鮮人としてアイデンティティを持って生き
ていくために欠かせないものだ。今後のしっかり民族教育を続けていきたい。

 続いて、アボジ会会長が、60年前の阪神教育闘争当時と変わらない排外主
義に怒りがわく、子どもを学校に通わすという当たり前のことに、大変なエネ
ルギーを費やす。こんなことされたら転校させようかという思いが出てきそう
だが、普通にこれからも通わせる。「在日でもがんばったら認められる」とい
うが、これは、生まれながらに、スタートラインが後ろにあるようなものだ、
それが当たり前だと錯覚させられる社会だ、しかし、そうではなく、一人ひと
りの尊厳を守り教えてくれるのが学校だ。学校は、尊厳を守れるところだ。ま
た、学校を守ることが、私たちを守ることだ。
 ある日本の方の言葉、「朝鮮人が生きやすい社会が、日本人も生きやすい社
会だ」。そのためにがんばりたい。

 次に、海外に滞在するため参加できなかった同志社大学の教員からの、「私
の友人に手を出すな!」というメッセージが紹介された。

 さらに、オモニ会の保護者の発言が続いた。「警備が厳しいこんな集会に子
どもをつれて来れない保護者がいる。学校では、今も保護者らで警備をしてい
る。休み時間に外であそべない状況がある。子どもの学ぶ権利を。」「37年
間生きてきたが、こんな腹立たしいことはない。日本人がこんなことをすると
は教えたくない。ともに地域で暮らしたい。ウリハッキョを守ってください。

 オモニ会会長は、無抵抗な子どもに対する攻撃は許せない、振り上げたこぶ
しは、さらに高く上げるが、子どもには、人に優しい人として育てたいと。

 在日韓国青年同盟京都・副委員長は、自分は日本の学校で学んだ、ウリマル(
母国語=朝鮮語)で話す今の朝鮮学校の子どもたちがうらやましいくらいだ。在
特会は、子どもを攻撃し卑怯だ。「在日特権」を許さないというが、ほんとに
特権のある米軍や日本の支配層などをなぜ問題にしないのか。勇気も正義も理
想もない人たちだ。彼らを暴力でとめることはできない、また、見過ごすこと
もできない。やはり、日本人朝鮮人が手を取り合って理解し合い、学校を守っ
ていく、そこから社会を変えたい。

 そのあと、日本人側からの発言として、
 日朝友好京都ネットの方が、今回のことがあり、自分たちの運動も質的変化
をせざるを得ない。個人的に、京田辺市で「慰安婦」問題について市議会決議
をあげた際も、在特会は来た。ほんとに許せない。第一朝鮮学校の子どもたち
とは、田植えや稲刈りを交流としてやってきているが、今回のことは、ほんと
に許せない。

 東アジアの平和と朝鮮半島の自主的平和統一を目指す京都ヒューマンネット
の方は、在特会は、日本の支配層の別働隊だ、学校を支えていくとともに、在
日の諸々の権利についてともに闘いたい。戦争へ向かう日本社会において闘う
中で、在特会に対する闘いも行なっていく。

 朝鮮学校と交流する学生のネットワークであるFACE projectの方は、一昨年
の朝鮮学校弾圧以後に運動を始めたもので、事件後学校を激励した。今回のこ
とは許せないが、私たちの無関心さなどが、在特会を生み出すのではないかと


 「心の教育」を許さない!市民会議の方は、汚い日本語を聞いて日本語を話
すのがいやになる、在特会の言葉は戦争中の日本軍兵士のようではないか、実
際に聞いたことはないが。日の丸君が代問題などを闘ってきたが、12.4の
事件について、自分たちも何かいうべきだと思い、声明を出した。日本人が日
本社会において生んだ在特会に対して、日本人が行動すべきだ、在特会はもう
一人の私だと思う。

 当日会場防衛に当たっていた、排外主義と闘うネットワーク関西の方は、1
2.4事件は、子どもに対する暴力であり許さない。4月に蕨市においてカル
デロンさんの家に向かってデモした在特会、こんな集団を許してはならない。
京都・大阪でも差別主義・排外主義を扇動するデモをやっている。こんな連中
にデモをやらしてはならない。どのように包囲していくのか、社会的に封じ込
めていく必要がある。

 多くの発言者があったが、最後に、集会決議を大きく長く続く拍手で採択し
、学校を守り抜くぞとシュプレヒコールをして、集会が閉じられた。
 予定は、9時終了だったと思いますが、時間の長さを感じさせず、熱気あふ
れる集会は、9時20分に終了。
なお、参加者は600人で会場満杯、立ち見の方も多かったです。カンパは実
に23万円を超えた。

 私は、一昨年の滋賀朝鮮学校への大阪府警弾圧を思い起こしながら、参加し
ていたが、今回も、在日の差別に対する怒りと、民族教育を守り抜いている闘
いに感動させられ、さらに、日本人が、緊急集会を成功させ、今後の在特会の
攻撃に対する陣形と、日本社会にある排外主義を打ち破る展望が確信できた。
反省するべきは、今回の事態で自分がどれだけ動けたかである。
 また、警察の警備については、彼らの職務として責任ある対応を求めるが、
一方で私たちは、滋賀朝鮮学校であったように、警察権力が在日や私たちを監
視・弾圧する隙を狙っていることも忘れてはならないと感じた。


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アピール文

2009年12月24日 22時22分20秒 | アクション!
12月4日に引き起こされた事件について、
FACE projectとしてアピール文を発表しました



<私たちの中にある排外主義を克服するために>

私たちは、朝鮮学校と出会い交流してきた大学生のネットワークです。学部や院で学んでいるもの、いまは卒業してそれぞれの生活を送っているものなどさまざまですが、みんな学生時代に京都と滋賀の朝鮮学校を訪問させていただきました。
訪問のきっかけや思いはそれぞれ違いますが、初めて朝鮮学校の門をくぐった私たちは、学校の先生から「ありのままを何でも見て、思ったことは何でも聞いてください」とすすめられ、歓迎されたことを喜び、心を通わす機会を得ました。そうやって朝鮮学校の姿を知ることができたことは、とてもありがたく、貴重な経験になっています。

 ところが、2009年12月4日(金)、京都朝鮮第一初級学校に押しかけてきたものたちが、偏見とウソ、侮辱と差別にあふれる言葉を大音量でまきちらし、朝鮮学校の生徒・先生・親たちをおどかし、追い出そうとする暴挙をはたらきました。泣き出す子どもたちを守るため、学校の門を固く閉じた先生方の気持ちを想うとき、そして嫌な言葉を言われつづけて怒りや恐怖でいっぱいになった学校のみなさんの気持ちを想像するとき、私たちは、怒り、悔しさ、恥ずかしさ、情けなさが入り混じった複雑な気持ちになります。

 この暴挙をはたらいたものたちは、今日の日本社会の風潮のなかで出てきたものです。さらに同様の行為をはたらくものたちを増やそうとさえ意図しています。排外主義だとして批判されるそれらの暴力は、多かれ少なかれ私たちの中にあるものではないでしょうか。例えば、法体系そのものが差別的であるにも関わらず無意識に追従してしまっていたり、歴史や民族教育に対して無関心のままでいることは、排外主義につながっていきます。
 今回の事件は、それを克服できていない私たちの弱さを映し出す「鏡」でもあることを、私たちは深く反省しています。どんなに沈痛な思いを抱いたとしても、私たちは忘却や沈黙によって加害者の立場に立ちこそすれ、被害者の立場に立つことはないのです。日本社会において自分たちの置かれている状況を認識するのに、これ以上決定的なことはありません。

 植民地支配によって日本が奪ってきた朝鮮の言葉や文化を取り戻そうとはじめられた民族教育。戦後64年が過ぎても、朝鮮学校を一条校と同等に扱わないことで日本政府は加害責任を負いつづけています。
 子どもたちが、自分のルーツを知り、生きていくための知恵と力を養っていくための民族教育は、世界中のどこで学ぼうと、どの民族であろうと保障されなければなりません。日本政府の加害責任を隠しながら、子どもたちに当たり前に保障される教育権まで否定しようとする動きに対して、日本社会が正面からNO!と言える風潮をつくるために、私たちは力をあわせていきます。

 私たちの中にある排外主義を克服するために。
 朝鮮学校に通う子どもたちの笑顔が絶えない日本社会をつくるために。


2009年12月22日 FACE project
(一緒に行動してくれる人 募集! face_project2007@yahoo.co.jp)

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京都滋賀の学芸祭

2009年02月03日 11時07分55秒 | お知らせ♪
今年も学芸祭のシーズンになりました。
歌あり舞踊あり合奏ありショート劇場あり!
ハッキョに通う子どもたちの一年の集大成を見に行きませんか?

そして。
京都朝鮮第三初級学校からはフレンドシップコンサートの案内が届いています。
WBCスーパーフライ級チャンピオンの洪昌守さんが来ます!
3月1日、午後3時~6時、同志社大学 寒梅館ハーディーホール です。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko/sasaerukai09dai3furendosip.mht


●京都朝鮮第一初級学校
2月15日(日) 午後1時30分~
パルスプラザ(稲森ホール)
http://www.pulseplaza.jp/

●京都朝鮮第二初級学校
2月11日(水・休) 午後1時30分~
右京ふれあい文化会館(ホール)
http://www.kyoto-ongeibun.jp/ukyo/

●京都朝鮮第三初級学校
2月15日(日) 午後1時30分~
京都市国際交流会館(イベントホール)
http://www.kcif.or.jp/

●滋賀朝鮮初中級学校
2月11日(水・休) 午後1時30分~
大津市生涯学習センター
http://www.city.otsu.shiga.jp/www/contents/1107225380293/
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京都朝鮮中高級学校創立55周年記念

2008年11月09日 13時50分06秒 | お知らせ♪
1世の熱い思いを受け継ぎ守り発展させられてきた民族教育。
京都朝鮮中高級学校が創立されて今年で55周年を迎えます。
映画『パッチギ!』の舞台にもなったこの学校では、
今も250名ほどの学生が民族教育に学び、
日々自らのアイデンティティを確立するため励んでいます。

「創立55周年記念式典」と「記念大祝典」のお知らせです。

2008年11月23日(日) 雨天決行
京都朝鮮中高級学校グラウンド(駐車場はありません)

11:00~ 記念式典
11:30~ 学生による記念公演
12:10~ 記念大祝典
13:00 金剛山歌劇団(京都中高卒業生5名)特別公演
13:40 トンポ・ウリチャラン舞台
14:40 京都朝鮮歌舞団公演
15:00 在日同胞大抽選会
15:30  終了予定

記念大祝典ではオモニの屋台が出されます。(食券は1100円から現地販売)
他、わいわい子どもコーナーとして、
・移動動物園(ポニー、ホロホロチョウ、ひよこ、やぎ、うさぎ)
・ふわふわエアートランポリン
・ストラックアウト
・ヨーヨー釣り
が出店されます。



なんと京都朝鮮中高級学校のHPが開設されました!
http://www.korea.ed.jp/
学校の年間行事のほか課外学習や祖国訪問のフォトアルバムも閲覧できます。
アクセスしてみよう。
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京都朝鮮中高級学校創立55周年記念芸術発表会

2008年10月21日 19時40分54秒 | お知らせ♪
京都朝鮮中高級学校の生徒たちが芸術発表会をします。

初級学校の子どもたちの学芸会は見たことあるけれど、
中高生の発表会はまだという方、絶好のチャンスです。
レベル高いですよ。

芸術の秋
創立55周年を迎える中高へのお祝いの気持ちも込めて、
足を運んでみませんか。

と き:10月24日(金) 午後6時開場 6時半開演

ところ:京都府立文化芸術会館
(上京区河原町通広小路下る バス停「府立医大病院前」下車)

ないよう:
舞踊部      群舞「55周年の歴史を心に刻み」
コーラス部    女性コーラス「山へ海へ行こう」
ブラスバンド部  合奏「疾風」
民族楽器部    重奏「春の訪れ」など


当日、協力金500円をお願いします
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京都・滋賀 朝鮮学校運動会&体育祭

2008年09月18日 14時43分21秒 | お知らせ♪
京都・滋賀 朝鮮学校運動会&体育祭

スポーツの秋!
朝鮮学校でも子どもたちの運動会が繰り広げられます。
「観戦・応援 大歓迎」とのことです。
時間ある人は、お弁当を持っていくのも面白いかも。
今年はどこに行こう? コメント寄せてください。

○9月21日(日)10:00~
京都朝鮮中高級学校(左京区北白川)

○9月28日(日)10:00~
滋賀朝鮮初級学校(大津市木下町)
京都朝鮮第一初級学校(南区勧進橋)
京都朝鮮第二初級学校(右京区梅津)
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滋賀ウリハッキョマダンのお知らせ

2008年08月14日 16時21分56秒 | お知らせ♪
みんな集まれ!ウリハッキョ マダン 2008

【開催主旨】
 2006年4月15日に「朝鮮学校を支える会・京滋」からの呼びかけにより、京都朝鮮中・高級学校で「朝鮮学校を支える会・京滋 立ち上げの集い」が開催され(総勢150名)、滋賀からは滋賀朝鮮初級学校の子ども・保護者・教職員や日本学校の教職員など50名が参加しました。そして、そのときの「滋賀の関係者がとりあえず集まってがんばろう会をやろう!」という声を受けて、5月20日に「滋賀朝鮮初級学校がんばろう会」を開催し、120名の参加がありました。この流れを受けて、私たち実行委員会は、ともに生きる社会の実現に向けて、このつながりをさらに深め、広げていきたいと考え、06年、07年に「みんな集まれ!ウリハッキョ マダン」を開催しました。06年は275名、07年は434名の参加者が集いました。3回目となる今年のマダン(広場)も、現在の滋賀朝鮮初級学校の状況を踏まえ、滋賀朝鮮初級学校を支援するとともに、さまざまな違いをもった人々がウリハッキョ(私たちの学校)に集まってつながっていくことを目的として開催します。


日時:8月31日(日) 11:00~15:00 小雨決行

会場:滋賀朝鮮初級学校グラウンド (雨天時は校舎内)

内容:出店  地域自慢・お国自慢をはじめとする食べ物や飲み物販売など
  ステージ発表 サムルノリ、舞踊、歌、三味線、スピーチコーナーなど
  遊びコーナー  朝鮮半島や日本の子どもたちの遊びなど

入場料:無料
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『京都滋賀の民族教育』報告4

2008年06月14日 10時20分17秒 | 『ふぇいす』
滋賀教育闘争の作文朗読
『解放後私たちが学んだ学校』

催しのなかでは、滋賀の教育闘争のときに5~6年生だった4人の女性が当時を振り返ってつづった作文が読み上げられました。読み上げてくれたのは現在の滋賀朝鮮初級学校に通っている6年生の女の子です。朝鮮語で一音一音たしかめるように読まれたその作文は、昨年1月、大阪府警が滋賀朝鮮初級学校に不当な強制捜査に立ち入った事件を私たちに思い起こさせました。60年が過ぎた今日も、朝鮮学校を守る闘いはつづいています。私も日本人として、朝鮮学校の存続を危機に追い詰めている日本政府のあり方を変えていこうと強く思いました。以下は読み上げられた文章です。  ソルタン記

○初めの学校
解放後私たちは朝鮮に帰るために朝鮮の勉強をしようとしましたがお金がなくて、学校を建てることができませんでした。
それでも同胞たちはお金を出し合って学校を建てることにしました。そのころは今のようにくず鉄が高く売れませんでしたが、私たちもリヤカーを引いて徹を拾って歩きました。アボジたちは電車で大津に行って木を買ってくると出かけました。
学校を建てる場所に行ってみると広場にたくさんの青年たちが集まっていました。学校が建てられると思うと友だちと手を取り合って喜び合いました。
2,3日で小さなバラックが建ちました。その日の晩、アボジ、オモニたちが集まって会議をしたのですが、その場所に私たちもついていきました。集まりで先生が紹介され挨拶がありました。
「それでは君たちは明日からここで勉強をします。」とおっしゃったときは、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
次の日、学校に行くと私たちより年上のお姉さんたちも座っていました。アボジ、オモニたちも勉強する私たちを見にいらっしゃっていて、その顔はみんな笑っていました。
生徒は40人にもなって、初めて朝鮮の勉強をするのがとても面白かったです。朝鮮の唄も歌い、遠足にも行きました。
こうして楽しく勉強をしていましたが、ある日突然警官が自動車に乗ってウリハッキョにやってきました。
そして米軍がそこに農園をつくるから出て行かなければならなくなりました。私たちは本当に寂しかったです。
こうして私たちの初めての学校はなくなりました。
今でも米軍の農場を見ると初めての学校が思い出されます。

○膳所小学校
膳所小学校は1年生から6年生までで生徒数は約180人ぐらいで、先生は5人もいらっしゃいます。ボールもおもちゃも少しあってブランコもありました。
楽しい学校生活を送っていたのに、ある日警察官たちが自動車でやってきて先生たちの部屋に入っていきました。
先生たちの部屋にはたくさんの人たちが集まっていました。
その時、自治委員長(学生会長)のファンくんが下りてきて警官たちとたたかっていました。それを聞いて私たちも二階から下りていきました。ファンくんは泣きながらたたかっていました。
私は警官たちがあまりにも憎たらしくて他の友だちとともに「なぜ私たちの学校を取り上げるのだ!」と叫びながら一日中たたかいました。あいつらは一日に二回も学校に来て弾圧していきました。
その翌々日ハッキョに行こうと電車を降りると、みんなが「校門の前には警官が棍棒をふりかざしていて入れないようにしている。」と言うのです。
私は警官に殴られても死んでもいいと覚悟をして学校に行きました。校門の前では多くの友だちが泣きながら警官たちとたたかっていました。
私も学校の中に入ろうとバリケードをくぐりぬけようとたたかいました。
こうしてたたかったのにウリハッキョはなくなってしまいました。
その日は、私たちが死んでも忘れられない10月19日でした。


報告おしまい
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『京都・滋賀の民族教育』 報告3

2008年05月31日 12時49分41秒 | 『ふぇいす』
パネルディスカッション『4・24教育闘争から60年』

朴道済さんのお話からは当時の様子をつぶさにうかがい知ることができました。当時小学生だった朴さんが通った学校は、
・京都朝鮮人小学校(現在の京都中央郵便局の裏手、鉄筋2階建)
・京都朝連堀川小学校(七条小学校内2教室、45年9月設置)
・京都第一朝連初等学校(陶化小学校内校舎1棟6教室、47年11月設置、前身は京都七条朝連国民学院、46年4月設置)
だそうです。といっても堀川小学校は転校初日にお父さんが怪我をされたために結局は一度も行かないまま第一朝連初等学校に再転校したそうです。転校した詳しい背景はわかりませんでしたが、第一朝連初等学校は西陣小と並び2~300人規模の大きな学校で、職員室も借りていたそうなので、市内の他の朝鮮学校からも子どもたちが移ってきたようです。朴さんは湖南の三雲駅から片道2時間を超える距離を学舎に向かい、ガリ版印刷の手づくり教科書で勉強した日々の思い出を話してくださいました。教科書がないこともよくあったそうで、ノートはもったいないから全部が1冊に収まるように大切につかっていたそうです。体育の授業のときはピクニックをしたり、公園で石に布を巻いてサッカーをしたりしていたそうです。陶化小の運動場を使って遊んだことはないそうで、教師の間で朝鮮学校の子どもたちが運動場を使わないように話がされていたのではないか、と当時を振り返っていました。
松下さんの報告にあった49年9月30日深夜の学校閉鎖の翌朝の出来事を朴さんは鮮明に覚えていました。「ある日(10月1日と思われます)、いつものように学校へ行くと、校門の前で日本の先生が朝鮮人と日本人を区別して、お前は帰れ、お前は入れ、とやり始めた。異常事態に仕事先からも親たちが駆けつけて抗議していると、ヘルメットを着けた武装警官がやってきて怒声が飛び交うなか1人が殴られた。それからこちらも投石するようになり、子どもたちは後ろで石を拾い集めて、前にいる親たちに石を渡して闘っていた。」武装警官との対峙は2ヶ月近くもつづいたそうです。「無理やり学校の中に入ったこともあった。そうしたら武装警官が丸太で扉をやぶって入ってきて私たちは追い出されてしまった。」その間、親たちは市役所との交渉もしていました。子どもたちは、しばらくは4つの分会に分かれて勉強しながらも、カンパ活動をしていたそうです。朴さんも三雲駅前でカンパを訴えたときのことを覚えていて、当時は大金だった50円をカンパしてくれた人までいたとしみじみ語ってくれました。
この第二次学校閉鎖闘争のなかで歌った『4・24の日』を朴さんは歌ってくれました。
   再び巡り来る   4・24の日
   血に染まった   恨みの日が
   4千年の長き   民族の言葉を
   学ぶ自由を    奪われた日が
   しかし見よ!   しかし見よ!
   我らは未来の   世紀の足跡
   轟きわたる行進の 歌声が聞こえる
   すべての抑圧を  蹴散らしていく
   雄々しい子たちの 購読の足音を聞け
もちろん朝鮮語で歌われました。最後の「購読の」は朴さんの思いが込められた訳だそうです。原語の歌詞も記録したかったと思いました。
京都の第二次学校閉鎖令は49年の11月に陶化小内の朝鮮学校を明け渡して近隣の木造アパートの1階部分に学舎を移すことで解決が図られました。とはいえアパートの2階には住人がいたというのですから、教育環境が不便になったことは間違いありません。しかも国と自治体の行政が公立学校への転校を勧めたこともあって、朝鮮学校に残った子どもは3分の1ほどに激減してしまったのです。朝鮮人から民族教育を奪い取った責任は重大です。朴さんの最後の話に心を締めつけられました。「木造アパートに移らされてから初めて日本の子どもたちに言われました『朝鮮学校、ボロ学校』と。」  ソルタン記


――その後の民族教育(京都)――
その後、自主的な朝鮮学校の運営がつづけられます。京都では、第一朝連初等学校のほかに、49年に朝連梅津学校と韓国学院が各種学校認可されます。51年には公立小6校で課外の民族学級が認められ、53年には朝連西陣小の跡地に中級学校が設立され、55年に高級部が併設されます(58年に現在の土地に移転)。この頃、民族学級の数も9校14学級と最多になります。60年には第一朝鮮人学校が移転し、京都朝鮮第一初級学校として再出発します。65年に第二初級、67年に第三初級、70年に舞鶴初中級と設置がつづき、現在に至っています。
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