FACE project BLOG

~朝鮮学校と私~

FACE Project活動内容

2008年03月23日 16時32分13秒 | お知らせ♪
<FACE Project活動内容>

FACE Projectは京都・滋賀の朝鮮学校と顔の見える関係をつくっています。
○朝鮮学校の見学会、学校行事に参加&交流
○交流の様子や感想をフリペ『ふぇいす』(年2回)で配信
○朝鮮学校の支援
ベルマーク・書き損じハガキ・使用済プリンタカートリッジを集めています。

FACE Projectは朝鮮学校をとりまく日本社会の問題と向き合う勉強をします。
○朝鮮学校の歴史・現状や日朝関係を知る学習会

<FACE Projectサポーター募集>
年会費として、一口サポート1000円からお寄せください。
 郵便口座 00930-3-121129   口座名 FACE project
サポーターには
○フリペ『ふぇいす』を郵送します。
○メールで朝鮮学校の情報(京都・滋賀)をお届けします。
○ほか朝鮮学校の支援金に充当いたします。

『ふぇいす』第2号 08年3月15日発行

2008年03月16日 21時35分47秒 | 『ふぇいす』
今号の内容は、京都朝鮮第3初級学校創立40周年記念式典、ウリハッキョマダン2007滋賀、映画『ウリハッキョ』、京都朝鮮第2初級学校訪問、インタビュー 保健室の栗山先生です☆

☆京都朝鮮第3初級学校
創立40周年記念式典&フェスティバル―――出店を出しました!―――


 「FACE project」は、2006年朝鮮学校の歴史や現状を伝えるパネル展示会を開
催して以来、継続的に問題に取り組み、交流を続けていきたい、という京都の日
本人学生を中心に2007年1月に結成されました。「FACE」には、問題と向き合うこ
と、顔と顔が見える関係を構築していくことという理念が込められています。朝
鮮学校の問題に対して、客観的にではなく、自分もその問題の当事者だというこ
とに気づくこと、そして主体的に考えられることを目標としています。活動とし
ては、朝鮮学校の歴史や現状を学習したり、実際に朝鮮学校にフィールドワーク
に出かけたり、行事を通して学校との交流を図っていきたいと思います。
 2007年9月9日のチェーサン40周年記念フェスティバルでは、オモニ会の皆さん
との共同作業で、ホッペチヂミのお店を出させていただきました。晴天にも恵ま
れ活気溢れており、自然とお客さんの足はカキ氷の方へ…。店番をしていたらい
い、という考えは甘かったのです。オモニの威勢のいい掛け声とともに、私たち
は必死でホッペを焼き、売り歩きました。努力は実と結び見事完売し、お隣のア
ボジ・オモニから拍手が巻き起こりました。オモニや学生たちと何か一つのこと
をやり遂げた達成感は実に感動的でした。
 ホッペチヂミが完売したこと以上に、「FACE」の理念にある通り、これこ
そが顔の見える関係ではないかと嬉しく思います。私たちは、時に集団やカテゴ
リで物事を見てしまいます。そうではなく、個人と個人の関係性の構築が、確か
な信頼関係に繋がっていくと思います。私も含む日本人学生が、今回初めて自ら
が参加して実感しているはずです。本当に貴重な体験となりました。
 朝鮮学校と言えば、オモニたちの迫力ある掛け声や、大量に購入してくれた酔
っ払いのアボジたちや、かわいらしい子どもたちの笑顔をいつも思い出すことで
しょう。それをきっかけにもっと勉強し、何をすべきかを考えていきたいです。
チョンマル、コマスンミダ。 (Y)


 9月9日澄み渡る空の下、京都朝鮮第三初級学校40周年記念フェスティバル
が盛大に行われました。私はこの式典に参加させていただき、これが初めての朝
鮮学校訪問となりました。校庭には多くの出店と人で賑わっており圧倒されるほ
どでした。
フェスティバルの中で近隣の中学校の吹奏楽部が参加し、演奏していました。彼
女たちは10月に同志社大で行われたフレンドシップコンサートにも出演してお
り、日本学校と朝鮮学校が積極的に交流している姿を見て、このような身近な交
流が日朝友好への一歩として大事なことのように思いました。
 小学校の校舎内を見学させていただきました。校舎は全体的に老朽化が進んで
いるように見えました。そこで朝鮮学校は学校教育法上のいわゆる一条校ではな
く、各種学校という扱いになるということで国・自治体からの補助金がほとんど
でないという話を聞きました。私は日本の法律で子供たちの教育の現場ですらこ
のような不公平なことが行われているとはまったく知らず、また思ってもいなか
ったので朝鮮学校のおかれている現実を目の当たりにして衝撃を受けました。
 この式典を通して、オモニ、アボジたちの子供たちに対する強い愛と絆の強さ
をとても感じました。毎朝、遠くから高速道路を使って子供を学校まで送り迎え
しているという話を聞き、これは日本に住んでいても自分たちの子供に民族教育
を受けさせたいという強い意思がないとできないことだと思いました。日本の中
でお互いが尊重しあい、認め合える日が早く来るように心から願い、それに私た
ちが少しでも協力できればいいと思います。(I)


 今年9月9日に行われた第三初級学校での式典において、オモニ会の方々が出さ
れているお店のお手伝いをさせていただきました。実際のところ、私自身大した
ことはやっていませんが式典の催し物を見たり、統一列車に参加したり、お店を
いろいろ見て回りとても楽しい時間を過ごさせていただきました。学校のグラウ
ンドがお祭り広場に変わり、とてもにぎやかでした。
 私は現在大学で朝鮮半島社会を研究テーマとしているゼミに所属しています。
それも関係して今回参加させていただきました。ゼミを通して昨年はフレンドシ
ップコンサートで朝鮮学校の歴史や第三初級学校についてのパネルを作成したり
、第三初級学校の生徒たちとステージでサムルノリを共に演奏したりと朝鮮学校
や在日朝鮮人の方々と交流を持つことができました。
 私がこのゼミを選んだのには正直なところ深い理由はありませんでした。しか
し、フレンドシップコンサートに参加したことや朝鮮学校や在日朝鮮社会を研究
したことを通じて無知な自分の世界が広がっていったように思います。朝鮮学校
・在日朝鮮社会、今まで触れることのなかった世界に触れ、なんとなく聞いたこ
とがあった「在日朝鮮人・朝鮮学校」という言葉がとても身近に感じるようにな
りました。
日本人の中にはまだまだ「在日朝鮮人」という言葉を聞いて朝鮮という言葉から
拉致や核ミサイルを連想して悪いイメージを持つ人が多くいるように思います。
私はゼミでの調査やフレンドシップコンサート、今回のボランティアを通してあ
りのままの朝鮮学校、在日朝鮮社会に触れてきました。そして実感しました。「
たとえ言葉や文化が違っても同じように笑い同じように感動している。」
 当たり前なことかもしれませんが、フレンドシップコンサートで会場整理をし
ていた時、踊りや音楽ライブなど互いの国の文化をお客さんが喜んで見ている様
子を見て私が感じたことです。お客さんは在日朝鮮人の方だけでなく日本人のお
客さんもいたはずで、コンサートを通じてお客さんが言葉も文化も超えて一つに
なったように思いました。知ろうとすること、理解しようとすることで、きっと
互いに深いつながりが生まれるはずだと感じました。
 だからこそ、色眼鏡で物事を見てはいけないと思います。人は周りの言う言葉
や作られたイメージに振り回されがちですが、そのような先入観を取っ払って自
分のその眼でありのままを見ることが大切で、それが間違ったイメージを壊しこ
れから在日朝鮮社会と日本社会をもっと近づけ、互いが行き来できる関係を作り
出すことにつながっていくはずだと私は思います。(S)



☆滋賀朝鮮初級学校
みんな集まれ!ウリハッキョマダン2007滋賀(9月1日開催)


 はじめて朝鮮学校のイベントにボランティアとして参加させていただいたので
すが、そのアットホームな雰囲気に驚かされました。多くの方は立場や国籍など
が違えば、その集いもまた違ったものになるのかもしれないと思うのではないで
しょうか? 正直なところ私も最初はそう思っていて、イベント自体のイメージ
がつかめずに、どんな風に会場で立ち回ったらよいのかな?と不安でした。
 けれど滋賀の朝鮮学校に到着した途端、その馴染んだ風景に一気に不安が消え
ました。子供の頃に何度も参加したことのある地元小学校のイベントと同じよう
な賑わいで、子供たちやオモニたちがダンスや歌などの練習の成果を発表し、バ
ザーなどの出店の姿を見るとワクワクしました。お祭りは地域の交流のために行
われ、先生方は生徒のために、親御さんは子供たちのために、お祭りを作り上げ
ていることがひしひしと感じられて、大学生になった自分にはなんだかとても懐
かしくなりました。
 けれど、少し注意してみれば日本の一般的な学校のイベントとは違うところも
沢山あることがわかります。子供たちと先生が朝鮮語で話していることからも、
日本にありながら在日朝鮮人の方たちが自分たちの文化や歴史を大事にしている
ということが感じられました。私たちにはわからない、独自のつながりがあるの
だと思います。
 日本人の在日朝鮮人に対する差別は紛れもない真実で、いまの情勢にも伴って
どんどん社会のなかで負けずにたくましく暮らしており、その中で色々な思いを
抱えているのかと思うと自分たちの無知さや現状に憤りを感じます。
 多文化共生という言葉がよく出回っている時代ですが、私たちは本当にそこへ
向かっているのか疑問です。私たちは隣で外国語が喋られている状況でさえ、不
慣れなのですから。
 ボランティアに参加できて、自分の中でひとつ理解が深まったように思います
。こうした機会にもっと多くの方が参加できたら、世の中はちょっと変わってい
くような気がしました。(S)

☆映画『ウリハッキョ』
京都・滋賀7大学10キャンパスで自主上映しました(11/9~12/5)


 冒頭思わず笑ったのは、担任の先生の発表シーンだ。サッカー部の引退試合で
は涙が出た。2時間いろんな思いがあふれたのは、生徒たちの姿と全力で生きてい
た自分の高校時代が重なったからだ。
 でも、ウリハッキョを観て胸が詰まったのは単に懐かしい青春を思い出したか
らだけではない。「祖国の人はみんな目がきれい!」と話しながら修学旅行から
帰国して写真を眺める姿に、生徒たちは普段、日本人の目をどう感じているのだ
ろうかと考えさせられた。
 寄宿舎で先生と生徒が川の字になって漫画を読む姿や、「子どもができました
!」と報告する先生に飛びつくあの子、「いつでも戻ってきなさい」と話す先生
の笑顔に引き込まれる。同時に、彼らのこんなにもいい表情を曇らせるのは他で
もない、私が生まれ育った日本の歴史であり社会であるという点が胸に刺さる。
 灰谷健次郎の小説・太陽の子に「いい人というのは、自分のほかに、どれだけ
、自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろか」という一
節がある。苦労を重ねた1世のハラボジ・ハルモニ、家族や友人、祖国の人々。た
くさんの同胞の思いと共に、ウリハッキョの先生や生徒は生きている。
 今まで何度となく、「歴史を知ることが大事」だと教えられてきた。知るだけ
で終わりなのかという疑問と安易な感想文の結論のようで、あまり使いたくない
言葉だった。しかし、歴史を学び大切にすることは、人を思いやることに直接つ
ながる重要なことであると実感を持った。1世の歴史を大切にすることは、目の
前の3世の友人を大切にすることになるからだ。
 映画が終わるとき、彼らの明るい表情をずっと見ていたいと思った。そのため
に私は、彼らのハラボジ・ハルモニ、祖国の人々にも思いを馳せ大切にする人で
いたい。また、藤代先生と生徒たちのように、互いに尊敬し学び合う関係を築き
たい。ウリハッキョは周りの友人にもとにかく一度観て!とすすめたくなるおも
しろさとパワーにあふれ、歴史と自分の生き方のつながりを考えるきっかけとな
る作品だ。(M)



☆フェイス!京都朝鮮第2初級学校


 3月4日。大学生、院生、留学生、大学講師の7人で第2初級に学校見学へ行
きました。第2初級は右京区の梅津、松尾橋の東のたもとにあります。平安遷都
前には、渡来した朝鮮人がたくさん居住し、灌漑・養蚕など技術交流の盛んな地
域でした。いまは集住地区はないそうですが、右京・西京・中京の子どもたち92
名が通学しています。校長の陳先生が私たちを迎えてくださいました。


 「ようこそおいでくださいました。」「まずは授業を全部見ていただいて、そ
の後でなんでも質問してください。」陳校長は終始オープンに学校を案内してく
れました。低学年の学ぶ教室へと階段を2階に上がると、目の前に朝鮮半島の大
きな地図。子どもたちと先生方のカラフルな手形で彩られています。「6月15日
は学校全体がお祭です。まずはみんなで楽しむのです。」そう話す陳校長の優し
い笑顔に、朝鮮半島の人々とともに統一を喜び楽しむ感慨は、ひとしおのものだ
ろうと感じました。
 学年末ともあって、子どもたちはテストの真っ最中。後ろから覗き込んで邪魔
をしてごめんなさい。算数の筆算、英語の勉強、日本語の授業では日本の童話を
読んでいました。1クラスが多くて10人ちょっと。先生の目は子どもたちひとり
ひとりに行き届いています。特に4学年は元気いっぱいで驚きました。「次はど
こをやるのかな?」先生が言うと、みんなが手を上げて答えようとします。友だ
ちの答えにみんなで笑って先生にどんどん発言して、キャッチボール型の授業は
とても楽しそうでした。
 学校の図書室も見せてもらいました。市・府の補助金には学校図書費の費目が
ないので(国の教育補助金は一切なし)、オモニ会の力で図書を集めています。
畳敷きのコーナーもあってよく整備されていましたが、参加者のひとりから「ウ
リマルの本をもっと読みたいだろうなぁ」と一言。(なるほど、そうかぁ。)親
・先生の思いが伝わる気がしました。
 この学校が開校したのは1965年。75年には中級部が併設されたのですが、近年
の生徒数減少で98年に中級部は現在の京都中高に統合。このとき学校名も京都朝
鮮第2初級学校とされました。
 校舎の4階は中級部併設のときに増築されましたが、いまは音楽室や民族器楽
室、倉庫として使われています。ここでチャンゴ部も練習をしています。ほかに
も、民族舞踊、合唱、芝居など、学芸会でのみんなの演奏・演技は見事でした。
 「民族の言葉・歌・楽器を学んで欲しい。同じ民族で仲良くすること、日本の
人とも仲良くすることを学んで欲しい。」それが陳校長の子どもたちへの思いで
す。第2初級には日本の学校の先生も見学にきます。今年度は西京極小などから
3回来られたそうです。近隣の小学校との交流も盛んで、児童の絵画を交換展示
する取組みもされたそうです。
 陳校長は、前年度までは京都朝鮮中高級学校の先生でした。民族教育の意義を
尋ねると、「国際化社会のなかでは自民族の文化・風習に誇りをもつことが大切
だと思います」「それがあって交流も成り立つ」と言われました。中高の生徒た
ちがサッカーや吹奏楽の大会で活躍し賞をとる姿を見て、民族の心と文化を学び
ながら日本社会で活躍することが子どもたちの夢になってきたと時代の流れを感
じたそうです。10年前、インターハイの出場権が認められていなかった時代には
考えられなかったことです。
 陳校長自身は、日本の小学校に行き、高学年で民族学級の先生の影響を受け、
中学から民族学校に編入しました。「日本人の友だちがたくさんいたけど民族の
ことを学びたかった。民族学校では、それまで以上に友人づきあいの大切さを学
びました。」日本社会にはいまだ在日朝鮮人への偏見や差別があります。「まず
は民族の誇り・自国への自負をもてるようになって欲しい。そして日本で自信を
もって生きていって欲しい。」穏やかでいて力強い言葉に、私も傍観者でいては
いけないとあらためて認識しました。第2の先生方、子どもたち、見学させてく
れてありがとうございました。(S)


 今回私が初級学校を訪問したのは二度目でした。1月には別の学校に訪問に行き
ましたが、前回今回と二つの学校に行って共通して一番最初に感じたこと、それ
は孤独でした。どちらの初級学校も授業はすべてハングルを使われていました。
私は今まで行ったこともハングルを学んだこともないので、授業中先生がどんな
ことを言われているのか、子ども達が何を聞いて笑っているのか、全く分かりま
せんでした。自分が知らないところに一人で放り込まれているようなそんな感覚
を覚えました。自分の今まで19年間生きてきたなかで初めて知り実際見た学校だ
ったので、その衝撃はとても自分の中で大きかったのだと思います。きっとこの
とき感じたこの気持ちはずっと忘れることはないだろうと思いました。
 その言葉以外、例えば掲示物や教室の中、何より子ども達の表情は日本の学校
の子供たちと何も変わらないように思いました。やはりどこでも子ども達は子ど
も達なんだな…と何か安心した自分がいたと思います。
 けれど、その言葉以外にも自分の中で衝撃は大きかったです。まずは校舎など
学校の設備です。私は以前ボランティアとして大学の付属小学校に何回か行った
ことがあります。その小学校の設備があまりにもすごいと思ったので、初級学校
に入った時の驚きはすごく大きかったです。正直に言うとこんな設備の中で授業
が出来るのか。と感じた自分がいました。けれど、冷静になって考えたらどうし
て同じ子ども達でこんなにも差が出来てしまうのだろうと考えました。どうして
同じように毎日学校に行って授業を受けて友達と遊んで時には喧嘩したり悩んだ
りするとは思うけど、同じよう生きている子ども達にこんなに差がある社会なん
だろうと思いました。どうして自分の生きている日本という国はこんなふうなん
だろうと考えると何か溜らない衝動が自分の中に生まれました。
 本当の教育って何だろうと私は思いました。教育改革と言って今国は教育に注
目しているけれど、法で認められていないからと言ってこんなにも差のある社会
が本当に教育のことについて考えられるのだろうかと思いました。
 本当の意味で教育って何なのだろう。
 学ぶって何なのだろう。
 教師を志す自分はこの現実を知ってじゃあどうするのだろう。
 この3つの疑問が先日の訪問から自分の中にグルグル回っています。答えに近
づけるように私はこれからも学び続けたい。と強く思いました。
 第二初級学校の玄関には『世界の友達と仲良くしよう』という目標が掲げてあ
りました。はたして自分が小学生の時、今まで19年間『世界』という言葉を意識
して生きていただろうか、学んできただろうか、そう考えるとこの言葉もまた忘
れたくない感情を私に与えたものだと思います。
 訪問は自分にたくさんの感情や疑問を与えてくれたものでとてもためになりま
した。これからもこんな機会があれば参加したいと思いました。ありがとうござ
いました。(K)


≪インタビュー 保健室の栗山先生≫
第2の保健室には、毎週月曜日と木曜日、栗山先生が通っています。先生のお仕
事を聞きました。
Q.もともと保健の先生だったのですか。
A.公私立学校・養護学校の養護教員を35年してきました。いまは退職後の時間の
一部を朝鮮学校に提供しています。
Q.日本の学校との違いはありますか。
A.公的な保健衛生費がないので、薬品や体温計などはマイグッズを持ち込んでい
ます(笑)。物質的不足はあっても、これまでの蓄積でカバーしています。
Q.日本の学校と同じところは。
A.子どもたちの健康を守る仕事は一緒です。そこに国とか民族は関係ありません
から。
Q.日本の先生は全国でも珍しいですね。
A.私の場合は「素晴らしい成り行き」です(笑)。夫と朝鮮学校長との出会いと
長いつきあいがあってこそです。多くの保健の先生が退職すればさよならですが
もったいない。かといって誰でも民族教育の現場に関われるわけでもない。
Q.理解と信頼関係の深さがあるのですね。ここで先生をされて3年ですか。
A.今年度から保健の授業をしています。全学年に学期ごとに。1学年は歯の話、
高学年はエイズの話という具合です。日本の学校ではクラスが多くてできない。
命のこと身体のことを、子どもの成長に合わせて教えられるなんて、とても楽し
いです。まだまだ続けていきたいです。
すごいパワーですね(笑)。またお話を聞かせてください。今日はありがとうご
ざいました。(S)