日本を発ってから約半年の月日が経った。あらかじめ持ち帰るものを決めていなかっただけに、自分がどこに、どのくらい進んでいるのか全く分からない。
そこで、自分なりの目安として、この半年で得たものと失ったものを全部挙げて、その数を比較してみた。
その結果、得たものの方が多かったので、ホッと肩を撫で下ろした。のだが、あることに気付いた。のだ。
私は、この1週間足らずの間で、失ってはならないものを失ってしまったのだ。
プライドである。
謙虚が売りの自分だった。浅い小さいプライドなど必要としたことはなかった。それは日本を離れても同じことだった。しかし、最低限のプライドは自分にだってある。人としてのだ。
恥を忍んで自白する。ここ1週間でう○こを2回も触ってしまった。
これにはもちろん訳がある。それをこれから説明させてもらうつもりだが、その際、できるだけ皆さんの不快な気持ちを和らげるために、あえて「う○こ」のことを「UKちゃん」と呼ばせていただく。
勘違いしないで欲しいが、こうすることで自分がプライドを失ったという事実を、ダメージの小さなものにしようとしている訳ではない。あくまで対象は読者側であることを、念のために伝えておくことにする。
私がこれから説明しようとしているのは、UKちゃんにどのようにして触れたかということではない。それはとても生々しすぎるし、自分が言いたいことはそこではないからだ。
自分は南米のほんの一部しかみてきていない。が、多分、これは自分が旅した以外の土地にも当てはまることであろうと思う。
UKちゃんが、やけに多い。
最初訪れたブラジルはLINS。ここはサンパウロ州でも北部の田舎なので、UKちゃんが多いのはそのせいだと思っていた。が、それはブエノスアイレスにきても変わらなかった。
アルゼンチン1の都市。南米のパリ。きっちり区画整理された町並み。旅行者で賑わう通りにもUKちゃんは存在している。
僕はこんな存在感のあるUKちゃんを半年の間に1回も踏みつけることはなかった。
自分は今、南米のサッカーはUKちゃんが育てたと思っている。足元にあるUKちゃんをかわすと同時に、また次なるUKちゃんを意識しなければならない。しかし、一番の目的はUKちゃんではなく、あくまでゴール。目的地を失わず、街灯やすれ違う人、物乞いする人、もちろんUKちゃん。こうした障害を乗り越え前に進む。
こんなUKちゃんを取り巻く環境が、ブラジルを、アルゼンチンを、南米を強くしたんだと真剣に思う。
UKちゃんを間違って踏んでしまう人の中に、サッカーのうまい選手はいない。この半年間、UKちゃんを踏まなかったことが、唯一、自分がサッカーをやってきたことの証だった。
しかし、地面に手を着くことも普通はない状況の中、2回も触ってしまったのだ。自分のサッカーは南米でも通用する。UKちゃんを踏まないことでつけてきた自信が、思わぬところで崩れた。
踏んでしまったからサッカー選手としてダメ。
というレベルではない。
踏むことはなかったのに触ってしまった→人としてダメ。
ここが唯一持ち合わせていた自分のプライドだったのに。
しかし、更なる問題は別にある。自分は人としてのプライドを捨て、UKちゃんに触れ、笑われることに満足感を感じていたのだ。それが狙ったものではもちろんなかったとしても、“おいしい”と感じてしまったことは事実なのだから…。
もうどうしようもない。人として。
文頭に書いた、この半年間で得たものの中には、もちろん、『UKちゃんによる笑い』が含まれていることは言うまでもない。
うん。すごい。
UKちゃんについては、触れないでおくよ。あえて。