善きサマリア人化計画 I wanna be Anpanman.

救命処置普及や災害救援活動、バス釣り、バイクツーリングや日々の徒然などの日記で~す。(@満州ぎょうざ)

津波に消された街並み

2011年03月31日 00時44分40秒 | 救命普及・災害活動記


公開しようか迷ったけど、被災地の被害の深刻さを理解してもらうために公開することにしました。

編集しているだけで涙が溢れてきます。

この地獄絵図を忘れずに、残された我々が出来ることをしていきましょう。

(被災前の画像は2009年ごろのストリートビューです。当方で撮った画像は、3月19日~20日にかけて撮影しました。)




南三陸町合同庁舎


3階の天井まで津波に飲み込まれた




南三陸町消防署








国道398号線南三陸町付近


手前の工場が消滅







国道45号線 右側の家が道路を挟んで左に押し流されている








国道398号線 気仙沼線トンネル付近







国道45号線気仙沼市小泉付近 画面中央の橋はJR気仙沼線の鉄道橋


鉄道橋は津波により押し流された





国道45号線 国土交通省の事務所


手前のコンビニが消滅





国道45号線 トステムのショールーム付近







国道45号線 気仙沼市内のローソン







国道45号線 ラーメン店


手前の白い鉄柱は、押し倒された看板の支柱か




この画像を、いま、被災地から遠く離れた街なかで、原発の噂話に惑わされ、豆腐や納豆、海苔やミネラルウオーターなどを買い占めている人達に是非とも見てもらいたい。




もしあなた自身や家族が その時 この場所にいたとしたら

被災地の人達の身になって考えれば

いかに自分がちっぽけな存在か理解できると思う

そして自分の行いを見つめ直してほしい

生かされていること 命があることを感謝しないと






この場所で無念の最期を遂げた人達の分までしっかりと生きないと








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気仙沼市に災害ボランティアセンター設立!

2011年03月29日 08時39分07秒 | 救命普及・災害活動記
ようやく28日に設立されました。

市社協の皆さん、頑張ってください!そして地元の学生諸君、怪我をしないように、無理をしないようにね!



○気仙沼市災害ボランティアセンター
  気仙沼市東新城2-2-1(気仙沼市市民健康管理センターすこやか2階)
  TEL0226-22-0722
  FAX0226-22-0732

<ボランティアをしたい方>
 ※現在気仙沼市在住の方のみ受付ています。
 ※活動内容は避難所での活動を主とします(家屋の清掃作業等除く)。
 ※活動時間は午前9時~午後3時(移動、活動報告を済ませ午後4時終了予定)
 ※直接、気仙沼市災害ボランティアセンター事務局までお越し下さい。
  TEL(ボランティア活動希望)080-5949-7475
  TEL(ボランティアの要請) 0226-22-0726
※市外、県外のボランティアの受付は開始していませんのでご理解下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災への支援活動報告

2011年03月28日 23時55分30秒 | 救命普及・災害活動記
さて、3月18日~24日までの災害派遣について報告をさせていただきます。被災地の悲惨な状況が、少しでも伝われば幸いです。


(津波により壊滅した南三陸町。国道45号線から唯一残った町役場を見る。1週間前まではこの場所には街並みがあったのだ。グーグルのストリートビューで見れば、津波襲来以前の街並みが見れます。)


(陸前高田市。この情景をどこかで見たことがあると思った。そうだ、広島の原爆資料館で見た街並みだ。)


(気仙沼市鹿折地区。津波襲来で町が壊滅。そのうえコンビナートが倒壊し、流れ出した重油が引火して火の海に。)


(南気仙沼駅前。破壊された街並み。ここは本当に日本なのかと疑いたくなる。)



今回の活動内容は、東京、茨城、岡山の皆様からお預かりした緊急救援物資を、公安委員会の許可のもと輸送し、各避難所へ届けました。

活動期間は1週間。民間企業の緊急救援物資輸送という目的のもと、災害救援ボランティア推進委員会の会員(防災士)として、現地で時間と燃料の許す限り支援活動を行うというものでした。

被災地で救援物資を降ろした後、気仙沼市役所の災害支援として、空荷になった車両を使用した輸送ボランティアを実施。

地元ボランティアさん達や医療・行政関係者を市内の要所へお送りいたしました。
現地ではガソリンが不足していて、行政側も車両が出せなかったので大変ありがたがれました。

(気仙沼市役所庁舎前で出動待機中。)

災害ボランティアについて、よく耳にする言葉がある。
「ボランティア達が大挙して押し寄せて、結果、現地のリソースを食いつぶし被災地の負担になっていると聞くが?」
確かに過去の震災では何度か目にした光景です。私達は阪神大震災のボランティア活動開始時より、完全自己完結の装備で現地入りしています。
(まぁ釣り以外にも趣味の正月極寒キャンプ等で馴れているので…)

Q.現地ではガソリン不足なようだが、我々のガソリンはどうしたのか?

毎日業務終了後、片道80キロを走り東北自動車道のサービスエリアのスタンドで給油しました。東北道は緊急交通路に指定されており、許可車両以外は流入規制が掛かっていたので、我々のような緊急車両は東北道ではガソリン供給に問題はありませんでした。ただ、毎日のように被災区域を通過して長距離を通うのはキツかったですね。雪も降ったし。
被災地周辺でも緊急車両のみに給油を行うスタンドありましたが、もちろん最優先すべきは地元自治体の緊急車両ですので。我々はボランティアですし。なので、被災現地での燃料調達は一切行いませんでした。(一部マスコミ関係者は消防車の列に割り込んで給油を受けてましたがね。ウチらは現地での給油は不可能であると覚悟して、帰りの分の燃料は携行缶に入れて東京より持参しましたが、結局給油問題が解決したので、必要な分以外は被災者へ提供しました。)


Q.宿泊や食事はどうしたのか?

寝泊まりは東北自動車道のSAで車中泊。その他テントを持参しておりますので、寝るときは車内の荷物をテントへ移動させます。糧食は東京より持参です。飯盒炊爨用の米も用意。東京で入手困難だったカップ麺を、出発前日、妻がスーパーに並んで調達してくれました。(もちろん必要最低限の分量だけですが、買占めをしているようで後ろめたかったとか…スマン)
あと、一関インター周辺の宿が営業を再開したので、風呂に入るためにそこにも泊まりました。

食事に関しては、東北道のサービスエリアが、救援物資を運ぶ緊急車両のドライバーや、これから被災地へ向かう救助活動関係者の為に24時間営業をしてくれたおかげで、朝夜は暖かい食事が食べれました。

朝、出発前に、お昼ご飯用にライスを注文するとおにぎりにしてくれたり、日によっては炊き出しの無料配布をしてくれたりと、彼らも間接的に被災地支援をしてくれていたのです。彼らの「がんばって、行ってらっしゃい!」の言葉に毎日励まされました。


(気仙沼市の救援物資集積場。毎日多くの地元学生たちがボランティアで働いておりました。彼らに伝えました。「戦後、日本は数多くの自然災害に見舞われてきたが、どの街も再生してもっといい街に生まれ変わってるんだ。生き残った君たちが頑張れば、必ず街は再生する。その為には俺たちも手伝うからね」と。)

で、今回、被災地入りの為に飯盒炊爨用の米とカップ麺を用意していった訳ですが、結局ロジスティックの心配がないことが分かり、当然ながら救援物資として、物資不足で困っていた独居老人達に差し上げました。

このように、被災現地でのリソースには一切手を付けずに、自衛隊や消防と同じようにロジスティックは自己完結で活動しました。

これを言うと皆さん「そこまでやるのか」と、一様に驚かれますが、この時期に救援ボランティア活動を行う団体には、ごく当たり前のことなのです。(各団体のボランティアのプロ達が先遣隊として乗り込み、支援活動の道筋を付ける時期なのです。)



今回の派遣では総走行距離2700キロでした。海水が引かない瓦礫の山を走り回りましたが、よくぞ車が耐えてくれたと思います。

当初、派遣がなかなか決まらずにイライラしていておりましたが、出発までの1週間、ほとんど寝ずに情報の精査と物資調達に走り回りました。
なので、派遣許可が下りた時は涙が止まりませんでした。辞表まで用意して出発を強行しようともくろんでいたので。

そして、余震や計画停電におびえながら留守を守ってくれた妻や、1週間の不在を快く送り出してくれた当社の社員達。この人たちも間接的に被災地支援をしてくれていたことに気がつきました。みんな本当にありがとう!


突然の自然災害で、志しなかばで亡くなられた方々の無念を思うと、ご冥福を祈らずにはいられません。

そして被災者の皆さんが一日も早く、笑顔で暮らせる日を迎えられるように願っております。



今回の災害派遣に対して物資面でご支援いただきました皆様:

(株)イタコマリーナ様・サンハルク(株)様・フォーセット様・LEAD様・JB霞内田プロ・立川西通り西商店街様

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災地支援のために

2011年03月26日 18時27分09秒 | 救命普及・災害活動記
今朝は商工会議所の呼びかけで、地元の駅頭で街頭募金を行いました。

普通、震災から2週間もたつと、関心が薄れて募金も集まりにくいのですが…

募金してくれた大勢の皆さん、被災地に思う気持ちはまだまだ熱いです。

2時間という短時間の募金でしたが、今回もたくさんの義援金が集まりました。

お預かりした義援金は、全額被災地への義援金として送金させていただきます。


さて、いろいろな業界で、今回の震災を支援しようとする動きが始まっております。

先ずは釣り業界から。
私も所属するワールドバスソサエティ(WBS)が早速動き始めました。



復興支援キャップを発売し、収益金を義援金として寄付するそうです。

釣り関係者にはマストアイテムですね。これを被って未曾有の国難を乗り切りましょう!

WBS東日本大震災義援キャンペーン


次はバイク業界。

自分の乗るバイクの排気量に合わせた金額を募金するというもの。

二輪車ライダー排気量募金

250CC未満は一律250円だそうですが、募金の上限額はないので、1000円でも10万円でもいいそうです。


こうやって、趣味の仲間たちも被災者への救援へ動き出しました。

今後は救援物資よりも、被災者の生活を支えるための義援金が必要になります。

息の長い支援を続けていただきたいと思いますね。



今の東京は集団ヒステリーを起こしているように思えます。

乳児への水道水取水制限で、街からミネラルウオーターが消えました。

そんなに各家庭に乳飲み子って居るんですか?
テレビで聞きかじった情報を精査することなく、不安なイメージだけが先行していませんか?

本当にヤバい状況とは、首都機能が移転する時です。

その動きが始まるまでは、せめて東京の人達は通常通りの生活をしましょうよ!

震災以前の生活ペースをおくること。それこそが被災地への負担軽減に繋がるのですから。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰京・報告(東日本大震災への支援活動)

2011年03月25日 21時02分07秒 | 救命普及・災害活動記
昨夜で活動をいったん終了し、今日未明に無事に東京に戻りました。

ご声援、ご支援いただきました皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。

東京では乳幼児の取水制限とか…まぁ大人ですからね、冷静に冷静に。

帰りは福島県の安達太良SAでカレーライスとおいしい水道水をたらふく頂いてお土産コーナーで散在してきました。

これも被災地の支援ですかね?

同じように地方の応援隊の消防隊員達も買い物をしていました。嬉しいね!
ご協力本当にありがとうございました。

明日からは東京で出来る被災地支援、駅頭での募金活動です!


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気仙沼市より

2011年03月22日 22時25分18秒 | 救命普及・災害活動記
今日22日の状況は、気仙沼市に限っては22日現在、物資輸送の車両は足りているようです

自衛隊や宅配業者等のボランティア運送が機能し始めました。しかしながら集積された物資を仕分けする人が足りないようです。

近隣の石巻市では物資輸送の車両が足りないようですが…この方寄りって、どうにかしたいですね。明日には自衛隊の車両が大量投入されると思いますが…。

市役所も初めての被災経験ですので、どこにお手伝いを要請していいか分からないようです。

しかも気仙沼でボランティア活動に参加される方々は、ほとんどの人が被災者です。皆さん異口同音に「自分の家は津波の被害が無かったから手伝いに来た」とおっしゃいます。

しかしよく話を聞くと、震災以降、水が出ない、電気が来ない、ガスが使えないなど、本当は被災者なんですね。こんな人達にお手伝いを任せていていいのか?

東北人の温かさ、強さを感じました。

社会福祉協議会も本腰を入れて、気仙沼市のボランティアセンターを立ち上げてはしいですね。

このままでは、市職員が倒れた次は、地元被災ボランティア達も倒れてしまいますよ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気仙沼に到着

2011年03月19日 22時53分58秒 | スマホから投稿(速報日記)
12時間掛けて気仙沼に到着。

余りの被害に言葉を失いました。

なんともやりきれない気分です。

広島の原爆資料館で見たような町並。

酷すぎて日記になりません。

この場所に自分がいていいのだろうか?

辛すぎる現実を目の当たりにして、少しナーバスになってます。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆さんの熱い気持ちを被災地に運びます。

2011年03月18日 04時13分01秒 | スマホから投稿(速報日記)
ほぼすべての準備が終わって、こんな時間になってしまいました。
輸送ルートの確認や現地の情報収集、積載物の再確認や車両コンディションのチェックなど、やることが多くて。

でも決して嫌な気分ではありません。気持ちはすでに被災地に向かってますので。



さて本日、長いこと出発が延期されていた当社の災害救援派遣隊が出発します。

今回の被災地行きに関して、多くの皆さんの善意に支えられました。

確かに被災現場へ行くには、それなりの知識や経験と装備が必要になります。

たまたまそれらの事に精通しているのが私達兄弟だったのです。

私達は、皆さんの熱い気持ちの配達人。決してヒーローではありません。

被災に遭われた皆さんに、多くの仲間の善意と被災者を思う気持ちを届けてまいります。





そして届けてからが、私達の本当の仕事の始まりです。

被災者のために、現地でしかできない活動を展開してまいります。

これ以上苦しむ人が、一人でも少なくなりますように。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルァ!東電!

2011年03月15日 22時01分51秒 | 救命普及・災害活動記
この夕刊の見出し見ると、被災地は超高レベル放射能に汚染されているって印象を持ちますよね。

この記事を見たウチの社長から、災害派遣延期の指示が出てしまいましたorz。

当初の予定では今日明日には出発の予定だったのですが、こんな書き方されたらねぇ!

理解力の弱ってる高齢者の不安をあおってどうすんのよっ。

で、東電だ。

注水ポンプの燃料入れ忘れていて炉心溶解寸前だとかってもう…

ウチがどんなに停電しても構わないが、これ以上変な毒を撒き散らさないで下さいよ!!

いやね、我々は60キロも離れた場所を通過するだけだから、全然平気なのは分かってるけどね。

でもこれらの報道を見てると、不安を感じる人が居てもおかしくないでしょ。

その誤解してる人が、災害派遣の決定権を持っている人だったんだから、もうお手上げですよ。

今日のガソリンスタンドやホームセンターの現状もそうだけど、ホントに頭にくる!!

やり場のない憤りを感じてます。

でも、今日は2つ良いことがあった。

1つ目は、今週金曜日に予定していた弁護士との打ち合わせ。

来月の11日の尋問に向けた打ち合わせだったのですが、宮城に行くので延期のメールを送ったら、「打ち合わせは、戻られてから全力で尋問準備に取り組みましょう。被災地での活動は大変困難なことと存じます。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」とかって、もう嬉しくなるようなメッセージを頂きました。

2つ目は、ライオソズクラブの仲間たちが、立川駅頭で震災の募金を募りました。

なんと6時間で315万円集まりました!!これには本当に感謝するし、嬉しすぎるニュースでした。

クラブからも200万円の積立金を取り崩して、総額500万円以上を被災地へ義援金として送ることになりました。

このように、支援の輪は確実に広がっています。


そういえば、先ほど9時からのNHKニュースでやっていたけど、福島第一原発の敷地内にでも居ない限り、まったく安全であるとのこと。

加熱していたのは原子炉だけでなく、報道も同じだったのではないかい?今日の過熱報道で救援隊派遣に二の足を踏んでいる企業ボランティアも多いと思う。

願わくば、今日のNHKニュースを派遣に決定権がある人たちに見ていてほしい。

で、オイラ達はいつ行けるの?

カミさんが「明日の晩ご飯、なに食べたい?」って聞くから「仙台名物の牛タン」って答えといた。

まぁ、ウチの社長が何と言おうが、今週金曜日にはコッソリ出発しますよ。必ずね。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボランティア難民

2011年03月15日 15時28分04秒 | 救命普及・災害活動記
さきほど、我々救援隊用の食糧やカセットガス、日用品を購入しにホームセンターへ行ったけど、どこへ行っても品切れ!

これだけニュースで被災地の状況を見せられると、心理的に買占めに走るのは理解できなくもないが…。

でもね、少しは冷静になろうよ。

これじゃウチら救援隊も現地到着後は避難所のお世話になっちゃうよ。

でも大丈夫。奥の手を駆使して、完全自己完結の装備を持参して行きますんで、現地の迷惑には絶対になりませんから。

それより心配なのが、災害救援ボランティア達も、それぞれの地元で自己装備を調達をしてから現地入りするだろうけど、安全な場所であるにもかかわらず、これだけ品薄だと装備も不十分なまま現地入りするボランティアもいそうで心配。

阪神大震災の時と同じように、迷惑をかけるボランティアがいなければいいが…

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

給油難民

2011年03月15日 10時53分18秒 | 救命普及・災害活動記
給油のために朝4時半から並んでる~。

ガソリンが売り切れで、タンクローリー待ちです。

明日から被災地入りする予定なんで、今日中には満タンにしないと。

ちなみに東京の立川市内でこの状況。

先頭から二台目の順番なんですが、最後尾は2キロ先らしい。

不要不急の車での外出や給油は、控えたほうがいいですね。


追記:

で、結局4時間ほど待って給油出来た。

一秒でも早く被災地に向かいたいけど、なかなか会社の許可が下りないorz。

つーか、計画停電とかってやられるもんだから、会社の業務が忙しくって…

社員に任せようと、今日から少しずつ停電対応を覚えさせてるけど。

こんなんじゃ、いつまでたっても被災地に行けないよ!!

あ~っ!もう、何をするにもイライラする!

こんな記事を見ると、いてもたってもいられない。

早く行きたい!



「卑劣」…宮城で震災に便乗した窃盗40件
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿行大橋崩落事故現場

2011年03月13日 23時49分25秒 | 救命普及・災害活動記
先ほど茨城県の災害現場から一次帰京しました。以下は北浦での出来事です。





「3月11日に発生した東日本大地震で、北浦に架かる鹿行大橋が崩落した。

翌日の12日、チームフォーセットのセット監督と、たまたま現地にいたヤスがレスキュー隊のお手伝いをしに現地入り。

ハミンバード(魚探)のサイドイメージ機能を駆使して捜索活動に協力したが、発見できずにその日の捜索終了。

その日の夜には、私も現場そばのイタコマリーナに現地入りし、セット監督とヤスとで対応策を検討。

その結果、捜索のダイバーが居る場所では、バスボートの魚探を使用した捜索が出来ないことが分かり、ならばダイバーが潜る前に魚探を掛けることにして、県警レスキュー隊の集合時間の1時間前に出発することに。

その夜は、時折強い余震の続く潮来での眠れぬ夜を過ごす。

翌朝3月13日、マリーナのあっこさんのご厚意で、断水の中にもかかわらずに暖かい朝食をごちそうになり、お昼のおにぎりまで頂いて、8時40分に出船。

嬉しいことに、その日の朝はWBSの小野プロ、速水プロ、O木氏にも駆けつけて頂き、速水プロとO木氏には私とヤスのボートに乗ってもらって手伝ってもらうこととなった。



出船からおよそ10分ほどで現場到着。状況をヤスに説明してもらう。

ほぼ中間地点の橋脚が2か所無くなっていた。そのせいか、上にあるはずの車道も水中に落下した模様。


(引きちぎられたボルト用のベースプレート)

状況確認後、二手に分かれて、サイドイメージで湖底スキャンを開始。

開始後10分ほどで、ハミンバードが車両らしき反射を拾う。

(最初に写った映像。サイドイメージ部分の左側。オダにしては不自然な形に違和感を覚えた。)

以前、別の場所で水没車の反射画像を見たことがあるので、すぐに車両であることを確信してマーカーブイを投入。

(車輪が四つ写っているのがお解りいただけるであろうか。)

念のためにヤスにもスキャンしてもらったが、やはり同じ反応が写るとのこと。

偶然なのか、開始わずか10分で発見できたようだ。あとは県警レスキュー隊ダイバーの到着を待って、確認してもらうことに。

交通渋滞に巻き込まれたそうで、県警レスキューが到着したのは10時過ぎ。


それから潜水準備をして、我々の誘導の元、マーカーブイへ。11時06分、潜水開始。



ダイバーの吐き出す、アクアラングの水泡を、一同祈るように見守る。

張りつめた緊張の中、潜水していたダイバーが浮上。


11時09分、大声で「車両発見!」と報告。

ハミンバードの画像通り、ハッチバックタイプの小型車が逆さまに沈んでいたとのこと。

次の潜水で、車両ナンバーの読取り確認と、そして運転席に遺体を発見。

水温9度の水中では、ダイバーの体力消耗も激しく、3回潜水すると交代を余儀なくされるようだ。

交代したダイバーにより遺体が引き上げられた。これで3日ぶりに家族の元へ帰してあげられることが出来、ホッとした。

しかし、である。すぐ数メートル先にいるご遺体は、あの地震の瞬間に何を思ったのだろうかと、ふと頭をよぎった。

冷たい湖底に沈んで行きながら、きっと無念であったのだろうと。思わず合掌をせずにはいられなかった。

霊感は決して強くは無いのだが、今回も呼ばれたというか、導かれた気がする。

東北地方では、未だに大勢の行方不明者がいる。

その人たちが、一刻も早く無事に家族のもとに帰れるように願ってやまない。

最後に、今回のレスキュー隊支援を調整してくれて、自らも捜索に参加された瀬戸さんと、根気よく粘り強い捜索を続けたヤス、応援に駆けつけてくれた仲間たちや支援してくれたイタコマリーナスタッフに感謝いたします。」



今日までは人命救助や捜索が重点の日。

震災復興はこれから始まるのです。

我々兄弟も、もっと多くの人の手助けが出来るように、災害救援活動を続けます。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿行大橋崩落現場

2011年03月13日 13時19分22秒 | スマホから投稿(速報日記)
60才位の男性の遺体を収容。

結果は分かってるけど、やっぱり精神的に凹む。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Re:発見?

2011年03月13日 11時14分03秒 | スマホから投稿(速報日記)
11時09分
水没車両発見。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発見?

2011年03月13日 09時33分01秒 | スマホから投稿(速報日記)
魚探掛け一回目でそれらしき反応を発見!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする