とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

前説「俺といっしょに、ロマンスしようぜ」(バーイ 北原天気)

2005年11月30日 14時03分03秒 | とんねるずコント研究
はじめまして、管理人のファイアーと申します。
どうぞよろしくおねがいします


さて、とんねるずである。コント批評である。
「批評」とはいうものの、単に「とんねるちゃんのコントが好きだーっ!」と言いたいだけ、なのですが。


筆者はいちおうワンフー歴20年。ではあるが、実はあんまりとんねるずのことを知らない。彼らのプロフィールに詳しいわけでもなく(誕生日は最近おぼえた)、FCにも入っておらず(最近入った)、番組をすべて欠かさず見て来たわけでもない。彼らのシングルはおぼえて歌っていたけれど、アルバムを全部持ってるわけでもなく、ライブへ足をはこんだ経験もない。苗場へも、一度も行っていない。・・・なんか書いてると、全然いいファンじゃないな(汗)


そんな者がエラソーにコント批評なんて、と、とんねるずのディープなファンのみなさまにはきっとお叱りを受けることだろう。


それに、ことわっておかねばならないが、わたしはお笑い批評のエキスパートなんかでもない。お笑いスター誕生は見ていたが、オンエアバトルやエンタの神様は知らない。そもそも「笑いとはなにか」という問いに対して、答えをなにも持ち合わせてはいない。ただ、おもしろいと思うものにバカ笑いし、楽しませてもらってきただけの、ごく普通の一般ピープルにすぎないのだ。


そして、それよりなにより、だ。「批評」なんかをされることを、当のとんねるずのご本人たちは、本当によろこぶんだろうか?


たとえば、サッカーのサポーターがいくら「12番目の選手」だと言っても、実際カラダをはって闘っているのは選手たちだ。もちろん、サポーターの熱い応援が大きな力を生むことはたしかだ。選手の側にしても、サポーターが支えるからこそいいプレーができる。しかし、事実として、文字通り「カラダ」をはり、生活を賭けているのは、選手たち以外の誰でもない。その決定的な違いをきちんと認識したサポーターこそが、真のサポーターといえるんだろう。


とんねるずだって同じことだ。一ワンフーである自分が、何の痛みも悔しさも共有しないままに、彼らが築いてきたもののいいとこどりだけをして「批評」などとしたり顔で言うなんて、正しいことなんだろうか?


ブログ開始早々、壁にぶつかってしまった筆者であった。


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