星に願いを

5年間続けた海外生活から帰ってきて、5年がたちました。趣味の自転車(アウトドア)、読書(インドア)を綴っていきます。

自宅

2006年01月30日 07時47分30秒 | 思うこと
僕には、日本に自宅があり(今は人に貸しているけれど。)
今回の帰国で、そこを訪れた。

2階の一部屋を、物置部屋にしていて、
海外に引っ越しするときに持ち込めない物を保管していた。

今回、ロンドンからフランクフルトに引っ越しするにあたり、
追加で日本から荷物を送ることが出来るみたいだったので、
お貸ししている人にお願いして、家を開けてもらって、
物置部屋から荷物を持ち出した。

僕たちが住んでいたときには空き地だった隣には家が3件建ち、
すでに人が住んでいた。
また、南側の空き地にはアパートが建っていて、入居者を募集していた。

ずいぶん変わったものだと思った。
ほんの一年間での、変わり様に驚いた。

僕たちの赴任期間が終わり、自宅にまた住むようになったとき、
この周りはどのように変化しているのだろう。

補習校

2006年01月28日 22時46分54秒 | 出来事
上の娘は、平日に現地の小学校に通っている関係で、
土曜日の午前中だけ、日本人のための補習授業校に通っている。

その送り迎えは、基本的に僕がしているのだが、
今回、久しぶりに送り迎えを僕がした。

昔は土曜日も授業が有ったとはいえ、
平日は毎日3時まで授業があって、かつ、土曜日も学校。
一番忙しい日々を送っているのは、上の娘だ。

眠くて、行きたくないとぐずるときも有るけれど、
大きい病気もほとんどせず、毎日元気に通っている。

この一年間、パートナー共々、どたばたして自分自身のことで
いっぱいいっぱいの日々だったけれど、
その上の娘が元気で過ごせたことが、一番ホッとすることだし、
元気を貰っていたと思う。

感謝。

安着報告

2006年01月27日 23時51分11秒 | 自分
無事にロンドンに戻ってきました。
ヒースロー空港に、14時過ぎに到着して、そのままオフィスに向かいました。
オフィスに残しておく荷物だけおいて、まっすぐ自宅に帰りました。
そして、今、これを書いています。

時間があるようで、相変わらずどたばたした日本滞在でした。
これからゆっくり書こうと思うけれど、
自分のいる場所を見つめ直すいい機会になりました。

そして、ここが自分の居場所ではないことも再認識できました。

忙しい

2006年01月26日 00時32分45秒 | 出来事

日本にいて、大体毎日、19時ごろに仕事が終わり、帰ります。
でも、みんなに食事に誘われて、結局、ホテルに戻るのはこの時間。

それでも、みんなの話を聞いていると、自分の位置を確かめることが出来て、
ホッとする。
そして、みんな、いろんな思いがたまっているのだろうなと感じた。


日本

2006年01月24日 00時52分23秒 | 出来事

久しぶりに、みんなに出会い、今朝は一人一人に挨拶してきました。いろいろとねぎらいの言葉を頂きました。

やはり、相当太ったみたいです。
みんなから突っ込まれました。

相変わらず、日本は忙しく、みんながぴりぴりしていました。そんな中でも自分を見つめながら頑張っている人。見失っている人。いろいろでした。

帰りにみんなと飲みに行き、いろんな話をしてきました。
みんながいろんな思いを感じていることもわかりました。

最後には、みんなで頑張ろうと言って、帰りました。

明日から。

2006年01月23日 01時05分57秒 | 出来事

明日から、日本での仕事が始まります。
この週末を日本で過ごした印象は。。

日本は明るい。ってことでした。

ヨーロッパの南方はわからないけれど、少なくともロンドンの(特に冬)は、常に分厚い雲が覆っていて、どよ~んとしていて、薄暗い雰囲気があります。

金曜日に成田空港に到着し、土曜日、友人と逢うために横浜で滞在した。金曜の夜中から、しんしんと雪が降り積もり、土曜日の朝には、10cmほど積もっていた。にも関わらず、日本の雪景色はとても明るかった。

この明るさが、日本なのだろうなと思った。そして、こんなに暗いところで生活している欧州人の肌が白くなり、目の色が青くなる理由がわかる気がした。
ヨーロッパは、本当に、陽の光を浴びることがない地域だから。

偽装建築

2006年01月22日 21時46分02秒 | 思うこと

被災した人間にとって、最近の偽装建築問題は、心の底から許せない問題だと思う。
建築士としてのプロの意識を疑う。技術屋が、お金儲けを考えるとろくなことにならない。技術屋は、自分の技術をしっかり守っていけばいいのだ。頑固と言われようとも、自分の技術を信じて、守ってさえいけばいい。

自動車でも常に100%を求められる。なぜなら、一つのミスで、車が暴走、炎上、そして、人の死に至る可能性があるから。それは、建築士でも医師でも、技術を持つ人すべての仕事に言えることだと思う。その仕事を遂行するためには、とてもとても、プレッシャが掛かる。怖くなって逃げ出したくなるときもある。
でも、成し遂げたときの相手の人の笑顔、感謝の言葉、それを見るのが嬉しくて、ただそれだけのために、今を頑張っている。そして、次は、どんなことをしてみようかと、意欲が沸いてくるし、アイディアが出てくる。

技術屋(エンジニア)って、そんな仕事だと僕は思う。

偽装建築にしても、コストを下げろと言われたのなら、単に柱を抜くのではなくて、どうして柱を少なくしても同様の強度が得られるような設計技術を構築しようと考えなかったのだろうか?
もし、そんな技術が出来たのならば、柱を抜くような馬鹿げたことをするよりももっと儲かるかも知れない。儲かるというよりも、多くの人に喜ばれるだろうに。

続き 【その2】

2006年01月20日 09時05分08秒 | 出来事
友人は、地震の朝の9時ごろに倒壊したアパートから救助されていた。そのまま、着の身着のまま、近くの友人の家に身を寄せていた。隣の部屋で寝ていた友人のお母さんの足の上にアパートの梁が落ちてきて、足を複雑骨折したようで、病院に搬送されていた。
友人の話だと、地震が起きた。かなり激しいな、と思った途端に、自分の目の前にアパートの梁が落ちてきたのだそうだ。寝ていたベッドのついたてが友人を守っていたのだそうだ。
友人とアパートに戻って、現場を一緒に見てみると、ベッドのついたてに梁がのしかかっていて、くの字型にひしゃげていた。その真下に友人は寝ていたのだそうだ。地震発生してから数時間、生き埋めになったまま動けなくなっていたのだ。しかし、そのベッドのおかげで、友人は傷一つなく救出されていた。

6000人の人が亡くなった災害だった。
その中で、幸いなことに、僕の親戚、友人の中で、被災して亡くなった人はいなかった。

ロンドンに住んで思うことがある。
ロンドンではまったく災害がない。台風は来ない、水害が起こるほどの大雨はない。豪雪地帯でもない。ましては、地震は全くない。ここにいると、ここに人が住み始めて歴史が始まった時からそうだったのと感じる。ここでは、災害におびえて暮らすことがない。
それがどれだけ平和で、幸せなことなのか。。
でも、ここに住む人たちは、知る由もないのだろうなと思う。

飛行機の中

2006年01月20日 08時24分54秒 | 出来事
今は、日本に向かう飛行機の中。
11時間35分の長旅です。
夕食前のドリンク、夕食、そして、機内免税品の販売が終わって、機内の電気がすべて消えました。
その中で、僕だけごそごそとパソコンと立ち上げて、仕事をしていました。
今は、一息つきがてら、Notepadを起動して、テキスト入力中です。
日本について、ネットに繋げられて、ポスト出来る場所を見つけたら、投稿します。

最近の欧州路線は、エコノミーでも100V電源が供給されています。
移動中でも仕事をしろ!ということでしょうか?

もっといい機体だと、無線LANが入っていたりて、インターネットに繋げられるみたいです。
そうすると、ネットミーティングなんて出来たりして。気持ちが休まる時間がないことになります。
せめて、メールのやり取りだけ、までにしたいなぁ。飛行機の中まで仕事をする気にはなれないです。

欧州から、日本への移動は、太陽と逆行するので、時差ぼけは相当きついみたいです。
ただ、僕は日本への移動で、時差ぼけにはあまりなりません。欧州へ向かうときのほうが時差ぼけはきついです。
(やっぱり、人と比べて、どこかおかしい僕。)

太陽と逆行する分、飛行機の中でずーっと起きていればいいし、到着は夕方なので、ついてすぐに寝てしまえばいいから、
比較的、身体が慣れるのは楽なんだけれど。いつでもどこでも眠れる、僕だからなのでしょうか?

それでも、今は、UKの時間で、23時半。。
真っ暗の中、読書灯だけで、パソコンに向かっているとうとうとしてきました。

少し眠ろうかな。。

日本へ

2006年01月19日 10時56分04秒 | 自分

明日の夕方から、日本に出張します。

来週の一週間、異動先のプロジェクトの教育があるためです。月曜日から木曜日まで4日間みっちりと教育の時間があります。

その合間に、日本からドイツへ送る荷物を、日本の自宅から積み出します。
今、自宅は会社の知り合いに貸し出しているので、その人にお願いして、一つの部屋を物置にしているところから、ドイツへ運ぶ荷物を積み出します。

引っ越しの第一段というところでしょうか。

これから、本格的にドイツへ。忙しくなりそうです。

続き

2006年01月18日 09時15分31秒 | 思うこと

午後には、水道の出が悪くなってきた。
母親が”お水を出来る限り貯めておかないと。”と、言って、お風呂にお水を貯めだした。そして、ありったけのゴミバケツを用意して、その中にゴミ袋を何重にも覆って、その中にお水を入れていた。ちょうど、水で満たされた時点で水道が出なくなった。

小学校時代からの友人で、同じく大阪で下宿している友人の実家に行ってみると、お父さんがいて、”息子と全然連絡が取れない。”といって嘆いていた。僕は、”大阪は大丈夫だから、心配しないで。”と言って、帰ってきたら、連絡を下さいとだけ伝えておいた。
その日の夜中から、何本か電話が入りだした。僕の母親の実家からだった。また、その友人からも電話が掛かってきた。
友人は、大きい地震だったなぁと思って、そのまま、自分の大学に通学したらしい。そのまま講義を受講して、バイトに言ったときに、バイト先の店主から、”神戸が大変なことになっている。”と、聞かされて、慌てて帰省したのだそうだ。

夜中には、我が家では電気が繋がった。
テレビの映像が始まり、冷蔵庫が動き出した。

神戸の被害を伝えていたけれど、テレビでは、数百人の死者が出た模様。と、伝えていた。
僕は、テレビに向かって、”こんなものじゃない!きっと、数万人単位で死者が出ているはず!政府は何をのんきな発言をしているの?自衛隊を早急に出して、対応しないと!”と、叫んでいた。

確かに、後で、政府の初動の遅れは指摘されていた。当時の神戸の被害は、きっと現場にいた人しかわからないと思う。20年以上過ごした僕でさえ、地震当時は、堺に住んでいて、正確には、当事者ではないけれど。

故郷を失う気持ちって、こんなにも淋しいものなのかと、痛感していた。

次の日の朝、もう一人の友人の家に行ってみた。
その友人のアパートは完全に倒壊していた。玄関の前に止めてあった友人のバイクの上にアパートのがれきが覆い被さっていて、見る影もなかった。
そこにあるべき、2階建てのアパートは跡形もなく、上を見上げると青空だけが広がっていた。
周りには、がれきの中から少しずつ自分たちの家財を出そうとする人たちがいた。その中に友人の姿はなかった。


11年前

2006年01月17日 11時43分59秒 | 思うこと
ちょうど、11年前。
僕は、大学の研究論文を書いていた。就職先は今の会社で、そこで、エンジニアになることを目指していた。

ある夜、下宿先で、夜中の3時まで友人と電話で話していた。電話を切った後、そのままこたつでうとうとしていた。外はまだ暗かった。

突然、下から突き上げるような揺れで叩き起こされて、その途端に、身体全体を左右に揺さぶられるような感覚に陥った。揺れが収まると同時に、頭のすぐ左側に、棚から電子レンジが倒れてきた。頭に直撃しなくて、ホッとした。

完全に揺れが収まり、慌てて実家に電話を掛けたら、父親が出てきた。まずは僕の無事を伝えた。父親からは、家族も無事だとのことだった。

テレビをつけると、大阪、京都と奈良のニュースが映像で流れていた。
”神戸はどうなってるんだろ。。”
そして一時間後、神戸の映像が流れたときに、自分の目を疑った。
”神戸が一番ひどい。”
それを見て、再度実家に電話を掛けたけれど、全く繋がらなかった。

身の回りのものを準備して、単車にまたがり、実家に向かった。
大学の研究室の自分の机にしばらく実家に戻る旨のメモを残して、実家に向かった。

大阪でも、あちこちが大渋滞で、壁が剥がれ落ちたマンションや、鉄骨が出てきているマンションがいくつもあった。実家に近づくにつれて、被害が大きくなっているのがわかった。

トラックの運転室の上に高速道路のコンクリートの巨大な塊が落ちてきて、運転手の腕だけが見えていたり、あちこちで炎をあげている乗用車、崩れた家、一階のガレージがつぶれているマンション。。
ここは、戦場かと思うくらいだった。

有名な高速道路が横倒しになったところも、全国に映像が流れるより前に、通過していた。

いつもなら、1時間の道のりも、4時間かかって、何とか実家にたどり着いた。
家族の顔を見たら、ホッとして、ほとんど寝ていない自分に気がついて、そのまま倒れ込むように寝てしまった。

すでに電気、ガス、水道が止まっていて、みんなで一つの部屋に固まって、静かにラジオを聴いていた。

夜になって、外を見ると、いつもは神戸の夜景が見渡せる景色なのに、神戸の市の境がわかるくらいに、神戸は真っ暗だった。
それを見ると、ますます悲しくなった。

ところどころ、赤い点が見えていたのは、火の手だった。

決定しました。

2006年01月16日 09時08分10秒 | 出来事
ただいま、フランクフルトから戻ってきました。

金曜日の午後と、土曜日の午前中を使って、
不動産屋さんといっしょに、僕の家族が入れる大きさの
物件を10カ所ほど見せて貰いました。

土曜日の一番目に見せて貰った物件が、
パートナーも子供達も気に入ったようで、
結果、その場所に即決しました。

フランクフルトは、約60万人ほどの都市です。
ロンドンと同じ価格の物件をお願いしたら、
驚くくらいに広い!

床面積が、今の1,5倍くらいになって、かつ、地下室が出来たので、
有り余るくらいの広さの家に住むことになりました。
そして、一つ一つの部屋のサイズがとても大きい。
日本にある、自分の家よりも相当広いです。
うーん、二家族くらい遊びに来ても、充分止まれるくらいの大きさ。

日本からロンドンに来るときに、家財を絞りに絞って、吟味して
送ったけれど。
それがもったいないくらい、全部運んでも充分に入ります。

物価の違い、人々にゆとりがあって、大都市特有のぎすぎすした感じがなくて、
ほんとに住み易いと思いました。

ロンドンの方が便利なのだろうけれど、元来、僕もパートナーも田舎育ちなので、
フランクフルトの方が、住み良いと思ってしまいます。