エスペラント日本語辞典の「da」の項には、「Mi vidis multe da homoj:私はたくさんの人を見た」という例文をあげて、「副詞(multe)が句の主要部であるから、対格語尾をつけない(homojn とはしない)」と注が付けてある。これは「da」が前置詞だから、その後ろにくる名詞は原則として主格だからと理解できる。
「Mi vidis multajn homojn」とすれば対格語尾をつける。multe da と multajn にはニュアンスの違いがある。「Multe da homoj c^eestis:たくさんの人が参加した」となると multe なる副詞が主語になっている。エス日辞典には「数量副詞は名詞句として働く」と説明してある。
数詞に直接関係はしないから前回の、g^is や po の場合とは少し様子が異なるが、multe da を形容詞句か副詞句のように考えて「Mi vidis multe da homojn」としたくなる。しかし、これはどうもまずいらしい。というのは、da の前には multe のような副詞ではなく名詞がくることも多いからだ。
「Mi trinkis glason da akvo:私はコップ一杯の水を飲んだ」を、実際に飲むのはコップじゃなくて水だからと、「Mi trinkis glaso da akvon」とすると、なんだか文法的にすわりが悪い。結局 da の後ろの名詞は主格にしておいた方がいい。日本語の語感とズレるので何となくしっくり来ないが、こういうものだとあきらめよう。
写真はスイスのお客さんのおみやげ、イタリア製の石けん。普通の石けんの3倍以上の大きさ。
「Mi vidis multajn homojn」とすれば対格語尾をつける。multe da と multajn にはニュアンスの違いがある。「Multe da homoj c^eestis:たくさんの人が参加した」となると multe なる副詞が主語になっている。エス日辞典には「数量副詞は名詞句として働く」と説明してある。
数詞に直接関係はしないから前回の、g^is や po の場合とは少し様子が異なるが、multe da を形容詞句か副詞句のように考えて「Mi vidis multe da homojn」としたくなる。しかし、これはどうもまずいらしい。というのは、da の前には multe のような副詞ではなく名詞がくることも多いからだ。
「Mi trinkis glason da akvo:私はコップ一杯の水を飲んだ」を、実際に飲むのはコップじゃなくて水だからと、「Mi trinkis glaso da akvon」とすると、なんだか文法的にすわりが悪い。結局 da の後ろの名詞は主格にしておいた方がいい。日本語の語感とズレるので何となくしっくり来ないが、こういうものだとあきらめよう。
写真はスイスのお客さんのおみやげ、イタリア製の石けん。普通の石けんの3倍以上の大きさ。
PMEG http://bertilow.com/pmeg/gramatiko/rolmontriloj/rolvortetoj/da/bazaj_reguloj.html
に da の詳しい使い方が載っています。
これによるとFEの練習問題集にmultonを使った例文があります。
Mi neniam prenas kun mi multon da pakaĵo.
説明不足でした。ご指摘のとおり multo da も使われています。しかし multe da の方が圧倒的に多い(ググッてみたら,multe da が一桁多くヒット)のでこういう表現にしてしまいました。
multe da と multo da の違いなど私にはとうていわかりません。
Mi havas multe da pomoj.
気分的には後者の方がいい。私の個人的な気分ですが。
「multe da homoj = multo da homoj
〔中略〕
multe da は multo da よりも、よけいにつかわれるが、名刺の形の方は、ひとかたまりになっている感じがあり、副詞の形の方は、ひとつひとつがかたまっている気持をあらわしている。」