誰が名付けた『平成の絵師』大上克己

【似顔絵がつなげる心の懸け橋】
いつかはあなたの似顔絵が・・・

整いました!

2010-12-11 23:00:22 | 日記
 12月も早や11日、例年なら年賀状の図案に悩んでいるころだろう。
先にご案内しましたとおり、来週の月曜日から今年最後の個展を開催します。
その準備に毎夜追われていましたが、2日前に尾道の会場へ作品を搬入・展示してきました。

 今回の展示に際し、個展を知った高校の同級生が「役に立ちたい」と名乗り出てくれた。
実はこの同級生O君とは、3年間の学生生活中、挨拶程度しか交わしたことがない間柄でした。勿論、卒業後も連絡などとるよしもなく。
今年の8月21日、高校の恩師が教員生活にピリオドされたことを知り、教え子等でお疲れ会をすることに、
そこで、なんと39年振りのO君との再開!
恩師が私を紹介しスピーチに誘い出したことで事情を知ったO君は、「大上の絵が見たい」と、2日後の月曜日、職場に展示していた絵を早速見にきた。彼は持参したカメラに1点1点シャッターを押しながらつぶやいた。
「素人だから描ける絵だ、この絵は何とかして多くの方に観てもらいたい」と親身になってくれる彼。
素人?生意気な!っと思うのは早合点、実は彼、高校卒業と同時に東京でデザイナーとして活躍。当時のアイドルのレコードジャケットやポスターを手がけている。何といってもあの有名なプロカメラマン‘篠山紀信’と一緒に仕事をしている実力の持ち主である。

 なぜそんな彼が私に思い入れするかだって?
実は彼も長い間、病と闘っているのである。
デザイナーの仕事は順調であったが、別に月刊誌の完結マンガ家兼務、デザインのバイト掛け持ちで不眠がたたり、精神的な病に侵され仕事ができなくなり、妻とは離婚、やむを得なく帰広し愛娘とも離れ離れに。
そんな境遇が私と似通っているのか、病気に負けない姿勢に共感してくれ今回の協力となったのだが、現状の体はもっと深刻。
甲状腺の病気、パセドシ病を呈したうえ、両膝関節炎、両手間接リユウマチを併発しているではないか。現在は16年間ケアスタッフとして働いていた某病院は休職中という状況で、登り坂や階段は膝に負担が掛かり辛そうである。

 車の免許を持たない彼は、廿日市から自転車で我が家に来ようとするも鮮血混じりの水が膝に溜まり途中リタイヤ。しかし諦めきれない彼は、何とバイクを買ったではないか、そこまでして協力したいとの信念と意志を貫く姿勢には脱帽である。
こいつのためにも今回の個展を成功させねばと決意を新たにする。

 さあ!尾道で個展の準備、高速道路で事故が発生し、広島~志和間5㌔の渋滞の案内。急きょ広島インターで下り2号線へと・・・2時間あれば到着予定も倍の4時間経過!
センター職員さんに挨拶昼食と忙しく、午後1時から展示作業の開始。
O君は私の体を案じ、「大上は絵のバランスを見ながら指示をすればよい」と、脚立に上り紐を吊り下げたり額をかけたりで重労働役! 膝をかばいながらの展示にシックハックすること3時間。私のよき理解者、84歳の父とO君の3人で掲げた作品60点あまり、準備完了と安堵する。

 センター職員さんに別れを告げ、父の運転する車は一路広島へ、
車中の会話より、
「病気になって広島へ帰ったことで、父を見送ることができたし、現在、認知症でグループホームに入所する母の介護もできたことは決して無駄ではなかった。また病気になり相手の苦しみや痛みが分かるようになったことは、今の仕事に生かせたし、これからの人生にも、相手を思いやる気持ちを忘れないようにしたい。」
続けて
「今の介護の仕事は好きだが膝痛の状態では難しいかも知れない。病院内で僕にふさわしい仕事があればいいのだが・・・」と来年の5月で求職扱いが切れることに心配がよぎる。
しかし明るくこんなことも述べた0君。携帯を見せながら
「娘がauなのでかえたんじゃー」「近かじか、娘とあうんでの」とのこと。
そんな尾道~広島間のわずかな旅は終り、あとは13日を待つだけとなった。
<追記>O君に了解のうえで書き込みました。
    ありがとう、

<似顔絵011>
カープの選手らしき人。似ていませんので迫力だけでも伝われれば・・・




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