漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0883

2022-03-31 06:43:06 | 古今和歌集

あかずして つきのかくるる やまもとは あなたおもてぞ こひしかりける

あかずして 月の隠るる 山もとは あなたおもてぞ 恋しかりける

 

よみ人知らず

 

 まだ十分に堪能する前に月が山に隠れて見えなくなってしまう、そんな山のふもとでは、山の向こう側が恋しく思われるのだ。

 0877 では、山の向こうの人々が別れを惜しんで引き留めているから月の出が遅い、と謳われていましたが、こちらはその逆の情景・心情ですね。

 


古今和歌集 0882

2022-03-30 06:03:24 | 古今和歌集

あまのがは くものみをにて はやければ ひかりとどめず つきぞながるる

天の川 雲の水脈にて 早ければ 光とどめず 月ぞ流るる

 

よみ人知らず

 

 天の川は雲が水の流れとなって早く流れるので、月の光がとどまることなく流れて行く。

 美しい月をゆっくり眺めていたいのに、天の川の早瀬に乗ってすぐに流れて行ってしまう、という歌でしょうか。ちょっと良くわかりませんでした。^^;;


古今和歌集 0881

2022-03-29 06:18:53 | 古今和歌集

ふたつなき ものとおもひしを みなぞこに やまのはならで いづるつきかげ

二つなき ものと思ひしを 水底に 山の端ならで 出づる月影

 

紀貫之

 

 二つはないものと思っていたのに、山の端でもない水底に出た月であるよ。

 詞書には「池に月の見えけるをよめる」とあります。歌意、情景はわかりやすいですね。貫之は月に限らず、水面に映る光景を好んだようで、そうした歌がたくさんあります。いくつかご紹介しますね。

 

そらにのみ みれどもあかぬ つきかげの みなぞこにさへ またもあるかな

空にのみ 見れども飽かぬ 月影の 水底にさへ またもあるかな

(貫之集 311)

 

ふたつこぬ はるとおもへど かげみれば みなぞこにさへ はなぞちりける

二つ来ぬ 春と思へど 影見れば 水底にさへ 花ぞ散りける

(貫之集 298)

 

うめのはな まだちらねども ゆくみずの そこにうつれる かげぞみえける

梅の花 まだ散らねども 行く水の 底にうつれる 影ぞ見えける

貫之集 113


古今和歌集 0880

2022-03-28 06:48:46 | 古今和歌集

かつみれど うとくもあるかな つきかげの いたらぬさとも あらじとおもへば

かつ見れど うとくもあるかな 月影の いたらぬ里も あらじと思へば

 

紀貫之

 

 こうして月を見ていると、すばらしいと思う一方、うとましい気持ちにもなる。この月影が照らさない里がないのと同じように、あなたが月を愛でるのも私のところでばかりではないのでしょうから。

 詞書には「月おもしろしとて、凡河内躬恒がまうできたりけるによめる」とあります。歌だけを読むと男女間のやきもちの歌にも思えますが、躬恒と貫之の間での歌ですから、あるいは女性のところに赴く道すがらにちょっと貫之のところに寄った躬恒を貫之がからかったのかもしれませんね。


古今和歌集 0879

2022-03-27 06:18:07 | 古今和歌集

おほかたは つきをもめでじ これぞこの つもればひとの おいとなるもの

おほかたは 月をもめでじ これぞこの 積もれば人の 老いとなるもの

 

在原業平

 

 そもそも月を賞美するのはやめておこう。月こそが積もり積もって人の老いとなるのだから。

 「おほかた」は少し訳しにくいですが、ここでは「大雑把に言って」くらいの意味でしょうか。天の月と暦の月を掛け合わせて、あまり月を賞美すると自身の老いが早まってしまうよと詠んだ機智ですね。業平の歌にしては珍しく詞書が付されていない作。伊勢物語では第88段に載っています。