今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

魯山人の本を読んで。

2015年11月14日 | 今日の料理
先日魯山人の本を読んで何か新しい発見があるんじゃないか?と思って読んだ、又、「本や文章は、文字と文字の行間を読め、そこに古(いにしえ)の故人の伊吹きを感じる事が出来る」と西郷南洲も愛読した『言志四録』で佐藤一斎が教えている。
それを学んだ自分は書き手の意図を読み取る事に重点を置いて本を読む時もあり、今回は自分のつたない技術や経験を踏まえつつ、その読み方を使って魯山人の意図や『味覚のポイント』をホンの少しでも自分なりに解釈しつつ、読み終えた後で普段使える技術と、材料費に手が届く食材で、まだやった事がない料理を実践してみた。

①納豆のお茶漬け(そのままの味を知りたくてネギを今回別添えにした。)
意外に知らない人が多いと書いてあって、自分も知らなかったし、湯気で納豆の臭いが立って臭いんじゃないのか?と思っていたが、これのなんと美味しいことか、納豆の野暮ったい臭みはお茶で全部洗い流され発酵した豆の旨味や柔らかさだけが残り、お茶漬け用に濃く入れた醤油がお茶で染み出して、絶妙という言葉がまさに当てはまる。

(カラシは入れる)
勿論、424回(428回?とにかく400回以上と星岡茶寮の人の説が伝わって)左右にかき回すとかはしなかったが(それじゃ豆が割れたり潰れる豆もあるだろうし、納豆の豆は大粒好きな自分には駄目だ。
因みに子供の頃、魯山人を越えようと1000回かき回して箸が折れた事があるのでもうやらない、そういうこだわりが1番と決めてしまうから魯山人の料理から目を背ける人も居ることが解った。
誰もが真似しない事は拡まらない。
私はこだわりがないのがこだわりだ。)
今回勇気を出してやってみて良かった。
一生で何回納豆を食べるか知らんが1回ぐらい失敗しても良かろう?と。
自分も散々失敗してきた。その中の成功した1回だった。

②「野趣」あふれる、『鯨の味噌汁』(→かなり上品な味)
海のジビエとも言われる鯨を味噌汁に「入れて」と書いてあったが、この「入れて」というのがネックで煮るのか?本当に「味噌を溶いた後から入れるのか?」どっちなの?か後世の人が迷うだろっ!!と思いながら、
一、普通にホンの少しだけダシで煮てから、火を止め、味噌を溶いて(→この時、自分は出来るけれど、初心者は味を一発で決めなくても良いんだ、濃くなって後でお湯を足すと自分の持っていきたい味にならないし暴力的な味になる。昔、自分も失敗した。)      

で、飲んでみたが優し過ぎて本から受ける野趣あふれる味から少し遠退いた感じなので、後から何枚かベーコンをぶちこんでみたら、うん、バランスが良く野趣も溢れる味になった、これでいいのかな?

二、今度は煮込む時間を少しだけ長くしてみた。
1回目で、味噌を溶いた後から入れる事の良さを解していたのだが、もっと上、もっと上を目指したくて、止まらなかった。
(人間ブレーキが効かないとは怖いことだな。)

結果は案の定、野趣溢れ過ぎて粗暴で暴力的な味になった。(ガックリ)

三、本当に後から「入れる」だけが、もしかしたら本で言いたかった事では?と思って、味噌汁を作ってからぶちこんでみた。なる程、あっさりしていて、これが本から読み取れるイメージに近い気がするが、上品過ぎて、1回目、2回目を経験してからくると、少しコクが足りないというか野趣あふれる感じが足りない気がするので(出汁を魯山人並に凄い材料でシッカリ取ればこれで良いのかもしれないが、そんなに毎回出汁に、額に汗水垂らした金と大切な時間をかけられないのと腕も無い、いつも多くの人が作れるには出汁の素で良いし、それに今回は味のSDガンダム化というか、明治~大正~昭和の味への原点回帰とか温故知新が目的なのでチープにしたかった。)

結局、1回目の本当に僅かに出汁で煮て(本当に少しの時間)、最後に少しぶちこむと良いからこれに決定。

☆今の時点で鯨は何頭ぐらいまで回復したのだろう?。ジビエみたいに早く捕鯨再開にならないかなー。
あと、鯨ベーコンって、火を入れるとふにゃふにゃって縮んでシャクシャクして、嫌な臭みとか全部ぶっ飛んで肉みたいになる(味噌の力もあるのか!!?)
今まで専用のタレやカラシ醤油しか年長者に子供の頃から教えてもらって食べてこなかったけれど、鯨ベーコンは火を入れると美味しいわ。
肉の部分も筋肉質だし。
(でもサシが入っている)味噌汁に入れて時間が経つと余熱で更に油と臭みが抜けて身が美味しくなる。
味噌汁に入れるのは有りだ。
ビビった。

③昆布とろ
これは意外に簡単に出来ると思ったがそれは大きな間違いで。
なんか材料手に入れたり、準備したり、時間使ったので、基礎的な反復勉強にはなってレベルUPしたが、鰹出汁文化の関東人にはあまり報われない感じがしたと同時に、本に書いてあったように昆布出汁は関西の文化だなってのをハッキリと痛感させられた。
(出汁にこだわるとこんなに悲しいのか)
美味しいんだけどね。
先ず、鰹出汁をとって、

(1~2分アクを除きながら煮て沈むまで待てば良い、煮るとアクが強くなるが待つ分には旨味が増してくるものだ。)

出汁には醤油を出汁10:昆布5:醤油3の割合で入れるので(割合はネットで調べた、本で書いてあった昆布一合とかの単位は解らんし、小学校3年の時丸1年間肺炎で入院していたので、元塾の先生に言わせると「丁度その部分の算数が完全に抜けている」と言われ、数字に弱いので、様子を見ながら調節していった、味は感性の部分があるので補える。事務作業ではないから分量どおりだけにすると四角四面な硬い味になる)

醤油を入れ出汁を冷ましておく。

昆布を濡れた布巾や湿らせたキッチンペーパーで拭き、湿らせてハサミで切り易くする。

(湿らせて自然にふやかさないと切りづらい)

(もっと細く切れば良かった。)

出汁が微温(ぬくもりがあるより、少し低い温度)に冷めたら、

すり鉢に昆布を入れて、出汁を少しづつ入れ、箸5本でかき回す。

「すりこぎ」でも良いらしい。

出汁汁にトロミがついてきたら、出汁を加えては混ぜを繰り返す。
非常にツマラナイ作業で、これを作っている人って決っして幸せではないような気がした。
大体10分~20分に1回出汁を足すぐらいか。
自分は1時間ちょっとでギブアップ!!

CDでマイルス・デイビスの「フォア&モア」とレッチリの「スティデアム・アーケイディア」(藤原竜也の映画「デスノート」の主題歌が入っている、ジョン・フルシアンテがまだ居るぞ。マツケンならレニー・クラビッツか。)をかけながらやってもツラカッた。
(作業には音楽をかけると良いんだ、小さな出版社とかではデザイナーがかけているし、事務でもコピペ4時間とか6時間やらされる場合は音楽をかけた方が実際に作業する人にとって負担が少ない、だから効率も落ちないで持続する、インターFMとかで誰でも知っている昔の洋楽が流れても良いかも。)

そしてご飯に中ぐらいより少し少な目にかけて(あまりかけ過ぎると後悔する)海苔を散らし(←この海苔が決め手)、かき込むと、昆布や鰹のアミノ酸やイノシン酸がそうさせるのか、まるで卵ご飯の様なコクがあり、じゃあTKGで良いじゃんって感じだけど、でもサッパリしてベタベタしないという感じで、まさにえも言われぬという表現があてはまる。(ただ、自分は関東人なので昆布が強いとちょっと…)

どうやら「美味し○ぼ」でそう表現してあるらしいが、漫画で昆布を表現する為に描写には昆布を数本画に入れて表現してあるが、本来は「昆布をよけて」と表記されている。
ただ、すり鉢の中でかき回している最中、昆布のつまみ食いをしたら、これが美味しいのなんのって(昆布が好きではないのにそう言える)、ご飯に昆布も乗せたい訳も解る。
が、最初は基本を守ってそのままかけた。
こんなに苦労しても本当の味を求めたい奇特な方は詳しいレシピが出ているHPをご参照下さい。
やってみると、レベルがアップするハズだし、
「学んだ事を実践して初めて本当に学んだ事になる」と、「実学」を説く横井小楠も、頼山陽の朱子学も、佐藤一斎も同じようなことを言っている。
TVや本で人権問題や環境問題を見て勉強して、あぁ~今日は良い事をやったな~なんてやった気だけになっていないだろうか。

実際にやってみるといろんな事に気付いてそれは将来更なる気付きに繋がっていく。
これを書いていてもだ。

追記:
本で凄く共感出来た事がある。作る料理から人格が表れるというような事が書いてあった事を、更に自分なりに発展させて、料理の道もそうだけど、~道(~ドウ)とか、万事が万事、全てのものの出来上がった作品には作り手の人物像や内面が表現されているのではないだろうか?と、だから自分の料理を味わってみて、自分自身を省みる(←かえりみる)映し鏡の様なものではないか?と、仕事の一部分や(周りを巻き込むコダワリは勘弁して欲しいが、自分の内だけで解決出来るコダワリは密かな作品として成立する)、書道とか茶道とか作品や所作を見て自分を見詰め直すモノではないか?と思われる。
万事が万事、そんな気がした。


おまけ
 
魯山人の湯豆腐をやってみた。豆腐嫌いだったんだけど(出来れば冷奴味なしにしてほしいぐらいで)、
昆布が持ち上がらないように、昆布に切れ込みを入れて、豆腐を乗せて水から中火で茹でていく。

(今回はだし汁がしみこむように水から火を入れた)煮立ったら、弱火にして3分ぐらいにして、竹串を刺して、下唇で温度を測り(料理って体調が如実に判断の対象になるんだよな~)、温まっていたらOK。
あまり煮ると「す」が入るから注意。
(水から豆腐と昆布を入れないと、塩気というか出汁が豆腐に浸み込まないようだ。)

薬味は、ネギ、ショウガ、ミョウガ(こんな季節でも食べられるんだものな。)、魯山人は薬味を沢山揃えるらしい…楽しいよね、他に春には山菜類も。


これに「おかか」をかけ、その上からちょびっと醤油をかけて食べたんだけど。

(本来は醤油に薬味を解いておいて豆腐を入れるようだが、最初でいろんな味が混ざるのが嫌だったのと撮影用に上に乗せて)

今まで子供の転がら鍋物はお酢と醤油で食べてきたから酸味が嫌いな自分は鍋物は好きじゃなかったんだ、でも醤油だけとかって尋常じゃなく美味しい。

(他の鍋物も最初醤油だけにして、もし飽きたらお酢を入れている、添加物の入った調味料はやはり薬臭い。気にしてみると、全体の味を壊すというか。)

豆腐に昆布の旨味が染み込んでいて、「既に昆布で煮ているから味が付いている」とはこういうことだったか、関東人だから昆布の旨味の本質が解らなかったけれど、少しだけ真実に触れられた気がする。
カルチャーショックかな、衝撃的だった。
因みに絹か木綿か解らないので(冷奴なら木綿好きなので)、両方煮たが、絹な方が自分はダイレクトにダシの味が伝わってくる気がした。
木綿はショウガのような強い薬味でないと、って気がした。
いろいろ試したけれど。
高級な食材じゃないけれど、魯山人の繊細さや、日本食の本質に触れられた気がしたよ。
外国人に理解してもらいたいなのというのと、後世に受け継いでいきたい。



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