Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「はじめてのこと」に向き合う時間・・・

2006-09-26 01:39:47 | Weblog
kirikouのこともイロイロありながら、私自身は好きなことをさせていただいているなか
実は、家族みなで「はじめてのこと」に向き合う日々を過ごしております。


ここに、どんなことを書いていいのかも、ほんとうに心細いかぎりで、よくわかりません。

今だからこそ、書いておけることがあるように…

それよりも、書くことで、何とか不安なこころに向き合えるような…

そんな気持ちを、どこかで感じているのかもしれません。


病を得て十年近く経つ夫の父が、昨年のお正月に肺炎で入院したのをきっかけに

ヘルパーさんにお手伝いをしていただいて、今年の春から訪問看護師さんにも来ていただき
おばあちゃんを中心にして、家族みんなでできることをしながら
ここまで、在宅介護をしてきました。

今年の夏の暑さは、思いの外、おじいちゃんには、きつかったようで
ここにきて、だんだんに体力が落ちてきてしまいました。


「在宅で、できるだけ穏やかに、そのときを迎えたい。」というおばあちゃんの思いを尊重して

いま、できうる限りの方策を考えて
たくさんの皆様のお手伝いをいただきながら、毎日を過ごしております。


とっても、仲がよくって
お互いに頼りにし合っていたおじいちゃんとおばあちゃんだったので

おばあちゃんが「はじめてのことで、どうしてよいのか、わからなくって…」と

口癖のように言っているとおり、毎日、毎日、いまの一時、一時を
とても言葉にはできないような想いとともに過ごしています。


先週末は、kirikouも、おじいちゃんと過ごして
今までとは違うおじいちゃんの様子を、彼なりに感じたようでした。


今、私たち家族にできることは、あまり残されていないのかもしれません。

けれど、家族それぞれの想いを受けとめつつ

できるだけ、こころ安らかに、穏やかに、見守っていきいたいと想っています。



ただ、このことが直接のきっかけかどうかもわかりませんけれど

今朝、おフトンからなかなか出られずに、登校を渋るkirikouとの話の中で

彼が「生きることとか人生って、どういうことなんだろうか?
そのことを考えると、不安になってしまう。」などと言い出して
彼なりに、何かを感じていることに思い至りました。

かといって、その問に対して、kirikouに、わかるような言葉で
しっかりと答えられる自信は、私には、まったくありません。


言葉に詰まってしまい、私に言えたのは
「もしかしたらお母さんにも、コレだという答は、わからないかもしれない。

ただ、この世に生まれて、おじいちゃんやおばあちゃんや
お父さんやkirikouや他のいろんな人と一緒に暮らして
何か少しでもみんなの役に立ったり、自分も楽しいと思えるようにしていくことが

生きているってことで、それが人生ってことだと思う。」

「お母さんは、kirikouがとっても大切だし
kirikouが、困ったり不安な時に、こんなふうに話してくれたら
お父さんやお母さんも、一緒に考えたり話し合ったりするから、きっと大丈夫だよ。」

というようなことを話すのが精一杯でした。

kirikouは、いつしか泣きながら「ありがとう…」と言っていました。

ナントカ、カントカして、遅れながらも登校して行きましたけれど

kirikouが、どんなふうにとらえているのか、どんなふうに感じているのかも

これだけの会話だけでは、私自身にもうかがい知ることは難しくて

どんな言葉を、かければ良かったのか、どんな説明をすれば良かったのかも

情けないけれど、いまだに私にもよくわかりません。



これまでに、いろいろな本を読んだり、いろいろなお話を見聞きしたり

それなりに、充分に頭ではわかっているつもりで、アレコレ言っていたけれど


いざとなると、ひょっとしたら… 

この私自身にとっても、「まだ良くわかっていないこと」だったのかもしれず…


またこれからも、自分の中の何かを見つめる…

見つめ続けていく… しかないような気がしています。



そんな時間が、音も立てずに、いまも過ぎているのですね…


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2 コメント

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Unknown (平太)
2006-09-26 10:32:51
家族がめいめいに、思いをめぐらし、考えがあると思うのですが、仲良くすごされること、疲れたときや、無理な時は他に

助けてもらうこと、がひとさまの助けは非常に大切と思います。



私は、結婚してそのまま舅、義妹、その子供と同居しました。

舅は末期のがん。入退院、最後は自宅介護。ひとことでいえない、介護のつらさ。かさむ生活費。



義兄夫婦は何もしないのに、家に夜中でも舅が家族を起こせるようにとベルを家中とりつけて、ひとこともなく帰っていったあのことは、忘れられません。しかし、そこで思いつめず、仲良くすごすのが大切だったな。

と今でも思います。



結局、舅に多額の借金があることに気づき、きっと家族にいいだせず、辛いに違いないと察したのでなんとかしてやりたい、

現世に心配事残させたくない。という思いが義兄夫婦に伝わらず、そのままに過ぎ・・。病人にそんなこというのか、非情な嫁といわれました。そうでないんだけど。



家族がそのことは知っていてなんとかする、心配するな。と伝えたかったのに、猛反対され、バカ嫁扱いでした。



結局、舅は家財一式もって、夜逃げ。

われわれがでかけた一瞬の隙に。かえったらカーテン1枚家になかったです。

舅は1週間後、道で意識を失っているところを発見され。

そのまま、意識もどらず・・。その日も金融やさんによびだされていて、その途中でありました。



夜逃げの手配をしたの義兄でした。義兄自身もその後、金融関係のかたがたに脅しをくらったようで、あわてふためいて舅逃げさせました。何も解決しないのに。

あとの始末も彼らは結局なにもせず、われわれはここ数年、非常に苦しかったです。笑。



われわれのように、しこりを残さぬよう、仲良くすごしていただきたい、と思います。あと、最近お医者さまがせきららに本人に

状態説明したがりますが、あれは体力が落ち、通常でない状態の本人には、計り知れない衝撃があるので・・・・。と思います。



義妹の子供はまだ幼く、そのような状況で家族がいがみ合い、ただでさえ、人の命のうつりゆくさまは衝撃があり、心に何か与えるもので、しかしそれも人間として、生命として必要なことですが、家族の不穏な空気を感じさせていたことは非常に反省しています。

たいへん辛い思いをさせたといつも反省しています。

子供はやはり、感性が鋭いので家庭の不穏な空気がいけなかったと。不安定な気持ちさせました。しかし、精一杯日常の話、遊びをしてすごした日々、貴重な時間だったと思います。



語らうこと、言葉をかけることは大切で、彼もその時間はじーっと落ち着いていました。



風待人さまはきっと、そのときそのときで、熟考され、配慮できるかたなので、大丈夫と信じています。



今を仲良く、すでにみなさま仲良しご家族にお見受けいたしますが、その温かい、人間関係はきっとおじいさまにはほっとできることなのかなあ。と思います。

お体ご自愛なさってください。体力が気力を左右するように思います。
大変でいらしたんですね・・・ (風待人)
2006-09-26 11:37:55
平太 さま



私のことまで、心配してくださって、ありがとうございます。



一番、つらいのは父と母の二人かもしれませんね・・・



おかげさまで、いろんな方々の助けがあるので

私たちは、ナントカやっておりますけれど。



平太 さまは、ほんとうに大変なことを経験なさっていらしたんですね・・・



きっと、つらいことがたくさんおありでいらしたのに

小さいお子さんのことを、見守ってあげたこと

ほんとうに、凄いことだと思います。



何だか私自身は、自分の不安がとても大きい事に気づいて

私のほうが、オロオロしそうになってしまって・・・



「これではいけない。子どもも、大変だろうに・・・」と思いながらも

自分自身のコントロールも、できているとはいえないので・・・



ホントに、まだまだ・・・な自分に、あきれています。



ここに書くことも、良いのか迷いますが

けれど、皆さまにお話しすることで

ほんとうに、不思議なくらいに、気持ちが救われております。



おつらいことをお話くださって、ありがとうございました。



きっと、平太さまの、ほんとうのおやさしいお気持ちも

皆さまにも、わかっていただけると思います。

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