ベンガルのうた・内山眞理子 

内山眞理子の「ベンガルのうた」にようこそ。ここはエクタラ(歌びとバウルの一弦楽器)のひびく庭。どうぞ遊びにきてください。

わがこころの主は

2017-01-16 | Weblog

 

タゴール著

ベンガル語本『ギーターンジャリ』

111番

 

 

み名をほこらしく唱えないのを わがこころの主(*注)は知りたまう

わが唇はあなたのみ名にふさわしいだろうか。

みながあざけり笑うとき わたしはなやむ

あなたの名はわが声にそぐわないのかと。

あなたから遠いことを

わたしがいつも忘れないように、

名をたたえる歌のふりが露わになるのをおそれ

こころひそかに恥ずかしくてならない。

 

傲りのための偽りからすくいたまえ

恵みもて わが居場所にわたしをおきたまえ。

人びとの視線から遠ざけて

あなたの慈しみの眼差しをあたえよ。

わが祈りは慈しみをえるため

だれかれの家で名誉をうけるためではない

またもや罪をくりかえし

あなたを呼ぶ 塵ほこりの上にすわって。

 

 

E.B.S.R.鉄道(東ベンガル鉄道)車中にて

ベンガル暦1317年アシャル月22日

 

内山眞理子試訳

 

 

 *「わがこころの主」は antaryami がつかわれています。

antaryami は、こころの内の指導者であり、感情を抑制し調整する精神です。

 

 

 

 

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