橋下「大阪維新の会」の府議団が、府施設での国旗常時掲揚と府内公立学校での国歌斉唱時に教員に起立を義務付ける条例案を6月の府議会に提出する方針である、という。知事は報道陣に、「府教育委員会が国歌は立って歌うと決めている以上、公務員に個人の自由はない。従わない教員は大阪府にはいらない」と指摘し、「繰り返し違反すれば、免職になるというルールを作り、9月議会をめどに成立を目指したい」と得意満面である。維新の会は府議会で単独過半数を占めることから、提案されれば議案はいずれ可決されるだろう。
言うまでもなく、「日の丸」と「君が代」は、大日本帝国の侵略戦争の時代に、まさに戦争を讃美し国民を総動員する神聖な「日本国体の象徴」であった。だから戦後、天皇制国家から、民主主義国家として再出発した時、血と汚物にまみれた国歌・国旗をそのままにしておくことは、論理的にはありえないことだった。しかし、戦後の民主主義の変革の力は、大日本帝国の侵略戦争を国民的レベルで総括することを徹底するまでには及ばなかった。もう戦争はこりごりだという体験的平和主義者であるわれわれの親の世代が徐々に寿命を終えて、戦争を知らない世代が多数となるとともに、国歌・国旗が、血と汚物にまみれたものだったという歴史的記憶も徐々に薄れてきた。東京の石原や大阪の橋下のような跳ね上がりが出てきても国民的反撃がないのは、そのためである。
日本の独占資本が、大々的に海外へ直接投資を拡大し始めたのは、80年代後半である。日系企業の海外の投資権益を守るのは、日本国家の仕事である。戦後、対米従属下で、経済発展に注力していた戦前からの支配層が、この時期、日本国家の帝国化を求め始めるのは、ある意味、必然であった。入学・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱は、1989年の学習指導要領改訂で義務づけられた。それまで国旗掲揚、国歌斉唱について「望ましい」としていたものを、「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と書き換えたのだ。
「君が代」の起立斉唱については、とくに東京都教育委員会が学校側に文書で厳しく通達し(「10・23通達」2003年)、これに従わない教員を大量に戒告などの処分にしてきた。その動きは各地に広がり、首長独裁気分に酔う大阪にも波及してきたのだ。
目先の損得勘定が価値判断の最大の基準となる昨今の時代風潮のなかで、処分を覚悟であえて起立しない教員がそれでも絶えることはなく、処分取消しを求める訴訟も続出しているのが現状である。戦前、教え子を戦場に送り、死ぬことを奨励した痛切な悔恨と二度と教え子を戦場に送らないという日本の教員集団の反戦の伝統がまだ死に絶えていないということだ。
教育現場への国旗・国歌といった国家シンボルの強制は、国家というものに絶対的な価値を見出し、国家権力に唯々諾々と従う国民を育成するために、きわめて有効な手段である。とくに日本国民のように、封建制や絶対王政に対する人権や民主主義の獲得をめぐる市民的たたかいの伝統を持たず、「国家を個人の上におく」国家観、「お上に弱い」国民性は、権力者が自分のしたいように権力を行使できるということでもある。これは、「日の丸」と「君が代」が血と汚物にまみれたものであることとは別の問題である。
この問題の根本を突き詰めていけば、すべての人間の尊厳には何にもまして重い価値がるという認識が、多くの日本人にとってまだまだ当たり前になっていないということだ。個人の尊厳は何ものにもまさる価値をもち、国家観との関係でいえば、「個人を国家の上におく」国家観こそが民主主義においては当然なのだ、という当たり前のことが、日本ではじつはまったく当たり前になっていないということだ。戦後民主主義の限界といってもよいだろう。だから、石原や橋下のようなおよそ人権感覚を喪失した人物を感情的・情緒的に「民主的」に選ぶことになるのだ。
処分による威嚇によって強制された教員による教育が、子どもたちにとっていいはずがない。サラリーマン化した教員が「愛国心」をそう簡単に涵養できるとは思わないが、小さい時から大人の非人間的で卑屈な服従ばかりを見せつけられた子どもたちが将来どのような大人になるのか、とても心配だ。
我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそわが国体の誉れであり、教育の根源もまたその中にあります。
(我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス: ワがシンミン ヨくチュウに ヨくコウに オクチョウココロをイツにして ヨヨソのビをナせるは コれワがコクタイのセイカにして キョウイクのエンゲン マタジツにココにソンす )
忠: 主君に専心つくそうとするまごころ。
孝: よく父母に仕える。父母を大切にする。
国体: 主権のありかたにより区別される国家の形態
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
貴方が個人的に「血と汚物にまみれた」と思うのは自由ですが、起立しない教員というのは法を無視するもの「無法者」です。
あなたは自分の主義主張のためなら法を犯してもよいという考えですか?
周りは君が代の歌詞さえ知らない人ばかり・・・
歴史とかそんなのどうとうかより
それが日本の歌なんでしょ?
イヤなら海外に行けばいいのに だって日本は海外国籍取っても問題ないでしょ?
やりたいことは日本に対する「民族差別」
差別主義者が学校に「民族」差別活動を持ち込もうとしているだけ
まぁ、あれだけの人数を動員して国会を取り巻いたとて、結局は、なーんの変革も出来なかった木偶の坊どもめ。お前らは死ぬまで口をつぐんで生きて行けば宜しい。もう一度言う、この敗北主義者め(笑)